イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

BIRTEN(ビルテン)自慢

2010-05-31 18:56:45 | 家族


ある日義妹が「MUJDE(ミュジデ=吉報、よい知らせ)があるの!しかもyukacanのおかげで!!!」と弾んだ声で電話をしてきました。その知らせとは姪っ子ビルテンの通う学校で「HOBBY DAY(趣味の日)」と言うコンテストがあり全校生徒が自分が趣味としているものを持参し、その内容説明とともに発表をしたのだそうです(参加は自由、希望者のみ)。そのHOBBY DAYでビルテンはビーズのキーホルダーを出品、トルコにもビーズ手芸はありますがこういう形のものはないらしく先生や生徒達の羨望を集め見事学校中で1番となったのだそうです。皆からほしいほしいと希望が殺到したとか。



手先が器用で、小さい頃から母親の糸やスカーフを使って自分のドレスもどきを作ったり、ブレスレットやピアスも自分なりに加工して素敵なものを作っていることがありました。海へ行くと貝殻を拾ってはアクセサリーにしたり、飾りにしたり、学校のクラブ活動でも工作クラブの様なものに入ってEBRUというトルコの伝統的なマーブリングやお盆に装飾などをしては出来上がったものを見せてくれたものです。

 

前回の里帰り時に、日本のビーズキットをいくつか買ってお土産にしました。材料と作り方がセットになっているのですが、もちろん作り方は日本語、しかも私にもよくわからない日本語・・・。ビルテンにはビーズの色と見方程度しか説明できませんでした。
それでもさっそく作り始めたビルテン、物も言わずに夢中になって一気に作り上げてしまいました。もちろん難度の高いものは2時間とか3時間かかったものもありましたが完成図だけを見て見事に完成させたビルテン、大したものだと思います。

 

全校1番には金メダルと50リラ分の学校の売店用チェックだったそう。50リラの最初の使い道、なんだったと思いますか?全クラスメートにアイスをおごったそうです。太っ腹ビルテン、私なら独り占めしたと思います。







今年のユーロビジョン、トルコはロックグループmaNga(マンガ)が“We Could Be The Same”で
5月29日の決勝進出。
去年のHADISE(ハディセ)に比べて全然盛り上がっていなかった様な気がしましたが2位とは
なかなかの健闘でした。
下の写真をクリックするとTRT国営放送のビデオページが開きます。

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TEKERETTSUNOPA(てけれっつのぱ)

2010-05-26 00:05:12 | JIKAD・トルコにおける日本年


戊辰戦争から開国、文明開化へと進む時代。
それまでの価値観は崩壊し、今日の平安が明日には過去のものとなってしまう、そんな時代であった。
旗本の娘でありながら没落し、芸者となった一人の女がいた。その女を思慕し、見守りつづける男。
その女を妾とした薩摩出身の官吏とその妻。女を助ける主人思いの女中。
そして、いつまでも一人前に成り切れないごろつきや謎の混血娘……。さまざまな人生が激動のうちに流転する。
その運命に流される者もいれば、立ち向かい、抗い、力強く生きようとする者もいる。
幸も不幸も全てを呑み込み、さまざまな糸がもつれあいながら、物語は進んでいく。
(劇団文化座ホームページより)



「てけれっつのぱ」って何でしょう。イスタンブル、エスキシェヒルでの公演を終えた「劇団文化座てけれっつのぱトルコ公演」の最終公演地はイズミルでした。
開演前の暗転の舞台にはひざ掛けの緋色が美しい人力車が。




もちろんJIKAD会長ARZUさんのスピーチも欠かせません。

特に予習もしないまま出かけたドクズエイリュル大学サバンジ文化センター、とても心地のよい時間を過ごしました。日本でもこういうお芝居は滅多に見たことがありませんが、俳優さんたちの流れるような動きに目を奪われ、そして最後にはすっかり感情移入してしまいました。



周りのトルコ人からは「とてもいいわねー」「全然飽きさせないよね」「動きがすごい」などなど好意的なおしゃべりが聞こえてきました。涙もろい我が夫、最後の5分ほどでやはり涙をぬぐっていましたよ。
舞台の左右にトルコ語字幕が出るのですが、見なくてもいいのについつい「トルコ語ではなんと説明してあるんだろう」と余計な興味で見てしまったので目が疲れてしまいました。



