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イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

KARABEL GECIDI HITIT KABARTMASI(カラベル峠ヒッタイトレリーフ)

2010-10-26 16:09:54 | 

工事の埃があがるKARABEL峠。

日中はまだ半袖でも暑いくらいのイズミルですが、あっという間に10月も後半、日本は紅葉が美しい頃でしょうか。日本からの友達と出かけた場所についても書かないままあっという間に月日は流れていきます。

さくらんぼ狩りやボンジュク村へ行くたびに通っているKEMALPASA(ケマルパシャ)市のKARABEL GECIDI(カラベル峠)、ここにヒッタイトのレリーフが残っているとある本にあり、いつもどの辺かなあと思いながら通リ過ぎていました。今回は「ここ」と目標を定めて行くことに。春からこの峠は4車線にする為の工事が続いており、一度通っただけで埃だらけになるわ、タイヤがパンクするのではと心配になる悪路です。


高さ2.32mだそうです。

インターネットで調べた入り口への目印も工事の為に撤去されたのか何もありません。聞くお店も歩いている人もいないし、通る車もまばら。やっと見つけたピクニック場の管理人さんに聞いてみると、「山道に入る階段が少し見えるのでそれを見逃さないように」と。行き過ぎた道を戻ると確かに木の枝に隠れて階段がわずかに見えました。そこから木々をかき分け山道を登ること10分。このレリーフが眼前に現れました。


上にいる人間と比べると大きさがわかりますか?

何もない、ただこのレリーフのみ。紀元前1250~1220年頃おそらくトゥトハリヤ4世またはアルヌワンダ3世の時代、ある戦いの勝利を記念して作られたものだとか。村人によると昔はこの向かい側の山の斜面にも同じようなレリーフがあったと言われているそうですが真偽のほどは…。それにしても標識も何もない所によくも3000年もの間残っていたものです。この白いものはペンキなどではなく自然に変色したもののようです。


立つ場所もないようなところにあるレリーフ。

その後ヒッタイトは滅びていくわけですが、3000年前のKEMALPASAはどんな都市だったのでしょう。このレリーフは知っているのですね。







10月30日(土)朝8時半「にじいろジーン」でイズミルが紹介されます(フジTV ・関西TV系)。
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☆現在のイズミル☆



YESILDERE SELALESI(イェシルデレ滝)

2010-09-05 00:45:15 | 


日本はまだまだ残暑が厳しいようですが、イズミルはここ2・3日急に涼しくなってしまい拍子抜けしています。もちろん日中の気温は30度を越し、外を歩けば汗をかきますが家の中にいると海からの風が気持ちよく、靴下をはくほど涼しいのです。



トルコにもガイドブックの類はありますが、日本のものの様に懇切丁寧ではないし、よほど有名なところでない限り地図と首っ引きで探さないとなかなか行き着くことができません。YESILDERE SELALESI(イェシルデレ滝)、またの名をAGLAYAN KAYA(アーラヤンカヤ=泣く岩)もそんな場所でした。地下のパムッカレから再びパムッカレ方面に戻り北へ40kmほど村から村へ細い道を走るとHOCANIN YERI(ホジャヌンイェリ=先生の所)と言う看板が現れます。その看板の先にこの滝はありました。



日本でも景勝地が茶店に入らないと見えないところにあることがありますが、ここもそう。でも広い場所なので別に何も注文しなくても自由に入ることができます。50mの高さから流れ落ちるイェシルデレ滝は冬には雨水の影響でその幅が6mにもなるそうです。樹齢300~400年の巨大なプラタナスの樹の根から流れ落ちるようにも見えます。





