イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

5.EVLILIK YILDONUMU(5回目の結婚記念日)

2008-06-26 00:16:19 | Weblog


結婚5年目は「木婚式」と言うのだそうです。ようやく夫婦が一本の木のように一つになるのだとか。いつもこういうイベントは私が何かやろうと言わなければ、忘れて通り過ぎてしまう夫ですが、今回に限ってなぜか1ケ月以上前から「6月21日にサプライズがある!」と毎日のように言っていました。実際の結婚記念日は18日で平日だったので私は一応ささやかな晩餐とささやかなプレゼントを用意しました。


18日の晩餐。メインはサーモンフライ。花束は義妹から。

そして迎えた21日、土曜日も昼過ぎまで仕事がある夫ですがこの日は朝出勤して昼前には早退、準備を始めたたようです。私はアンネの家へ送られ、呼ぶまで帰ってくるなと一切秘密を教えてもらえませんでした。


ウドを奏でるおかかえ楽師兼シェフのカディルさん。

夕方になってようやく「帰ってきていいよ」と言う電話を受けて恐る恐る家に戻りアパートの階段を昇ると家の玄関の前の階段にバラの花が…え?びっくりしていると夫がビデオを構えて待っていてくれました。そのまま家に入ると廊下にもバラの花、そしてサロンに入るとウドという楽器を笑顔で奏でている夫の同僚一人。バラの花で飾られた食卓にはお魚料理とワインがありました。


テーブルセッティングもカディルさんがしてくれたのでフォークとナイフの大きさが違うのがご愛嬌。

どんなサプライズなのか全く想像ができなかったので、本当にびっくりするやら感激するやらで何を言っていいのかわかりませんでした。


汗だくになってバラの花を切る夫。


余裕のシェフ。使った鍋などの道具はちゃんと洗ってありました。



バラの花はバスルームにも寝室にも家中にありました。300本のバラの花をとげにさされながら一本ずつ切って用意したのは夫、KEFAL(ケファル=ボラ)というお魚の中にハーブを入れてオリーブオイルでオーブン焼きにしたものとトマトとバジル味のマカロニを用意してミュージシャンにまでなってくれたのは、夫の同僚カディルさんでした。この感謝の気持ちを忘れないでいます。


   Sevgili kocacığım hayatımda olduğun için sonsuz teşekkür ederim.



300本のバラの花、花びらでジャムに挑戦したのですが・・・
          


     EURO2008、トルコMILLI TAKIM(ミッリタクム=ナショナルチーム)とドイツの準決勝は25日、
      3-2でドイツの勝利で終わりました。
      満身創痍のトルコチームでしたが、健闘を讃えたいと思います。ほっとしたような気が抜けたような…。
      ご近所もシーンと静まりかえっています。






☆現在のイズミル☆


TEBRIKLER TURKIYE(おめでとうトルコ)!!!

2008-06-21 08:46:54 | Weblog


EURO2008準々決勝、トルコVSクロアチア戦!まだ夢を見ているような信じられない勝利をもたらしてくれました我がトルコMILLI TAKIM(ミッリタクム=ナショナルチーム)



90分間はらはらはらどきどきしながら0-0で終了。延長戦前半15分もそのまま、もうどきどきして耐えられそうもないと思っていた119分、残り1分というところでついにクロアチアがゴールを決めたのです。残り時間1分…。もうだめと思いました。だってクロアチア側は勝利が決まったかのように抱き合い走りあい喜んでいましたから。


ぬか喜びでした・・・。

ところがところが!「ごおおおおおおおおおおる!」の雄叫びが上がったのです。120分2秒過ぎでした。今度はトルコ側が走り出す番でした。もう言うことありません。


劇的なゴールを決めたSEMIH SENTURK。

前回レッドカードを受けた為にこの試合に出場できなかったキーパー・ヴォルカンにかわってゴールを守ったのは2002年のワールドカップでの活躍が記憶に新しい我らがRUSTU(ルュシュトゥ)でした。延長戦を1-1で終え、続くPK戦はRUSTUの見事な守備、焦るクロアチアに対してトルコは確実にゴールを決めました。トルコ中歓喜で揺れています。


鉄壁のキーパーRUSTU。

得点されないと火がつかないのか!と突っ込みたくなるトルコチーム、でも今回のトルコの試合は歴史に残ることでしょう。久しぶりに嬉しいニュースに沸くトルコです。準決勝は6月25日、対戦相手はEUROで過去3回優勝のドイツ。


歓喜に沸くトルコ。

ああ嬉しいーっ!

