イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

行ってきます!

2009-10-29 07:20:53 | Weblog


2年ぶりの日本です。またまたおいしいものいっぱいの季節ですね。ただ日本もトルコも新型インフルエンザが心配ですが気をつけて楽しんで来たいと思います。しばらくブログの更新ペースが落ちるかと思いますが日本をウロウロして来ますね。






まだ間に合う?
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☆現在のイズミル☆


ARKEOLOJI VE ETNOGRAFYA MUZESI

2009-10-24 09:44:39 | 

KONAK広場の眺め。下方の緑の中に両博物館があります。

昔々、北海道の釧路に住んでいた頃の友達が娘さんと一緒にイズミルまではるばる遊びに来てくれました。一年の300日は晴天と言うイズミルで5日間の滞在中3日雨がぱらつくと言う幸運(?)に恵まれた友達親子。私達のおすすめプランで近郊をドライブしたり市内で買い物をしたり…楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。


ARKEOLOJI MUZESI(考古学博物館)

最終日、空港へ行くまでの短い時間でしたが、美大生の娘さんの希望でイズミルのARKEOLOJI VE ETNOGRAFYA MUZESI(考古学博物館と民族博物館)を訪れました。イスタンブルのトプカプ宮殿博物館や考古学博物館に比べたら規模も小さく訪れる人もわずかですが、数年前に訪れた時に比べると多少は整備され、そしてイズミル近郊の遺跡もかなり訪問した後だったので私にとっては結構面白い博物館探訪となりました。


美しいモザイク。現在1階と地下の吹き抜け部分に大きなモザイクの復元作業が進められていました。
完成が楽しみです。


考古学博物館には猫もいました。紀元前の彫像の間をちょろちょろ駆け回ったり足元で寝ていたり、でもそれが驚くほどの時を経てきた彫像にとてもよく似合ってかえって2000年と言う時間の流れを実感することに。展示品のほとんどはイズミルの市内の聞きなれた地名から発掘されたものばかり。改めて積み重なる歴史の上に住んでいるんだなあと感激でした。

 
右の像の足元にも猫がうずくまっています。

朝9時の開館間もない時間に行ったので、係員もまだ新聞を読んだりチャイを飲んだりトルコらしくのんびりと朝の時間を過ごしている様子、展示室によってはまだ電気が着いていないところもあり「電気つけてくださーい」と言いながらの鑑賞でした。

 
クロノメザイ遺跡から出たと言う石棺。模様がとても美しい。



この上の写真は、紀元前50~30年のアスリートの像です。当時ギリシャとエーゲ世界で行われたオリンピックでは1位となった選手の像が作られていたのだそうです。この像の主もそんなアスリートの一人だったのでしょう。


ETNOGRAFYA MUZESI(民族博物館)

民族博物館はネオクラシック様式で入り口に螺旋階段のあるおしゃれな建物です。ここを見るといつも神戸の異人館を思い出します。ここでは主に19世紀のオスマン時代の生活の様子、衣裳、道具などが展示されています。建物は1831年にペスト専用のセント・ロック病院として建てられたそうです。その後貧しい人たちを助ける組織や厚生省に使われ、1987年に現在の民族博物館となりました。


ハマム(公衆浴場)用のサンダル。螺鈿細工がきれいです。


型染めのカタを作る職人。

オスマン時代の家具調度、生活様式にはとても興味があり、こんな調度の家に住みたいなあといつも思っているので古ぼけたマネキンや衣装に囲まれてここで過ごす時間は私にとってはとても贅沢な時間です。




昔の薬局の調度類がそのまま寄贈されていました。


考古学博物館と民族博物館はKONAK(コナック)広場のすぐ近くで両館が同じ敷地内に建っています。2009年10月現在、入場料は両館共通で8TLでした。イズミル観光コースにはあまり入っていない博物館ですが、歴史を感じながら静かな時間を過ごすには意外とおすすめの場所かもしれません。





サマータイム終了!10月25日(日)の早朝4時に1時間戻ります。
日本とトルコの時差は7時間になります。

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☆現在のイズミル☆


CLAROS(クラロス)

