今日という一日

書くことが大好き!日々の気づきを楽しく書いていきます。

グラバー亭と夜景

2016-08-28 14:55:57 | 国内旅行

トーマス・グラバー氏の邸宅として使われていたグラバー亭です。

 

 

明治、昭和の洋館はいろいろなところにありますが、おしゃれですよね。
当時の日本人の生活と比べると、夢の世界です。どれだけ財力があったのか計り知れません。
長崎湾も一望できます。

そして長崎はモナコ、香港とともに、世界新三大夜景の一つに選ばれたって知っていましたか?
どういう基準で誰が選んだのかよく分かりませんが、この日は晴れていたのにガスが出てしまって、
1000万ドルの夜景が10万ドルぐらいになってしまいました。残念(泣)
それにしても、世界新三大夜景とは、ちょっと大げさじゃないかと感じたのは私だけ?

ところで、現代の長崎で郷土を代表するスーパースターって誰だか知っていますか?

福山雅治です!

花火大会は福山雅治の楽曲に合わせて上げられ、稲佐山の夜景の途中には福山雅治の実家があったりして、
バスガイドの説明にも入っています。大ヒット曲の「桜坂」は稲佐山の坂がモデルらしいです。
福山雅治がおいしいと言って評判になったカステラプリン、帰省したら必ず行くちゃんぽんの店、
今や、坂本龍馬をしのぐ人気か?ミュージシャンってすごいですね。

さて、正子ちゃんと行った長崎2泊3日は、正子ちゃんの予習のおかげで、もれなくいろいろなところに、無駄なくいくことができて
感謝感謝です。ここは私と正子ちゃんの性格の違いです。私は全然下調べをせずに、とにかく行っちゃうタイプなのですが、
正子ちゃんはきちんと調べて行動するタイプ。チケット予約したり、ホテルを取ったり、レストランを予約するのは
私の役で、そこまで行くのにどうやって行くかを調べてくれるのは正子ちゃんでした。

お互いに得意分野と不得意分野を補いつつ、楽しい旅行ができました。

ありがとう!また行きましょうね。

 


長崎 出島

2016-08-25 01:42:32 | 国内旅行

長崎に行くのであれば、グラバー園や大浦天主堂もいいですが、出島にはぜひ行ってもらいたいですね。

鎖国時代に唯一ここだけが海外との貿易を行っていたところです。昔は海だったところが今は埋め立てられてしまっていますが、
当時の場所に当時の建物を復元して作っています。

もともとポルトガル人を収容するための場所だったのですが、それがオランダ人にとって代わり、その後200年ぐらいこの場所だけで貿易を行っていたところですが、行ってみるとかなり狭いです。

これはミニチュア模型なので、当然小さいのですが、橋を渡ったここだけが西洋だったという不思議な空間だったのでしょうね。

出島には基本的には男性しか入れなかったようで、オランダ人カピタン(商館長のこと、キャプテンがなまってカピタンになったらしい)の家族もここには入れなかったので、単身赴任だったようです。男性しか入れないけど、唯一花街のお姉さんは入れたようです。最初は下っ端の芸者が送り込まれたらしいですが、ここに出入りをすることにより、オランダ人からいろいろな贈り物をもらうようになり、もらった反物でしつらえた華やかな着物を着てお座敷に出るようになると、途端に人気芸者になってしまったので、それを妬んだ先輩芸者たちが、それからは下っ端の出入りを禁止したそうです。いつの世も、女性はお金持ちからの贈り物の争奪戦を繰り広げていたんですね~。

長崎はポルトガル人によってキリスト教が布教されたところで、その後この地のキリスト教徒は秀吉の弾圧によって、むごたらしい状況に追い込まれるのですが、なぜ秀吉はそこまでキリスト教を嫌ったのかというと、日本を植民地にしてはならないという、日本の将来の先を見越した判断があったかららしいです。秀吉が徹底的にキリスト教を弾圧したので、日本は一度も植民地になることなく、現在まで日本独自の文化を守ることができている…、という話は出島の観光案内の説明員に聞きました。キリスト教の布教を許したアジアの各国は、ポルトガルが攻め入って来た時に、キリスト教の国の人たちに反旗を翻すのはキリスト教の教えに反すると思ってしまい、簡単に植民地化されてしまったようです。これに危機感を覚えた秀吉、やったことは残酷極まりないですが、日本の植民地化を憂いての行動だったとしたら、秀吉を評価するべきですよね。

他にも、ここでしか聞けないいろいろな裏話を教えてくれるのは、はかま姿の観光案内の説明者の方々です。

いろんな話が聞けて面白かったです。現地に行ってみて、知らなかった話をいろいろ聞けるのは旅の醍醐味ですね。
日本のことを全然知らない自分に気づきました。ちょっと遅すぎ? 