「てけれっつのぱ」の原作者・蜂谷涼(はちやりょう)さんも会場にいらっしゃり、観客から大きな拍手を受けていらっしゃいました。このお芝居が舞台の小樽出身とのこと、他の作品も読んでみたいなと思いました。






会場から我が家までは徒歩で20分ほど、ひんやりとした初夏の心地よい海風に吹かれながら、アサンソルからの夜景も久しぶりに眺めながら帰ってきました。






字幕スクリーン。
お越し頂き誠にありがとうございました。またお目にかかりましょう。

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ATSUKO SUETOMI

2010-05-21 14:23:01 | イズミル暮らし・イズミル案内


3月に「日本年」行事としてお琴の末冨敦子さんとメゾソプラノのSERPIL SOLMAZ(セルピルソルマズ)さんによる「春の演奏会」がありましたが、今回はDOKUZ EYLUL UNIVERSITESI(ドクズエイリュル大学)の学園祭の一部として前回とほぼ同様のプログラムでコンサートが行われました。





会場はALSANCAK(アルサンジャック)地区にある「ST.JOHN ANGLIKAN KILISESI(聖ジョン聖公会)」。ALSANCAK駅の向かいと言う繁華な場所にあるにもかかわらずうっそうとした木立の中にあってここもまた別世界。イズミルの聖公会はもともと1625年にイズミルに住むイギリス人とレバント社の為に建てられましたが、現在の聖公会は1898年にイギリス大使館が購入した土地に信徒達の寄付で建てられたそうです。


150人ほどの会場、ほぼ満席でした。

前回のコンサートは大変な混雑で敦子さんのお姿はまったく見ることができず、琴の音も遠く聞こえただけでした。今回は敦子さんが一番前の特等席を確保しておいてくださいました。



お琴をじっくりと聴いてみたいと出かけたので、敦子さんの真ん前の席で琴の音に集中、申し訳ないけれどSERPILさんのソプラノは耳に入らず・・・。SERPILさんの派手派手豪華な衣装はイズミル出身の有名なデザイナーZUHAL YORGANCIOGLU(ズハルヨルガンジオウル)さんによるそうで、ZUHALさんご自身も一番前の席にすわっていらっしゃいました。


お琴の右側の楽器はKANUN(カーヌーン)と言う弦楽器。


ドクズエイリュル大学の学生達によるトルコ音楽のコーラス。

観客は大学の音楽部関係者がほとんどで日本人は私一人。琴の音もそうですが、この日の敦子さんの涼しげなお着物やコンサートに対する真摯さ、SADEな美しさ(トルコ語のSADEサーデと言う言葉が一番ぴったり来るのですが日本語が思い浮かびません、「派手」とか「豪華」とは逆の意味)が心に響きました。



たった一人の日本人「追っかけ」になった気分でお琴の音を堪能することができました。これからもイズミルでどんな演奏をされるのか楽しみに応援しています。 敦子さんお疲れ様、どうもありがとうございました。






トルコ国鉄ALSANCAK(アルサンジャック)駅。
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EKIN KOLEJI(エキンコレジ)

2010-05-16 00:04:22 | JIKAD・トルコにおける日本年


すでに真夏のじりじりした日差しのイズミル、日焼け止めクリームに帽子にサングラスが必須の季節の到来です。


幼稚園組はやっぱりかわいいですねー。


6年生は「上をむいて歩こう」の曲で日本舞踊!を発表。

イズミル市郊外にEKIN KOLEJI(エキンコレジ)という私立の学校があります。EKIN KOLEJIは幼稚園から8年生まで(トルコでは小学校と中学校が合わさって8年制)400人あまりのこじんまりした学校ですが広い国土の割りに校庭もろくにない学校が多いトルコにあってこの学校のキャンパスは広々としていて緑も多くとても開放的でのびのびした環境にありました。




日本年を記念して庭に桜の苗木を植樹、七夕を真似て子供達の願い事が短冊に書いてありました。

EKIN KOLEJIでは毎年色々な国の文化や習慣の違いに敬意をもち、知識を深めることを目的に幼稚園から8年生までの全員がクラスでテーマを決めて研究をすることになっているそうで、今年は「トルコにおける日本年」と言うこともあり、日本一国にテーマをしぼって9月の新学期からこれまで色々な催し物をしてきたそうです。その集大成として5月3日から8日にかけて「異文化週間」としてフェスティバルが開かれました。
JIKAD(日本イズミル文化交流協会)も招待されたのでメンバー6人で7日の発表会にお邪魔しました。しかもスクールバスでの送迎つき。学校のHPに日本についての別コーナーがあるのですが、これがとても充実していて先生方の熱意が伝わり行く前からとても楽しみにしていました。





