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イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

CLAROS(クラロス)

2009-10-19 08:40:10 | 


前回のMAKET KOYの帰り道、ここもいつも通るたびに「何だろうねえ」と思っていた「CLAROSまで1キロ」の標識、思い切って向かうことにしました。一面の畑の中の道を走って到着したCLAROS、畑の中からいきなり現れたのは神殿風の柱がごろんごろんと転がる遺跡でした。



発掘途中の様ですが、訪れる人も管理する人も誰もいません。恐る恐る足を踏み入れると、見事な柱や彫像がたたずんでいました。歴史音痴の私でも大興奮。イズミル周辺にはイオニア時代の都市が点在している為、このところイオニア同盟づいています。イオニア同盟とは「紀元前800年頃、アナトリア半島のイオニア地方(現トルコ)の諸都市を中心に結成された同盟(Wikipediaより)」です。これまでエフェスはもちろん、FOCA(フォチャ)ERYTRAI(エリュトライ)KLAZOMENAI(クラゾメナイ)PRIENE・MIRETUS(プリエネ・ミレトス)と6つの遺跡を訪れました。今回訪れたCLAROSはCOLOPHON(コロフォン)に属する一種の神託所の様なところだったそうです。COLOPHONの13km北にあります。アポロン神殿はDELPHI(デルフィ)やDIDIM(ディディム)の様に予言センターとして長い間重要な役割を果たしていました。



 
この下にもう一つのアポロン神殿が・・・。

神殿ではアポロンの彫像の他に妹アルテミスや母親のレトの彫像も発掘されていることからアポロンだけではなくアルテミスとレトへの崇拝の場所でもあったと考えられているそうです。立っているのがアルテミスとレトの彫像の様です。アポロンの彫像はは座っているのだそう。


神託所の案内でも描いてあるのでしょうか。


水の底に沈んでいる遺跡もあります。

紀元前2世紀に始められたこのアポロン神殿の建設は3世紀に完成しましたが、この神殿の下にはアルカイック時代に属するもう一つ別のアポロン神殿が眠っているのだそうです。





どれだけの歴史が私達の足元に眠っているのでしょう。イオニアの都市を考えただけでも、はるか昔にこの都市の間で今と変わらぬ人間の交流があり、そして2000年以上が過ぎて、今その同じ土の上を車を使って移動している自分、まるで時を翔けているような気分になりますね。






巨大なかぼちゃを積んだトラック。
トルコだからハローウィン用ではなくてもちろん食べるため。

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☆現在のイズミル☆


MAKET KOY(マケットキョイ=模型村)

2009-10-14 00:33:13 | 


イズミルから約100キロ、エフェス遺跡の近くにこの「MAKET KOY」はあります。以前TVでチラッと見て以来ずっと行きたいと思っていたのに近くまで行っても場所がわからなかったりで機会がありませんでした。今回別の場所へ行こうと思っていたのですが、行く途中でMAKET KOYの入り口を発見、ついに念願がかないました。




KUNDRACI(靴屋さん)。


KALAYCI(錫細工屋さん)。

この村はAYHAN CETIN(アイハンチェティン)さん個人の博物館です。AYHAN CETINさんは1940年にKONYA(コンヤ)県のAKVIRAN(アクヴィラン)村で生まれました。1959年までこの村で教育を受け、その後数学と理科の教師としてトルコ各地で教職につきました。定年後1988年からこの場所で小さな人形を作ることから始めた作業は、次第に生まれ育ったAKVIRAN村の1950年代の伝統や生活を再現する模型となり、ついに2000年にこの地で博物館を開くに至ったのです。人形と風景はAYHANさんが、衣服やその他の細々とした道具などは奥さんのNAZMIYE(ナズミイェ)さんの手によるそうです。







インターネットなどでこの村のことを見てはいましたが、実物を見るとそのすばらしさに今まで来なかったことを後悔しました。入り口を入った瞬間、子供の頃に戻ったような興奮を全身で感じたのです。


塀の上にのっている木の枝は、夫曰く「雨が日干し煉瓦にしみこまないように樋の働きをしている」のだとか。


割礼の様子。左側に逃げ出す男の子が見えますか?


