イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

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SEMAVER(セマヴェル=サモワール)

2005-11-30 11:28:29 | Weblog


写真はチャイを沸かすためのSEMAVERです。夫は無類のチャイ好き、タバコは我慢できても(でも禁煙は出来ない)チャイは我慢できない、寝ている時間以外は常にチャイが欲しい、旅行など長時間の移動があると必ずポットにチャイを入れて持参するか、車の電熱器でお湯を沸かしティーバッグのチャイを飲んでいます。
このSEMAVERはそんな夫の為に、と言うよりもそんな夫の為に一日中チャイを欠かすことなく沸かしている私の為に、夫の叔母さん夫婦が新居購入のお祝いにプレゼントしてくださったものです。
チャイの入れ方は普通のチャイダンルク(チャイ沸かし器)と同じ。

こちらが普通のチャイダンルク    

①まず上段のガラスポットの中にある茶漉しにチャイの葉っぱをいれ、湯沸かし器の上に乗せる。(この時葉っぱを流水で洗っておく)
②湯沸かし器のスイッチを入れてお湯を沸騰させる。(葉っぱを洗ったのはこの時によく蒸らすため)
③沸騰したらガラスポットに湯を入れ、湯沸しにも水を足して、あとは気長に
「TAVSAN KANLI(タヴシャンカンル=ウサギの血の色のような!)」きれいな色のチャイが出来上がるのを待ちます。
④出来上がったら用意したグラスに、まずはガラスポットの濃いチャイを入れ、そこへ湯沸かし器の蛇口から湯を好みに応じて足します。

お客様がいらした時など、早くチャイをお出ししたくてついついまだ十分出ていないチャイを出してしまいたくなります。でもトルコ人主婦はどんな時も慌てず待たせることも全然気にしない(ように見える)でチャイが充分demli(良く出た)になるのを待っています。私は待てなーい!ちなみにこういう慌て者のことを夫はよく、「7ヶ月(で生まれてきた)」と言います。
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久しぶりの青空

2005-11-28 07:16:57 | Weblog
 バルブンヤと言う魚:日本にもあるのかなあ?

3日間休みなく降り続いた雨、イズミルは4月から11月まではほとんどと言うか全く雨が降りません。冬に少しまとまって降るくらい、青空に慣れてしまったので3日も雨が続くと気が滅入って来ます。祈るような思い(?)で日曜の朝、カーテンを開けると晴れ渡った青空が見えました。一気に飛び起きて家中の窓を開け、家の中で万国旗状態だった洗濯物をベランダに出しました。ご近所さんたちもこの3日間しーんとしていましたが、どこの家もベランダには洗濯物、さっそく窓拭きを始める人、そして通りには人があふれてその声が5階まで聞こえ、街にも活気が戻ってきました。朝食を済ませるとすぐにお散歩に出かけ久しぶりに、美味しい空気を胸いっぱいにして帰ってきました。

途中で今晩の夕飯の材料の仕入れ。イズミルは日曜日と言うと魚を食べる家が多いのか、いつも行く魚屋さんは毎週日曜日にはお父さんたちで行列ができます。この魚屋さん、働き者の3人親子がやっていていつも他の魚屋よりもはるかに新鮮な魚を売っているので、我が家のご贔屓。調理の仕方を聞くといつも丁寧に教えてくれます。ラマザンバイラム後に改装工事を始めたので、その間お魚が食べれませんでした。改装工事中もお店の前を通るといつもお父さんと息子が店の様子を並んで見ている姿は微笑ましく、私達も新規開店を楽しみに待っていました。「もうオープンしたしかなあ」と久しぶりに店へ行って見ると、開いていました!ガラス張りになり、魚が冷ケースに並べられて小さいけれど魚屋親子の心意気が伝わるようなお店です。「いらっしゃいませ」と言ってくれた息子に「hayirlisi olsun(ハユルスオルスン=うまくいきますように、幸運がありますようにと辞書にはあります。家を買った時とか、就職した時などによく使います)」と言うと親子で「tesekkur ederim(テシェキュルエデリム=ありがとうございます)」と照れた笑顔で応えてくれました。早速写真を!と思ったのですが…カメラを忘れました…。今日は鯛や舌平目、リュフェル(ブルーフィッシュ?)と言った魚がぷりぷり美味しそうです。私達は「barbunya(バルブンヤ=ニシヒメジ)と言う魚を買ってきました。1キロ18YTL(約1400円)。高いー!2人で500g分を購入、内臓もすぐにきれいにしてくれます。今晩の夕飯は、こんな風になりました!