自然の景観にまあまあマッチするように木造の屋台がところどこにありそこに座って養殖している鱒を食べることもできます。





水の音を聞くだけで涼を呼びます。木陰の屋台で足を延ばして座りチャイで一服していると、滝を見ていた時から遠巻きにして興味津々で私たちに注目していた少女達のグループの中から勇気のある数人が近寄ってきました。私には目もくれず(なんでー?)、友人(日本人)を全員が目をきらきらしながら見ています。そして「コニチワ!」「彼女はトルコ語しゃべれますか?」と。彼女たちは夏休みに近くの村のモスクで開かれているコーランクラスで一緒に学んでいるそうで11歳から15歳位の少女達、その日はピクニックに来たとのことでした。






本日のイズミル湾。ヨットの競技会が開かれているようでした。
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☆現在のイズミル☆



KAKLIK MAGARASI(カクルック洞窟)

2010-08-31 16:05:52 | 
 ※記事下に洞窟の様子のビデオを掲載した為、音声が流れています。気になる場合はPCのボリュームを下げて下さい。



パムッカレ小旅行の二日目、前からどこにあるのか興味があった「第2のパムッカレ」「地下のパムッカレ」と呼ばれる「KAKLIK MAGARASI(カクルック洞窟)」へ向かいました。パムッカレから45kmのHONAZ(ホナズ)と言う町にあります。地図を頼りに進んでいくとあたりはセメント工場が広がる殺伐とした光景、こんなところにあるのかしらと不安になった頃、「KAKLIK MAGARASI」の表示がありました。



洞窟の入り口で入場料を払って階段を降りると流れ落ちる水の音ともに岩ツバメのような小さな鳥が洞窟の天井を飛んでいます。足を進めるにつれ迫力のある石灰棚が見えてきました。
この場所にこのような地下の洞窟があったことは、最近知られるようになったそうで洞窟の天井が崩落したことによって発見されました。1999年にトルコを襲った大地震の際に発見されたとも言われています。





一般に公開されるようになったのは2002年のこと、近くにある温泉からの石灰を含んだ水がこの洞窟へ滝の様に流れ込むことでパムッカレの様な棚を形成しているそうです。石灰棚も上から滴り落ちる水の影響でできた鍾乳石も形成し続けています。





世界遺産のパムッカレが幾分人の手が加えらるようになったのに比べてこのKAKLIK MAGARASIは、まさにパムッカレの原型、かつてのパムッカレもこのように勢いよく水が流れていたのだろうかと想像することができます。





洞窟の半分ほどは日の光が入ってくるので水に浮かぶ藻が深緑でとても幻想的です。洞窟の中は冷蔵庫の中に入ったようにひんやりと涼しく、石灰棚の異様に目を奪われながらしばし涼をも楽しむことができました。パムッカレへいらっしゃることがあったらぜひもう一足延ばして「KAKLIK MAGARASI」を訪れることをおすすめします。







洞窟の様子のビデオです。水の音が涼しい・・・。

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☆現在のイズミル☆



PAMUKKALE(パムッカレ)

2010-08-17 15:24:32 | 


猛暑のイズミル、週間予報を見ても38度以上の日が続いて息切れがしそうです。しかも11日からラマザン(断食月)が始まりました。静かに引き篭もりの日々を送っています。
でも先週は楽しい1週間でした。大学時代の友人が突然のイズミル訪問をしてくれたのです。「今年はトルコ行きは、きつそう」とメールが来た4日後、急展開の訪問決定でした。



彼女のイズミル訪問は5年ぶり、当時まだ幼稚園にも行っていなかった姪っ子ビルテンがすっかり大きくなったことにびっくり。ビルテンは以前からPAMUKKALEへ行くのが夢でした。友人も久しぶりにPAMUKKALEを見てみたいという希望、これはちょうどよいとビルテンを連れて1泊でPAMUKKALEへ行ってきました。片道約250KM、炎暑の中をまたまた疾走でした。