DEMIRCI(鉄屋さん)。

外には、鉄屋、仕立て屋、靴屋などの店舗や村の家を再現した等身大の模型があります。見学者が来るとセンサーでそれぞれが作業を始めるのです。ここだけでも十分驚きでしたが、室内の展示室に入るとさらに興奮。こちらは手のひらほどの人間が村のさまざまな場所でそれぞれの生活を送っています。


KANDILという特別な日には子供たちが棒を持って家々を回ります。BIZIというお菓子をもらってこの棒に挿します。


AYICI(熊屋)が村に回ってくると、人々は熊に背中を踏ませました。背中の痛みが治るのだそうです。


この遊び、小さい頃しませんでしたか?名前は何だったかなあ。トルコでは「UZUN ESEK=長ロバ)。

農作業をする人たち、庭で麦をつく人たち、結婚式のある家、孫と写真屋さんで記念撮影をするおじいさん、割礼式の日にはお父さんと小さな息子が順番を待つ横で、逃げ出す子供もいます。庭に座り込んで家事をするおばさんや村の広場で四方山話に精を出すおじさんたちの声まで聞こえてきそうです。ここまで!とびっくりするほどすべてが細部まで再現されており、AKVIRAN村に行った事もないのに村のにおいや音、風までが感じられるのです。


素焼きの鍋を泥で作る人。


お隣さんにバクラヴァのおすそ分け?


糸屋さんが来たようです。

ある人は幼い日を思い出し、ある人はおじいちゃんやおばあちゃんを思い出し、ある人はまったく見たこともない新しい世界を見たかもしれません。私もあたかもまだ見たことのない自分の村を訪れたような時をすごしました。また訪れる日が今から待たれます。


写真屋さんで記念撮影する人の後ろのスクリーンには「AKVIRAN村の思い出」と書いてあります。


これだけの展示室に村のすべてが・・・。

小さな写真では雰囲気の一部もお伝えできないと思いますので、今回は初の試みとして「デジブック」に写真を入れてみました。スライドショーでご覧になることができます。興味のある方は下の写真をクリックしてみてくださいね。






デジブック 『MAKET KOY1』

デジブック 『MAKET KOY2』

    
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☆現在のイズミル☆


Andiさんご夫妻との週末

2009-07-06 17:06:30 | 


この週末は我が家から90キロあまりKARABURUN(カラブルン)半島のMORDOGAN(モルドアン)へ。ここにはいつもブログにコメントを残して下さるイギリス在住Andiさんと素敵なイギリス人のご主人のサマーハウスがあります。去年の10月にいらした時に初めてお目にかかり、とても楽しい時間を過ごしたのがまだ記憶に新しいのですが、今回は2週間のトルコ滞在の貴重な2日間を私達のために割いてくださいました。



日本語・トルコ語・英語での会話で無口になる夫ですが、最初にお目にかかって以来お二人の大ファン、旦那様のTさんが大好きでずいぶん前からTさんに電球の中に入った船を作るんだ!と言っていました。そんなものどうやって作るんだろうと本気にしていなかったのですが、訪問1週間前くらいから少しずつ作業を始めついに完成!まさかこんなものを作るとは、これまた想像していなかったのでびっくりしてしまいました。やるなあ…。到着するなりTさんにプレゼント、喜んで下さったようでよかった、よかった。



  


近くの村で美味しいギョズレメを食べたり、買い物に行ったり、Andiさん家の素敵なキッチンで一緒に夕飯を作ったり、昔からのお友達のよう、2度目に会ったとは思えませんでした。




村のCESME(チェシュメ=水飲み場)

旦那様のTさんは普段は食器洗い担当、チキンの串刺し作業も黙々とこなしていらっしゃいました。本当に爪の垢ください…。



翌朝はAndiさんのリクエストと夫のお二人にあの景色を見せたいと言う希望が一致した「ILDIRのマンザラカフェ」で朝食。いつもは混んでいるのに、この日は特等席が空いていて、またあのすばらしい風景を独占。Tさんも「天国にいるみたいだ」と言って下さって私たちも嬉しかった~。





すぐ近くにある古代「ERYTRAI=エリュトライ」の遺跡へも。毎回トルコへ来るたびにエフェソスの遺跡へ行きたい行きたいと思いながらどうしても機会が巡ってこないと言うAndiさんご夫妻、「エフェソスへ行くよりここのほうがよかったねえ」と言って下さったTさん、私たちを喜ばせるのがお上手です。



最後にはお二人のサマーハウスの近くの海水浴場にも行きました。透明でウニ!もたくさんいる海!!!すっかり日に焼けて心地よい疲れとともにあっという間に過ぎた二日間の休暇でした。