食べすぎですか?この他にもマカロニがありましたっけ。でもね zeynepさん、ケチャップもヨーグルトもかけなかったからね。とは言っても昨日のカプスカ(キャベツと鶏肉のトマトソース煮)と和えてみただけですが。
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バイラム休暇最終日♪♪♪♪

2005-11-25 20:00:10 | 


ツアー最終日、ツアーの行程表では今日の予定はイズミルへ戻るのみ。時間はたっぷリあるので帰路にあたるDalyan(ダルヤン)へ行くことに。ダルヤンもオフシーズンとあって今は静かな観光地。ダルヤン川を行くボートツアーに参加しました。川岸にはアジアのどこかの国かと見間違うほどボートがひしめき合っており、その一艘をガイドさんが交渉してレンタル。20名ほどで1人3YTL(約250円)でした。釧路湿原を思い出させる葦原の中を進むと、対岸に紀元前9世紀頃つくられたと言うカリアの主要都市であったカウノスの劇場やリキア式の岩窟墓が姿を現します。



アヒルの親子やdalyanlar(ダルヤンラル=魚を捕るやな、川をせき止めて魚を捕る仕掛け)も見えます。dalyanlarがこのダルヤンの地の名前の素になったのでしょうか。橋の両側でおじさんが網を手に船が通るたびに上げたり降ろしたり・・・。



船はiztuzu(イズトゥズ)海岸へ。ここは海水と淡水が出会う場所、そしてiztuzuの名前の由来はtuzizu(塩の跡)、つまりあまりにも海岸の砂が細かくてきれいなので波が寄せるたびに潮の跡を残すことからこのように呼ばれる様になったそうです。



ガイドさんの説明によると、地中海地方は他の地域に比べて刑務所経験者(?)の割合がとても高いそう。かつては一家に1人は刑務所帰り、なんてこともあったそうです。その理由は、遺産相続。どこの国も同じ、この辺でも男子にはお金になる農耕地を、女子には使い途のない海辺の土地を残していたのだそうです。ところが時代は変わり、今や地中海は海外からも注目のリゾート地と言うことで海沿いの土地の値段が急騰!相続をした娘の夫と農耕地を相続した息子の間での争いが勃発!トルコでは、悲しいかな争いとなるとすぐに刃傷沙汰に発展するわけで不名誉な刑務所経験者率のアップに貢献してしまったようです。

こんな話も聞きながら、とうとうあっという間の4日間は過ぎ一路イズミルへ向かいました。因みに往路は霧で見えなかったCINE(チネ)の奇岩。夕暮れの中でしたが、巨大な亀のような形をした岩がいっぱい。数千年後にはカッパドキアのような観光地になるかもしれません。

今回ほぼ初めてとも言える、地中海への旅。今まではヨーロッパ人でいっぱいの巨大リゾート地、と敬遠していました。私の住んでいるエーゲ海と同じ海の風景なのですが、地中海は自然も観光地としても成熟した大人(?)の雰囲気がありました。松の木が多いのですが、11月と言うのに新緑のような美しさ。車窓を眺めるだけでも心が洗われるようでした。日本の景色を思い出させるような情緒にあふれ、また行きたい!それもシーズンオフ限定!と病み付きになりそうな予感です。


