イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

CICEKLI KOY と SART

2010-12-27 12:24:22 | イズミル暮らし・イズミル案内

雨の日曜日、お友達のNさんご夫妻と一緒に向かった先はCICEKLI KOY(チチェキリキョイ)。CICEKLI KOYの意味は「花のある村」、1817年にサラエボから移民してきた17家族でできた村でした。村と言ってもイズミルの中心部ボルノヴァ区にあります。我が家からでも車で20分も走れば行くことができます。街の景色から一本道を入っただけで松林の中にいる自分を見つけることができます。空気まで美味しくなるのです。かつて17戸しかなかった村も今ではイズミル市民がKAHVALTI(カフヴァルトゥ=朝食)やピクニックをして週末を過ごす人気スポットとなりました。松林の中にあるレストランもここ数年で増え朝早くから車の列が続きます。

私たちが訪れたのはその名も「KOYUM(私の村)」というお店。クリスマス(トルコでは大晦日に「新年」と称してクリスマスもどきを楽しみます)の飾り付けも美しく、SOMINE(ショミネ=暖炉)は暖かく燃えています。トルコの接客にはもう期待をしていない私ですが、ここの接客にはかなり満足しました。マニュアルだけではなく自分の心遣いで接客ができる人が私の大きな評価ポイントです。そしてテーブルに運ばれた美味しそうなお皿の数々。チャイもたっぷり、2時間近く腰を落ち着けてしまいました。そしてその頃にはいつの間にか青空も見えてきました。

ローマの道

アルテミス神殿

美しいモザイクタイルが残っています。

これだけで十分満足の日曜日でしたが、少し足をのばしてお隣のMANISA(マニサ)県にあるSART(サルト=サルデス)の遺跡を再訪しました。雨上がりで静かな遺跡。リディア王国の時代からローマ時代へと連なる遺構の数々を見るとこの辺りが何千年にも渡って時に華やかな文化が花開き、時に血なまぐさい戦いの場になってきたかが想像できます。訪れる人も少なく一人で歴史の中に身を置くにはぴったりの場所でした。

 

 

サルデスのある街SALIHLIの名物オドゥンキョフテ。

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ISTANBUL(イスタンブル)

2010-12-21 23:53:47 | 

アヤソフィア

旅行者としてトルコを旅していた頃、イスタンブルは私にとって特別な場所でした。空港へ着き、ホテルへの車の中からイスタンブルの街を見ながら「帰ってきた~」と思えたものです。においや音、空気までが違うものに感じられました。

トルコに住むようになり、イスタンブルは「新宿」よりも遠い街となったのです。その遠い遠いイスタンブルへ日帰りで行ってまいりました。JIKAD(日本イズミル文化友好協会)の会長アルズさんとイスタンブル総領事館主催の「天皇陛下即位記念パーティ」へ参加が目的。協会として招待を受けたので私はアルズさんのお供でした。

朝8時45分の飛行機に乗り、夜は0時55分イズミル着という強行軍。家族はお留守番なので、二人で密かにウキウキしながら、どこへ行こう、あそこへ行こう、ここへも!とあれこれ興奮して相談していたのですが実際にイスタンブルに着いてみると、人と会う約束があったりして自由な時間はそれほどなく、その上反対方向に乗り物に乗ったりの「おのぼりさん珍道中」となりました。

グランドバザール

久しぶりに歩くイスタンブルは、どこもきれいになっており私の知っているごちゃごちゃとした雑踏はどこかへ行ってしまったようでした。もしかしたらトルコに慣れてしまってこれが私の見る普通の光景になってしまったせいなのかもしれません。この7・8年の間にメトロやトラムバイなどの公共交通機関が驚くほど整備されており、びっくりしてしまいました。

イスティクラル通り

夜のタキシム広場

肝心の「天皇陛下即位記念パーティ」は19時開始。日本、トルコ両国の国歌斉唱の後総領事の挨拶があり、あとは立食形式のパーティーでした。

会場はリッツカールトンホテル

お箸で食べたかった・・・。

お寿司や天ぷら、日本酒などがふるまわれました。日本で初めてトルコ語を習った時のクラスメートに偶然再会できて感激。アルズ会長は今後の協会の活動の糧になるようにと関係者への売り込みも忘れませんでした。

深夜に着いたイズミル、空港から家へ向かう見慣れた風景にほっと緊張が解け、「イズミルはいいなあ」と思いました。 

 

 