帰りは高速でスイスイ…だったのですが、最後の料金所が大渋滞、結局3時間近くかかって家にたどり着きました。でもそこから見えた月の出がきれい~。



またAndiさんご夫妻が次回トルコにいらっしゃる日が今からもう楽しみな私たちです。





Andiさんのおはぎ美味しかったよ~!
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☆現在のイズミル☆



KEMALPASA KIRAZ FESTIVALI(ケマルパシャ さくらんぼ フェスティバル)

2009-06-11 00:04:17 | 

始まる前からすでにこの熱気。

2年前に「さくらんぼ狩り」でもご紹介したトルコで有数のさくらんぼの産地「KEMALPASA=ケマルパシャ」、6月7日は毎年恒例のKIRAZ FESTIVALI(さくらんぼフェスティバル)がありました。


屋台には欠かせない特大「ドネルケバブ」。

日本の感覚で「さくらんぼ祭り」と言ったら、各農家が手塩にかけたさくらんぼの品評会や試食会、そして地元の「ミスさくらんぼ娘」コンテストなどがメインになるのでは?と想像している私が古いのか…、ケマルパシャのサクランボフェスティバルはかなり有名な歌手2人のコンサートがメインの様でした。




うちの地区のパザルと変わらない値段でした。

会場までの道のりは普段のパザルに似た屋台が並んでいますが肝心のさくらんぼはわずかでとうとう買いそびれてしまいました。




望遠レンズで写してやっと見ることができましたー。

コンサート会場も、メインの場所に入れるのは関係者のみ、その他の庶民は周りの石段に座ったり立ったり…、もうここで私たちのテンションは結構下降気味。
それでも何とか最初のフォークソンググループ、子供たちの民族舞踊、さくらんぼ農家の表彰、ミスさくらんぼだけは見て会場をあとに。




上は「さくらんぼ農家の表彰」、下は「ミスさくらんぼ」コンテストの様子。

KEMALPASAの人たちは、私たちが帰る頃も、それから始まる歌手目当てにピクニック道具一式持って(!)どんどんと押し寄せていました。

 
前回ご紹介した生のNOHUT(ひよこ豆)片手にフェスティバル♪

そして市中にあるさくらんぼの卸市場では、そんなお祭りはどこ吹く風で次々と農家からさくらんぼがトラックで運び込まれていました(写真写しそびれ…)。




ステージが遠くたって見えなくたって音楽が聞こえれば盛り上がります。

ケマルパシャを出てすぐ近くにあるNAZAR KOY(ナザルキョイ)と言う小さな村、村に入ると、さくらんぼとオリーブの木々の間に小さな家々、その他には何もない普通のトルコの小さな村です。ところがこの村には隠れた別の顔があるのです。この村に住む子供たち、そして高齢者を除くほとんどすべての男たちはBONCUK(ボンジュク=ガラス玉)作りをしているのです。





1950年にエジプトからイズミルへBONCUKがもたらされました、それを見た村人の一人がイズミルからこの村へBONCUKを紹介したのです。最初は馬につける飾りのBONCUKを作っていましたが、今では女性のアクセサリーはもちろん、家の飾りにいたるまで流行っているものなら何でも作るようになったのだとか。





男性がBONCUKを焼き、女性はそれを使ってアクセサリーを作って村の広場で売ります。おかげでこの村では都会への若者の流出がほとんどないのだとか。村の壁や、家の入り口はBONCUKでこんなにかわいらしく飾られています。私も姪っ子2人に小さなお土産を買って帰ってきました。






お土産のブレスレット。
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☆現在のイズミル☆



ILDIR VE ALACATI(ウルドゥルとアラチャトゥ)

2009-05-27 00:01:20 | 


真っ青な空が広がる日曜日、ジャポンゲリン(日本人嫁)お友達のまめさんご夫婦と一緒にILDIRとALACATIへ出かけました。去年訪れて以来そのMANZARA(マンザラ=景色)のとりこでいつも「行こう行こう」と言っていた夫の希望によりまずはILDIRのMANZARA CAFE(マンザラカフェ)でKAHVALTI(カフヴァルトゥ)。