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バイラム休暇3日目♪♪♪

2005-11-23 21:57:17 | 
3日目も雲ひとつない青空がひろがり、気温もだいぶ上がってきました。この日はホテルからバスで10分ほどのOludeniz(オリュデニズ)へ。ここの海岸は地中海屈指の美しさと言われるとおり、ほかに表現が見つからないのがもどかしいのですが「まさにエメラルドグリーン」の水の色。国立公園内とあってシャワーや更衣室、トイレの設備も完備されています。11月とあってツアーのメンバーは誰も海に入らないので逡巡していた夫ですが、意を決して海パン姿に。そして海へ飛び込んだまま集合時間まで出てきませんでした。それ程水は素晴らしく気持ちがよかったそうです。海の中で魚達が足をツンツンと突っついたとか。





オリュデニズは、パラグライダーでも有名らしく近くの山から弧をえがくパラグライダー達が海岸へと飛んでいました。ツアーの中にイズミルの大学の先生がいて、ご自身の大学のパラグライダーチームについて薀蓄を述べられていました。

 パラグライダー見えるかなあ。

次の目的地はkayakoyu(カヤキョイ=岩の村)。ここはオスマントルコ時代にキリスト教系オスマン人が住んでいたそうですが、第一次大戦後の住民交換の折にギリシャに住むイスラム教系ギリシャ人と交換されたそうです。キリスト教系オスマン人の人数の方が多かったため、この村はそのまま廃墟となってしまったそう。2000戸あまりの石造りの家がそのまま残されており、フレスコ画や庭に敷き詰められた美しいモザイクがきれいに残った教会もありました。



この村はどの家も他の家の影にならないようにとの配慮がなされているそうです。



最後にフェティエの町に戻り、フリータイム。港を歩いたり市場に行ったりチャイを飲んだり思い思いの時を過ごしました。それまでに聞いていたのかもしれませんが忘れていた夫の過去!10年ほど前、テレコム(トルコのNTT) の仕事をしていた夫はフェティエの電話線の架線もしたそうで「ここの線は自分が引いた」とか「ここに寮があった」とか「このホテルの電話線は自分達が引いた」などなど懐かしそうでした。でも10年で驚くほど変わったフェティエの町、そして「自分も10年で変わったもんなあ」としみじみ感傷にふけっている夫でした。

こんな紅葉を見るのは久しぶり。

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おめでとう紀宮様!

2005-11-19 23:03:09 | Weblog
少し遅くなってしまいましたが、紀宮様のご結婚、遠くトルコにいても海を越えて嬉しいニュースは届きました。友達が「ああ、日本の王女様が結婚したね、おめでとう。でも60㎡のアパートだってえ?」と60㎡にいたく反応していました。トルコ人にとって60㎡はかなり狭目。特に王女様なのにかわいそうと思ってしまうようです。トルコでの一連の儀式についての新聞報道とそれを読んだ読者からのコメントが面白かったのでのせてみようと思います。つたないトルコ語訳はご勘弁を!


サライ(宮殿)からアパートへ
愛の為に称号を捨ててサライから離れることに同意した日本の皇室のたった一人の娘サヤコ王女は、昨日伝統的な儀式により父である天皇アキヒトと母である皇后ミチコに別れを告げた。
民間人として人生を続けるサヤコのもっとも大きな支えになるのは60㎡のスタジオタイプの住居に住む将来の伴侶である。

(中略)

普通おとぎ話は貧しいながらも美しい若い娘がハンサムな王子様と結婚することでめでたしめでたしとなる、日本の現代のおとぎ話では宮殿のたった一人の娘である王女様サヤコが40歳の公務員の婚約者と結婚する為に称号を捨て平凡な生活を始める。サヤコもついに一般の国民と同じように控えめなアパートでの生活、地下鉄に乗ること、車の運転、料理をすることが必要となる。

(中略)

都庁で都市計画プランナーとして働く40歳のヨシキクロダと結婚して称号を放棄することに同意したサヤコには先月、質素な民間人としての生活に慣れる為の一時金として130万ドル分の支払がなされた。