以前は南口と北口がありましたが、現在は北口のみ。北口からヒエラポリス(Wikipediaヒエラポリス‐パムッカレ←クリック)の遺跡を見ながら石灰棚へと歩くのもよし、15分おきに運行しているシャトルバスに乗るのもよし。私達は日差しをさえぎるものの全くないヒエラポリスの遺跡をくらくらしながら歩きました。石灰棚が近づいたところには以前来た時にはなかった公園が整備され、人工の川が流れて水着姿の人達が足湯状態で休んでいました。その水はとても柔らかく疲れた足に優しく一気に疲れが飛んでいきました。







ビルテン憧れのPAMUKKALE石灰棚!いつも物静かで感情をあまり表に出さないビルテンが「HARIKA(ハリカ=すばらしい)!」と何度も歓声を上げて久しぶりに無邪気な子供時代に戻ったような顔を見せてくれました。





20年前に初めて訪れてから5回目の訪問になりますが、何度来てもその偉容には圧倒され、自然がなす不思議に驚かされます。暑さにヘロヘロになりながらも、同じものを見て同じ感動を分かち合える人達との旅はいつもいいです。







イズミルからパムッカレへの沿道には季節の果物を売るスタンドが並びます。
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☆現在のイズミル☆



BEYPAZARI(ベイパザル)

2010-07-24 13:25:42 | 


「カマン・カレホユック」へ行った帰りはアンカラを通って、アンカラから北西へ約100キロのBEYPAZARI(ベイパザル)へ寄ることにしていました。
2006年にこのブログへバトンなるものが回ってきた時の「行ってみたい所」と言う質問にも「トルコのベイパザル」と答えていたので、念願のBEYPAZARIです。



BEYPAZARIはヒッタイト、フリギア、ローマ、ビザンス、セルチュク、オスマントルコの時代にも栄えていたそうでかつては「KAYA DORUGU ULKESI(岩の頂の国)」と言う意味を持つ「LAGANiA」と言う名前で呼ばれていたそうです。





古い家並みが残っていることで有名なBEYPAZARIは2001年から「ベイパザルプロジェクト」により3500軒あるベイパザルの古い家のうち今日まで550軒を修復し、古から現代への野外博物館の趣をなすようになりました。

そろそろBEYPAZARIかなと思いながらカーブを曲がるとかつての名の通り岩肌にはりつくように建っているかわいらしい家々が見えました。この家は基礎の壁部分は石で、それ以外は木で造られており、その上を漆喰で覆っています。家の最上部分は完成しないまま残されているそうで、これはBEYPAZARIの人々が「世の中にはやるべきことがたくさん残っている」ことを強調する為なのだそうです。




メインストリートには人参のオブジェが。

BEYPAZARIの名産は古い家並み、銀細工そして人参・・・町のメイン通りに並ぶお店もこのように昔の建物を模して造ってあります。町の一角には銀細工のアトリエが集まる場所があったり、商店街を歩くと生の人参を搾って飲ませてくれるスタンドが出ており私たちも一本購入。



昼食は、古い商店街の中心にあって大流行りのお店へ。トルコ人観光客が次から次へと訪れてBEYPAZARI名物に舌鼓。私は他にも食べたいものがあったのに、夫が同じ名前の別のもの(内臓系のもの)と勘違いして断念、リベンジしなければ・・・。お手洗いの前にも古い道具などがさりげなく飾ってありました。



 

 
アイラン(塩味のヨーグルトドリンク)もジョッキで。

気の向くまま町の中を歩き回っていると、ぽっかりと時間の止まったような一角、そこには炭火でチャイを沸かしているという茶店が。汗だくだけれど、座って熱いチャイを飲めば不思議と汗がひくのがトルコ、隣り合ったおじさんの「昔はモスクでお祈りが終わると皆小さなパンを持ってきてはここでチャイを飲みながらパンをかじったものだよ」と言う話が聞けるのもトルコならではです。