食べかけですみません。真ん中に見えるのはPAZI(パズ=不断草)のギョズレメ、これが美味しかったー。

ここは夏季のみの営業で5月から週末のみ営業を始めたところです。表現が見つからないほど美しい海の色にゼラニウムの花が映えていました。すごい食欲できれいさっぱり平らげて向かうところは、私達は去年訪れた古代「ERYTRAI=エリュトライ」の遺跡。遺跡への道はエンギナル(アーティチョーク)が大きく育っていました。さすがILDIRは「エンギナルのふるさと」と呼ばれるはずです。去年訪れた時は良く見えた円形劇場も草が生い茂って階段が隠れるほどでした。

ここからALACATIへ向かうまで海水浴場が続くのですが、5月というのにもうすっかりここは夏?という光景で普通にビーチパラソルと泳ぐ人たちで一杯でした。今回の私の密かな目的はALACATIの街。ALACATIは風車で有名ですが最近はリゾート地として急に脚光を浴び始めています。





1850年頃、この辺りの葦の湿原の整地の為に周辺の島々からギリシャ人の労働者が連れて来られます。彼らはせっかくの広い土地の利用を知らないトルコ人を尻目にブドウ栽培、ワイン製造を始め、土地に慣れてしまうともう自分たちの島へは戻りませんでした。ALACATIの港はぶどうとワインの製造工場が作られこの辺は発展します。ところが1914年にバルカン戦争により、移民たちが戻ってきてしまうと定住していたギリシャ人はすべてを捨ててSAKIZ ADASI(サクズアダス=キオス島)へと去ってしまいます。結局この辺りにせっかく根付いた産業も出戻りの移民たちはそれを生かすことができず廃れてしまったということです。その名残がこの粉引き小屋だったのですねえ。





小さな街の中心部へは昼間は車の進入が禁止になっており、こんなにかわいらしい街並みが…。ALACATI特有の石を使った建物はしゃれたカフェやレストラン、ブティックなどに改装されています。「ここはどこ?」と本当に思いました。





トルコでもないしヨーロッパでもない、トルコを代表するリゾート地ボドルムやクシャダスよりも小さいけれど、もっとさりげなくおしゃれで客引きの声もまったく聞かれませんでした。ここは旦那達は放っておいて女同士でゆっくりと歩きに来なければいけません。おしゃれなカフェでお茶と思っていたのに、男性二人は即行いつも行く様な茶店でチャイをオーダー…で終わりました。





最後に向かったのは、ILDIRとは反対の南側の入り江「CARK VE PIYALE KOYU(チャルク ヴェ ピヤレ入り江)」。ここはガイドブックに白い不思議な形をした岩場の写真が載っておりずっと見てみたいと思っていました。視界が開けるとそこは「ウィンドサーフィン天国ALACATI」とはここだったのかとやっと納得の光景が。





日本の実家のある街もウィンドサーフィンをする人でにぎわうところなのですが、入門コースなのかこことはまったく違う!ウィンドサーフィンってこんなにスピードと迫力があるものなのですね、あの日本の海でのそのそ動いているものはなんだったのでしょう。





見ているだけで十分興奮してまた少し車を走らせると誰もいない入り江にたどり着きます。ここがあの写真で見た白い岩場です。








砂の上にかもめの足跡。

風の街ALACATIと言う通り、強い風と波とここ特有の地質により白い岩たちは長い年月を経て不思議な形に彫刻されました。シーズンオフのせいかカモメたちの天国。平らな岩場をロッククライミング状態で歩きました。


まめさん夫妻。

家からこんなに近いところで、すっかり旅をした気分が味わえるイズミルっていいところです。まだまだ隠れた穴場はたくさんあるはず。心地よい疲れと日に焼けた顔をお土産に帰途につきました。







大きなエンギナルの花。
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☆現在のイズミル☆


花の街BAYINDIR(バユンドゥル)

2009-05-12 00:02:07 | 


今回BAYINDIRを行き先に選んだのは、近くて温泉があること、そしてたまたま5月1日から3日までの予定で「BAYINDIR CICEK SENLIGI(バユンドゥルチチェッキシェンリィ=花フェスティバル)があったからです。





最近イズミルの街並みを花でいっぱいにしようと道路もこんなにきれいに花が咲いています。この花はすべてBAYINDIRから。観光資源や産業もあまりないBAYINDIRを応援しようと市長が購入を約束をしたのだとか(選挙用?)。





BAYINDIRの街境を越えるとすぐに道の両側に花農家が続きます。特にこの季節のせいかもうどの農家も出荷間近なバラやマリーゴールド、ブーゲンビリアなど鮮やかな花が満開でもうそれだけで顔が笑顔になってしまいました。


