イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

JIKAD「イズミル-日本人の視線」写真展

2013-01-28 16:11:46 | JIKAD・トルコにおける日本年
 
JIKAD(日本イズミル文化友好協会)は2010年「トルコにおける日本年」を機に実質的活動を始めました。この2月には創立3周年を迎えます。現在も日本語教室や折り紙教室、映画祭、日本関連のセミナーなど地道に活動を続けています。イズミル在住の日本人はたぶん30人前後、よく知っている方、名前だけ知っている方の他にも、たぶんまだ存在も知らない数名の日本人の方がいらっしゃると思われます。
 
今回JIKADでは、日本とイズミル、日本人とトルコ人の結びつきがさらに深まるようにとの願いをこめて「イズミル-日本人の視線」写真展を開催したいと考えました。日本人が見たイズミルの写真、それだけではなくトルコ人が見た日本の写真をも通して日本やイズミルのことを知らないトルコ人と日本人にも日本とイズミルに興味を持ってもらい、互いに友好を深めていこうとこの写真展を計画しました。
 
イズミル在住、もしくはかつてイズミルに住んでいた、またはイズミルを訪問したことのある日本人と、トルコ人の配偶者またはその子供及びトルコ人の友人がこの写真展に応募することができます。「イズミル便り」をいつもご訪問くださる皆様もイズミルにいらっしゃったことがおありでしたら、 JIKADのHPで募集要項をお読みいただき、ぜひご応募ください!
 
日本イズミル文化友好協会(Japonya Izmir Kulturler Arasi Dostluk Dernegi)
 
 
 
 
月に叢雲
 
    

☆現在のイズミル☆

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SELCUK EFES DEVEGRESLERI(セルチュクエフェスらくだ相撲)

2013-01-23 15:50:50 | イズミル暮らし・イズミル案内

去年初めて見に行ったDEVE GURESI(らくだ相撲)、今年は前から行ってみたいと思っていたエーゲ地方最大規模で31年の歴史があるSELCUK(セルチュク)の大会に出かけました。SELCUKはイズミル市街から約80km、EFES(エフェス=エフェソス)の遺跡の近くPAMUCAKとい海岸沿いにらくだ相撲用のアリーナがあります。

10時開始と言うことだったのですが、もちろんトルコですから10時ぴったりに始まるわけはなく、まだその頃はエーゲ地方各地から続々とやって来るらくだがアリーナに向かって歩いているところでした。去年行ったところは入場無料でしたが、ここは1人15TL!高いー!と言う感覚。

でもすり鉢状になったアリーナはすでに観客でいっぱい。しかも観客達はそれぞれがピクニック用の机と椅子、または絨毯、またはダンボールを広げて既に宴会状態です。あちこちからモクモクとマンガル(BBQ)の煙が上がっています。この人たちだけ見たららくだ相撲観戦ではなくて、マンガルに来たと思えるでしょう。

らくだがのしのしと歩いていく姿は悠々としていて頼もしく、またその芒洋としたテンポがなんともいえないいい雰囲気です。待機場所で飾り付けをしてもらっているらくだたち、突然ごろんと地面に寝転がってくねくねと身体を土にこすり付けるらくだあり、パタッと立ち止まったかと思うとぷりんと尻尾を上げてぽろぽろっと糞をするらくだあり、口から泡をふいて大量のよだれを流しているらくだあり、戦うことがわかっているのかな。

らくだの歩くテンポのようにのどかな進行で、なんとなく開会。でも一応テロで犠牲になった人たちへの黙祷の後、国歌斉唱もありました。このおじさん色の群集の中に見える鮮やかなオレンジ色はスカーフ。おじさん達が首に巻いたり頭に巻いたり、これが雰囲気があって似合うんです。きれいだから私も買いましたが、全然似合いません!夫の肩にかけただけでこれまた様になる・・・不思議。

マンガルのグループの間をクラリネットやバイオリン、太鼓を持って回る人たち、ピーナッツやひまわりの種を売りに回る人、警備しながらピーナッツをかじる治安軍の青年達、らくだ相撲だけではなく人間ウォッチも楽しい、だいたい皆さんらくだ相撲を見ていません。土俵の周りにいる人たちは結構真剣に見ていますが、それ以外は宴会状態です。