長崎 グルメ三昧

2016-08-21 02:51:26 | 国内旅行

やせるお弁当でダイエットにチャレンジしていますが、旅行に来たら当然食べまくります。
何のためのダイエット? 当然旅行で食べまくるためのダイエットですよ~。

角煮まんじゅう

出島クリームパン、コンビニでゲットしました。

卓袱料理も当然押さえておきました。行ったのは「浜勝」というお店です。卓袱料理とは、特別な料理というわけではなく、和華蘭の料理をまとめて全部食べましょうというスタイルの料理です。長崎の歴史がここにありますね。日本料理をベースに中華、オランダ、ポルトガルの料理を、文化の垣根なく一緒に楽しみましょうという、まさにダイバーシティの精神です。中華のような円卓にお皿がたくさん並び、お刺身、甘鯛の石焼、くじら、角煮、シュウマイ、豆料理、その他たくさん、食べきれないぐらい出てきました。おなかいっぱいで幸せ。このお料理を食べるときには、正式には取り皿は2枚しか使わないようです。これは給仕の手間がかからないようにとの配慮らしいです。これは日本のお茶事に通じるものがありますね。

 

 

そして長崎と言えば、やっぱりちゃんぽんですよね。卓袱と同じで、ちゃんぽんもいろんな具のミックス料理ですよね。なるほど…。

トルコライスって知っていますか?ホテルのフロントのお姉さんに有名店「ツル茶ん」を教えてもらって行ってきました。
トルコライスとは、一つのお皿に、ピラフとスパゲティーとサラダとボークカツやエビフライなどを載せたものでした。
お子様ランチの大人版のようなかんじです。これがなぜトルコなのか?長崎だったら、ポルトガルかオランダじゃないのか?と思うのですが、「レストラントルコ」という店で出していたからトルコライスになったという説が有力のようです。好きなものが全部一皿にまとまっていて、普通においしくて値段もリーズナブルなので、大満足です。別にこれだったら長崎で食べなくても、デニーズやジョナサンにあるんじゃないの?と思うかもしれませんが、でもありそうでないと思いません?これだけ惜しげもなく、全部入れるのは、やっぱりミックス文化の長崎ならではですね。

 

そしてしめのデザートは、ミルクセーキ。

なんともレトロな昭和を味わいました。


長崎 軍艦島

2016-08-14 05:47:05 | 国内旅行

長崎と言われてイメージするのは異国情緒があふれるエキゾチックな雰囲気なのですが、この島は異質です。

長崎港から40分で到着するこの島は、その名の通り要塞なのですが、ここで暮らしていた人たちの当時の生活を想像するには
廃墟すぎるし、暑いし(これは仕方ないです)、明治日本の産業革命の世界遺産を観光として見るというのは、
いつもの観光とは違う視点で見るものなんだな…、と思いつつ、30分ぐらい上陸してきました。

さすがは世界遺産、長崎港のフェリー乗り場は大行列

太陽を遮るものが島には何もないため、フェリー会社が準備した麦わら帽子をかぶって上陸です。

この建物は作業を終えた炭鉱夫が使ったお風呂です。まずは服を着たまま海水風呂に入り、そのあと服を脱いで2番目の海水風呂で汚れを落とし、最後に温水風呂に入ったそうです。

こちらは一番見晴らしのいいところに建つ、幹部社宅だった建物です。ほかのアパートに比べて広さも十分あり、内風呂も完備されていたらしい。「偉くならなきゃだめなんです」と、ガイドに説教?されました。

これは石炭を運んでベルトコンベヤーの土台部分です。

アパートの廃墟の一部。観光客が入れるのはここまでです。せっかく上陸したのに、近くには寄れなくて、遠くから「ふ~ん」と眺めるだけです。安全面の問題はあるだろうけど、これはつまんない。実際に中を歩いて、天井を見たり壁を触ったりできるのかと思ったら、全然できません。これじゃあ、実感わかないんですけど…。

そんな観光客の不満を解消するために、フェリーは島の近くをゆっくり航行してくれるので、一応全体を見ることができます。

 

 

命の危険と引き換えにこの島に住んで炭鉱で働いていた人たちの生活はどういうものだったのでしょうか?