市役所もきれいに飾りつけ。


会場になっているメインストリートを上から眺めると・・・。

BAYINDIRの街のメインストリートがフェスティバル会場となり花農家、園芸会社、各自治体などがブースを出していました。私達は結局3日間毎日会場を歩いて美しい花の色々を堪能しました。


やる気があるんだか…無心でひまわりの種をぽりぽりしていました。



花を買う人、花以外にバザーのように色々な団体がお店を出し、また普段のパザル(市)や移動遊園地も出て3日間BAYINDIRの街は大賑わいだったようです。



 
これはOSMANLI MACUNU(オスマンルマージュヌ)と言う色のついた飴。

ただこの日程をインターネットで調べても市役所のサイトにスケジュールが載っているわけでもなく、コンサートや子供たちの民族舞踊の発表もあったらしいのですが、いつどこで何が行われるかまったくわからなくて偶然に期待するしかありませんでした。


この地方の衣装なのか、ある年齢以上のおばあさんがこの縦縞模様の
スカートと染め模様のある紺色の長いスカーフを着ていました。




役所の人らしい人にたずねても「聞いてないなあ」と言われるし…。どうやら放送で「何時からどこそこで○○が始まります。皆さんどうぞ奮ってご参加下さい」と言っていたようです。





フェスティバル会場の通りを山の方へ登っていくと大きなジャーミー(イスラムのモスク)が見えます。ここはHACI SINAN CAMII VE MEDRESESI(ハジ シナン ジャーミー ヴェ メドレセスィ)と言って19のKUBBE(クッベ=モスクのドーム)を持ち1544年に建設が始められたそうです。修復されたジャーミーの後ろには木造のMEDRESE(ジャーミーに付属したイスラム学院)が今は使われていない様子で残っていました。







この街もほんの10分歩いただけでこんなに古い街並みが姿を現します。家の前に座り込んでおしゃべりをする人、ドアの横につながれたロバがいたり、一日歩いていてもきっと飽きないでしょう。






自分のお土産にシャコバサボテンとオジギソウを買いました。
オジギソウのトルコ語はKUSTUMで「私は拗ねた」。お辞儀をする日本人とすぐに拗ねちゃうトルコ人?

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☆現在のイズミル☆



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TIRE(ティレ)

2009-05-09 00:07:06 | 


DEREKOYU ILICALARI(デレ村温泉)での2日目、夫が「TIRE KOFTE(ティレキョフテ)を食べに行こう」と提案。もちろん異論はありません。下調べなしだったのでまたもや行き当たりばったり!



昨年の10月に日本から来てくれた友達と一緒に訪れたTIRE、その時は街中がパザル(市)となり、街の様子をゆっくりと見る機会はありませんでした。







パザルの屋台が出ていない街の中は静かで前回見た賑わいはないけれど、古い家並みが残る通りを気の向くまま歩いていると古いモスクや朽ち果てたようなHAMAM(ハマム=トルコの公衆浴場)が見えてきます。


現役のHAMAM。


こちらは今は使われていないHAMAMの女湯入り口。

一間口ほどの小さな銅製品を作る工房、素焼きの鍋や銅製品を売る小さな商店が目に飛び込んできます。







前回友達が夢中で買い込んだOYA(オヤ)を売っていたあたりはがらんとしていますが軒から色とりどりのスカーフなどがぶら下がってやっぱり見ているだけで楽しくなります。





アーチ型のドームを持つHAN(ハン=隊商宿)を思わせる建物が見えたので立ち寄ってみると、教職を定年退職したというおじさんが「どうぞどうぞ上も見ていってください」と案内してくれました。



TIREはシルクロード華やかなりし頃は、銅の集散地だったそうでこの建物も銅を取引する建物だったのだそうです。今は改修が始まり、NEY(ネイ=葦笛)、HAT(イスラムのカリグラフィー)、MINYATUR(ミニャトュル=細密画)などを学ぶことができる文化センターを目指して元先生はがんばっていらっしゃるようでした。