   ※写真はHurriyet新聞、NTVニュースから拝借しました。




             






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TURKIYE CEYREK FINALDE(トルコ準々決勝進出)!

2008-06-16 12:49:35 | Weblog


こういう写真を見ると熱くなってしまうのはなぜでしょう。「父の日」の日曜日、オーストリア・スイスで共催中のサッカーEURO2008に参戦中の我がトルコMILLI TAKIM(ミッリタクム=ナショナルチーム)、チェコに0-2と形勢不利であったにもかかわらず後半75分以降次々と3得点をあげ見事な大逆転勝利を決めましたーーー!!!

        

グループAのトルコ、初戦はポルトガルにあえなく敗退、しかし2戦目のスイス戦はロスタイムも残り2分と言うところで逆転勝利、一気に予選リーグ勝ち抜けへの期待が高まりました。私はサッカーには特に興味もないしどこのチームを応援しているわけでもありませんが、MILLI TAKIMの試合となれば2002年のワールドカップの試合にだって神奈川から埼玉まで仕事早退して駆けつけたもんですが、夫も最近はちょっと熱が冷めているので昨日もアンネ(義母)の家で3人別のTVを見て熱くなっておりました。





チャンネルをしょっちゅう変えて確かめなくたってサッカーの試合状況はすぐわかってしまうのがトルコのよいところ。前半は静かに何事もないかのようなご近所、ところが75分を過ぎた頃から歓声、嬌声、雄叫び、拍手、爆竹、口笛、車のクラクションで即私達もチャンネルを変えてTVの前で3人突っ立ったまま既にウルウル状態。ロスタイムでキーパーがレッドカードをもらって退場と言うアクシデントでフリーキックでもあろうものなら悪夢の逆転負け?と心臓がバクバクしてしまいましたが、信じられない様な残り15分の3得点で大勝利、前回のスイス戦に続き土砂降りの大雨の中、決勝リーグへの進出を決めてくれました。


以上4枚の写真はHurriyet新聞より拝借。

すぐに表では車がクラクションを鳴らし始め、イズミル湾に停泊中の船も汽笛を鳴らしています。静かに燃える我が夫、小さな声で「ちょっとひとっ走りしてくる?」と。「え?ホントー?(日頃人ごみ嫌いじゃなかった?特にこういう時には外に出るなって言ってなかった?)」と心の中で言いながら、余り喜ぶとまた気が変わるといけないので「え、行ってもいいよ」とさりげなくうなずく私。アンネだって65歳だけど(?)「行くなら私も行きたい!」と。「でも国旗持ってこなかったからなあ、国旗がなかったら意味ないから」とかもぞもぞ言いながらアンネの家をおいとま、家に向かいました。道々「本当に行くの?」と何度も聞く夫。「いやもう12時だけど明日仕事へ行くのはあなただからあなたさえよければ」と行くことに。何が何でも国旗がないとイカンと言う夫は5階まで上がって国旗を持って出発しました。


車の中から旗振りながら撮影の為ボケボケ・・・。

若い子ばっかり?いやそれなりの人もたくさんいましたよ。

真夜中の道路とは思えない車の数、でも皆目的は同じ、国旗をひるがえして箱乗りして「トルコー!」と叫ぶこと。道行く人もバスを待つ人も手を振って拍手をして皆で歓喜を分かち合うイズミル。日頃交通マナー最悪のトルコ人だと思っていますが、この日ばかりは割り込みも無理な追い越しもなくびっしりの車なのになぜかスムースに流れる車、何よりも皆満面の笑顔というのがいいですね。1時間半ばかり街中を気の向くままに走り回って我が家も笑顔のご帰還でした。



いよいよ次は決勝リーグ、ジュネーブからウィーンに場所をかえて6月20日にグループBを一位で勝ち抜いた強豪クロアチアと対戦します。

爆走中の様子をご覧になりたい方(いない?)こちらをクリックしてください。

          
 








控えめにひるがえる我が家のトルコ国旗。
           






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EKMEK(エキメキ=パン)

2008-06-14 00:54:48 | イズミル暮らし・イズミル案内


皆さんは一日にどのくらいパンを召し上がりますか?トルコでは写真のEKMEKが主食です。我が家ではだいたい1日に2本買って少し余るかなという程度。トルコにも日本の菓子パンや食パンのようなものもありますが、食事の時に食べるのはもっぱらこのEKMEK。大衆的なロカンタ(レストラン)へ行けばどーんと山盛りに出てきておかわりもし放題のEKMEKは庶民の味方でした…。





