猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

「美味しい」は楽しい

2006年01月13日 23時37分07秒 | ルーツ
先日体調を崩した影響からか、いまひとつ食欲にエンジンのかからない私。
欲張ってお茶碗大盛りのご飯をよそってみるも、途中でピタリと箸が止まってしまうのに、自分でも驚いている。
まあ、週あたまに、ほぼ二日近くアクエリアスだけで過ごしたのだから、胃だってちょっとは小さくなると思うが、そんなことを考えていて、ふと、自分が昔は食べることに苦痛を感じて生きていた人間だったことを思い出した。

実は。
今は軽く丼飯を平らげるこの私。
父の家を出て、放浪の末、母の元にたどり着いた16歳の時、子供用のお茶碗に半分ほどよそられたご飯すら食べきれないような胃の持ち主だった。
それは、小さな頃、好き嫌いが異様に多かったこと、またその好き嫌いを克服しても、食事の時間が楽しくなかったこと、さらに母が突然いなくなってしまって、食べ盛りに、自分で作ったバリエーションのない食事に楽しみを見出せなかったこと、加えて、継母との暮らしで、酔った彼女と食卓を囲むのが苦痛だったこと、学校と手伝い、アルバイトで疲れ果て、食事をとる気力に欠乏していたこと、など、様々なことに起因している。

私にとって食卓とは、父との暮らしでは説教の場。
母が家出後は、隣室の祖父の罵りと同義のひとり言に責め立てられる孤独の場。
継母との暮らしでは、泥酔者の修羅場を目撃させられる現場。
そういった種類のものだった。
また、母の元にたどり着いてからもそれは同じ。
しばらくは、気楽にのんびり過ごせて太ったものの、時間がたつにつれ、また食卓は苦痛の場へ。
その発言の90%が、愚痴か人の悪口、お金の話である母は、私が食卓につくたびにくどくどと同じ話を繰り返していたし、また、私が作る食事に対しても、常に「私はこんなもの嫌いだ」「こんな肉はまずくて食えない」とか、言い続けたので、私はそのたび食欲をなくし、いつしか、すっかり食べること自体が好きではなくなってしまっていた。

しかし.....
母自身はなぜ自分の娘が少食であるかわからなかったらしく、
「なんでこの子は太れないんだろうねぇ?」
と言っていたから、話はややこしい。
今となっては、それは滑稽な笑い話であるが、母に
「誰のせいで食欲がなくなると思ってんのよ!」
と言い放つまでの、耐えに耐えた十数年間、母の不在時間にとる食事の存在がなければ、私、栄養失調になってたかも。

そういえば、私がまだ家出をする前だったか。
高校の家庭科の先生がやけに私の痩せすぎを気にしてたっけ。
「あなたは精神的拒食症なのよ」
と言っては、何かと私のことを気にかけて、声をかけてくれたものだった。
同じ高校に通った妹曰く、
「あの先生、私の顔を見るたびに、お姉ちゃんは元気?って聞いてきてたんだよ」
ということだったが.....本当に有難いことである。
ああ、そういえば、私あの先生に、調理実習で作ったあなたのハンバーグがあんまり美味しいから、作り方を教えてって言われて教えたこともあったっけ。
ん~、そう考えると、私って食に執着がない割に、お料理が好きだったっていう変なヤツかもー。

.....と、食を巡って、思い出は色んなところを駆け回るが。

今じゃどうよ。
毎日痩せたいって思ってるって。
あ~、また食べ過ぎた~って、毎日反省してるって。
いや~、食卓が楽しいのはいいんだけどね~、贅肉はね~。

しかし、やっぱり、食事が楽しく、美味しく、バランスよくとれるってことは、この上ない幸せ。
この世には、食べたくても食べるものがない人がたくさんいて、また、美味しく食事をとりたいと思っていても、様々な事情でそれが許されない人がいて。
だから.....
私は.....私たちは、それを忘れてはならないのだ。

「美味しい」は楽しい。
しかし、それはやはり、
「楽しい」から美味しいのではあるまいか。

そう。
あなたが毎日美味しく食事をとれるのは.....
きっと誰かのおかげ、ってことだね。

ご飯は美味しく食べよう~!おー!
コメント (2)
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