海に住んでいながら、ビーチリゾートなぞは皆無ですが、いろいろな娯楽施設(映画館、パチンコホール、プールなど)
はすべて島の中にあり、当時は高級品だったテレビの普及率も高かったようです。島での生活は快適だった(らしい)ことが
協調されていましたが、どうだったんでしょうね…、などと思いながら島を後にしました。

 


長崎 平和公園

2016-08-13 01:15:17 | 国内旅行

8月と言えば、まず浮かぶのは、『めっちゃ暑い』 という事ですが、71年前に原爆が落とされた月でもあります。

昨年は広島に行ってきたので、今回はもう一つの被爆地、長崎 に行ってきました。

平和祈願の旅ですが、長崎は同時に様々な歴史に翻弄されながら独自の文化を築いてきたユニークな場所であることをしっかり勉強してきました。

歴史の教科書では昔々勉強したけど、やっぱり行ってみて、目で見て、説明を聞いて、初めて知ることってたくさんありますね~。

まずは被爆被害者への慰霊と、平和への願いを込めて、平和公園から始めます。

長崎には広島の原爆ドームのような、原爆を代表するような建物が現存していません。というのは、原爆が投下された後に発生した火事でほとんど全てが焼き尽くされてしまったからです。しかも、被害にあった地域は意外と限定的で、グラバー邸のある場所は山の陰になったため、ほとんど被害を受け無かったことを知りました。三菱造船所があった場所も稲佐山の陰になったために被害は限定的で、造船所の操業は原爆の2週間後から再開していたと聞きビックリ。

原爆の悲惨さについて、広島と長崎を比較をすることは意味がないですが、これを見聞きする限りでは状況はかなり違ったようでね。

原爆資料館では、実際に長崎に投下された原爆が戦闘機に充填されるところの映像を見ることができます。実物大の原爆はこんな形だったようです。仕組みはいたってシンプル。

広島は徹底的に原爆の悲惨さを訴える展示ですが、長崎の資料館はアメリカ軍から提供された当時の資料や映像があったり、原爆の実物大モデルもあり、なぜ長崎に投下されたか、長崎が選ばれた理由、アメリカ軍が原爆を投下しなければならなかった自国の政治経済的事情など、視点が違うのを感じました。

平和公園にある有名な平和祈念像は、写真で見るよりも実物はかなり大きいです。あまり見ることのない後姿も見てきました。

 

右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を表現しているそうです。

そして平和公園の裏手には浦上天主堂があります。

 

明治維新後に弾圧に耐え続けようやく信仰の自由を得たキリスト教徒たちが30年の年月をかけて作り上げた大聖堂ですが
原爆で崩壊、わずかに残ったレンガの壁の一部は平和公園で見ることができました。

奇跡的に残ったマリア像も見てきました。

原爆の悲惨さが二度と繰り返されませんように。

合掌。 

 


イチローの名言

2016-08-10 18:37:33 | 自己啓発

メジャー通算3000本安打を達成したイチロー選手の名言。

イチロー選手の名言1
壁というのは、
できる人にしかやってこない。
超えられる可能性がある人にしかやってこない。
だから、壁がある時は
チャンスだと思っている。


イチロー選手の名言2
少しずつ前に進んでいるという感覚は、
人間としてすごく大事。


イチロー選手の名言3
成績は出ているから今の自分でいいんだ、
という評価を自分でしてしまっていたら、
今の自分はない。


イチロー選手の名言4
特別なことをするために
特別なことをするのではない、
特別なことをするために
普段どおりの当たり前のことをする。


イチロー選手の名言5
準備というのは、
言い訳の材料となり得るものを排除していく、
そのために考え得るすべてのことをこなしていく。


イチロー選手の名言6
結果が出ないとき、
どういう自分でいられるか。
決してあきらめない姿勢が、
何かを生み出すきっかけをつくる。


イチロー選手の名言7
しっかりと準備もしていないのに、
目標を語る資格はない。


イチロー選手の名言8
何かを長期間、成し遂げるためには
考えや行動を一貫させる必要がある。


イチロー選手の名言9
考える労力を惜しむと、
前に進むことを止めてしまうことになります。

大切なのは、
自分の持っているものを活かすこと。
そう考えられるようになると、
可能性が広がっていく。


イチロー選手の名言10
小さいことを重ねることが、
とんでもないところに行くただひとつの道

どの言葉が琴線に触れますか? 私は名言4と名言10が好きですね。

千利休にも通じる精神論です。

『あたり前のことが、いつでもどこでもできるならば
私があなた方の弟子になりましょう』


変わりゆく景色

2016-08-07 19:19:03 | 東京

 

これは私のマンションから見える景色です。ちょっとわかりにくいと思うけど、中央に建設中の大きなピルがあって、
その向こうに東京タワーが見えますが、このマンションに引っ越してきてから14年ずっと見てきた東京タワーの景色が
もうすぐ見えなくなってしまいます。

元凶は目黒駅前の開発工事!

こんなものを目黒駅前で作っています。マンション棟は即日完売で、坪600万するらしいと噂で聞きました。

どっひゃ~~~、東京タワーもかすむぐらいの高額マンションです。

私にとっては残念でならない開発工事ですが、変わっていくということは誰にも止められないことで、
変わることに対応していくことが求められますよね…。

変化、CHANGE, BE Different ということを考えつつ、私はどこに行きつくのかな~~~