ビルテン12歳になりました。

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絽刺し

2010-12-16 23:10:21 | JIKAD・トルコにおける日本年

地元紙で紹介されました。

「絽刺し」をご存知ですか?「日本年」の催しの一つとしてトルコ語の案内に「ROZASHI」と書いてあるのを見て私は「ロウざし?」とろうけつ染めの様なものを想像していました。

絽刺し:専用に作られた「絽」地の布の織り目の孔に一針ずつ糸を縫い込んでいくもの。図案には伝統的幾何学文様のものと絵画的なものとがある。まるでアップリケのように図案の部分の布地を全て繍糸で埋めてしまうのが特徴。天平時代には中国より伝来していたと見られる。主に皇室、公家、将軍家、大名家の女性達によって受け継がれてきたが、現在その技術を持つ者は少数である(Wikipedia「刺繍」より)。

 

鶴島賦子(つるしまますこ)さんは、御年77歳。17歳の時にお母さんに回覧板を回してきてといわれてたずねた近所の家で見た絽刺しの美しさに魅せられ、絽刺しのお稽古に通うようになったそうです。それから60年、このすばらしい作品の数々を作っていらっしゃいました。このたびJIKADの招待に応じてイズミルへ手弁当で島岡春江さん、森山康恵さんと共にいらっしゃいました。展示会初日に開会式と簡単なパーティがあったので、そこでご挨拶をすると「あら日本の方?」「へえ、日本の方ですって」と驚かれ、それからは堰を切ったようにいろいろなお話をして下さいました。

病身にもかかわらずトルコまでいらっしゃるそのパワー、会期中2日間イズミルの女子職業高校を訪問し幼児教育を学んでいる学生達に折り紙の授業をされたり、おもちゃ博物館を訪問されたり、日本年行事にずいぶん協力的なKONAK区長の招待を受けたりと大忙しで目を丸くされていました。

先生に引率されて来ていた子供達。

その美しい刺繍やとても紙から作ったものとは思えない折り紙の数々にトルコ人は夢中になって質問をしたり、感謝の気持ちを何とか伝えようとしたり、熱狂的な歓迎を受けていらっしゃいました。

絽刺しのさし方を熱心に質問。

その大歓迎ぶりにとても喜ばれていた姿がとても印象的でした。鶴島さんのお友達で毎年トルコへ、しかもイズミル限定で旅行をしていらっしゃる方がいるそうで、「一度イズミルへ行ってみたいと思っていた」のだそうです。大忙しの日程でゆっくりとイズミルの街を楽しむ時間もなかったと思いますが「また来るから」とおっしゃっていました。

KONAK区長より花束を受け取る鶴島さん。

絽刺しの「ろ」の字も知らなかったのに、イズミルに住んでいるという縁で昔からの知り合いの様に親しくお話をさせて頂き、「3年後に今までのすべての作品を銀座で展示したい、それでこの仕事は終わりと思っているの」とおっしゃる鶴島さん、その時にはぜひその場にいたいと思いました。

 

 

この絽刺しを見てトルコにもこんな刺繍があったと思って検索してみると「Maras isi(マラシュイシ)」と呼ばれるものがありました。こちらは紙でモチーフを切り抜き布に張付けその上を刺繍糸で覆っていくという手法、宮廷でスルタンのカフタンなどを飾ったもののようです。どちらも身分の高い人達の間で好まれた刺繍、似ていると思いませんか?

Maras isi刺繍      人気ブログランキングへ



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日本年も終盤

2010-12-11 13:25:15 | JIKAD・トルコにおける日本年

素敵なドレスの神谷郁代さん。

雪まじりの氷雨が降る土曜日です。昨日から急に気温が下がり、今朝イズミル湾の向こう側の山を見るとうっすらと冠雪。突然冬がやってきたイズミルです。1年続いた「2010年トルコにおける日本年」もいよいよ終盤、今年の「イズミル便り」はすっかり日本年カラーで染まった感がありました。

あまりにも時がたつのが早く、記事を書くのが追いつきません・・・。アドナンサイグン芸術センター小ホールで神谷郁代さんのピアノリサイタルがありました。ピアノだけのリサイタルなんて久しぶりです。目の覚めるようなトルコブルーの素敵な衣装をお召しになった神谷郁代さん、満員のトルコ聴衆にいささか緊張気味でいらっしゃったのか、観客側も少し固い雰囲気のコンサートとなりました。でもクラシック音楽ならこんな雰囲気もいいですよね。