(中略)

生活で何が変わるか
宮殿のかわりに中流のアパートで住む。花婿候補は母親と60平米のアパートに住んでいる。

夫婦は一般に中間管理職層たちが居住している東京の北部にある目白のアパートの一室で住む予定である。

リムジンつきの生活は終わる。今から車の運転を習っている、地下鉄に乗ることも必要になる。

夫に料理を作ることになる。特に中国料理を初めとする料理を習っている。

買い物は自分ですることになる。サヤコがある友人に「マーケットで買った荷物はどうやって運んでいるのですか」と尋ねたことがあるそうだ。

称号がなくなる。苗字を取得する。本来の名前がノリノミヤである皇女はサヤコクロダさんとなる。

夫の稼いだお金で生活する。公務員である花婿の年収は6万ドルと推定される。

読者からのコメント

・わかりません。この人たちは宇宙人なのでしょうか。びっくりです・・・。

・天皇と皇后はとても優れた道徳の持主とお見受けしました。ブラボー、称号が全てではありません。

・「正統」であると言われる人々に対して心酔する何万人もの人がこの世界にはいる。このまったく具にもつかないことがあるおかげでいまだに王様、ハン(オスマン朝の王の称号)そしてシェイフ(イスラム教団の長)が民衆を支配できるのだ。でも彼らもまた人間、器官が多いわけでもなんでもない。

・この男性が民間人ならば、お姫様とどうして幼馴みになれたのだろう。

・ほらね、日本というのはこういう社会なのです、お見事ですこの女性・・・。まだまだ彼らから習わなければならないそれは多くのことがありますよ。

・勇気あふれる娘さんだ、お見事・・・。

・○○さん(一番目のコメントをした人)に心から賛成します。

・ほらね、本来の王制とはこうなのです・・・。

・信じられないような愛を勝ち取られました。

・彼女のお幸せを祈ります。勇気ある決断は愛情がありさえすれば、何も言うべきことはありません。当初はむずかしいこともあるでしょう、もちろん、でも人間慣れないことはありません。

※11月14日付Hurriyet新聞より抜粋
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バイラム休暇2日目その2♪♪

2005-11-17 23:20:50 | 
カシュへ向う途中サクルケント渓谷まで続いていると言われるKaputas(カプタシュ)の海の色を見てください!



カシュにはAntik Tiyatoro(古代劇場)があります。収容人数約4,000人、ガイドさんの説明によるとこのような古代劇場の収容人数×10が当時の人口だったとか。だからカシュ=古代Antiphellos(アンティフェロス)の人口は40,000人もいたということになります。ちなみに現在のカシュの人口は8,000人。
劇場の眼前には真っ青な海、そしてギリシャの島々が間近に見渡せました。近眼の私でもメガネをかければ島にある家々が見える程の近さ。ツアーの人々はガイドさんに「あの島は我々のものか?奴ら(ギリシャ人)のものか?」といちいち尋ねていました。地図で見ると本当にギリシャ本島よりもトルコにくっついているような島々。小さいとはいえ領土、漁場のことを考えるとやられた!という感じです。



夏はヨーロッパ等からの観光客で賑わったと思われるカシュもようやくふだんの静けさを取り戻したと言ったたたずまい、お土産屋さんの並ぶ通りもひっそりとして猫が日向ぼっこをしていました。

この片足のあげ具合がなんとも粋です。

カシュの町並み。

カルカンはオスマントルコ時代にKalamaki(カラマキ)と呼ばれ、ギリシャ人が多く住んでいたそうです。今は港へと続く坂道のあちらこちらに豪邸が建ち並ぶリゾート地となっていました。