この日はベルガマから学校の近くを通ってイズミル方面へ移動する日本人ツアーご一行にも寄ってもらうという予定だったらしいのですが、急病人が出たとかでドタキャン、たくさんの日本人に発表を見てもらおうと意気込んでいた生徒も先生もがっかり・・・そこでJIKADの日本人約2名は一手に注目を浴び校舎に入るなり生徒達は「コニチワ」「ヨオコソ」「オゲンキデスカ」などなど覚えた日本語を一人ひとりが言いに来てくれました。



ロの字型の校舎で吹き抜けのホールが多目的広場の様になっておりそこで各学年がそれぞれの発表スタンドを出しています。幼稚園生から8年生までが踊りや歌、ピアノの発表をし、「お弁当コンテスト」なるものまでありました。名前、テーマ、材料、見栄え、説明の仕方などについて私も審査員となって点をつけてきました。皆夢があってかわいらしかったなあ。
クラスごとの研究テーマの発表者は、日本について調べたことを「説明させて下さい!」と寄って来てくれます。学年が上になるとトルコ語でも英語でも説明OKです。

 

 
「お弁当コンテスト」最終審査に残ったちびっこたち。

JIKADもホールの片隅にスタンドを出して緑茶の試飲と毛筆で名前書きサービスをしました。緑茶の評判は・・・でしたが、筆書きサービスは大好評でお昼休みになっても列が途切れませんでした。校長先生まで「この3つの名前(自分と奥さんと子供)をどうしても書いておいてください、妻が日本大好きなんです!」と。








この方は先生か父兄かわからなかったのですが、日本風お菓子を配っていました。旗も手作りなんですよ。

「日本の庭園文化」のセミナーの講師のドアン氏は大人対象の「盆栽教室」を開いて熱心に剪定する受講者の姿が見られました。



お昼は学食で給食をご馳走になりました。食堂の中まで日本一色、そしてメニューだって日本風です。本日のメニューは「味噌スープ、鶏の照り焼き、日本風チャーハン、はちみつがけバナナのデザート」。なんちゃって和風だけれどこんなメニューにしてくれるだけでも感激でした。






椎茸が入っているんですよー。

昼休みの後に講堂で表彰式がありました。再度歌とピアノ、8年生のからくり人形風ミニ芝居の発表がありました。





そしてなんと私達も感謝状を頂いたのです。生徒も先生も父兄も一生懸命日本について知ろうとしてくれている姿勢がとても嬉しくこれを機会に「日本語を習いたい」と言う生徒も出てきたそうで、小さな種かもしれないけれどトルコに日本の花が咲き実がなるきっかけになりそうで私の方こそ感謝状を送りたいなあと、抱えきれないほどの幸せパワーをもらって帰ってきました。

EKIN KOLEJIのHP(日本)→ http://www.ekin.k12.tr/japonya/





食堂の入り口のメニュー板、JAPANESE DAYとあります。
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CESMEALTI(チェシュメアルトゥ)2010

2010-05-11 00:18:39 | 家族


イズミルの季節の移り変わりはあっという間、日本で春に着るような服を2・3日着るとすぐに冬から夏になってしまいます。気温もぐんぐん上がりここ数日の最高気温はもう30度を越しているのではないでしょうか。日曜日の「母の日」にはアンネ(義母)と義妹親子と一緒にアナアンネ(夫の祖母)のお墓参りに。アンネはお墓が太陽をさえぎるものがないところにあるので何か木陰になるような木を植えたいとかねがね言っていました。そこで夫がどこかからアカシヤの木を仕入れてきて植えました。木陰になるほど繁るといいのですが。



その後はÇESMEALTIにあるテイゼ(夫の叔母)の家へ。それほど暑くもなく寒くもなくテラスで座るのにちょうどよい季節です。KAHVALTI(朝食)にBEŞ ÇAYI(ベシチャイ=5時のお茶、日本人的にはお茶の時間と言えば3時なのですが、トルコではBEŞ CAYIと言っています)に夕飯、そしてその合間にちょっと散歩をしたり新聞を読んだりゲームをしたりの一日でした。





