シモネッタのアマルコルド -イタリア語通訳狂想曲ー

2011-07-12 08:27:28 | 日記
田丸公美子著  NHK出版刊

著者はロシア語通訳のベテランだった故米原万理氏が、イタリア語通通訳界の大横綱(後に続く大関、関脇、小結なし)と評した斯界の草分け的存在の人。洒脱な文章とユーモアは折り紙付き。しかも、ニックネームから推測できるように、下ネタに関しては抜群の冴えを見せる。熱帯夜にはお誂えの本。
というわけで、ここではそれについては書かない。読む楽しみを先取りするのは野暮と言うもの。
そこで少しお堅いと思うが、著者や米原氏が共通して主張していることに触れたい。通訳とは、母語を外国語に、外国語を母語に翻訳する話者である。それくらいならば帰国子女や海外留学した人達ならば出来るのではないかと思うかもしれない。くだくだした説明の代わりに例題をあげてみる。イタリア語で「豚に真珠」「目から遠ければ、心からも遠い」もうひとつ「馬の尻尾よりロバの頭の方がまし」。これをそのまま日本語にしても日本人には、なんのことだか分からないだろう。通訳者はこれを次のように訳せなければ失格である。「猫に小判」「去る者日々に疎し」「鶏口となるも牛後となるなかれ」。お分かりだろうか。イタリア語をそのまま逐語訳しても、それは通訳とは言わないのである。
つまり、母語を(この場合は日本語)完全にマスターしていないといけない。もう少し深入りして言えば、日本語、なかんずく日本の文化を完璧に身につけていないと通訳(翻訳も同様だが)したとは言えないのである。ここで、最近の英語教育に話は飛ぶ。日本語で碌な文章も書けない(そこまでに到達していない低学年)者に、英語教育をしても日本語も英語も中途半端になってしまうのは、火を見るよりも明らかだ。
著者も米原氏もこの点を何度も何度も強調しているのだが、今に至るもそうした意見が公になることはない。ああ……。

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