トルコのおじさんは絵になります。
 
何しろこの日のうちにイズミルまでたどり着かなければならなかったので、せっかくのBEYPAZARIも駆け足観光。入ってみたいお店や食べてみたいものもたくさんあるのにせかされるように歩いてきました。この日15時頃の街頭の電光温度計によれば気温43度!今度はもう少し涼しい時にゆっくりと歩いてみたいものです(いつも同じことを言っているような気がしますが)。







お土産も駆け足で・・・。もっと欲しかった~♪
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☆現在のイズミル☆



カマン・カレホユック考古学博物館開館式

2010-07-13 17:27:30 | 

7月のトルコの大地にはひまわり畑がどこまでも広がります。

トルコの首都アンカラから100キロあまり、中央アナトリアのクルシェヒル県にあるカマン郡に日本の中近東文化センターが1985年以来発掘作業を続けているカマン・カレホユック遺跡があります。1998年には付属機関としてこの地に「アナトリア考古学研究所」が設立されました。所長の大村幸弘氏のご著書「鉄を生みだした帝国―ヒッタイト発掘」(NHKブックス)には、永年にわたるトルコでの発掘の様子が生き生きと描かれており、考古学素人、歴史音痴の私をもわくわくとヒッタイトの世界へと導いてくれます。以前日本の日土協会の総会で大村氏の講演を聴く機会があり、その素朴で誠実な人柄と、壮大なヒッタイトへの想いに感動したものです。



中近東文化センターの現総裁である三笠宮寛仁親王殿下はよき理解者でいらっしゃり、何度もトルコへツアーを率いていらっしゃったり、スポンサー獲得にもご尽力なさっていました。このカマンの地に日本政府の一般文化無償資金協力約4億3600万円を投じて「考古学博物館」が建設され、7月10日に開会式が行われました。JIKAD(日本イズミル文化交流協会)もツアーを催行しようという案があったのですが、色々な理由で断念。





私が以前住んでいたチョルムはかつてヒッタイト王国の支配下にあり、ヒッタイトの遺跡が多くありました。ボアズカレやヤズルカヤ、チャタルホユックなどを日帰りで訪れることができました。日本が発掘作業を続けているカマン・カレホユックはチョルムからも少し遠かった為、いつか行きたいと思い続けていた場所です。今回の開館式はまたとないチャンスと思い切って出かけることにしました。





土曜日の早朝4時にイズミルを出発、カマンに到着したのは約12時間後の15時半過ぎでした。開館式は18時開始の予定です。会場準備がトルコらしくのんびりと続いているので「アナトリア考古学研究所」に併設する「三笠宮記念日本庭園」を散策しました。開会式に訪れた村人達もたくさんいます。目が合うと微笑んで「いらっしゃい」「こんにちは」と声をかけてくれたり「ほら」と何も言わずに手に持っていたバジルの葉をくれたおばちゃんもいました。


「カマンの夕日」を指揮する神津善行氏。


博物館入口でテープカット。

トルコの文化観光省エルトゥールル・ギュナイ大臣に続き、三笠宮寛仁親王殿下、彬子女王殿下が日本からのツアーご一行とともにご到着で式が始まりました。
まずは日本、トルコ両国の国歌斉唱。行事の前にトルコの国歌を聞く機会は何度もありましたが異国の地で聞く「君が代」は初めてでした。大臣と寛仁親王殿下の祝辞に続き、「トルコ共和国大統領府交響楽団」によるコンサート、博物館開館テープカット、博物館見学、パーティで開館式は終わりました。


博物館見学に殺到する人達。




手で触れることのできる展示物もあります。

招待客500名が小さなカマンの村に集まり、ずいぶん華やかで盛大な開館式でした。村の人達はピクニックにでも来た様な気安さで楽しんでいたようですが、子供の頃から発掘作業にかかわり今ではウスタ(職長)になって後進の指導にも当っている村出身の人々や若き日本の考古学者たち、そして大村所長の功績無しにはなかったであろうカマンカレホユック考古学博物館の開館であるはずなのに、彼らの紹介はなく姿もほとんど見られなかったことが唯一残念に思いました。



