イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

よい年をお迎えください。

2007-12-31 00:05:38 | Weblog
今年もあと1日。あっという間の一年でした。里帰りもできたし落ち着いたよい一年だったと思います。皆さんはいかがでしたか?今年も一年間、このブログを通してお付き合いくださった皆さんどうもありがとうございました。今年最後にとっても気に入ったビデオをご紹介します。新しい年もいつも笑顔で、皆さんとご家族にとって健康で幸せな一年でありますように、そして2008年もよろしくお願いいたします。


    







窓拭きもして気持ちよく年が越せそうです。
             






☆現在のイズミル☆

    

アンネの魔法の手

2007-12-27 22:09:35 | イズミル暮らし・イズミル案内

数日前朝おきて窓の外を見たら冴え冴えと輝く月明かり。波に光るYAKAMOZ(ヤカモズ)。

今年もあと3日。年賀状書き終わりましたかー?大掃除はしましたかー?お節料理の準備は?日本はそろそろ御用納めですね。今年は結構長い年末年始休みの会社もあるようです。トルコへ遊びにいらっしゃる人いませんか?

私は先日のクルバンバイラムでお正月気分を味わってしまったせいか来週にはもう新しい年が来るなんて信じられません。というよりもまだ年が明けていなかったの?という感じです。


クルバンバイラムにはどこの家庭でも一度は食べるのでは?Kavurma(カヴルマ)です。

おとといはアンネ(義母)の急襲がありました。17時過ぎになっていきなり義妹から電話で今からアンネが行くからと…。今からってことはお泊りですか?物置状態になっていた客室を速攻片付けベッドを整えて何事もなかったような顔でお出迎え。夫は残業続きで夕飯を食べないので何の用意もしていなかったキッチン。でも頭がぴぴっと働きました。クルバンを屠ったお肉を頂いていたのですが、骨付きで大きな塊の為夫が帰ってきたら切ってもらおうと思っていたのです。アンネに見せたら「クルバンのお肉はすぐに悪くなるから切って冷凍庫に入れましょう」ふふ、この言葉を待っていました!そしてKAVURMA(カヴルマ)というお肉の脂と旨みだけで炒めるバイラムにつき物のお料理を作ろう!いや作ってもらおう!かねがねアンネの手は魔法の手だと思っています。料理を作るのも毛糸を編むのも洋服を作るのも全然大変そうに見せないでちょちょんと完成してしまいます。アンネが作ると何でも簡単そうに見えるのです。
あんなに大きくて骨や脂でごつごつしていたお肉の塊もしゃくしゃくっと切ってくれました。


アンネにさばいてもらった肉。右は牛、左は羊。

アンネがKAVURMA用に別にしたお肉は洗面器にたっぷり。これは多すぎるのでは?と思ったのですが、ただお肉だけをフライパンに入れてさっと炒めたら後は蓋をして水分がなくなるまで待つこと1時間あまり、最後に塩で味付けをし玉ねぎのみじん切りを加えてあめ色になって完成したKAVURMAはずいぶん量が減りました。スープとピラフ、そして先日漬けておいたTURSU(トゥルシュ=漬物)でアンネと二人で美味しくおなかいっぱい頂きました!





バイラムにお花屋さんでおまけにもらったカサブランカが咲きました。
           






☆現在のイズミル☆



AYVALIK(アイヴァルク)

2007-12-24 10:20:32 | 

雲ひとつないお天気、道路もいつの間にか広くなっていました。

今年のクルバンバイラム(犠牲祭)のお休みは20日から23日の4連休でした。職場によっては19日は半日で午後からお休みのところもあります。ちょうど日本の3連休と重なりましたね。バイラム一日は温暖なイズミルもかなり寒くなり身体の芯まで冷えました。クルバンバイラムの2日目にはクルバン(犠牲になった動物)達の血を流す為に雨が降ると言われるそうですが、イズミルは4日間ともよく晴れおだやかなバイラムでした。親戚も少なくクルバンも切らない我が家、1日目は叔母さんの家へ挨拶に行き近所をお散歩して世間のバイラムの様子を偵察。2日目はAYVALIK(アイヴァルク)というところへ日帰り旅行。3日目はお客さんをお迎えして過ごしました。