緊張した姿も微笑ましい。

ビデオ撮影するトルコ人多数。

この日は行事のはしごです。アドナンサイグン芸術センターのコンサートが終わるとすぐにその足で、徒歩10分の場所にあるギュゼルヤル文化センターへ移動。こちらでは山梨県からいらっしゃったアマチュアの舞踊グループの方たちによる「伝統的音楽と舞踊」公演がありました。素人の方たちなので本番前になって「私達できるかしら・・・」「普通の主婦なのに・・・」と言い出す方もいらっしゃったそうで、開演が心配されましたが幕が開けば会場のトルコ人たちの温かい拍手を受け、「幸せなら手をたたこう」では舞台客席が一体となってトルコ語で歌を歌い手をたたき楽しんでいました。

実は私はこちらがお目当て。

ゲストとしてトルコのフォークダンスグループが好意で出演をしてくれ、かっこいいエーゲ地方の踊りを披露してくれました。最後には客席のトルコ人も舞台に上がり盆踊りで大盛り上がりでした。

さすがトルコ人!すぐに盆踊りもマスター。

踊り続きで翌日は、プロの舞踊集団「菊の会」の公演が「国立オペラ・バレエ エルハムラ劇場」で行われました。第一部は「三番叟(さんばそう)」や「石橋(しゃっきょう)」「釣女(つりおんな)」などの伝統的な演目を外国人向けにわかりやすい演出で見せてくれました。トルコ語の字幕つきで、ちょっと古い日本語になるとトルコ語で意味を確認しないといけない日本人失格な私でした。

翌日の地元紙に大きく取り上げられました。

第二部は現代の音楽にのせて様々な踊りを次々と披露してトルコ人も大興奮。最後の阿波踊りは女性の上品な仕草や美しさに「トルコ人が、私とこの女性達が同じ日本人だと知ってショックを起こすんじゃないか」と心配したほどきれいでした。フィナーレは客席に皆さんが降りての阿波踊りとなりました。私たちJIKADのメンバーは日本の国旗を振って応援しましたよー。あとで菊の会の方たちに「皆さんが国旗を振ってくださったでしょう?本当に嬉しかったですよー」と言っていただき感激でした。

鍛錬された動きが美しい。

会場からは「日本人になりたい!」などという賛美も聞かれたそうです。日本人の何気ない仕草、指の先まで心の行き届いた静かな所作などに感心するトルコ人もたくさんいました。女性からも「日本人の男性はハンサムだし背が高いしかっこいいー」と言う声も。日本人、本当にもっともっと自信を持つべきですね。そんなことにも気がつかせてくれた日本から来てくださる皆さんに感謝です。

日の丸振りました。

余談ですが、公演後記念撮影などをしている時、先日の「にじいろジーン」で案内役をつとめてくれたスメイイエ、「菊の会」の方に「二部の音楽はEri Sugaiさんですよね」と話しかけ「おおおお、よく知ってますねえ」と驚かれていました。「それ誰?」と言う私にスメイイエは帰宅後ビデオのリンクを送ってくれたのでした・・・。KAT-TUNとか赤西仁とかもスメイイエから教えてもらっております。

 

 

 

今日のイズミル湾。冠雪した山。       人気ブログランキングへ



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SAKURA FIDANI DIKIM TORENI(桜の植樹式)

2010-12-06 14:35:25 | JIKAD・トルコにおける日本年

初春に植えた桜の木、しっかりと蕾が。元気に冬を越してほしい。

あっという間に今年も残すところ3週間。11月はどうやって過ぎていったのかわからないほどでしたが、最終週に桜の植樹式が行われました。「2010年トルコにおける日本年」事業のひとつに3年間で3000本の桜をトルコに植えようと言う「桜プロジェクト」があります。


マケドニアのトルコ系ダンスだそうです。

「桜プロジェクト」趣旨

1) 日本の桜木をトルコ各地で植樹をすることを通じて、両国の恒久的友好関係を深めます。
2) トルコでの桜木の育成並びに植樹育成専門家の養成を目指します。
3) 2009年がトルコ地震10周年であることを配慮した震源地での記念植樹を行います。
4) 立ち枯れの補充、新規要請にも対応するために、3年連続の事業とします。
5) 日本年の足跡を恒久的に桜公園、桜並木として留めることができます。
6) トルコにおける植樹運動の促進、地球環境展開に資する期待ができます。


