猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

アメとムシ

2005年06月20日 07時01分20秒 | ガーデニング
今年の梅雨は、なんだか梅雨らしい日々が続いているように思う。
毎日のように雨が降るし、空もどんよりと暗く、ジメジメムシムシ、大変に過ごしにくい。この雨が、恵みの雨であることはわかっていても、湿気だけはどうやっても楽しむことが出来ないのが辛いところ。1日ぐらい、からっと晴れないかな...。

ベランダでは虫が大発生。アブラムシも、緑色のシンプルな奴、黒い奴、ワタみたいなの、足の長い奴、と、バラエティに富んでいる。それを食べにきたのか、カマキリの赤ちゃんもいるし、蜘蛛は張り切って巣を張っている。バラの葉っぱは、少し目を離せばヨトウムシにザクザク食べられてしまうし、たぶん土の中ににも色々いるだろう。そういえば去年、ミントの葉でミノムシが蓑を作ったこともあったけ。あれは涼しげで、小さな風鈴みたいで可愛かったけど...。あの時は「きっとスースーして涼しいし、いい匂いもするし、ミノムシの奴、考えたな」なんて思ったけど、いつの間にかいなくなってて...。あいつ、今頃何してるのかな。
っていうか、ミノムシの行く末って、一体何になるんだ?

などと、とりとめもなく考える。
そういえば、昨日も虫ネタだったな...。

ああ、そうそう。そういえば昨日、オレガノの花が咲いたんだっけ。
やっぱりこの蜜も、虫たちに大人気なんだろうな...。
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タンス喰う虫も好きずき

2005年06月19日 02時37分43秒 | ハ~プニング!
昨年、10年来の友人が引越しをした。
以前から、その友人には「新しい家に遊びにおいでよ」と誘って頂いてはいたものの、これまでなかなか訪問を実現出来ずにいた私とゴンザ。しかし、先週の日曜、ついに2人揃って時間がとれたのと、友人からお誘いを頂いた時期が重なったため、念願の、新居訪問を果たすことが可能となった。

都心に極めて近い場所にある、その友人宅は、高層マンションの最上階。広大で、真新しく、窓からは東京のきらめく夜景が一望出来る。
そこに家族とともに住む、私の友人は極めて気さく。明るく楽しいスタイル抜群の美人で、本当に気持ちの良い女性である。
そんな彼女に、色んなエピソードを交えながら、新しい家の中を案内してもらい、興味深々の私とゴンザ。あちこち見て廻っては感心したり、はしゃいだりと忙しい。.....と、突然、友人があることを言い出した。
「そういえば、1年ぐらい前に買った、新しい家具から木の粉が落ちてくるんだよね。で、その粉が 落ちた部分を掃除しておくでしょ。するとまた次の日には同じ場所に木の粉が落ちてるの。
 なんでだろ?」
そこで、見学を中断。ゴンザを交え、3人で推測をしてみる。

状況から考えて、家具自体から自然に何かが削れていくとは考えにくい。
では...何なのか?
すると、誰から言い出したかわからないが、こういう話になった。
「引き出しが閉まっているのに木屑が落ちることなど有り得ない。虫が喰ったんじゃない?」
...それなら同じ場所に木屑が落ちていても不思議ではない。
しかし「家具を食べる虫なんて、そもそもいるの?」とか、「いや、アンティークのタンスなんかはよく喰われてるよ」とか、なかなか結論には至らない。
そこで、百聞は一見にしかずと、3人はその家具をまじまじと観察することにした。

