今日という一日

書くことが大好き!日々の気づきを楽しく書いていきます。

ユーリ先生の自宅でランチ

2018-01-03 00:06:58 | イギリスチェコ

「プラハでちょっとだけでもお会いできたら嬉しいな」ぐらいの気持ちだったのですが、結局ユーリ先生には3日間ともお世話になることになり、3日目は観光の後で、ご自宅に伺い奥様の手料理のランチをごちそうしていただきました。

プラハの中心街から郊外に向かうと、1970年代に作られた公団のようなアパートが立ち並ぶエリアが現れます。日本の公団住宅は老朽化が激しくて設備が古いままで使われているものが多いと思いますが、プラハではこういった建物をリフォームして、バリバリの現役人気物件として使われているようです。

ユーリ先生のご自宅は、20年前に母が訪ねたアパートと同じ部屋だと聞きましたが、数年前にリフォームが行われて、ピカピカの新築マンションの部屋に生まれ変わっていました。2ベッドルームに書斎とダイニングキッチン、リビングルームといった間取りで、多分70平米ぐらいではないかと思いますが。白を基調に落ち着いた色のオシャレな家具が配置され、モデルルームの様に洗練されていました。テーブルセッティングも完璧!これは奥様の美意識のなせる技だと思いましたが、公団アパートの部屋の生活レベルの高さにビックリ

お料理は、プラハのお正月に食べる特別なお料理を作ってくれました。

お菓子を食べながら、母の国際交流パーティに参加した時の写真を見せてもらいました。

お料理をしているユーリ先生の後ろに写っているのは私らしいです。え、え、え、マジ!?ユーリ先生はこの時に作ったのはライスプディング。あのライスプディングはユーリ先生が作ったものだったとは。あれはまさに食文化の価値観の違いの象徴とも言えるビックリなスイーツで、未だにその時のショッキングな味の記憶が蘇ってきます。

そしてユーリ先生の息子のユーリさんにも会うことができました。ケンブリッジ大学を卒業した秀才で、カレル大学で教師をしているらしいです。専門は中国の哲学だそう。チェコ人なのに、中国に行ったこともないのに、なぜか子供の頃から中国に興味が会ったようです。奥様も中国人で3ヶ月前ぐらいに子供が生まれて一児のパパとなったジュニアユーリさんの子供の頃の写真はこちら。

そしてこの賢そうな男の子が、中国哲学の先生になりました。やっぱり賢そうです。

20年の時を経て、プラハと日本が繋がった1日。

チェコのことを知れば知るほど、当時のチェコから日本に留学するということがどれほど難しいことだったかが分かるようになったのですが、長い苦難の時代を経て、自由な平和な時代になり、幸せそうなご家族の今の姿を見ることができて、すごく充実感を感じました。

2018年の10月に日本で行われる学会に参加する時に、再会できることを楽しみにしています。


スメタナホール

2017-12-30 00:36:38 | イギリスチェコ

ドボルザークとスメタナのお墓参りもすませ、クライマックスはスメタナホールで聞く、ノース・チェコフィルハーモニー交響楽団の演奏する、ドボルザークの「新世界」です。

正真正銘のスメタナホールで新世界を聴ける幸運に恵まれました。これぞプラハ旅行の王道!日本で聴こうと思ったらプレミアムチケットになりそうですが、プラハではネットで簡単に予約ができて、しかもチケット代は5000円ぐらいです。Municipal House では毎日のようにコンサートが開催されていますが、それ以外にもプラハの町中の教会やホテルや旧市街のバーやシアターで毎日様々なクラッシックコンサートが開かれています。街を歩くと、コンサートの呼び込みやチラシが溢れていて、選り取り見取り!コンサート三昧とはこのことです。なんて贅沢な環境!うらやましい!

席は、最前列から数列だけは高い席ですが、それ以外はどこに座ってもいいことになっています。私たちは2階のテラス席の最前列で身を乗り出して聴かせていただきました。セレブになった気分! 座席は選びたい放題、というのも半分ぐらい空席なのです。よってその日の気分で当日券を買い求めてコンサートに行くことが全然可能です。羨ましすぎる環境!