中浜慶和氏と斉藤ご夫妻。


桜の木の向こうにはイズミル湾が見渡せます。

日本年の開始とともにイズミルでも数箇所に植樹をしました。大きく育ったもの、残念ながらどこへ行ってしまったのかわからないもの、枯れそうなもの、と色々ですが、今回もこの事業の主催者である「AICAT国際協力アカデミー」の副代表理事中浜慶和さんと、桜の苗木を寄付してくださった株式会社キーペックスの斉藤宏社長ご夫妻がイズミルへいらっしゃり、新たな苗木をKONAK区「おもちゃ博物館」前と「文化公園」内に植えて下さいました。


EGE大キャンパス内に元気に育っている桜の木を見て「OK!」と言って下さった中浜氏。


3000本もの苗木をトルコに寄付してくださった斉藤氏。

特に「おもちゃ博物館」前ではKONAK区長も参加したせいかフォークダンスグループが踊り披露してくれました。1本の桜の木がここを訪れる子供達の目を楽しませてくれる日が今から待たれます。


広々としたEGE大キャンパス、囲いの中の細い木が桜です。桜並木になるかなあ。


文化公園内に植樹。小さな坊やは職人さんが植える姿をいつまでも見ていました。

その後EGE大学キャンパスとALSANCAK(アルサンジャック)地区に初春に植えてすくすくと育っている桜の木を見て頂きました。すでに小さな小さな蕾を持っている桜、「とんがっているのは葉になり、丸っこいのは花になる」と教えていただきました。イズミルの地でいつかお花見ができる日が来るかなあと今からその日が楽しみです。

小学校の校庭に舞う桜吹雪に心が動いて以来、私にも様々な桜の思い出があります。日本人の桜に対する想いをいつかトルコ人とも共有することができたらすばらしいでしょうね。桜プロジェクトを推進して下さっているすべての方々にありがとうございます。




EGE大学内にあるYESIL KOSK(緑の屋敷)。
1880年にフランス人家族によって建てられたそうです。

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バイラム旅行-チャナッカレからビガへ

2010-12-01 22:02:35 | 




トロイの遺跡やゲリボル半島観光の起点となる街チャナッカレはダーダネルス海峡に面した街です。街の中心はゲリボル半島へ渡るフェリーの港に面しており、どんな時間に行ってもフェリーに乗り込む車の列や港沿いの遊歩道をのんびりと歩く人達でにぎわっています。



遊歩道には映画「TRUVA」で使われチャナッカレに寄贈された「トロイの木馬」のオリジナルが。また古い街並みの中にはオスマン時代の時計塔が見えます。
高いビルが少なく、中心街にも緑が多くのんびりと街歩きをするにはもってこい。人々もイズミルの様にせかせかしているわけでもなく、穏やかな暮らしやすい街に見受けられました。





チャナッカレでお土産を買うならトルコの民謡にもなっている「AYNALI CALIS(アイナルチャルシュ)」で。イスタンブルのグランドバザールやイズミルの「クズラルアースハン」のミニミニ版でトロイやゲリボル半島のお土産が所狭しと並んでいます。
名物と言えば「PEYNIR HERVASI(ペイニルヘルバス)」と言うチーズを使ったお菓子。小さなロカンタ(レストラン)でオーブンで焼いたものを食べたのですがこれが絶品。お土産に求めました。


焼いていないPEYNIR HERVASI。


これはオーブンで焼いたタイプ。いずれも羊のチーズ(無塩)を使うことが特徴だそうです。

チャナッカレから次の目的地BIGA(ビガ)へマルマラ海沿いを走ります。ここでは「MRGホテル」と言う1800年代後半の商人のお屋敷を改装したホテルがあると知り泊まることにしたのです。



格式のある木造の建物は重厚でとても雰囲気がありました。あいにくこの日はオリジナルのお屋敷部分が満室だった為私達は新館に泊まりましたが、街の中にありながら静かで100年位タイムスリップしたような気分に。





BIGAから20kmほどの海沿いの街KARABIGA(カラビガ)には夫の兵役時代の友達が住んでいます。行く前に何度も電話をしていたのですが通じず、もう会えないかと思っていたようですがダメモトで家へ行ってみることに。8年前にも一緒に訪れたことがあったのですが、時が立ち街の様子も一変していました。



ところが海っぱたに彼が設計して一人で建てた6角形の家は健在でした。8年前に生まれたばかりの赤ちゃんだった娘さんがすっかり大きくなって楽しいおしゃべりで私の相手をしてくれました。現在はBIGAに本宅があり、この日はたまたまバイラムだったのでこちらに来ていたそうで運よく会うことができて本当にラッキーでした。予定のない旅はこういうサプライズがあるから楽しいのですね。







2年半ぶりくらいでトルコでもyoutubeが見れるように!AYNALI CALISという歌です。

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