イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

バイラム旅行-ゲリボル半島

2010-11-26 14:41:25 | 


明け方、激しい雨と雷の音で目が覚めました。ああ今日はチャナッカレ海峡を渡ることはできないかなあと思っていたのですが、朝食を済ませた頃から白い雲の間から真っ青な空が広がり始めました。



チャナッカレの桟橋からフェリーでチャナッカレ海峡を渡ること20分ほどでアジアからヨーロッパへ、対岸のECEABAT(エジアバト)はゲリボル半島観光の拠点となる街です。





この地は第一次世界大戦中、連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブル占領を目指して半島への上陸作戦を行いました。連合軍は、当時国家として末期症状であったオスマン帝国軍を軽んじて短期決戦を想定して挑んだものの、オスマン側の予想外の頑強な抵抗にあって多大な損害を出して撤退、作戦は失敗に終わりました(Wikipediaより)



北端の戦場跡から南端まで34km、東岸のエジアバトから西岸まで12kmの地で1915年4月の連合軍の上陸から1916年1月に最後のイギリス軍が撤退完了するまで激戦が繰り広げられました。



半島のほとんどは「ゲリボル国立公園」となっており、戦場跡に各国の兵士達が眠る墓地や追悼碑、博物館などがあります。かつて500,000人もの各国の若者が命を落としたと言われる激戦地とは思えない緑におおわれた大地と美しい海に囲まれたとても穏やかな光景が広がっていました。道路やそれぞれの慰霊の場所を示す標識はよく整備され静かに、往時に思いを馳せることができました。



最後に立ち寄った最も激しい上陸作戦が繰り広げられたと言うアンザック湾の慰霊碑にあるオスマン帝国軍で活躍をしたムスタファ・ケマル(後のアタチュルク)の言葉が印象的です。

Bu memleketin toprakları üstünde kanlarını döken kahramanlar,burada bir dost vatanın toprağındasınız,huzur ve sükun içinde uyuyunuz. Sizler Mehmetçiklerle yanyana koyun koyunasınız. Uzak diyarlardan evlatlarını harbe gönderen analar,göz yaşlarınızı dindiriniz,evlatlarınız bizim bağımızdadır,huzur içindedirler ve huzur içinde rahat rahat uyuyacaklardır. Onlar bu topraklarda canlarını verdikten sonra artık bizim evlatlarımız olmuşlardır.

この国の大地で血を流した英雄達よ、あなたは今、友の国の地にいるのです。穏やかな静けさの中で眠ってください。あなた達兵士は並んで横たわっています。遠い国から息子達を戦場へと送リ出した母達よ、涙を拭いてください。息子たちは私たちの胸の中にいます。平穏の中にいます。平穏に静かに眠るのです。彼らはこの地で命をささげた後、今や我々の息子達となったのです。



また毎年4月25日はアンザックデートとしてこの地でも追悼の式典が開かれているのですが、今年のアンザックデーに際しオーストラリアのエバンス移民相がオーストラリアの若者に呈した苦言も意味があると思いました。→http://www.25today.com/news/2010/04/post_4441.php






ゲリボル国立公園の地図。クリックすると大きな写真が表示されます。
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バイラム旅行-イズミルからトロイへ

2010-11-21 21:49:53 | 


8日間あった我が家のバイラム休暇もあっという間に最終日となりました。3泊4日のバイラム旅行、お天気にも恵まれて気持ちのいい旅ができました。
バイラム1日目ははっきりしない天気でしたが、翌17日の朝イズミル湾に大きな虹がくっきりとかかりました。


アリアノイがある村から眺める別の村。

今回の旅はマルマラ地方のチャナッカレ方面。まずベルガマ遺跡の近くにあり、近くダムの底に沈んでしまうと言われているALLIANOI(アリアノイ)と言う遺跡を夫が見たいというので寄り道をしました。まだイズミル県ですがとんでもない山の中。見当をつけて進んだ道は通行禁止になっていました。村人に聞くと「かまわないで行け行け」と言うのでふさがれた道の横から入ってみました。

それらしき村に既に住む人はいず、何の為か重機が何台かありました。古い石橋や遺構の様なものがわずかに確認できましたが、その辺一帯立ち入り禁止の標識。アリアノイの歴史は青銅器時代までさかのぼるようですがヘレニズム時代には既に温泉センターとしての役割を担っていたようです。ローマ時代の橋や道路など様々な公共事業の跡が見られるそうです。



上のすばらしいニンフ像もアリアノイから発見されました。現在はベルガマ博物館で見ることができるそうです。
アリアノイの遺跡は現代の公共事業という名の下に、砂がかけられダムの底に沈もうとしています。現在また埋没を差し止める為の何度目かの訴訟が起されているようですが、周辺の村もまったく空っぽになっておりまだ望みはあるのでしょうか。




