イサベイジャーミー
夕べ12時半頃お風呂にはいっていると電話のベルが鳴っていました。こんな遅くに何事?とドキドキしていたらテイゼ(夫の叔母)からで、「サッカーのワールドカップで日本女子が優勝した」との知らせでした。アメリカと決勝と言うことは知っていたのですが、まさかトルコで生中継をするとは思ってもいなかったので、実は忘れておりました・・・。お風呂からでてすぐにTVをつけたらちょうど表彰式のシーン、外見や動きがまるで少年の様だけれど撫子達の美しい笑顔、泣けました。
セルチュク様式のおもかげが
ブログ、さぼり気味です。暑くて・・・。日本はいかがですか?節電の夏、きっと通勤大変だろうなあと家の中で暑さに悲鳴を上げているのが申し訳ない。イズミルの日差しは本当に首筋や腕がじりじりと音を立てて焼けるように感じます。買い物やお出かけは午前中にできるだけ済ませるようにしています。
聖ヨハネ教会からイサベイジャーミー
大分前になりますが、コウノトリがたくさんいたSELCUK(セルチュク)の街、かつてはギリシャ語で「神学者ヨハネ」をあらわす「アギオス・セオロゴス (Agios Theologos)」と呼ばれたり、オスマン帝国時代には「アヤスルウ(Ayaslug)」、そして1914年にはかつてこの地を支配していたセルチュクトルコにちなんで「SELCUK(セルチュク)」と言う名で呼ばれるようになりました。
セルチュクにあるエフェスの遺跡は10回以上行っていますが、セルチュクの街自体は通り過ぎるばかり。ましてや街のど真ん中にこんなに立派な遺跡が残っているとは・・・。
街には古い水道橋の遺構が残っていたり、緑豊かな公園があって、それほど新しい高層ビルもないせいで落ち着いた古都のたたずまい。ISA BEY CAMII(イサベイモスク)も本当に街の中心に位置しています。アイドゥンの君主によって1375年に建てられました。19世紀にはキャラバンサライ(隊商宿)として使われていたこともあったそうです。
セルチュクの城壁
このモスクに隣接してSt.Jean Kilisesi(聖ヨハネ教会)があります。聖ヨハネは、晩年にエフェスへやって来てここで福音書を書いたと言われているそうです。セルチュクの街が一望できる教会の北側にある城壁はセルチュクの街のどこからでも見ることができるのですが、現在閉鎖中でした。
やったー!
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