    ※クルバンバイラムに興味のある方、以前の記事をよろしかったらご覧下さい。     
   


AYVALIKの港を眺めるこの風景が好きです。

AYVALIKはイズミルから約240km、こじんまりとした漁業とリゾートの街です。ギリシャのレスボス島へ行く船もここから出ています。この辺一帯はオリーブオイルや石鹸の製造で有名な地域でイズミルからアイヴァルクに近づくにつれオリーブオイル工場のなんともいえないにおいが車の中まで入り込んできます。最初は「う、この臭いは何?」と鼻を押さえたものですが最近は慣れてしまいました。





AYVALIKを初めて知ったのは、数年前TVで「KURSUN YARASI(クルシュンヤラス=銃創)」というオスマントルコ帝国末期のトルコの庶民の英雄達のドラマででした。そのドラマの舞台となったAYVALIKの異国情緒あふれる街並みの美しさに惹かれたのです。そして訪問の機会はすぐに訪れ今までに2回出かけました。夏だったのでボートツアーに参加し海からのAYVALIKを満喫したので、今回はドラマで憧れた街並みを歩いて潮風に吹かれてチャイでも飲もうかと出かけました。


教会ともミナレとトルコの国旗と・・・。


昔の人が歩いていそう。

AYVALIKは、第一次世界大戦が終了するまでオスマントルコ帝国のギリシャ系の人達が住んでいました。ここでもギリシャに住むトルコ系の人達との住民交換が行われたのです。ですから街の中にあるジャーミー(モスク)は教会の建物に後からミナレ(ジャーミーの尖塔)をつけたものが多く見られますし、家々もRUM EVI(ルムエヴィ=ギリシャ風の家)が連なっています。きれいに修復されている家もありますが、残念ながら朽ちかけたような住む人のないところが多いのです。迷路のような細い道を気の向くまま歩いていくと、ドラマに出てきたオスマントルコ帝国時代の人達が服装だけは現代風に変えて歩いているように見えてしまいます。バイラムだったせいもあってか道行く人は皆すれ違う人とバイラムの挨拶を交わしながらゆったりと歩いており、都会のイズミルではもうあまり見ることのできない、昔の日本のお正月の光景にも少し通じるような懐かしさを覚えました。


上から2番の写真の左に見える茶色い建物沿いにあるチャイバフチェでチャイ。夏の間は座る場所を確保するのも大変です。


AYVALIKと言えば(?)アイヴァルクトーストが有名です。

AYVALIKから陸続きで行ける小さなCUNDA ADASI(ジュンダ島)は、さらにギリシャの面影が濃く残っています。ギリシャ教会の廃虚や石造りのRUMEVI、店の名前もギリシャ系のところが多く、港沿いの魚レストランやバーからはギリシャ風の音楽が聞こえて国境を越えてしまったような気分を味わえます。


CUNDA ADASIのDEGIRMEN(ディールメン=風車)。


ギリシャの教会跡。


写真ではよく見えませんが、ギリシャ風の名前の骨董品屋さんとトルコ名前のパン屋さんが向かい合っています。

手が届くほど近くに見えるギリシャの島々に沈む夕日を眺めてイズミルへの岐路に着きました。


CUNDA ADASI からAYVALIKを眺める。







何の花でしょう、かわいらしい帽子のような蕾でした。
      



    






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トルコへ

2007-12-17 17:35:21 | Weblog

雨の成田空港。

里帰りからトルコ生活へのリハビリに努めているうちに早くも12月も半ば、日本はクリスマスやお正月、トルコはクルバンバイラム(犠牲祭)と新年で何かと浮き足立っていますね。

日本を発つ日、涙雨だったのか成田は雨が降っていました。飛行機はがらがらで窓際の2席を占領した喜びに水をさすように、機長から「電気系統故障の為離陸が15分ほど遅れます」との放送。機長だってトルコ人、そのトルコ人の言うこと、15分で直るはずがなく、ほぼ1時間後の離陸となりました。その間、スチュワデス達はもちろんうんざりとした顔をもろに見せ、客席の間を回りながら「offf、offf(オフ、オフ=うんざりした時にトルコ人が発する)」とつぶやいていました。ただでさえ飛行機の中では眠れず私にとって拷問の様な時間が更に1時間伸びました。映画も面白くないのに3本ともしっかりと観てしまい、嫌いだった「Mr.ビーン」を見て爆笑している自分に驚きました。