駆け足で廻ったカシュ、カルカン…というのもガイドさんの心の中では、行程にはないもののフェティエに戻る途中でパタラ海岸に寄り、沈む夕陽を見せようと言う心積もりがあったようです。パタラの海岸は海がめの産卵地としても有名、幅の広いビーチは18kmも続いているそうです。どんどん赤く染まっていく空を見ながらバスを降り、小走りで海岸へ。まさにその時太陽は地中海に沈んでいきました。

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ISPANAK BOREGI (ウスパナクボレイ=ホウレン草のパイ)

2005-11-16 05:20:39 | イズミル暮らし・イズミル案内


昨日のブログに「お料理上手の友達の作る絶品のパトゥルジャンボレイ」と書いたので、せっかくなので今日彼女が作ってくれたボレッキを公開します。ボレッキは小麦粉で作る薄いユフカという皮の間にひき肉やチーズ、野菜などを入れて層にして焼くパイのことです。
今日はものすごく新鮮なホウレン草があったので、パトゥルジャン(ナス)ではなくウスパナク(ホウレン草)で作ってくれました。
彼女はもともとはアルバニア人、ご両親の代に家族でトルコへ移民してきたそうです。兄弟姉妹はみな透き通るような瞳の持主、その子供達もガラス玉の様な水色の瞳をしています。



私がボレッキを作る場合は、ユフカは「ユフカ屋さん」から買いますが、彼女はユフカから手作りで作ってくれたので、それはもう美味しいパリパリの出来上がり、写真のように「ヨーグルトをかけ手づかみでオーブン用の盆から食べるのがアルバニア風よ!」と言っていました。このお盆、直径50cm位あるのですが、集った5人でほぼ完食!ごちそうさまでした。

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KalburaBasti (カルブラバストゥ=ふるいを踏んだ!?)

2005-11-14 22:41:47 | 料理


明日はちょっとした集まり=お料理上手な友達が作る絶品のパトゥルジャンボレイ(ナスのトルコ風パイ)を食べる会(?)があるので私も何か持って行こうとkalburaBastiと言うお菓子を作りました。この楽しい名前のお菓子はその名前の通りふるい(私はおろし器を使いました)に生地を押し付けて作ります。意外と簡単で「トルコのお菓子を作ったぞ!」と自我自賛できるのでお薦めです。

材料
ヨーグルト  1カップ
食用油    1/2カップ
マーガリン(溶かしたもの) 1/2カップ
砂糖     1/2カップ
重曹     1tatliスプーン
 ※(トルコのお菓子を食べる時用のスプーン=日本のティースプーン位)
小麦粉    3.5カップ
卵黄     1個分(上に塗る)
つぶした胡桃 1チャイカップ

シロップ用として
砂糖     3カップ
水      3カップ

作り方
①ヨーグルト、食用油、マーガリン、砂糖、重曹、小麦粉をよく混ぜて30分間寝かせる。



②くるみ大の生地をおろし器またはふるいの上で広げ、胡桃を一つまみのせてふるいの模様がつくように押し付けながら包む。



③油を塗った鉄板に並べて卵黄を塗り、180度~200度のオーブンで色づくまで焼く。(うちのオーブンで20分位)



④シロップを作り、出来上がったものにまんべんなくかけ、冷やしてから食べる。 Afiyet olsun!
 ※シロップの砂糖はトルコ人向けなので適当に量は加減してみて下さい。
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バイラム休暇2日目その1♪♪

2005-11-11 22:32:21 | 


2日目は昨夜の祈りが聞いたのかピカピカの晴天。冷たい風も頬に心地よいくらいです。バスが出発するとすぐに5分の「バッカル(トルコのコンビニ、musmulaさん語によるとよろず屋)休憩」がありました。バッカルでツアーの面々はタバコや水、新聞を購入、そしてバスが動き出すやいなや多くの人が新聞を読み出したのにはびっくり。ツアーのメンバー28名のうち女先生が4名、母・息子ペアが3組、あとは全部ご夫婦でした。



