「進化論」を書き換える

2011-06-02 15:02:11 | 日記
池田清彦著   新潮社刊

生物の進化を最初に明解に(?)説明したのはダーウィンだった。但し、ダーウィンは遺伝(子)についてはおおまかには理解していたかも知れないが、それを進化とは結びつけることはなかった。その後、メンデルが遺伝の法則を明らかにし、進化論はこのふたつを合体して精緻なものとなった(=ネオダーウィニズム)。
ところが、ゲノム解析が進んだ結果、進化が自然選択・適者生存という理論だけでは説明できなくなってしまった。ゲノム解析によれば人のゲノムの中の遺伝子は約23000、全DNA配列の2%(98%は遺伝に関係していない。かつてはジャンク遺伝子と言われていたが、最近では、どうやらこれらも別の働きがあるらしいことが分かってきている)。チンパンジーとの違いは僅か5パーセント。昆虫のショジョウバエですら遺伝子は1万4000もある。
単細胞生物を別にすれば、昆虫も動物も遺伝子の数はあまり違わないらしい。たとえば、眼を作る遺伝子は人も鳥も昆虫も同じ遺伝子で、それが単眼になるか複眼になるかの違いだけでしかない。このことは「自然選択」で一見説明できるように思えるが、根本的なところで違う。つまり、必要があって単眼や複眼になったのは確かかもしれないが、それを可能にしたのは「眼を作る遺伝子」があったからなので、個々の生物が独自にその遺伝子を発生させたわけではない。
つまり、「眼を作る遺伝子」を環境に合わせて「使い回した」に過ぎない。第2章のサブタイトルが「ゲノム解読しても生物の仕組みがわからないのはなぜか」はこのことをよく言い表している。この論理を著者は「構造主義」と言っているが、最近の知見はこれを裏付けているようだ。
と、大雑把にまとめると以上のようになるが、タイトルが暗示するような面白さ味わうことは素人には無理である。これは、大学院生クラスが読む本である。浅学を棚に上げているようだが。