コンサートの最後にトルコ初演として演奏されたのは神津善行氏作曲の「カマンの夕日」と言う曲でした。会場を後にして広大な景色の中を車で走っているとちょうどカマンに夕日が沈んでいきました。







カマンの町にはこんな道路標識も。「PRENS MIKASA CADDESI(三笠宮通り)」
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☆現在のイズミル☆



URGANLI VE BAYINDIR(ウルガンルとバユンドゥル)

2010-05-06 00:02:12 | 

芥子の花。

日本のGWも終わりですね。連休明けのお仕事に憂鬱になっている方も多いのでは。5月1日はトルコも昨年から「EMEK VE DAYANISMA GUNU(労働と連帯の日)」の祝日となったので普段は土曜日は半日出勤の夫も2連休になり、1泊小旅行に出かけることに。昨年行ったBAYINDIR(バユンドゥル)のフラワーフェスティバルがちょうどこの時季なので今年も!でも温泉はちょっと違うところへ行きたいなあと調べてみるとお隣のMANISA(マニサ)県URGANLI(ウルガンル)と言う村に鄙びた温泉がありました。


有数の葡萄の産地であるマニサ、葉っぱも美味しそうです。


牛と羊の群れが通り過ぎるのを5分は待ったでしょうか。ものすごい大移動でした。

うちからURGANLIまでは80キロ余り、幹線道路から村への道を入って7キロばかり行くと地元の旅行業組合の様なところが経営している「URGANLI KAPLICALARI(ウルガンル温泉)」がすぐに見つかりました。広大な敷地にアパート風、長屋風、ロッジ風なそれぞれの宿泊棟と小さなマーケットとピデ(トルコのピザ)屋さんがあり、部屋にはキッチンもあるので長期療養の目的で来る人は自炊をしているようです。ここには大浴場はなく部屋に温泉を引いた大きなお風呂があります。来ている人もお年寄りが多いようです。





近くにはそれほど見て歩くところもなさそうなので車で25キロほどのMARMARA GOLU(マルマラ湖)に行ってみました。幹線道路以外ですれ違う車はトラクターのみ、どこまでも続くブドウ畑の中を走ります。本当にたどり着くの?と思い始めた頃きらきらと輝くマルマラ湖が見えました。日本だったらホテルやおみやげ物屋さんが並ぶ格好の観光地となりそうなロケーションなのに、ここにはなーんにもありません。観光地どころか湖畔にも畑が広がりたくさんの若い女性が畑仕事をしていました。







一軒だけ湖からの渓流沿いにレストランがあると、唯一とあるトルコ人のブログで読んでいたのですが、偶然看板を見かけたので私達もそこに向かいました。ここはSAZAN(サザン=鯉)料理が有名だそうで、鯉はちょっとーと思っていたそのブログのトルコ人も「目の前に出てきたら無言でむしゃぶりついた」と書いてあった通り、私達も普段なら選択しないであろう鯉に挑戦してみるとこれが絶品!大きな鯉丸ごと一尾を揚げてあるだけなのですがとても軽くて完食!お値段も良心的!で大満足でした。






注文すると鯉をつかまえるところから調理が始まります。

 
2人分の鯉を頼む勇気がなかったので1人分はキョフテ、これも美味しかった。

翌日BAYINDIRまでは直線距離で60キロ余りの道を山越えです。表示もろくにない山道なので何度も迷ったりひき返したり人に聞いたり写真を写したりでたぶん3時間位かかったでしょうか。でもこの山道がまた手付かずの自然がこれでもかこれでもかと目の前に現れて飽きることがありませんでした。名前も知らない花や深い松の緑、そう言えば学校のときに習った「柱状節理」の岩場もたくさん見ることが出来ました。