この日の主役はこちらのお二人。3歳になった姪っ子エリフとテイゼのお隣さんの孫でおばあちゃんの家に遊びに来ているEMRE(エムレ)くん。たぶん1歳半の頃からエリフはこの優しいエムレアービ(おにいちゃん)に夢中でした。おにいちゃんが来ると髪の毛を手でかきあげたりポーズをとったり、どこで覚えてきたんだとあきれるほどのかわいこぶりっこ(?)をして自分をアピールしていましたが今年はようやく舌足らずに話すようになってきたのでさらに積極的に急接近です。





「エムレアービ、ゲル(エムレお兄ちゃん来て)」「エムレアービ、ネデンギッティ(どうして行っちゃったの)?」と一日中エムレ君の後をついて、というよりもエムレ君を従えて女王様ぶりを発揮していました。エムレ君の8ケ月になる妹の名前もエリフ、すでに対抗意識を燃やすエリフ嬢です。



気性が激しく気まぐれなエリフに比べてお姉ちゃんのビルテンは小さい頃からいつもニコニコ笑っている優しい子です。見るたびに背が伸びてすっかり見違えるようですが、最近は友達の様に会話が出来て癒されることが多くなりました。







このポーズを見てください!ムチムチエリフです。
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URGANLI VE BAYINDIR(ウルガンルとバユンドゥル)

2010-05-06 00:02:12 | 

芥子の花。

日本のGWも終わりですね。連休明けのお仕事に憂鬱になっている方も多いのでは。5月1日はトルコも昨年から「EMEK VE DAYANISMA GUNU(労働と連帯の日)」の祝日となったので普段は土曜日は半日出勤の夫も2連休になり、1泊小旅行に出かけることに。昨年行ったBAYINDIR(バユンドゥル)のフラワーフェスティバルがちょうどこの時季なので今年も!でも温泉はちょっと違うところへ行きたいなあと調べてみるとお隣のMANISA(マニサ)県URGANLI(ウルガンル)と言う村に鄙びた温泉がありました。


有数の葡萄の産地であるマニサ、葉っぱも美味しそうです。


牛と羊の群れが通り過ぎるのを5分は待ったでしょうか。ものすごい大移動でした。

うちからURGANLIまでは80キロ余り、幹線道路から村への道を入って7キロばかり行くと地元の旅行業組合の様なところが経営している「URGANLI KAPLICALARI(ウルガンル温泉)」がすぐに見つかりました。広大な敷地にアパート風、長屋風、ロッジ風なそれぞれの宿泊棟と小さなマーケットとピデ(トルコのピザ)屋さんがあり、部屋にはキッチンもあるので長期療養の目的で来る人は自炊をしているようです。ここには大浴場はなく部屋に温泉を引いた大きなお風呂があります。来ている人もお年寄りが多いようです。





近くにはそれほど見て歩くところもなさそうなので車で25キロほどのMARMARA GOLU(マルマラ湖)に行ってみました。幹線道路以外ですれ違う車はトラクターのみ、どこまでも続くブドウ畑の中を走ります。本当にたどり着くの?と思い始めた頃きらきらと輝くマルマラ湖が見えました。日本だったらホテルやおみやげ物屋さんが並ぶ格好の観光地となりそうなロケーションなのに、ここにはなーんにもありません。観光地どころか湖畔にも畑が広がりたくさんの若い女性が畑仕事をしていました。







一軒だけ湖からの渓流沿いにレストランがあると、唯一とあるトルコ人のブログで読んでいたのですが、偶然看板を見かけたので私達もそこに向かいました。ここはSAZAN(サザン=鯉)料理が有名だそうで、鯉はちょっとーと思っていたそのブログのトルコ人も「目の前に出てきたら無言でむしゃぶりついた」と書いてあった通り、私達も普段なら選択しないであろう鯉に挑戦してみるとこれが絶品!大きな鯉丸ごと一尾を揚げてあるだけなのですがとても軽くて完食!お値段も良心的!で大満足でした。






注文すると鯉をつかまえるところから調理が始まります。

 
2人分の鯉を頼む勇気がなかったので1人分はキョフテ、これも美味しかった。

翌日BAYINDIRまでは直線距離で60キロ余りの道を山越えです。表示もろくにない山道なので何度も迷ったりひき返したり人に聞いたり写真を写したりでたぶん3時間位かかったでしょうか。でもこの山道がまた手付かずの自然がこれでもかこれでもかと目の前に現れて飽きることがありませんでした。名前も知らない花や深い松の緑、そう言えば学校のときに習った「柱状節理」の岩場もたくさん見ることが出来ました。