すると...「あった!」
文字通り、穴が開くほどタンスを見つめ続けた末、ゴンザが1つの穴を発見した。
しかも、ものすごく目立つところに。
友人自身は「1番下の引き出し裏ばかり気にして調べていた」のだそうで、まったくその穴には気付かなかったらしい。そりゃ、1番目立つところに正々堂々と虫が穴を開けるなんて、誰も思わないだろうから、仕方ない。しかし...穴を発見したはいいが、どうする?
再び3人で協議。しかし瞬時に「退治する」という結論に到達。でも...どうやったらいいの?
「殺虫剤を穴目がけて噴射する?」「いや、殺虫剤なんてないよ」
「じゃ、ゴキブリのときみたいに洗剤かけてみる?」「でもどうやって穴の奥に入れる?」
具体的手法についてはなかなか結論が出ない。
そこで3人は、とりあえず本当に中に虫がいるのかどうか、細長い物で確かめてみることにした。
最初はヘアピンでトライ。「だめ、もう少し細くて柔らかいものでないと」
お次はマチ針で。みんなを代表して私が恐る恐る穴を探る。「ダメだ。短い。しかも固いし」
かといって、この家に針金などなさそうだし...。「あっ、そうだ!Uピン持ってる?」
女性が髪をアップする時などに使うこのピンが、極めて針金に近いことを思い出した私は友人に尋ねる。すると「あるよ」との返事。やった!
Uピンを受け取り、それを真っ直ぐに伸ばして、そろそろと穴に差し入れる。思ったよりも穴は深い。しかも、奥へ行くごとにカーブしている...。そこで私は、少しずつ、穴の傾斜を利用してピンを曲げつつ、穴を探る。
「コツン」
するとついに何かがピンの先に当たった。虫なのか?
ピンを引き抜き、穴をじっと見つめる..............................と!

「!!!!!!うわ~っ!!!」
ものすごい勢いで、穴から木屑が押し出される。
次いで、何かが.......這い出してくる!
「うわ!うわ!うわ~!! ゴンザ、早く!早く捕まえて~ぇっ!」
絶叫する3人。しかし、やはりゴンザは男だ。素早くティッシュでそいつを捕まえる。そして、私に代わってその虫を「処分」する。そして、すかさず写真をパチリ。

せっかく穴から逃げ出した、虫の命を奪わなければならなかったことに罪悪感はあるが、今夜からは友人も安心して眠れるのだと思えば、作戦は大成功といえるのだし、穴だってあのままにしておくわけにはいかなかったのだから、仕方ない。
主がいなくなった穴を、木工用ボンドで、器用にゴンザが塞ぎ、家具虫騒動は終わりを告げた。

思わぬハプニングに見舞われたおかげで、大興奮のうちに幕を閉じた友人宅訪問。
「楽しかった」と言っては、命を奪われた虫に申し訳ないが、しかし思い出深い一夜になったのは間違いない。
ちなみに、わーわー言いながら私が写真に収めたこの虫は、体は堅く、黒光りしていて、鼻先はモグラのような形をしていた...。

名も知らぬ虫さん...ごめんね。安らかにお眠り下さい。
合掌。

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見たくないもの。見なくてはならないもの。

2005年06月18日 06時17分55秒 | ぶ~すか言ってやる!

このブログを始めた当初。

ここでは「面白いもの・楽しいもの・きれいなもの」を取り上げていこうと考えていた。

しかし、毎日更新を重ねていくことによって、
私の中でこのブログの主旨が変わってきたことを、最近感じる。

毎日、植物を育てながら、可愛い猫たちに癒されながら、
しかし、日々目にする暗いニュースや社会の流れから、目をそらすことが出来ない。

近年目につくのは、子供や老人、
小さな動物や弱い者に対する非道な行いばかりで、
この国から何かが失われていっているような気がしてならない。

日本人は、礼儀正しく心優しい民族ではなかったか。

植物や小さな動物を愛でて、何者にも宿る命を、
大切に思う民族ではなかったのか。

ここに1冊の本がある。1856年8月21日に日本の下田にやってきた、
日米修好通商条約調印の全権使節・タウンゼント・ハリスの通訳、
ヘンリー・ヒュースケンの日記である。