この暖簾のようにぶら下がっているのはらくだの肉で作られたSUCUK(スジュック=トルコのサラミのようなもの)です。らくだ相撲を見ながら、らくだがすぐ後ろを歩いているところでらくだ肉を食べるってなんだかなあ・・・と思いながらもトライ。

香辛料がきいているので牛のSUCUKとあまり違いはわかりませんでしたが、私の胃にはちょっと刺激的だったのか、らくだの呪いか、翌日までなんだか本調子ではありませんでした。

 一頭だけいた子駱駝ちゃん。

満足して早目に帰途に・・・ところが我が車の前に車が止められ出ることができず・・・この後脱出するまで2時間待つことになったのでした。

 

この駐車の仕方

     

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日本人は何に似てる?

2013-01-18 23:52:37 | JIKAD・トルコにおける日本年

JIKAD(日本イズミル文化友好協会)の会長の知人にイズミルで私立の幼稚園を経営している女性がいます。住宅街の中にある小さな幼稚園で各年齢一クラスのこじんまりしたその幼稚園では毎月一つの国について色々なことを学んでいるそうです。先月の国は「Japonya(日本)」、子供たちが学んだことを見てほしいとお呼びがかかりました。

 これが金魚に似ている日本人?

訪問した時間は、すでに日本についての授業は終わっていてそれぞれのクラスの活動をしていましたが、教室に入ったとたんに「コンニチハー!」と元気な声、4歳児のクラスでした。先生が「日本人は何に似ているんだった?」と聞くと「JAPON BALIK!!!!(日本の魚=トルコ語で金魚のことをJAPON BALIKと言います)」と一斉に元気な返事が返って来ました。そして誰かが「でも似てなかった・・・」とぼそっとつぶやく声。どう見ても金魚には似ていませんね。

 お相撲さん?

 漢字の成り立ちなども学習。

次に5歳児のクラスへ行くと、こちらは大分お兄ちゃん、お姉ちゃんで「イラッシャイマセー!」と高度な日本語です。持参したお箸を使ってキャンディーをつかんでみました。希望者には法被を着せたり鉢巻をしたり、短時間でしたが一人ひとりに箸を握ってもらいました。

そこで見せてもらった参考図書がこちら。中国と日本がわかってない?こんな知識で教材作っちゃうんですか?一応各国の大使館などに校正してもらうとかできないのでしょうか。これがトルコの一般的な日本や日本人の知識の大元になるかと思うと唸ってしまいます。

 誰が作ったんだー、この教材!

最後の3歳児のクラスでは、もうすぐお昼寝タイムと言うこともあり、昼下がりのお日様が教室に入ってぽかぽか、先生も「この子達もう少しで寝てしまいますよ」と言いながらもぽわーんとした雰囲気の中でお箸を使ってみました。どちらかと言うとお箸を使うよりもキャンディに喜んでいたかな。

 立ったまま寝てしまいそう・・・。

 先生だってやってみたい。

「この子たち、今日お箸で食べたことをきっと忘れないと思います!」と短い訪問をとても喜んでくれました。最後に訪問を終えて車に乗り込んでいると、お父さんお迎えの車に乗っていた子供たちがわざわざ降りてきて「コンニチハ!」と手を降ってくれました。挨拶は皆「コンニチハ」なのね。それでもま、いいか・・・。

 

 

長野の三兄弟も凛々しく成長中。

    

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TEMARI(手まり)

2013-01-13 00:47:53 | JIKAD・トルコにおける日本年

ある日JIKAD(日本イズミル文化友好協会)宛にこんなメールが届きました(以下一部抜粋)。

ご存知のように「TEMARI」は有名な日本の手工芸ですが、インターネットなどで見る限りトルコでこの工芸に本当の意味で興味を持っている人はいないようです。私の父は昨年から日夜を問わずこの手工芸に夢中になっています、様々なサイズやデザインのTEMARIを作っています。

このメールを書いた理由は、トルコと日本の友好協会として、トルコでこの日本の工芸にかかわっている一人である私の父の作品を通して、共同で何かが出来ないでしょうか、ということです。展示会や講演、教室やワークショップのような形でもどんなものでも可能です。金銭的な利益は決して考えていません。目的はトルコで知られていない日本の工芸をイズミルの皆さんに紹介し、二国間の文化にかかる橋となることです。ちょうどあなたたちがなさっているように。