山道を走ってようやく下界が見えてきました。


オリーブがかわいい実をつけていました。

やっとのことでたどり着いたBAYINDIRのフラワーフェスティバル、最終日と言うこともあってか去年より人出も花も数も少なかったような気がしました。


てきぱき働き者の小さな花売り君。

暑くて日差しも強くくらくらしてきたのでアンネ(義母)やテイゼ(夫の叔母)、義妹にそれぞれ鉢植えを買って帰ってきました。少し早いけれど母の日のプレゼントです。






なんですか~?
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☆現在のイズミル☆



YAGMUR、YAGMUR、YAGMUR(雨、雨、雨)・・・。

2010-02-12 23:28:35 | 

この日はイズミルの中心部も洪水状態でした。

イズミルはこの冬は雨ばかり降っています。去年のこの時期の約2倍の降水量だそうです。イズミルの天気は本当に予想がつかず、青空が見えたと思ってもまたすぐに次の雨雲がやってきて洗濯物を外に干したり取り込んだり忙しいのです。


雨の中どこへ行くのでしょう。

先日の日曜日も朝から土砂降りの雨、さすがにこんな日は家の中でおとなしくしていようと思っていると夫が「出かけようか?」と聞いてきました。行き先も決めず車に乗り込むと市内の道路はいたるところで冠水して川の様。イズミル市内を抜けお隣のマニサ県へ、マニサ市を抜けても戻る気配もなく車は走ります。イズミルからイスタンブルへ通じる国道を100キロも走ったでしょうか、AKHISAR(アクヒサル)と言う街にはいってしばらくすると急に車をUターンさせました。入ったところは国道沿いのガソリンスタンドに併設のキョフテ(肉団子)屋さん。



行く先を決めていないと思ったのは私だけで、夫は前からこのAKHISAR名物のキョフテを食べに来ようと思っていたのだそうです。
国道沿いにAKHISARキョフテ屋の看板はたくさんあるけれど、一番駐車してある車の多い店を選んだそうです。そしてこれが大正解。KOFTECI RAMIZ(キョフテ屋ラミズ)は、この雨の中でも大はやりでした。


キョフテを焼くところを写していたらポーズをとってくれました。

マケドニアに住んでいたラミズ兄弟は幼い頃に両親を亡くし、おばあちゃんと一緒にアクヒサルに住んでいたおじさんを頼ってトルコへ来ました。イスタンブルで兵役をする傍らレストランで修行をします。そのうちにアクヒサルに戻り、マケドニアの街角で売られていたキョフテをもう少し洗練させたものにし、街の中心部に小さなキョフテ屋を開いたのが1928年のことでした。そのうち今回私達が訪れたイズミル-イスタンブル国道沿いにもお店を開くと、お客さんの数も増えアクヒサルキョフテの名前がトルコ中に知られるようになったのです。


これが名物アクヒサルキョフテ。ぷりぷりしていてジューシーです。

お客さんが途切れることがありません。定番のアクヒサルキョフテとサラダ、デザートを選んでサービスのチャイやコーヒーを飲んだらおしまい、ずいぶん回転のよいレストランです。サラダはサラダバースタイルで新鮮な野菜や前菜が食べ放題、自家製のドライトマトやピクルス類、デザートも種類豊富で目移りします。デザートには大好きなトゥルンバをチョイス。激甘でしたが美味しくて何日たってもその味が思い出されます。


これで一人分、特大トゥルンバ。

アクヒサルは農業が盛んで、中でも煙草の葉やオリーブ、ぶどうはトルコ有数の産地として知られています。まだまだ寒い日が続いていますが、確実に春の訪れを感じさせてくれる畑の緑を眺めながらのドライブでした。


お天気は悪いですが、アクヒサル平野に広がる畑の緑が美しい。


日本から戻って早くも1ケ月半が過ぎようとしています。すっかりさぼり癖がついてしまってやっとブログの更新をすることができました。いつもこのブログの様子を見に来てくださったり、心配してメールを下さった方々、どうもありがとうございました。そろそろ冬眠から目覚める頃ですね。これからもよろしくお願いいたします。






イズミルの救急救命チームはトルコ代表として参加した
国際冬季救急ラリー・ポーランド大会で見事優勝!