オランダ人であるヒュースケンは、単身ニューヨークに渡り、
職業を次々に変えた末、
オランダ語、英語の両方に堪能なことを買われて通訳となった。

日本へ向けて出発した1855年から、
日本で殺害される1週間前の1861年、1月8日までの日記を残している。

当初は日本の文化や慣習、人々に戸惑いを覚えていた彼だが、
次第に日本に惹かれ、愛情を持つまでになる。

なぜならそれは、日本の美しさを、日本人の心の美しさを見たからではないか。

私自身、我が身を、自国の文化を振り返るために、
それを描写している日記中のくだりを、少し抜粋してみようと思う。

  「谷間におりて、天城の山頂に去来する雲から外に出ると、田畑がひらけてくる。

  やわらかな陽ざしをうけて、うっとりするような美しい渓谷が
  目の前に横たわっている。

  とある山裾をひと巡りすると、立ち並ぶ松の枝間に太陽に輝く白い峰が見えた。 

  それは一目で富士ヤマであることがわかった。

  今日はじめて見る山の姿ではあるが、一生忘れることはあるまい。

  この美しさに匹敵するものが世の中にあろうとは思えない」

                                      -中略 

 「ゆたかな作物におおわれた、はれやかな田園の只なかに、
  大地と齢を競うかのような松の林や、楠の老木がミヤ、
  すなわちこの帝国の古い神々の祠堂に深い影をさしかけており、
  ゆったりと静まりかえったこの場景を背後から包み込むように...」

                                      -中略

 「私は感動のあまり思わず馬の手綱を引いた」

 

そして、世界を見てきた男からの、日本への次の言葉は、
今こそ私たちが胸に刻むべきものではないだろうか。

  「しかしながら、いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ、

  この進歩は本当に進歩なのか?

  この文明はほんとうにお前のための文明なのか?

  この国の人々の質僕な習俗とともに、その飾りけのなさを私は賛美する。

  この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている
  子供たちの愉しい笑声を聞き、
  そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私には、

  おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
  西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように
  思われてならないのである」

これを読んで私は泣いた。

この、世界を見てきた男の、広い視野から生まれ出た愛の言葉に。

当時、「米国側の人間に汚いものは見せないように」という
日本の意図もあったかもしれないが、
それでも、やはり、ヒュースケンが見たものは真実だったと思う。

29歳間近の若さで、これほどまでに惹かれていた
日本の人間によって命を奪われたヒュースケン。

短期間で日本語をも習得し、身軽に行動し、
「食べること、飲むこと、眠ることだけは忘れないが、
そのほかのことはあまり気にしない」(ハリスによる言葉)男。

「恰幅のいい男で、通人すぎる男でもございましたよ」(領事館のボーイ)
と言われた男。

それから150年あまりが経った今、
私たち日本人自身が、そこから繋がっている未来を創ってゆくためにも...

見たくないもの。
でも、見なければならないものがある。

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梅雨寒に舞う色

2005年06月17日 07時12分28秒 | ガーデニング
アプリコーラが咲き続けている。
ここ2日ほどの雨で、なんだか薔薇の花の色も重たげに見えるのだが、この花に限ってはその色の
変化が顕著に現れているように見えて、それも悪くない。

蕾は、朱赤に近い鮮烈な色。開きはじめはマンダリンオレンジ。
次にアプリコットに変化したら、あとは段々と淡く。
咲き進むにつれて、優しい風情をただよわせ、そして...散る。

ひとつの鉢の中で、様々な表情が揺れては消え、消えてはまた揺れる美しい薔薇。
そして...
鬱陶しいこの梅雨が恵みの雨であることを、葉の力強い緑が教えてくれる。
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プロの仕事

2005年06月16日 04時01分31秒 | ぶ~すか言ってやる!
もう一昨日のことになるが、月曜日はA社の撮影だった。午後、そのA社製造の機器を使用しているカットを撮るため、スタジオではなく、直接A社に向かう。
我々の仕事では、現場に向かう際、それが海外やらロケバス移動やらでない限り、大抵は所属事務所から<住所・電話番号・名前>だけを聞き、手持ちの地図をたよりに単身で移動するのだが、今回は事前に詳細を送って貰っていたので非常に助かり、迷子になることもなく無事に現地に到着した。しかし...。ここからが大変だった。