久しぶりに青空が見えた一日、朝から近所のお散歩へ。お気に入りの公園からの眺め。

21時過ぎにイスタンブル上空で着陸態勢に入ってからは住宅街の上を低空で飛ぶのですが、密集した高層アパートの窓々に灯る明かりが懐かしく「ああ、トルコへ帰ってきた」と実感。イスタンブル空港で荷物をピックアップし到着ゲートから出たことのある方はきっと記憶があると思うのですが、到着ゲートの外で食いつくような顔で待っているむさいトルコ親父達の顔、顔、顔、顔、顔、顔…。またまた「ああ、トルコだ…」。でもやっぱりひと目でわかるものですね、我が夫の心配そうな顔が見えました。2ヶ月の間に膨張した私にひきかえ随分やせて目がぎょろぎょろしていました。


公園から家へ戻る途中の景色。ここだけはどんなに暑い日でも風が気持ちがいい私のオアシス。

2ヶ月ぶりの対面なのにクールな夫、公衆の面前で恥ずかしかったのだそうです。この日は朝8時にイズミルの家をアンネ(義母)と一緒に車で出発し、イスタンブル在住の義弟の家へアンネを下ろして空港へ。10時間ほどの長時間運転の挙句に飛行機は1時間遅延。その上すぐにまた車でイスタンブルを後にし、イズミルへ帰る前に寄ろうと話していたDUZCE(デュズジェ)へとひた走ったのです。でも実は方向音痴の我が夫、DUZCEへの道は予想以上に遠かった。その様子は次回…。

 




リハビリをかねてトゥルシュ(漬物)を漬けました。
             






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Ailemizin gururu Birtenimize (我らが家族の誇りビルテンへ)

2007-12-10 11:08:54 | イズミル暮らし・イズミル案内
 
トルコ帰国後第一弾のケーキ、やっぱりケーキは日本に限ります。言うまでもない?

イズミルに戻ってまいりました。と言っても既に1週間以上がたってしまったのですが、日本から持ち帰った荷物もまだ片付けていない状態(わざと片付けていない)でぼけーっとしています。2ケ月不在の間部屋の中はどんな状態になっているかとちょっぴり楽しみなような恐ろしいような気持ちで帰ってきましたが、まあ、洗濯物は2ヶ月の間に洗ったものがそのまま部屋に放置、紙くずがなぜか机の上にまとまって山の様に置いてあったり(なぜ捨てない?)と言うことはありましたが、キッチンの流しやトイレや洗面所などは漂白剤を使って掃除をしたらしい痕跡が見え、部屋の乱雑さに比べて微妙にぴかぴかきれいだったのが印象的でした。

帰ってきて以来ほとんど毎日のように雨のイズミル、部屋の中が暗くて洗濯物もパリッと乾かないのが悩みですが、久しぶりに海を眺めながらののんびりペースを楽しんでいます。


バースデーケーキにはこのMAYTAP(マイタプ)という花火がつきもの?


プレゼント公開中。エリフはたぶん口に入れるものを探している。

先週はビルテンの誕生日でした。昨年のバースデーケーキは「Iyi ki dogdun(生まれてきてよかった)」でしたが、今年はタイトルの通り「家族の誇り」です!2ヶ月見ない間にドキッとするほどお姉さんぽくなっていたビルテン。日本で友達が「親戚の子供に買ったのだけれどサイズが合わなかったのでビルテンにどうだろうか」とくれたチャイナドレスを着せてみると色もサイズもまるでビルテンの為に誂えたかのよう、あまりにも似合っているので「おばさん」は惚れ惚れと見とれて飽きることがありませんでした。

どうでしょう、このビルテン。

エリフも11ヶ月になり歯が生え出してなんでも口に入れるので親が与える(?)生のネギやピーマンを齧っています(日本でこういうことするんでしょうか?)。いつもポーカーフェイスで人見知りが激しくすぐに泣かれて寂しかった私達にもようやく笑顔を見せてくれるようになってきました。


ピーマンをガシガシ。

こうやって日に日に大きくなっていく姪っ子たち、来年はまたどんな顔を見せてくれるのでしょう。






笑顔を見るとメロメロになります。
          






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