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ARKEOLOJI VE ETNOGRAFYA MUZESI

2009-10-24 09:44:39 | 

KONAK広場の眺め。下方の緑の中に両博物館があります。

昔々、北海道の釧路に住んでいた頃の友達が娘さんと一緒にイズミルまではるばる遊びに来てくれました。一年の300日は晴天と言うイズミルで5日間の滞在中3日雨がぱらつくと言う幸運(?)に恵まれた友達親子。私達のおすすめプランで近郊をドライブしたり市内で買い物をしたり…楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。


ARKEOLOJI MUZESI(考古学博物館)

最終日、空港へ行くまでの短い時間でしたが、美大生の娘さんの希望でイズミルのARKEOLOJI VE ETNOGRAFYA MUZESI(考古学博物館と民族博物館)を訪れました。イスタンブルのトプカプ宮殿博物館や考古学博物館に比べたら規模も小さく訪れる人もわずかですが、数年前に訪れた時に比べると多少は整備され、そしてイズミル近郊の遺跡もかなり訪問した後だったので私にとっては結構面白い博物館探訪となりました。


美しいモザイク。現在1階と地下の吹き抜け部分に大きなモザイクの復元作業が進められていました。
完成が楽しみです。


考古学博物館には猫もいました。紀元前の彫像の間をちょろちょろ駆け回ったり足元で寝ていたり、でもそれが驚くほどの時を経てきた彫像にとてもよく似合ってかえって2000年と言う時間の流れを実感することに。展示品のほとんどはイズミルの市内の聞きなれた地名から発掘されたものばかり。改めて積み重なる歴史の上に住んでいるんだなあと感激でした。

 
右の像の足元にも猫がうずくまっています。

朝9時の開館間もない時間に行ったので、係員もまだ新聞を読んだりチャイを飲んだりトルコらしくのんびりと朝の時間を過ごしている様子、展示室によってはまだ電気が着いていないところもあり「電気つけてくださーい」と言いながらの鑑賞でした。

 
クロノメザイ遺跡から出たと言う石棺。模様がとても美しい。



この上の写真は、紀元前50~30年のアスリートの像です。当時ギリシャとエーゲ世界で行われたオリンピックでは1位となった選手の像が作られていたのだそうです。この像の主もそんなアスリートの一人だったのでしょう。


ETNOGRAFYA MUZESI(民族博物館)

民族博物館はネオクラシック様式で入り口に螺旋階段のあるおしゃれな建物です。ここを見るといつも神戸の異人館を思い出します。ここでは主に19世紀のオスマン時代の生活の様子、衣裳、道具などが展示されています。建物は1831年にペスト専用のセント・ロック病院として建てられたそうです。その後貧しい人たちを助ける組織や厚生省に使われ、1987年に現在の民族博物館となりました。


ハマム(公衆浴場)用のサンダル。螺鈿細工がきれいです。


型染めのカタを作る職人。

オスマン時代の家具調度、生活様式にはとても興味があり、こんな調度の家に住みたいなあといつも思っているので古ぼけたマネキンや衣装に囲まれてここで過ごす時間は私にとってはとても贅沢な時間です。




昔の薬局の調度類がそのまま寄贈されていました。


考古学博物館と民族博物館はKONAK(コナック)広場のすぐ近くで両館が同じ敷地内に建っています。2009年10月現在、入場料は両館共通で8TLでした。イズミル観光コースにはあまり入っていない博物館ですが、歴史を感じながら静かな時間を過ごすには意外とおすすめの場所かもしれません。





サマータイム終了!10月25日(日)の早朝4時に1時間戻ります。
日本とトルコの時差は7時間になります。

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