ステージ正面の壁は世界最大級と言われるパイプオルガンです。その中央にスメタナの文字が見えます。ここが本当にスメタナホールなのです。

 

どこを切り取っても絵になる素晴らしいホールです。芸術作品と音楽の融合。

  

ドボルザークの新世界を生のオーケストラで聴いたのは初めてです。あまりに素晴らしくて鳥肌が立ちました。 クラッシックの世界には、全く疎い私なのですが(これでも高校生の時は吹奏楽部だった)、本物の世界に触れさせていただく機会を得て、本物とは何かが少し分かったような気が…。一番分かりやすい現象としては眠くならなかった!(クラッシックファンの皆様、レベルの低い話ですみません)クラッシックを2時間聴いて眠くならないなんて、私の中では革命的なことです。 それだけ素晴らしかったということ。

東京に帰ってきてからもしばらくはドボルザーク三昧、毎朝ドボルザークを聴きながら化粧をして、心は飛んでプラハのスメタナホール

夢のような一夜でした。

 


ヴィシェフラド

2017-12-22 20:41:09 | イギリスチェコ

知名度的には、プラハ城には負けてしまうのですが、チェコの人にはこちらの方が断然親しみがあり、心のよりどころになっているようです。

プラハ城はセキュリティーチェックを受けて、入場料を払わないと入れないのに対し、こちらは完全フリー。観光客も少なくて、お散歩がゆっくり楽しめる場所です。

そしてこの場所からはモルダウ川を挟んでプラハ城を見渡すことが出来ます。

地球の歩き方からの抜粋

この城がチェコの人々にどれだけ親しまれ、心のよりどころとなっているかは、スメタナ作曲の交響詩「わが祖国」を聞けば理解できるかもしれない。その第一楽章「ヴィシェフラド(高い城)」とはこの城のことで、栄枯盛衰にまつわる数々のエピソードがうたわれている。伝説の吟遊詩人が奏でる神秘的はハープの音が、この城を見事に表現している。第2楽章「モルダウ」でもモルダウ川(ヴルタヴァ川)の流れがプラハに近づいて行く辺りでヴィシェフラドの旋律が鳴り響く。

そしてここにはヴィシェフラド墓地があり、そのスメタナのお墓もありました。(作曲家 1824ー1884)

 

こちらはドボルザーク!(作曲家 1841ー1904)

 

もう1人、カレル・チャペック(作家 1890ー1938)

ここはガイドもいないし、ガイドブックも当然ありません。ただ歩いているだけでは、当然見過ごしてしまうけど、ユーリ先生が案内してくれたおかげでチェコを代表する芸術家を感じることが出来ました。


ヴァーツラフ広場

2017-12-21 20:50:41 | イギリスチェコ

「プラハの春」にも何度も出てきた、ヴァーツラフ広場の名前。ここで民衆が集まり、大討論会が行われたり、ソ連軍がこの広場に戦車を乗入れ、占拠し、市民は広場に座り込んで抗議をし、そして物語のクライマックスを迎える場所です。

ユーリ先生がこの場所のことを熱っぽく説明してくれたのですが、その時にはきちんと理解できていなかった。

プラハの春(地球の歩き方からの抜粋)

1968年に、旧チェコスロバキアで始まった民主化運動の総称を”プラハの春”という。1960年代に入り、チェコスロバキアではそれまでの共産党一等支配の「スターリン型」政治経済体制への批判が表面化し、より自由な社会を目指すべく改革の気運が高まった。国内の保守派も、改革派の勢いを抑えることはできず、1968年1月に改革派のドゥブチェクが第一書記に就任。一気に言論の自由をはじめとするさまざまな権利と自由の獲得に向かって走り出した。しかし改革の波が自国にも押し寄せることを懸念した旧ソ連以下の旧東欧諸国は、この改革運動を批判し始め、ついに同年8月21日、ワルシャワ条約機構諸国は民主化を阻止するため軍事介入を決行。旧ソ連がヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ占拠。これは「チェコ事件」と呼ばれる。市民は広場に座り込んで抗議をし、さらに、学生ヤンパラフは焼身自殺を図り死をもって抗議した。しかしチェコスロバキアの自由への革命、「プラハの春」は実ることなく鎮圧された。

 


プラハの春 日本大使館

2017-12-20 17:19:47 | イギリスチェコ

チェコに行く前に急いで読み始めた小説、「プラハの春」春江一也(著)

これは日本大使館員の堀江亮介と反体制活動家のカテリーナの時代に翻弄される悲劇的な恋愛小説なのですが、その舞台になった大使館がここです。プラハの春とは(Wikpedia)