村を後にして一路トロイへ。通り道の北エーゲ地方はオリーブ産業が盛んで、この時期オリーブの木にはたわわにオリーブの実がなり収穫作業、そしてオリーブオイル搾油のシーズン真最中です。途中KUCUKKUYU(クチュククユ)と言う町を通ったのですが、そこにある先日の「オリーブ・オリーブオイル商談会」で同席したあるメーカーさんが持っている「オリーブ博物館」に寄ってみました。






オリーブについて勉強した後だったので、昔使われていた圧搾機や濾過機などとても興味深く拝見。石鹸を作る窯や昔の商標など古い道具は温かみがあってどれも素敵でした。





そしてこの日の最終目的地TRUVA(トゥルワ=トロイ)。「トゥルワ(トロイ) は、プリアム王、ヘクトル、パリス、そして美しいヘレンの登場するホメロスの物語で有名です。考古学者らにより、9つの異なる時代の集落と、城壁や家屋の基礎、寺院や劇場が発掘されました。伝説のトロイ戦争を記念して、トロイの木馬が立てられています。」(トルコ共和国観光ガイドより)





20年前に初めて訪れた時はあまりにも漠然とした遺跡に「兵どもの夢のあと」と言う言葉がイメージされただけでした。今回は当時に比べてずいぶん整備されていたり、その後多少なりともトルコを巡る歴史を知ったせいもあってか9層からなる壮大な歴史の変遷を少し感じることができたような気がしました。



エフェスやパムッカレの様に観光客が殺到する場所ではないせいもあって来る人々が静かに歴史を楽しんでいます。でもやっぱり一番人気はトロイの木馬。昔は何もないところにぽつんと馬が立っていましたが、今はすっかり観光地の顔に。そういった意味では20年前のトロイの遺跡の方がシュリーマンの夢をかきたてたように、自由に歴史を旅するにはふさわしかったのかもしれません。







トロイの遺跡にいたリス。
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IYI BAYRAMLAR(よいバイラムを)!

2010-11-16 00:01:58 | Weblog


今年のクルバンバイラム(犠牲祭)は、11月16日から4日間。トルコでは9連休なんて人もいて既に12日の金曜日の夜から民族大移動が始まっているようです。長距離バスや飛行機のチケットも完売状態だそうで、偽チケットを売りつけられたかわいそうな人もいるそうです。


テイゼの家の庭も秋色・・・。

日頃長期休みに縁のない我が家も珍しく今年は8連休。
すでにアナアンネ(夫の祖母)のお墓参りを済ませ、バイラム一日目にはアンネ(義母)の家とテイゼ(夫の叔母)の家を訪問する予定です。うちは親戚が少なくて本当に幸運です。と言うわけで、せっかくの8連休ですから、ちょっと旅に出かけてきます。行き先はチャナッカレ方面。車で行くので気の向くままのんびりとした旅になるといいなと思っています。帰ってきたらブログでご紹介させていただきますね。
それでは皆さんも、IYI BAYRAMLAR!






海岸で見つけたヤドカリ君。
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11月10日午前9時5分

2010-11-11 06:58:00 | Weblog


海岸通りに降りて官庁街を眺めると、今日は祝日ではありませんが大きな国旗が市庁舎や県庁舎の建物に掲げられていました。

1938年11月9日午前9時5分、トルコ共和国建国の父と言われるケマルアタチュルクがイスタンブルにあるドルマバフチェサライ(宮殿)で51年の生涯を終えました。

毎年この日には国として、また学校や職場でもアタチュルクに黙祷を捧げ様々な追悼行事が行われています。街でも9時5分になると車が止まり歩行者も歩みを止めて黙祷をするのだそうです。今日も9時5分にサイレンが鳴り響きました。ベランダにでて外を見てみると、道路には人影もなく車も通っていませんでしたが、ちょうど1台のバスが停留所から発車したところでした。運転手さんはすぐにバスを道路脇に寄せるとエンジンを止め運転席の脇に立ちました。それを見た乗客も皆座席の脇に立っています。ちょうど坂道を降りてきた学生もその場で立ち止まりました。サイレンが続くこと2分間、鳴り終わると何事もなかったかのようにバスは出発し、学生も歩き始めました。

アタチュルクが亡くなって72年が過ぎました。





1927年から1938年までアタチュルクの運転手を務めたセイフェッティンさんは105歳!
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オリーブオイル商談会@IZMIR