山道を走ってようやく下界が見えてきました。


オリーブがかわいい実をつけていました。

やっとのことでたどり着いたBAYINDIRのフラワーフェスティバル、最終日と言うこともあってか去年より人出も花も数も少なかったような気がしました。


てきぱき働き者の小さな花売り君。

暑くて日差しも強くくらくらしてきたのでアンネ(義母)やテイゼ(夫の叔母)、義妹にそれぞれ鉢植えを買って帰ってきました。少し早いけれど母の日のプレゼントです。






なんですか~?
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JAPON BAHCE SANATLARI SEMINERI(日本庭園芸術のセミナー)

2010-05-01 00:00:40 | JIKAD・トルコにおける日本年


イズミルにおける「日本年」行事の一つとして「JAPON BAHCE SANATLARI SEMINERI(日本庭園芸術セミナー)」が2回にわたり行われました。講師はチャナッカレ大学で日本語を学んだ後愛媛大学の農学部で日本庭園について学ばれたというDOGAN(ドアン)氏、会場はイズミル市古文書博物館でした。



第一回目は主に日本庭園の様式について、第2回目は生け花や盆栽についての説明でした。普段身近に眺めることはあっても改めてセミナーの話題として聞くと「なるほど」と思うことばかりで私にもいい勉強になりました。



JIKAD(日本イズミル文化交流協会)会員をはじめ建築家の方など造園に興味のある方たちも集まり熱心な質問が続きました。日本庭園の池には「錦鯉」がいるとか「鹿威し(ししおどし)」があるということなどにとても大きな反応があり面白かったです。


生け花の形を説明されています。漢字もすらすら書いていらっしゃいましたよ。

とにかく皆さん日本に対しては無条件の敬意のようなものを抱いてくれているので何を聞いても感心して「私達は昔の文化に敬意を払わないけれど日本人はいまだに大切にしているのよ」と年配の女性達のおしゃべりも聞こえてきました。


ドアン氏の盆栽。ペットの様にいつも連れているそうです。トルコにある木でもできるのがいいなと思いました。

私は生け花やお茶についての嗜みもないので「ほう~」と思うことが多かったのですが「日本の女性は花嫁修業にお花やお茶を学ぶ人が多い」と言う説明があったものだから隣に座った女性に「あなたもやるのですか?」と聞かれ「残念ながら・・・」と言うのが少し恥ずかしかった。実際にやらなくてももう少し常識的なことはわかっていなくちゃいけませんね。


SEVGI YOLU(愛の小径)

こんなセミナーの形で教室に座ったのも久しぶりだったのでとても新鮮ですがすがしい気分でした。ちょうど日本の五月の様な爽やかな風が吹いているので会場から家まで歩きながら帰ってきました。


共和国広場。


観光客用のFAYTON(ファイトン=二頭立て馬車)。

会場のあるCANKAYA(チャンカヤ)地区から私が住んでいるところくらいまでは古くからイズミルの中心地、居住地区とされてきたところですから今でもイズミルの最もにぎやかで新しい街であると同時に古いおしゃれな建物も結構残っていてそれを見ながら歩くのも楽しみです。

こちらはPASAPORT ISKELESI(パサポルト桟橋)、今はイズミル湾をわたるフェリーの発着場ですがかつては税関として使われていた建物です。


港湾管理部の建物、写真からは見えませんが錨のマークがありました。


株式取引所。1928年に建てられオスマン様式とセルチュク様式が見られる重要な建築物だそうです。


イズミル県の文化観光管理部。ツーリストインフォメーションも入っています。1891~1919年までは株式取引所として使われていましたが1922年にギリシャに占領されるとギリシャ国民銀行となったそうです。その後再びトルコの郵便局として使われ1996年に修復され現在の観光管理部として使われるようになりました。


この建物は現在使われていないようでしたが壁面のタイル模様がきれいでした。


庭園芸術セミナーからは話題がそれてしまいましたが、イズミルにはこんな建物が探せばまだまだあるようです。車で通り過ぎるだけではなかなか写す機会もないのでたまに歩くと新しい発見があってよいですね。






イズミル市古文書博物館の中庭にあったタイプライター?人間の背丈よりも大きいのです。
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