この小説は大使館員だった著者の実体験を元に書かれているものですが、ここが小説の舞台になった大使館なのかもしれないと思うと、この写真の見方が一変しました。東欧の歴史に興味を持つことは今までなかったけど、チェコに行ったから、「プラハの春」を読むことになり、それを読んだことで、チェコという国、そこで暮らす人々、全ての景色の意味や重さが自分の中で変わったのを感じました。

これからチェコに行く人は、ぜひ行く前に読むことをお勧めします。

私の場合は、帰ってから全部読破したのですが、ちゃんと見てこなかったことを後悔しました。もう1回行ってこなきゃ!

この大使館がある場所は、マラーストナ地区という場所で、カレル橋の西側になるのですが、小説の舞台となった1967年当時も、きっとこんな感じだったんだろうと思われるような場所が随所にありました。歴史の世界に浸れる場所です。

こちらは有名なジョンレノンの壁と言われるところ。

 

チェコはロシアや西側の国々の思惑に翻弄され続ける歴史なのですが、自由になった今でも自由を求め、体制と戦った当時のDNAが生き続けているの感じます。

 


黄金の小道 おまけ

2017-12-19 12:18:44 | イギリスチェコ

黄金の小道を通り抜けると、少年の銅像の前に人だかりが。

みんなニヤニヤ笑って、順番に写真を撮っている。

「なんだ?なんだ?」と覗き込むと、みなさまのお目当ては黄金に輝くあれでした。

いち早く、直子さんは群衆をかき分けて、「写真撮って〜〜〜」と既にポーズを取っていました。早っつ!

こういう時の直子さんは躊躇がありません。

この銅像が誰で、何のご利益があるのか分かりませんが、黄金の小道なので、金に関するなんかのご利益があるものと思います。

ついでに、プラハの街の中で見つけた現代アート作品の前でも、いち早く「写真撮って〜〜〜」と言うが早いか、足の間(ハサミの間)から顔をのぞかせていました。

 

この写真、よーく見ると、こんな事やっていました。

まったくお茶目なんだから。

 


黄金の小道 プラハ城

2017-12-18 21:34:09 | イギリスチェコ

荘厳な、天にも突き刺さるのではと思えるような巨大な建物の裏には、何とも可愛らしい黄金の道と呼ばれるエリアがあります。 

違う場所に来てしまったようですが、プラハ城の中にこの小道があります。

 

プラハ城の隣にある「黄金の小道」。通りの名前は、皇帝ルドルフ2世がここに金細工師を住まわせたことに由来します。皇帝は、彼らに金属を金に変える物質を探させたそうです。しかし、事実はもっと平凡です。16世紀、この通りに建てられた11軒の小さな家に、城の番兵とその家族が暮らしていました。

黄金の小道にある色鮮やかな16世紀の家並みは、人気の撮影スポットになっています。18世紀から19世紀にかけて、ここには無断で人が住みつき、その後はチェコの有名な詩人で作家のフランツ・カフカ(1883~1924年)を含む芸術家が集まりました。カフカが2年間暮らしたのは、妹が所有していた22番の青い家でした。

カフカってこんなイケメンだったとは、知らなかった。

カフカが住んでいた青いお家も、隣近所の家も、今は全部土産物屋になって、観光客が写真を撮って歩くスポットになっています。

それにしてもこのお家は天井が低くて狭い!昔の日本人も小ちゃかったですが、チェコ人も小ちゃかったという事ですよね。

そして当時の室内が再現されていました。まるでミニチュアハウスのよう。

  

 
  
 
日本的には、ちょー可愛い!ですね。
 
そして歩き疲れてお腹がすいた私たちは、プラハの街を眺める事が出来るテラスのあるレストランでランチタイムです。
 
 

プラハ城 衛兵交代

2017-12-08 22:01:38 | イギリスチェコ

イギリスにも衛兵交代はありますが、チェコにもありました。

不思議とこういうのって見たくなる物です。

どうですか?やっぱり欧米人の兵隊さんはカッコいいですね!アメリカに向けてミサイル飛ばしている、かの国の兵士とは違いますね。

特筆すべきは、この写真をどうやって撮ったかです。

  

こんな人ごみをかき分けてかき分けて、決死の覚悟で撮りました!私、偉いぞ!