スタジオではなく、一般企業の敷地内に入るには、それ相応の手続きが必要らしく、守衛所では色々細かく書かされた。やっとそこを通過できたと思えば、今度は受付のお姉さんに、あらためて名前と用件を伝え、担当者を呼んでもらう番だ。しかし肝心の担当者はというと、社内のどこに行ったかわからないとかで、何度も「もう少々お待ち下さい」と言われる。散々待たされた挙句、目的地にたどり着けば、今度は誰一人として、この企画の全体像をつかんでいない。着替えをしようとすれば、「更衣室を使うための許可をとりますからお待ちください」と待たされ、「やれ、それはあそこの部署に聞け」「いや、それはこっちの部署だ」と、なにかにつけて、1つのことをたらいまわし。手続きなしでは何ひとつ、進んでいかない。
しかし。それは会社という組織をつつがなく運営してゆくためのルールだから、仕方のない事。
それぐらいは私にも理解できた。

理解出来ないのは...あとからやって来たカメラマンのことだった。(推定年齢50代後半)

第一声から、「いや~、助手がいないから荷物が大変で!」と言い訳をし始めた彼の言動・行動は、始めから終わりまで周囲に不快感を与えるもので、危うく私は、もう少しでブチ切れるところだった。そのカメラマンは、こういった撮影が初めてだという、A社の年若き担当者にいきなり、
「僕はここの仕事をずっとやってきたのに、最近干されちゃって」などと言い出したが、それはまだ序の口で、その後も次々と不快な言動を繰り返した。
担当者が素人なのをいいことに、威圧的な態度で「あとで文句言われちゃかなわないからちゃんとどうするか決めてよっ!」と迫ったり、かと思うとヘラヘラへつらったり...。
肝心の自分はといえば、何かにつけ「助手がいないから」「昔は助手を使えたんだけど」「ここはスタジオじゃないから」という言い訳を繰り返し、新しい知識や技術を学んでいないのが丸出し。
私は撮られる立場専門であるが、毎回違う人間に撮られているからこそ、近年の撮影機器がどれだけのことを出来るのか、照明や「間」のとりかたがいかに作品を変えるか、ある程度知っている。
第一、プロは言い訳などしないし、素人を馬鹿にしたりしないものであるはずなのだ。
自分の知識と持てる技術のベストを尽くし、素人には不可能なことを、素人に代わって限りなく可能に近づける。そしてそこから評価や尊敬を勝ち取る。それが、<プロ>のはずだから。
しかし...。結局、そのカメラマンがプロとしての才能を発揮することはなかった。
いや。才能がないことを知っているからこその、言い訳と不遜な態度だったのだろう。
最後まで、彼はそうだった。

仕事を終え、私が帰り仕度をしていると、いきなり(駅まで)「送っていけないからね!」と
言い放ってきた。
もともとそんなつもりなど毛頭なかった私は、こみあげる怒りをぐっとこらえ、できるだけ静かに
穏やかに、冷たく彼の目を見据え、「わかってますけど?」と応えた。
その後もブツブツ、彼が口の中で言い訳をつぶやいていたところを見ると、私の怒りは彼に充分伝わっていたのだろう。しかし、彼がその態度を変えることは、ついになかった。

しかし、そんなことはどうでもいい。
「プロ」という名をかたっている以上、プロはプロなりの仕事をするべきで、
しかし、その前に「人として」きちんとしなければ、プロだろうが、素人だろうが、
誰の尊敬も勝ち得ることは出来ない。
言葉を駆使し、知識を増やし、笑顔で誰かを幸せにする。
そんな「人間のプロ」こそ、人々の尊敬に値するのだから。

そして...
「人間のプロ」が、1番難しい仕事であることは、間違いない。
コメント (6)
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