2009-10-19 08:40:10 | 


前回のMAKET KOYの帰り道、ここもいつも通るたびに「何だろうねえ」と思っていた「CLAROSまで1キロ」の標識、思い切って向かうことにしました。一面の畑の中の道を走って到着したCLAROS、畑の中からいきなり現れたのは神殿風の柱がごろんごろんと転がる遺跡でした。



発掘途中の様ですが、訪れる人も管理する人も誰もいません。恐る恐る足を踏み入れると、見事な柱や彫像がたたずんでいました。歴史音痴の私でも大興奮。イズミル周辺にはイオニア時代の都市が点在している為、このところイオニア同盟づいています。イオニア同盟とは「紀元前800年頃、アナトリア半島のイオニア地方(現トルコ)の諸都市を中心に結成された同盟(Wikipediaより)」です。これまでエフェスはもちろん、FOCA(フォチャ)ERYTRAI(エリュトライ)KLAZOMENAI(クラゾメナイ)PRIENE・MIRETUS(プリエネ・ミレトス)と6つの遺跡を訪れました。今回訪れたCLAROSはCOLOPHON(コロフォン)に属する一種の神託所の様なところだったそうです。COLOPHONの13km北にあります。アポロン神殿はDELPHI(デルフィ)やDIDIM(ディディム)の様に予言センターとして長い間重要な役割を果たしていました。



 
この下にもう一つのアポロン神殿が・・・。

神殿ではアポロンの彫像の他に妹アルテミスや母親のレトの彫像も発掘されていることからアポロンだけではなくアルテミスとレトへの崇拝の場所でもあったと考えられているそうです。立っているのがアルテミスとレトの彫像の様です。アポロンの彫像はは座っているのだそう。


神託所の案内でも描いてあるのでしょうか。


水の底に沈んでいる遺跡もあります。

紀元前2世紀に始められたこのアポロン神殿の建設は3世紀に完成しましたが、この神殿の下にはアルカイック時代に属するもう一つ別のアポロン神殿が眠っているのだそうです。





どれだけの歴史が私達の足元に眠っているのでしょう。イオニアの都市を考えただけでも、はるか昔にこの都市の間で今と変わらぬ人間の交流があり、そして2000年以上が過ぎて、今その同じ土の上を車を使って移動している自分、まるで時を翔けているような気分になりますね。






巨大なかぼちゃを積んだトラック。
トルコだからハローウィン用ではなくてもちろん食べるため。

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☆現在のイズミル☆


MAKET KOY(マケットキョイ=模型村)

2009-10-14 00:33:13 | 


イズミルから約100キロ、エフェス遺跡の近くにこの「MAKET KOY」はあります。以前TVでチラッと見て以来ずっと行きたいと思っていたのに近くまで行っても場所がわからなかったりで機会がありませんでした。今回別の場所へ行こうと思っていたのですが、行く途中でMAKET KOYの入り口を発見、ついに念願がかないました。




KUNDRACI(靴屋さん)。


KALAYCI(錫細工屋さん)。

この村はAYHAN CETIN(アイハンチェティン)さん個人の博物館です。AYHAN CETINさんは1940年にKONYA(コンヤ)県のAKVIRAN(アクヴィラン)村で生まれました。1959年までこの村で教育を受け、その後数学と理科の教師としてトルコ各地で教職につきました。定年後1988年からこの場所で小さな人形を作ることから始めた作業は、次第に生まれ育ったAKVIRAN村の1950年代の伝統や生活を再現する模型となり、ついに2000年にこの地で博物館を開くに至ったのです。人形と風景はAYHANさんが、衣服やその他の細々とした道具などは奥さんのNAZMIYE(ナズミイェ)さんの手によるそうです。







インターネットなどでこの村のことを見てはいましたが、実物を見るとそのすばらしさに今まで来なかったことを後悔しました。入り口を入った瞬間、子供の頃に戻ったような興奮を全身で感じたのです。


塀の上にのっている木の枝は、夫曰く「雨が日干し煉瓦にしみこまないように樋の働きをしている」のだとか。


割礼の様子。左側に逃げ出す男の子が見えますか?


