2月11日、北九州のバプテスト教会は毎年、信教の自由について
考える集会を行っています。私は「靖国」とか「平和」「戦争」という言葉自体に
アレルギー反応があるため、今まで参加したことがなかったのですが、
今回は「交読文」朗読をお願いされたため、初めて出席しました。
出席してよかったな、と心から思いました。
以下、今回の講演会のメモ。
・信教の自由はあるべき。
・でも、信仰を持たない自由も大切にするべき。
・「仏教」や「イスラム教」など他の宗教を信じる自由もあるべき。
・私たちが信じる神の優位性を主張してはいけない。
・他の宗教の神様を尊重する心を大切に。
・天皇制度が「諸悪の根源」というわけではない。
・天皇や皇族が悪いと言うわけでもない。
・けれど、「その家庭に生まれただけで優位性が生じる」という
システム自体はやはり問題なのではないか。
・何より、その家庭に生まれてしまった人たちの人権も
無視されているのではないか。(逆差別が発生しているのではないか。)
・では、私たちにできることは何か、考えることから始めよう。
・身近なことからはじめよう。
・自分たちの弱さを自覚する。
・誰の目にも分かるほど「おかしい」と感じられるときは、
すでに私達の手では流れを止められないところまで来ている。
・だからこそ、今、自由に意見が言えるときに思いを口にする。
・疑問点をうやむやにしない。
・クリスチャンである私たちは、主日礼拝から始める。
・かつて、主日礼拝で「国のために働くべき」という教えが
牧師の口から語られたことがあった。そういった動きが来ないか
礼拝が私達の手で守られているか、私たちが教会につながっているか
そういったことを見定める。
それでも、やはり人に意見を伝えることも、意見を伝えたことによって
「クリスチャンって、こういうことに敏感で面倒くさい。」と思われること
どちらもとても怖いわけで、そういった思いを率直に「質問」として
ぶつけてみました。その質問に対する牧師のアドバイス。
・人とこういったことで意見を交わすとき、分かったような口をきかない。
・自分を「分かっている人」だと思わない。
・上から意見を述べない。
・それでも、人と意見がぶつかってしまうときはある。
・人との対立を恐れない。
・信念を持ち続ける。
・時代に左右されない価値観を持つ。
・・・どれも難しいなぁ、というのが私の率直な感想です。
でも、その場その場で、自分の思いを丁寧に伝えることは
大切なことだろうな、と思いました。
そういえば。
1月末に放送された「今夜も生でさだまさし」では
さださんが思いを伝えることについて、こんなことを言っていました。
「最近、日本人全体の日本語力がどんどん低下しているんだよ。
だからね、自分で自分の気持ちをちゃんと伝えられない人が増えてるの。
自分の中の感情を言葉にできなくて、言葉にできないから人に
伝えられなくて、その結果、切れる人が増えてるんだよ。
でね。日本語力が低下しているってことは、自分の思いを言葉に
できないだけじゃなくて、人が話している言葉もきちんと理解できない
人の話をきちんと聞けないってことなんだよ。
だから、人と人との間でいろんな摩擦が増えてるんだと思うよ。」
言葉はすごーく曖昧ですが、こんな言葉でした。
今日の講演会を聞いて、特に講演の最後で「自分の意見や疑問点を
その都度、こまめに人に伝えることの大切さ」を聴いて、
まっさんのこの言葉を思い出しました。
考える集会を行っています。私は「靖国」とか「平和」「戦争」という言葉自体に
アレルギー反応があるため、今まで参加したことがなかったのですが、
今回は「交読文」朗読をお願いされたため、初めて出席しました。
出席してよかったな、と心から思いました。
以下、今回の講演会のメモ。
・信教の自由はあるべき。
・でも、信仰を持たない自由も大切にするべき。
・「仏教」や「イスラム教」など他の宗教を信じる自由もあるべき。
・私たちが信じる神の優位性を主張してはいけない。
・他の宗教の神様を尊重する心を大切に。
・天皇制度が「諸悪の根源」というわけではない。
・天皇や皇族が悪いと言うわけでもない。
・けれど、「その家庭に生まれただけで優位性が生じる」という
システム自体はやはり問題なのではないか。
・何より、その家庭に生まれてしまった人たちの人権も
無視されているのではないか。(逆差別が発生しているのではないか。)
・では、私たちにできることは何か、考えることから始めよう。
・身近なことからはじめよう。
・自分たちの弱さを自覚する。
・誰の目にも分かるほど「おかしい」と感じられるときは、
すでに私達の手では流れを止められないところまで来ている。
・だからこそ、今、自由に意見が言えるときに思いを口にする。
・疑問点をうやむやにしない。
・クリスチャンである私たちは、主日礼拝から始める。
・かつて、主日礼拝で「国のために働くべき」という教えが
牧師の口から語られたことがあった。そういった動きが来ないか
礼拝が私達の手で守られているか、私たちが教会につながっているか
そういったことを見定める。
それでも、やはり人に意見を伝えることも、意見を伝えたことによって
「クリスチャンって、こういうことに敏感で面倒くさい。」と思われること
どちらもとても怖いわけで、そういった思いを率直に「質問」として
ぶつけてみました。その質問に対する牧師のアドバイス。
・人とこういったことで意見を交わすとき、分かったような口をきかない。
・自分を「分かっている人」だと思わない。
・上から意見を述べない。
・それでも、人と意見がぶつかってしまうときはある。
・人との対立を恐れない。
・信念を持ち続ける。
・時代に左右されない価値観を持つ。
・・・どれも難しいなぁ、というのが私の率直な感想です。
でも、その場その場で、自分の思いを丁寧に伝えることは
大切なことだろうな、と思いました。
そういえば。
1月末に放送された「今夜も生でさだまさし」では
さださんが思いを伝えることについて、こんなことを言っていました。
「最近、日本人全体の日本語力がどんどん低下しているんだよ。
だからね、自分で自分の気持ちをちゃんと伝えられない人が増えてるの。
自分の中の感情を言葉にできなくて、言葉にできないから人に
伝えられなくて、その結果、切れる人が増えてるんだよ。
でね。日本語力が低下しているってことは、自分の思いを言葉に
できないだけじゃなくて、人が話している言葉もきちんと理解できない
人の話をきちんと聞けないってことなんだよ。
だから、人と人との間でいろんな摩擦が増えてるんだと思うよ。」
言葉はすごーく曖昧ですが、こんな言葉でした。
今日の講演会を聞いて、特に講演の最後で「自分の意見や疑問点を
その都度、こまめに人に伝えることの大切さ」を聴いて、
まっさんのこの言葉を思い出しました。