猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

雪の日の思い出

2006年01月20日 23時52分37秒 | ルーツ
明日は関東地方も雪の予報。
世の中では、センター試験なるものがあると聞けば、若者達の足に影響が出なければいいなーとは思うが.....。
私には、小雪がちらつくたびに思い出すひとつの情景がある。

あれは.....。
私がちょうど4歳の頃。
我が家では妹が生まれたばかりで、そう。
父が浮気相手の家に入り浸って帰ってこない時のことだった。
浮気相手とは、以前にもこのカテゴリ「ルーツ」の中で書いた、私が謝りたいヒト、Mちゃんなのだが.....。

その頃、私たちは天井の梁がむき出したようなボロ家に住んでいて、母は生まれたばかりの妹と、まだ何の役にも立たない4歳の私を抱え、途方に暮れていたのだと思う。
ある日。
彼女は私に、妹のためのミルクが入った哺乳瓶と、昼食のための小銭を与え、どこかへ出かけて行った。
それは、のちに聞けば、Mちゃんの家へ乗り込むためだったのだそうだが、幼い私は事情もわからず、ただ母の言いつけどおりに妹にミルクを与え、留守番をしていたのだった。
折りしも季節は真冬。
私の妹が12月生まれであることを思うと、それは1月頃か。
空腹を覚えた私は、ちょうどその時住んでいたボロ家の隣にあった、雑貨屋へと昼食を買いに行ったのだった。

当時。
時代はまだ貧しさが残り、はたきやちり紙に混じって、様々な食品が売られているような雑貨屋がそこここにあったような頃。
手に、母から与えられた小銭を握り、私は店先に並べられたパンを選んだのだった。
今とは違う、種類もそう多くはない菓子パン。
それでも小さな私にとって、好きなものを選べる状況というのはとても偉くなったような気分で、ドキドキしていたように思う。
中でも、丸いパンの真ん中に白いクリームが絞ってある、赤いチェリーが燦然と乗った菓子パンは、見るからに豪華で、私はとてもゴージャスな気分になってそれを買ったように思う。

しかしその一方で。
幼かった私にとって、まだ乳飲み子の妹を抱えて、暗い古い家で母を待つ心細さはやはり忘れられないものだったのだろう。
あんなに光り輝いて見えた菓子パンの上のチェリーだったのに、かすかな記憶の中で、一人うずくまってそれを齧る私の小さな姿が、今も強く私の胸を締め付けるのだ。
大人になってから、私はガサガサッと音がする袋に入った菓子パンが大嫌いになった。

あの時.....。
買ったパンを抱えて、すぐ隣にあるボロ家へ戻ろうとすると、空からは小雪がちらついてきたのだったっけ。
とても.....寒くて、心細くて。
けれど、そんな暗いボロ家の中でも、なぜか赤ん坊だった妹の周りだけは暖かい光に満たされていたような。
そんな気がする。
赤ん坊用の服にくるまれた彼女は、とても美しくて、暖かそうだった。

暗くなる頃。
リヤカーで焼き芋を売る、おじさんが鳴らす鐘の音が「チリンチリン」と聞こえた。
小銭を使い果たしていた私は、どうしてもそれが食べたくて、部屋の中にあった、乾電池の形をした貯金箱を握って家から走り出たのだったなー。
でも.....
どんな風にしてもその貯金箱は開かなくて、おじさんは行ってしまった。
きっとおじさんは、目の前にいる少女が家のものを勝手に持ち出してきたのを悟ったのだろう。
雪の降る中、目的の焼き芋も買えず立ち尽くし、行ってしまうおじさんの背中を見送るのは、とても悲しい気持ちだった。
だけど.....
もしあの時貯金箱が開いて焼き芋が買えても、私は、使ってしまった中身の言い訳を、一体どうするつもりだったのだろう?

あの日.....。
あの雪の日。
きっと私の心にはたくさんのことが起こって、その後の成長に大きく影響したのだろう。
私はたぶん、一生あの日のことを忘れないし、美しい赤ん坊だった妹の寝顔も忘れない。
小雪ちらつく道を一人歩いたことも。

あれから。
はるかな時間が流れ、本当に色んなことがあった。
けれど、雪の日に決まって私が思い出すのは、必ず、あの菓子パンと、美しい赤ん坊と、電池型の貯金箱。

それは、悲しく、心細くもあったけれど、とても美しい光景だった。
あのボロ家も、隣にあった雑貨屋も、一人歩いた道も、ちらつく小雪も。
今とは比べ物にならないくらいの美しさが、そこにはあったように思う。
あの日。
母がいつ帰ってきたのか、父は一緒だったのか、それは思い出せないけれど。

今となっては、ガサガサッと音のする袋に入った菓子パンも、懐かしく食べられるようになった、もうおばさんの私である。