息子さんからのこの心情あふれるメールに素直に共感し、JIKADの友達4人でTEMARIを愛するHAKKI DASKAN(ハック ダシュカン)さんを訪ねました。奥様のUGUR(ウウル)さんはアクセサリーやインテリアのデザイナーでイズミルの学生街の一角にブティックを持っていらっしゃいます。お店でメールを書いた息子のGORKEM(ギョルケム)さんが一緒に迎えてくれました。

挨拶もそこそこにいきなりHAKKIさんのTEMARIへの情熱が口から言葉となってあふれ出しました。糸のこと、デザインのこと、芯のこと、巻き方のこと、お手本のこと、次から次へとそれこそ糸を紡ぐようにお話はつきません。お邪魔する前に少しだけ手まりについてインターネットで下調べをしていきましたが、教本もないトルコで英語のサイトだけを頼りに試行錯誤を繰り返しながら作った手まりの数々にはただただ圧倒されました。

驚いたことにHAKKIさんの専門は地質学で、TEMARIを知ったのは2012年4月のこと。インターネットだけを頼りに作り上げたTEMARIの美しさはもちろんですが、その数の多さからHAKKIさんがいかに昼夜を問わず夢中になっていらっしゃるかがわかります。

ブティックにはTEMARIを使ったピアスやブレスレットなども置かれ、モダンなアクセサリーと和風であるはずのTEMARIが少しも違和感なく宝石箱のように同居する空間でした。1時間半あまり、HAKKIさんとのおしゃべりは尽きず、私達ももっともっと聞いていたいと思い後ろ髪を引かれながらお店をあとにしたのでした。

どんな形でHAKKIさんの手まりとJIKADがコラボレーションできるでしょうか、乞うご期待。

 

HAKKIさんのブログ「Temari Sanati Ve Daha Fazlasi/The Art of Temari and More」

奥様のHP「Ugur Daskan」

 

 

ブティック外観

    

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KULA EVLERI(クラの家並み)

2013-01-08 16:21:20 | 

寒いです!バルカンからシベリアからの寒波で凍っています。温暖なイズミルでさえ氷点下の予報。トルコ全土から大雪のニュースが聞こえてきます。冷えているせいか空気が澄んでぴかぴかお天気、海の上でカモメが日光浴をしている様子が家からも見えます。

KULAのPERI BACALARIの後で向かったのはKULAの町。ここは古い町並みがそのまま今に残る町といわれています。10年以上前に1人で訪れた時は、縁あって地元の人に案内をしてもらい、あちこちの家の中や庭の中まで見せてもらったものでしたが、その時はカメラが壊れて写真が一枚も写せなかったのでした。

 これは共同の水場

再び訪れたKULA、記憶もほとんど残っていませんが、ここに限っては10年の月日はそれほど影響しなかったようです。1月1日ということもあって古い町の中を歩く人はほとんどいません。ひさしが折り重なるように連なり、壁は思い思いの方向を向いています。

オスマン時代の小路にタイムスリップして迷い込んでしまったように思えます。ほとんどが木造で2階建て、1階の多くには窓がなく門の中を覗くと外見からは想像できない位広い中庭が広がっています。2階以上は道に突き出ており、レンガで覆われた屋根には庇があり、庇の多くには絵が描かれています。窓には木製の鎧戸がつけられています。

家の門である木製の開き戸を入ると中庭があり、そこには家畜小屋、物置、台所が見られるそうです。トイレと竈も中庭の一部にあるそうです。

ギリシャ人が住んでいた家の門は道に向かって開き、門から階段で道に降りるようになっています。トルコ人の住んでいた家の門は、中庭へ向かって開きます。これはトルコ人がプライバシーを重要視していたからなのだそうです。トルコ人の家は残念ながら損傷が激しく、ギリシャ人の家はまだしっかりしているように見られるのは、木製と石造りの差なのでしょうか。