このEKMEKの値段は各自治体のパン屋組合により重量と価格が決められ、県知事などの承認を得て売られています。イズミルでは200g45クルシュ(約38円)。この値段もグラムを減らしてみたり、増やしてみたり50gや5クルシュの変動でしょっちゅう隠れ値上げがあったものです。ここ2年くらいの間で30クルシュ、35クルシュ、40クルシュ…とずるずると値上げをしたりたまに逆があったり(その場合は重量減あり)。





そんな中5月5日の新聞で農業村落省と言うお役所が何を思ったのか「6月5日以降トルコでEKMEKは300g以下で売ってはならぬ」と言うお達しを出したのです。300gより小さいパンを作ったパン屋へは5,000YTL(約43万円)の罰金や工場閉鎖の罰を科せられるのだとか。それを受けてイズミルでは6月5日以降EKMEK1本が300g75クルシュ(約64円)となりました。もちろんそんなこと知らなかったのである日突然でっかいパンを夫が買って帰ってびっくり。



その日のパンにも困っている人にはもちろん、大家族にも切実な問題、反対に一人暮らしや高齢者の世帯には300gのパンは大きすぎてなかなか食べきれずかびたり固くなったり無駄にしてしまうこともあるはずです。300g以下で売ってはいけないという理由はなんでしょう。スタンダードを300gにしてそれより大きいのも小さいのも売ればいいのに。このところ全てのものが値上げで火の車状態のトルコ、値上げしたものの中には昨年に比べて倍以上になっている米やマカロニもあります。今まで食べ物だけは安くてたっぷり買えていたはずのトルコなのに…。安くて変わらないものは給料だけと言う話も…。ちなみに高くなったマカロニ、500g袋が1YTL前後で売られています。これを1g当たりの価格でパンと比べてみるとマカロニ1g20クルシュ、パン1g25クルシュとパンのほうが高いのです。日本ではどうなんでしょう。トルコでのパンの存在を考えると私にはもう信じられない!としか言いようがありません。

パンなくしては生きられない夫、お昼のお弁当の時に今までパン1本食べていたらしいのですが、300gになってからは1本を2日に分けて食べているそうでなんだか不憫です…。


1960年創業、年中無休24時間営業!

今回の写真は近所のパン屋さんで写させてもらいました。パンを石釜に入れる工程のビデオも写したのですが、トルコでは4月以降youtubeへのアクセスが禁止されておりyoutubeの画像をこのブログに貼り付けることが出来ません。そこで「♂♂San Franciscoのひとりごと...3」のJapanSFOさんお薦めのサイトZOOMEを使ってみました。よかったらビデオもご覧ください。ビデオ1のおじさん達の会話に笑ってしまいました。

  ビデオ1                      ビデオ2
    
  
  ビデオ3
            






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アブドゥッラーギュル大統領の日本訪問

2008-06-09 23:16:49 | Weblog


トルコのアブドゥッラーギュル大統領が6月4日から8日の日程でトルコの大統領として初めて日本を公式訪問されました。5日間の日程を終えて今日9日無事にトルコのアンカラエセンボア空港へ到着した様子を今朝のニュースで見ながら思わず「おかえりなさい~」と言ってしまいました。「日本はどうでしたか?」とあれこれ聞きに行きたいくらいです。夫は「どうして私たちを連れて行かなかったのー」と。




美智子皇后陛下の微笑みはいつも光り輝いています。
以上の3写真はHURRIYET新聞より拝借。


日本のTVや新聞では余り大々的に報道されなかったようですが、目的は日本とトルコの経済・文化の交流と振興発展、ということでした。天皇陛下に謁見、福田総理との会談、日本を代表する大手企業の代表と朝食を共にした他、大統領の来日にあわせてトルコ大使館が開催した文化行事「シャーマン舞踊団による公演」「オスマントルコ時代の女性用民族衣装展」などにも出席されたようです。


シャーマン舞踊団の公演を鑑賞される大統領ご夫妻。
写真は日本のトルコ通友達tonicanが写して送ってくれました。



帝国ホテルで開催された「オスマントルコ時代の女性用民族衣装展」での
高円宮妃殿下と大統領夫人。



以上2枚もtonican撮影。

またイスラム教徒にとって大切な金曜日の礼拝を「東京ジャーミー」で行ったり、日本とトルコの友好関係の始まりとも言える1890年に起きたトルコの軍艦エルトゥールル号の遭難慰霊碑(和歌山県串本町)も訪問されたそうです。