DEMIRCI(鉄屋さん)。

外には、鉄屋、仕立て屋、靴屋などの店舗や村の家を再現した等身大の模型があります。見学者が来るとセンサーでそれぞれが作業を始めるのです。ここだけでも十分驚きでしたが、室内の展示室に入るとさらに興奮。こちらは手のひらほどの人間が村のさまざまな場所でそれぞれの生活を送っています。


KANDILという特別な日には子供たちが棒を持って家々を回ります。BIZIというお菓子をもらってこの棒に挿します。


AYICI(熊屋)が村に回ってくると、人々は熊に背中を踏ませました。背中の痛みが治るのだそうです。


この遊び、小さい頃しませんでしたか?名前は何だったかなあ。トルコでは「UZUN ESEK=長ロバ)。

農作業をする人たち、庭で麦をつく人たち、結婚式のある家、孫と写真屋さんで記念撮影をするおじいさん、割礼式の日にはお父さんと小さな息子が順番を待つ横で、逃げ出す子供もいます。庭に座り込んで家事をするおばさんや村の広場で四方山話に精を出すおじさんたちの声まで聞こえてきそうです。ここまで!とびっくりするほどすべてが細部まで再現されており、AKVIRAN村に行った事もないのに村のにおいや音、風までが感じられるのです。


素焼きの鍋を泥で作る人。


お隣さんにバクラヴァのおすそ分け?


糸屋さんが来たようです。

ある人は幼い日を思い出し、ある人はおじいちゃんやおばあちゃんを思い出し、ある人はまったく見たこともない新しい世界を見たかもしれません。私もあたかもまだ見たことのない自分の村を訪れたような時をすごしました。また訪れる日が今から待たれます。


写真屋さんで記念撮影する人の後ろのスクリーンには「AKVIRAN村の思い出」と書いてあります。


これだけの展示室に村のすべてが・・・。

小さな写真では雰囲気の一部もお伝えできないと思いますので、今回は初の試みとして「デジブック」に写真を入れてみました。スライドショーでご覧になることができます。興味のある方は下の写真をクリックしてみてくださいね。






デジブック 『MAKET KOY1』

デジブック 『MAKET KOY2』

    
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☆現在のイズミル☆


CIFT BASLI KARTAL(チフトバシュルカルタル=双頭の鷲)

2009-10-09 12:44:48 | Weblog




もう1ケ月も前のことになりますが、今年もイズミルが1922年にギリシャ軍から解放された記念日である「9 EYLUL(ドクズエイリュリュ=9月9日)」には、私が一年で一番楽しみにしていると言っても過言ではないTURK YILDIZLARI(トルコの星達)のアクロバット飛行がありました。アパートの屋上からマッハ8の超音速をとらえるのは至難の業、こんなボケボケ写真しか撮れません。

最近になってこのTURK YILDIZLARIのHPを眺めていたところこんなかっこいい写真が…。


写真はTURK YILDIZLARIのHPより拝借しました。

これは飛行機の裏側の写真なのですが、このデザインに注目して下さい。これがタイトルにあるCIFT BASLI KARTAL(双頭の鷲)だったのです。双頭の鷲?そう言えば幼い頃「双頭の鷲の旗の下に」と言うワーグナーのピアノ曲をピアノの発表会で弾かなかったっけ?などと思いながら調べてみると、この曲は「ワーグナーがオーストリア・ハンガリー帝国の軍楽隊長であった時期に作曲したものであり、曲名にある「双頭の鷲」は同国のシンボル」だったのですね。ヨーロッパの国家や、東ローマ帝国のシンボルとしても使用されてきた「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章なのだそうです(Wikipediaより)。


オーストラリア・ハンガリー帝国の国章。


東ローマ帝国の「双頭の鷲」を受け継ぐ、
コンスタンディヌーポリ総主教庁(イスタンブル)の紋章。
写真はWikipediaより拝借。

トルコでは6000年も前のCIFT BASLI KARTALのモチーフがあるそうですが、ヒッタイトからビザンチン帝国そしてセルチュク(セルジューク)朝へ、アナドルに興った多くの文明のシンボルとなりました。


6000年前のものかどうかは調べられませんでしたが、
トルコのボアズカレにあるヒッタイトの遺跡のモチーフ。


その昔中央アジアに住んでいたトルコ民族はCIFT BASLI KARTALを二つの世界の架け橋、都市の守護者として見ていました。そして決して負けることも征服されることもないと言う意味を持たせたそうです。