歩き回ってお腹もすいてきた頃、このHANのすぐ裏に見えたTIRE KOFTEの文字!一つのお店かと思って行ってみると、4・5軒のTIRE KOFTE屋さんが軒を連ねトルコ版「元祖」「本舗」の戦いを繰り広げているようでものすごい客引き攻勢でした。
一軒のお店に落ち着くとメニューも何もなくいきなり「何人前にしますか?」ときました。「え?何食べるの?」とこちらが聞くと「TIRE KOFTEです」と返事。どうやらメニューはKOFTEのみで勝負のようです。
店頭でコックさんが串に刺したKOFTEを焼き、それを火にかかっているたっぷりの溶かしバターの中にしばしつけると出来上がり!トマトとマイダノズ(イタリアンパセリ)と一緒にお皿に盛り付けられてサラダとヨーグルト、パンと一緒にサービスされます。TIRE KOFTEというのは塩と挽肉だけで作られているのだとか。



イズミルからもただTIRE KOFTEを食べるためだけに70キロの道のりを来る人がいるのだそうですよ。私達はDEREKOYUから約15キロを車で走って食べに行きました~。






TIREは牛乳、ヨーグルト、バターなどの乳製品が美味しい!
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DEREKOYU ILICALARI(デレキョイ ウルジャラル=デレ村温泉)

2009-05-04 10:54:32 | 


日本はゴールデンウィークですね。つつじや新緑、そして青空に鯉のぼりが映える季節でしょうか。イズミルも季節が足ぶみしながら春から初夏への移り変わりを楽しんでいるようです。



日本にいる時からGWなどの長期連休とは無縁だった私、トルコに来てもやっぱり縁がないというか、祝日出勤はもちろん土曜日も半ドンの夫です。先の地方選挙の前から5月1日のメーデーを祝日にしようと言う声が上がり、そういうことは即決断のトルコ、「EMEK VE DAYANISMA GUNU(“労働と連帯の日”とでも訳しましょうか)」となりました。さすがに夫の会社も休みになったので土曜日にお休みをとって久しぶりの3連休!



前日までどうなるかわからなかったので、近場ですぐ行けるところを密かに調べていました。計画した行き先はイズミルより80キロあまりのBAYINDIR(バユンドゥル)。ここに鄙びた温泉があるというのです。ただホテルなどはなく湯冶場のような宿が数軒あるのみらしい。しかも自炊・・・。




宿の庭にいた元気な鶏のお母さんとひよっこ達。

まあ2泊ですから朝食セットと電気湯沸かし器、簡単な食器を用意して出かけました。日本にいた時はホテルの予約はもちろん電車の時間にいたるまで調べて行かないと不安でしたが、トルコ生活7年目にもなるとさすがに調べたくても詳細な情報などないトルコのペースを受け入れて、宿も予約なし。



BAYINDIRの街を通り過ぎて7キロあまり、オスマン風な石橋を眺めながら渓流沿いに進むとプラタナスや桑の木の新緑が美しい村に到着です。村の中には数軒の温泉施設とピデ(トルコのピザ)屋にバッカル(何でも売っている)、パン屋に肉屋があるのみ。




村のメインストリート。

部屋にはベッドに冷蔵庫にミニキッチン、大きなバスタブのあるお風呂があります。連休のせいか結構イズミルナンバーの車が多く止まっていました。



村の中を写真を写しながら散策していると、どこからかおじさんが飛び出してきて自分の庭の中を見せてくれると言います。庭といっても広大な畑。おじさんはBAYINDIRの街に住んでいるのですが週末はここへ来て自分たちで食べる野菜を育てているのだそう。芽が出たばかりのトマトやたわわになっているそら豆、青いスモモやバラの花をくれたり・・・。畑の境界線にあるという温泉の源泉にも連れて行ってくれました。





この日はちょうど大臣が来村するということで、畑の中の道を数日前からトラクターでならしたり、おじさんの家に昔からあったと言う井戸も危ないといって埋めてしまったんだそうです。村の入り口には「大臣いらっしゃいませ!」と言う幟まで。そこで「どの大臣が来たんですか?」と聞くと「さあねえ、知らないけど、70歳くらいのおじさんだったねえ」とのこと





100年くらいたつ今は使っていないと言う村の家をも見せてもらいました。数年前まで収穫期には使っていたと言う家の中には埃をかぶったかばんや袋の中にしまってある毛布などがありました。話し相手を見つけてとどまるところを知らないおじさんのおしゃべりでした。



1日目の夕飯は遅い昼食を済ませていたのでBAYINDIRの街のパザル(市)で買っておいたトマトときゅうりとパン、それに持ってきたオリーブやチーズで済ませました。2日目は宿の隣のピデ屋からピデとキョフテの出前!