日本から見たトルコ、余り興味ももたれていないし重要視もされていない、まだまだ誤解や間違ったイメージが一人歩きしているような気もします。またトルコ側も「日本、日本人大好き」と言いながら中国も韓国もフィリピンも日本も一緒くただし、なんだか違うんじゃないの?と言う思い込みの日本の紹介があったり…。このエルトゥールル号の遭難者を命がけで助けた118年前の日本人、そしてNHKの「プロジェクトX」で放送された「トルコ航空によるイラン在留邦人救出」、自国の飛行機が救助をしなかったにもかかわらず1985年のイラン・イラク戦争でイランに取り残された邦人を救助する為に自国の飛行機を送ったトルコ人、利害関係なく見返りを求めずに助けようとした姿勢が胸を打ちます。

おりしもエルトゥールル号事件から120年目の節目を迎える2010年は「トルコにおける日本年」が実施されるそうです。トルコが大好きで縁あってトルコに住むようになった一人としてイメージだけではなく本当の意味で日本とトルコのお互いの正しい理解が深まっていくといいなあと思います。



☆エルトゥールル号遭難事件とイラン・イラク戦争時の救出について興味のある方はWikipediaでご覧ください。→ エルトゥールル号遭難事件

☆エルトゥールル号の遺品発掘作業についての動画をこちらから見ることができます。
→ http://zoome.jp/uncommon/diary/61/





舞踊公演を行ったシャーマングループのサイトはこちらをクリック。
            






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SARDES(サルデス)へ続く王の道

2008-06-03 11:17:35 | 

緑の線がスーサからサルデスへ続く「王の道」

アケメネス朝ペルシア帝国の大王ダレイオス1世は紀元前5世紀に王都スーサからサルデスにいたる公道「王の道」を広大な帝国の迅速な交通と通信を容易にするために建造しました。



スーサから帝国遠隔の地のサルデスまでの 2,699キロメートル(1,677マイル)を7日間で旅することができたそうですから一日約385キロ、紀元前5世紀では高速道路も真っ青なまさに「王の道」だったことが伺えます。古代ギリシアの歴史家であるヘロドトスも「この公道を利用したペルシアの旅行以上に速い旅は、世界のなかでも他にはない」と記したそうです。



そのサルデスの遺跡が、このトルコエーゲ地方、イズミルのお隣マニサ県サルトにあります。「王の道」が出来る前、紀元前7世紀に興ったリィディア王国の中心がサルデスでした。アケメネス朝ペルシャのキュロス王に占領され紀元前547年にはペルシャ領になってしまうわけですが、世界で初めての鋳造貨幣「エレクトロン貨」を導入したことでも知られています。





壮大な歴史の舞台となったサルデスですが現在の姿はいたってのんびりとした綿畑が広がるエーゲの田舎…。まさに「兵どもの夢の跡」です。



  

ここを訪れたのは4年余りも前の暑い夏の日、まだブログも始めていなかったのでブログ魂(!)なんてものもなくぼーっとしていたのか写真も余りありません。遺跡は道路を隔てて二つに分かれており、一つはローマ時代に建てられたアルテミス神殿、もう一つはギムナシウムと3世紀に建てられたというシナゴーグ(ユダヤ教会)、復元されたモザイクや大浴場、商店街跡等が見られます。


山に囲まれた神殿跡、かつてはどんな光景が繰り広げられていたのでしょう。


かなり大きなショッピングセンターだったようですね。

肝心のリィディア王国の遺跡はどこに?と思われるかもしれませんが最後にサルディス遺跡の北西方面へ車で2時間余り綿畑の中を走ると道の左右にぽこぽこと巨大なモグラの穴のようなものが見えてきます。これが「BINTEPE(ビンテペ=千の頂)」と呼ばれているリディア王国の墳墓郡です。



360度さえぎるもののない(電線以外)台地に本当に1000個くらいあるんじゃないかと思われる墳墓郡が続きます。こんな写真ではその壮大さを感じていただけないのが残念ですが2000年以上も昔の王国の一体どんな人がこの墳墓の下で眠っているかと思うと、アルテミス神殿やきれいなモザイク跡よりももっと悠久の歴史を感じてしまいませんか?





最後に「サルデス」で検索をしていると「KAMRAN INCE」という作曲家による「交響曲第4番サルデス」というものがありました。このKAMRAN INCEはトルコ人とアメリカ人の両親を持つ1960年生れの作曲家で歴史を題材にした交響曲を数多く手がけているそうです。彼はアメリカ籍のようですがここにもまた世界で活躍するトルコ人がいました。KAMRAN INCEのHPから「交響曲サルデス」も視聴することができますので興味のある方はこちらからどうぞ。

  写真をクリックするとHPが開きます。



  




サルデスで綿摘みをする人々。
               






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