セルチュク朝のシンボル。写真はWikipediaより拝借。

その為セルジューク朝時代に作られた城壁には守護者としてCIFT BASLI KARTALが描写されました。彼らの旗に描かれたCIFT BASLI KARTALは現在でもセルジューク朝の首都であったKONYA(コンヤ)市の市章はもちろん、大学、サッカークラブなど様々な組織のシンボルとして使われているようです。

     
コンヤ市の市章。             そう言えばトルコ警察のシンボルにもCIFT BASLI KARTALが・・・。

こうやって調べてみると、TURK YILDIZLARIのアクロバット飛行がまた別の意味で生き生きと瞼によみがえってきます。大空と地上を旅するパイロット達を守り付き添い羽ばたくCIFT BASLI KARTALを見る為にも来年の9EYLULが今から楽しみです。






現在使われている国旗にもCIFT BASLI KATALがいっぱい。
上からアルバニア、セルビア、モンテネグロ。



 
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写真はWikipediaより拝借。



☆現在のイズミル☆


GIRITLI KURABIYESI(クレタ人のクッキー)

2009-10-04 00:26:16 | 料理


日中はあまりTVを見ないのですが、土曜日の午後にatvという民放局でやっている「KULTUR ASI(キュルトュル アシュ=料理文化とでも訳しましょうか)」という番組は例外。「SOFRA(ソフラ=食卓)」という料理雑誌の編集長が、トルコ各地を訪問して地方料理を紹介する番組で、普段なかなか見ることのできない町や村の風景とあわせて地元の女性たちが作る料理を毎回楽しみにしています。

どんな番組か興味がある方は、こちらから9月19日放送分を見ることができます。


先週紹介していたのはこちら。ちょうどイズミル県のSELCUK(セルチュク)という市に住むGIRITLI(ギリトリ=クレタ島から移住してきた、または親の代が移住)の女性が紹介していました。またの名をTRIVIRYA (GIRITLIという意味) KURABIYESIと言うそうで500年も前から伝わるレシピなのだそうです。(クレタ島と書きましたが、実際に私の周りで自分はGIRITLIだ、という人たちはクレタ島に限らずギリシャからの移民一家だという意味で使っている人が多いように感じます。今回のGIRITLIクッキーもそういう意味かもしれません。)



材料のところを見逃した為、あとからインターネットで検索して見つけた別のレシピで作りました。今日再び検索してみると番組で紹介されていたレシピとは若干違いました。「とても柔らかいクッキー」とTVでは紹介されていたのですが私が作ったほうはヨーグルトが入っていないせいか、スコーンの様な食感。でもシナモンとゴマの香りが香ばしくてとても美味しいクッキーです。

《作り方》
・卵 3個
・牛乳 1カップ
・オリーブオイル 1.5カップ
・砂糖 1.5カップ
・ベーキングパウダー 1袋(10g)
・シナモン 大さじ2

・干しブドウ 1/2カップ
・小麦粉 約6カップ
 (トルコではちょうどよい固さになるまでという表現をするのですが、これが
  素人には難しい。でもだいたい6カップで大丈夫でした。)
・ゴマ 大さじ5(炒っていないもの)

①卵・砂糖をよく混ぜる。
②①に牛乳とオリーブオイルを加える。
③さらに干しブドウ、シナモン、小麦粉、ベーキングパウダーを加えて 
 手にくっつかなくなるまで捏ねる。
④10センチくらいの長さに生地をとって棒状にしゴマに押し付けて
 成型する。
⑤175度のオーブンで約40分焼く。

Afiyet olsun!



《TVで紹介されていた材料》
・オリーブオイル 1カップ
・砂糖 1.5カップ
・ヨーグルト 1カップ
・シナモン 大さじ2
・重曹 中さじ1
・干しブドウ 1カップ
・小麦粉 5~6カップ
・ゴマ

今日はこちらのレシピで作ってみました。もう少し柔らかくて食べやすい感じです。


 

余談ですが、髪の毛をかきあげる仕草をしたいが為に髪の毛を切らせないエリフ嬢、前髪が目に入るので私も「切れー」と言っていたのですが、ついに先週アンネ(義母=エリフのおばあちゃん=アナアンネ)につかまってばっさり。さっぱりしました。





ビルテンの前髪も切りたいところですが、
そう言ったら「これが気に入っているのー」と言われました。

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