ところで友人に聞かれました。

「プラハ城の衛兵って誰を守ってるの?」

「???」

そんなもん、写真を撮るのに必死で考えてもみなかった。

調べたところ、現在のプラハ城は大統領府になっているようですね。

王様もいないのに衛兵交代、完全に観光向けのイベントだったってことですねー。

考え方を変えれば、平和な時代になって良かったって事ですね。


聖ヴィート大聖堂の塔に登った

2017-12-04 21:32:45 | イギリスチェコ

そして南口から外に出ると、黄金に輝く壁画を見る事が出来ます。「最後の審判」のモザイク画だそうです。

そして私たちは、聖ヴィート大聖堂の南塔に登るという挑戦もしてきました。写真の左に写っている塔です。

歩く事が苦手な直子さんが、この時ばかりは、「行くわよ!」とやる気満々。私とたかよさんは、「えー、登るの?登れるの?直子さん?」と心配したのですが、ヨーロッパの塔を見るとスイッチが入るらしいです(笑)150コルナ(約900円)を払って、狭い石の階段を延々登り続けると、

 

期待以上の絶景が広がっていました。

イヤッホー、ザ・プラハです!赤い屋根とカレル橋とモルダウ川。中世にタイムスリップです。

遠くの景色もいいですが、真下を見下ろすとこんな風景になっていました。

 

遠くから見ていた、ゴシック建築のトギトギは近くで見ると、こういう状態になっていたんですね。

これは登らなければ見れなかった景色です!直子さん、連れてきてくれてありがとうございました!

観光ツアーでは入れないようなところへも、自由に入れるのが個人旅行の醍醐味ですねー。

 


プラハ城 聖ヴィート大聖堂

2017-12-04 20:57:07 | イギリスチェコ

チェコ・プラハ観光のハイライトと言えば、観光客が多かろうが、やはりプラハ城。プラハ城内には、いくつかの建物が集まっているので、全部をきっちり見て回るには、3〜4時間かかります。

その中でも、絶対見るべきは、聖ヴィート大聖堂。

大きすぎて全部をカメラで撮る事が出来ません。それもそのはず、大聖堂の長さは約125m、幅は60mもあります。この大聖堂は、10世紀に作られたロマネスク様式の教会が始まりで、14世紀になるとカレル4世の命によって現在のようなゴシック様式の大聖堂への改装が始まり、これが完成したのは1929年、ということは、なんと600年もの歳月をかけて出来上がったらしいです。なんという気の長い話。

中に入ると、天井の高さに驚きます。観光客は圧巻の天井高を見て、立ち止まります。なんと30mあるらしいです。

そしてここで見るべきはステンドグラスです。数々の芸術的なステンドグラスが並んでいるのですが、その中でも必見は「ミュシャのステンドグラス」です。これだけは、他の作品とは画風が全然違っていて、ミュシャの世界が描かれています。「聖キリルと聖メトディオス」という作品です。

巨大なステンドグラスですが、それぞれの窓にストーリーが描かれているようなので、細分化して写真を撮ってみました。

   

  

ミュシャ展は今年、六本木の新国立美術館でも展覧会が開催されましたが、さすがにこのステンドグラスはここでしか見る事が出来ません。 

大学時代の同級生が東京に遊びにきてくれた時に、一緒に見に行ったミュシャとの出会いがここに繋がりました。あの時はチェコに行く事は全く考えていなかったけど、でも潜在意識の中に、その時からチェコへの想いが芽生え始めたのは確かな事です。ミュシャが連れてきてくれたのかな〜。

それ以外にも豪華すぎるステンドグラスが、至る所に。。。

 

    

たかよさんが、ボソッと、『五島列島とは違うな…」と言ったのはここだったっけ? やっぱり本場の教会は歴史、建物、ステンドグラス、全てのレベルが違います。だからこそ、見に行く価値があるのですが。

見るべきは、ステンドガラス以外にもあります。これです。

何だこれは?とお思いでしょうが、何が凄いって、これは2トンの純銀を使って作られているお墓です。誰のお墓かというと、チェコの人に大人気の、守護聖人、聖ヤン・ネポムツキー。カレル橋から突き落とされて殺されてしまう悲劇の司教さんです。カレル橋にもいらっしゃった方です。日本人にはフランシスコザビエルの方が馴染みがあるけど、断然このかたの方が知名度が高いようです。いろいろ勉強になるな〜。