今日の行き先はTurkuvazさんのブログで拝見して以来、行きたくて仕方がなかったSaklikent(サクルケント)。サクルケントとは「隠された町」という意味でAkdaglar(アクダーラル)山脈に横たわる全長18kmの渓谷です。板敷きの歩道があり、その下にはかなりな急流、木々の緑とあいまって大好きな奥入瀬渓谷が思い出されます。歩道があるところはわずかでその先は水の中を対岸に渡るのですが、シーズンオフと言うこともあり誰も渡る人はおらず、サンダルを用意していた私達もすごすごと退散。今度は暑い時に来よう!
サクルケントの入口にはお土産もの屋さんや川岸に座ってチャイやギョズレメというトルコ風クレープ(具はチーズや挽肉など)を食べさせるところがあり、私達もそこで休憩。ぽかぽかと暖かい日を浴びながら川で泳ぐアヒルをかまいながら、のどかなひとときでした。



次はカシュ、カルカンへ向います。だんだん打ち解けてきたバスの中、運転手さんがCDをかけた途端、女先生3人組が耐え切れずに(?)と言うか待っていました!とばかりに立ち上がり踊り始めました!これぞトルコ旅の醍醐味?CDが終わってもバスの中はカラオケボックスと化し、女先生たちのワンマンショーはツアー終了!まで続くのでした。



ちなみに写真の女先生は翌日曲目リストを作成してバスに、メモを片手にマイクを放しませんでした。
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バイラム休暇1日目♪

2005-11-10 20:39:36 | 

30日間続いたラマザンが終わった11月3日早朝、今にも降り出しそうな空模様を気にしながら今回参加する「フェティエツアー」の集合場所へ向いました。総勢28名の参加者+ガイドさんと旅行社の面々が驚くことに誰も遅れることなく集合。定刻の7時半には出発となりました。
途中大きな墓地があるのですが、まだ8時前だと言うのに墓地の入口には花屋がびっしりと並び墓参りをする人でいっぱいでした。トルコの墓参り風景を見るのは初めてで、感動のあまりシャッターチャンスを逃してしまいました。

今回のツアーは地中海西部のフティエを基点に遺跡や自然を見ながらオリュデニズ、カシュ、カルカンまでを廻ることになっています。
イズミルから進路を南にとると間もなく雨が降り出しました。奇岩が見えるというCINE(チネ)の辺りは一面の霧でした。最初の休憩地点のGOCEK(ギョジェク)に到着。ここは先の首相、大統領となったトゥルグトオザル氏のお気に入りの保養地だったそうで、小さいながらも豪華ヨットが停泊するヨットハーバー、雨にぬれたすずかげやブーゲンビリアがしっとりとした日本の秋を思い出させてくれました。

バスは一路フェティエへ。フェティエは紀元前450年頃のリキアの古代都市Telmessos(テルメッソス)として繁栄していたそうですが、1958年の大地震によりその面影はあちらこちらに残る岩窟墓や石棺でしのばれるだけになってしまったようです。
フェティエの町はすぐうしろに山を控えそこに紀元前350年建造のイオニア式神殿風アミンタスの岩窟墓がありました。そのすぐ横にはアミンタスの妻や子供の墓、その下にはシンプルな当時の庶民の墓も見られます。

雨はいよいよ本格的に降り、気温も低いのでバスから降りて岩窟墓を見学する人も半分くらいでした。多くは車窓見学、早々にホテルへ向いました。
ホテルはOvacik(オヴァジュク)村にあるAymera Hill Resortと言う三ツ星ホテル。客室はアパートのような棟が10ほどありフロント、レストランは別棟になっています。前日まで半袖でプールでも泳げるほどだったそうですが、雨のせいで気温が急に下がったこと、そしてバイラムツアーの大量のお客さんに暖房やシャワーのお湯が対処できないという不手際があったものの、トルコ人の皆さんが大声で文句を言うこともなく静かに夜は更けていきました。眠る頃には雨も上がり、夜空を見上げると雲の合間に星が見え、明日の「日本晴れ(?)」を期待して眠りにつきました。
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