2010-11-06 18:26:07 | イズミル暮らし・イズミル案内

「Zeytinyagi(オリーブオイル)」と言うサイトに掲載されたニュース。写真をクリックすると記事に移ります。

少しご無沙汰してしまいました。イズミルは秋晴れの気持ちのよい日が続いています。日本では紅葉もそろそろ終わり、大学祭シーズンだなあと遠い昔を思い出しています。


上の写真撮影中。

11月4日・5日とイズミルのEGE PALAS OTEL(エーゲパレスホテル)でトルコの貿易省、エーゲ海輸出公社そしてトルコオリーブ協会主催の「オリーブオイル現地商談会」が行われました。トルコはオリーブ発祥の地、そして世界第4位の生産量を持っています。AYVALIK(アイヴァルク)やAKHISAR(アクヒサル)など優れたオリーブの生産地を擁するエーゲ地方では、今がちょうど収穫真っ盛りです。日本でも健康志向によりオリーブオイルの消費は増えていると思いますが、イメージ的にオリーブオイルといったらやっぱりスペインやイタリア、そしてギリシャなどに押されがちなトルコです。



でも実はトルコはスペインやイタリアへも大量のオリーブ、オリーブオイルを輸出しているのをご存知ですか?オリーブオイルの原産国は、最終的に製品化した国をさすので、トルコのオリーブオイルをイタリアが買い付け自国で瓶詰めをすれば「イタリア産」と言うことになってしまうのだそうです。だからイタリア産だと思って召し上がっているオリーブオイル、もしかしてトルコのオリーブから作られているのかもしれませんよ~。


歓迎のご挨拶。

現地で生産企業や農家の方たちと個別に商談をしたり、工場へ行って生産現場を見たり、農地へ出かけて収穫の様子を見たり、美味しいオリーブオイルを使ったお料理を食べながらトルコのオリーブ、オリーブオイルの美味しさと魅力を知って頂こうと言う狙いで開催されました。参加したのは日本と中国からあわせて35名ほど。この微妙な時期に中国と?とちょっとびびりましたが、さりげなく(?)開会式会場が二つに分かれていたり、見学場所が違ったりで、実際に中国の方と同じ場所にいてもお互いなんだか透明人間を見ているような雰囲気で見ないふりをしていたような気がしましたよ。



私は商談会でのお手伝いをさせていただいたのですが、トルコではオリーブやオリーブオイルを日頃よく使っているのに、改めて「エキストラバージンオイル」ってトルコ語でなんと言うの?じゃあ普通のオリーブオイルとの違いは何?そもそもどうやってオリーブオイルって作るの?ということについてはまったく知識がありませんでした。久しぶりに試験勉強の一夜漬けを思い出して、日本語とトルコ語でにわか勉強。その甲斐あってかとても楽しい経験をさせていただきました。お昼には4日がヒルトンホテル、5日がエーゲパレスホテルの料理長がそれぞれ腕をふるったオリーブオイル料理をとても美味しく頂きました。


時間がなくて少ししか食べられなかったのがとっても心残り・・・。


ヒルトンホテル料理長自らオリーブオイルで揚げたアイスクリームのサービス。

日本からの企業の方たちも、トルコからの輸出業者の方々もそれぞれが色々な特徴のある自社のニーズに合わせてどんな商売が日本とトルコでできるのか、皆さん真剣に考えていらっしゃる様子は私にとってとても嬉しいことでした。また重要な責任を負ってこの場に来ている若い営業マンの一生懸命さは私がちょっと忘れかけていたものを思い出させてくれました。もちろん若者だけではなくベテランの方たちもそれぞれがいい味を出していらっしゃいました。



自社製品を持参し、テイスティングをされていた中で一つとても印象に残るものがありました。2日前に絞ったばかりでフィルターにもかけていないまさにオリーブの果汁!抹茶の様な深い緑色のオリーブオイルはフルーティな香りと味で驚くほどに美味しかったです。くせになりそう。


右側のボトルがフィルターをかけていない絞りたてのオリーブ果汁。

商談会が終わってからふと思ったこと、ホテルの料理長が腕をふるってくれたトルコ料理、私はとても嬉しかったけれど、日本や中国でオリーブオイルの消費を増やそうと言う目的があるのだから、日本料理や中国料理でもこんな場面でオリーブオイルを使えばこんなにおいしくなりますよと言う紹介があったらよかったのになあと思いました。トルコ料理で使えばそりゃあ美味しくなることは当たり前なのですから。でもトルコ企業の担当者の中には、日本人の好みに合わせたオリーブオイルをブレンドしたり、パッケージを作ることができると言うことをアピールしている人もいたことを付け加えておきます。






初めて食べた人参のドルマ(ピラフ詰め)。
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