 番地表示

道は狭く、車は入ることが出来ないのでしょうか、一度も行きかうことはありませんでした。車にかわって活躍していたのが小さなバイクです。昔は馬や牛が通っていた道なのでしょう。100m先を見通すことも出来ないほど曲がりくねっており日本の城下町を思い出させます。それもそのはず?KULAには城壁跡は残っていませんが、ここもかつては城壁の中の町だったそうです。

すれ違う人は、皆さん温かく「こんにちは」と挨拶すると「いらっしゃい」「KULAを気に入りましたか?」と答えてくれます。道を尋ねるとちょうどそっちへ行くところだからと長い間一緒に歩いてくれたおじさんもいました。

 ANEMON OTEL

かつての大きなお屋敷のひとつZABUNLAR KONAGI(ザブン家邸宅)は2008年にホテルとして改修されました。9つの部屋があるANEMON OTELとなっています。

 この馬にかじられました・・・。

古い町並みから、現在の生活が営まれている商店街へ。こちらは1月1日だというのに鍛冶屋さんがトンカントンカンといつもと変わらぬリズムを刻んでいました。

 

 

寒いけれど春は近づいています。

    

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KULA PERI BACALARI(クラ妖精の煙突)

2013-01-03 16:45:51 | 

あけましておめでとうございます。健やかに新年をお迎えのことと思います。箱根駅伝は日体大が総合優勝だったそうですね。実家が駅伝コースの近くにあるので、お正月の2日、3日はヘリコプターの音が近づいてくるとTVの中継を見ながらそわそわし出し海岸通の駅伝コースへ自転車を走らせる、そんな年もありました。

トルコの新年は1日がお休み、2日からは学校も会社も普通に始まります。貴重な1日のお休み、2013年初の旅の行き先は、イズミルから約150km、お隣のMANISA(マニサ)県にあるKULA。イズミルにお住まいの日本人Kご夫妻をお誘いしました。

今回の目的はカッパドキアを模してKULADOKYA(クラドキア)とも呼ばれている地帯を訪れること。きのこのような岩が林立するカッパドキアの世にも不思議な光景をご覧になった方も多いと思いますが、トルコは広い!その他にもあちらこちら、VAN(ヴァン)やKONYA(コンヤ)、ERZURUM(エルズルム)、AFYON(アフヨン)などにも見ることができるのだそうです。

KULAもカッパドキアのライバルの一つ。イズミルからアンカラに向かう道路を一路KULAへ。この日はイズミルを出たとたんに霧が立ちこめました。150km走っても、お昼近くになっても晴れない霧・・・KULAの街に入ってから道を尋ねる目的でチャイ休憩、そこから約15kmのところに「PERI BACALARI(ペリバジャラル=妖精の煙突)」の標識がありました。辺りは円錐形のコニーデ火山様の地形が見られます。

BURGAZ村の中に入ると峡谷が道の両側に広がり、霧でぼんやりした景色の中に羊や山羊が首につけた鈴の音だけが響きます。細い山道を車を進めると山肌にミニミニきのこ岩が見え始めました。4人で歓声をあげながら写真を写します。霧のせいで見通しが悪いのでどんな光景が広がっているのか、全体を見渡すことは出来ませんが、カーブごとに変化する光景には息を呑みました。

行ったことはないけれどグランドキャニオンのような、見たことはないけれどガウディの建造物のような、岩が次々と現れます。この地帯はトルコでも若い火山地帯の一つで歴史家ストラボンはこの地を「燃えた国」と言う意味の「KATAKEKAUMENE」と名づけたそうです。ここから25km離れたところにある火山の裾野には10,000-12,000年前の人間の足跡が見つかったとか。

道の両脇からすぐにこの岩を見ることができるので試しにさわってみると意外と柔らかいのです。粘土よりは固いけれど、このくらいの固さならばもしかしたら行くたびにこの光景は変化していくのがわかるんじゃないかと思えました。

保存地区にされている為、とにかく何もない!すれ違った車は1台だけ、あとは羊や山羊とそれを連れた牧人が岩の上の方をスイスイと歩いていくのみ。きっと春になったら色とりどりの花が咲いてまたまったく違った景色を見ることが出来るのではないでしょうか。霧のない景色も見てみたい、もう一度行ってみたい場所のひとつとなりました。

 

 

大晦日のイズミル湾、年越し花火。

     

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