いつも車で走っていると山あいにへばりついたような村を見ながら「こんな村で住めたらいいねえ」と話します。今回も泊まった村の隣村に立ち寄ってみました。レンガ造りの家が連なる村はかなりの規模、でも半分以上は住む人もおらず空き家のようです。





この村がにぎやかだった頃に来てみたかったなあと思っていると、どこかからおばあちゃんに手を引かれた女の子が出てきました。カメラを向けるとこわばってしまうのですが、愛想がよくてバイバイをしてからもいつまでもいつまでも投げキッスをしてくれていました。



上げ膳据え膳のホテルもいいけれど(もちろんそっちの方がいい!)、こういう素朴な旅も気楽でいいものです。温泉は40度くらいで熱々。カラスの行水の私にはちょうどいいくらいでしたが、ただでさえ長風呂でお風呂の中でいったい何をすればあんなに長く過ごせるんだろうと思うほどの夫はすっかりのぼせて出てきました。でも腰の痛みがすっかり取れたそうです。私も手に湿疹のようなものができていたのですがかなりよくなり、お肌も気のせいかつるつるに。ただうっかりとつけたまま入ってしまった銀の指輪が気がつくと真っ黒に!お気に入りの指輪だったのでショックでしたが家に戻ってインターネットで調べて歯磨き粉で磨くときれいに元に戻りました~。






次回は、2日目に出かけたTIRE(ティレ)の街をご紹介します。
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☆現在のイズミル☆



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ILK BAHAR(イルクバハル=春)

2009-03-24 11:07:19 | 

こちらは桃。

桜の季節ですね。在原業平の「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(この世の中に桜というものがなかったなら、春になって咲くのを待ちわびたり、散るのを惜しんだりすることもなくのんびりとした気持ちでいられるだろうに」という歌が大好きでした。この歌には「散ればこそ いとど桜はめでたけれ うき世になにか久しかるべき(散るからこそ桜は美しいのでしょう、この世に永遠なるものなどありはしないのです)」と返歌があります。皆さんはどちらがお好きですか?




だんだん青空が見えてきました。緑のじゅうたんもきれいです。


途中にあった桃畑。

相変わらず、雨の多いイズミルです。いつも「イズミル便り」にお越しいただきありがとうございます。去年の今頃、桃の花を探し求めていたことを覚えていらっしゃるでしょうか。去年は第3日曜日には桃の花がまだ咲いておらず、第5日曜日にまた出かけたところすでに時季遅し…来年は絶対に第4日曜日に行く!と早々とカレンダーに桃印をつけていた私、すっきりと起きた第三日曜日の朝は青空が広がっていました。ところがだんだん雨雲が広がり9時を過ぎた頃にはザーザー降り…。夫はやめようと言い出すだろうなあ、でもこの雨なら仕方がないなあと思っていると「まだ準備してないの?」との声。「え?行くの?」「この辺の天気なんて当てにならない!」との一言に速攻で準備をして雨の中出発しました。夫の予想通り5キロも走った頃には、青空が見えてきたのです。決行してよかったー。

桃の花を見るのは「シリンジェ村」でと決めていました。夫はその周辺で私が行きたいと騒いでいたレストランを目指していました。予想外に車はクシャダス方面へ向かいます。


トルコのリゾート地として有名なクシャダスを眺める。







肌寒いイズミルですが、リゾート地クシャダスはさすがに初夏の日差しでした。目当てのレストランは、なんと冬季休業中…。池や動物舎のある園内に入ることは自由で他にも私たちのような人たちがのんびりとお散歩をしていました。羊やロバ、ヤギなど子供が生まれていてかわいいー。













さあ、次はシリンジェへ!と思っていたら、夫は「ええええぇ?行くのお?」と不満そう。でも1年間待っていたのです。ガソリン食うけど行ってもらわねば。



ところがシリンジェ村の入り口に広がる桃畑はこんな状態。既に葉っぱが出ています。去年よりも寒いと思っていたのに雨が多かったせいか早く咲き終わってしまったらしいのです。がっくりでしたが、斜面は一面にパパティヤ(ナツシロギク、マトリカリア、カミツレ)の花で覆われ、草の若緑色に映えて本当にきれいです。家々の煙突からはストーブの煙が出ているのに自然はしっかりと春を告げていました。









シリンジェへはもう何回行ったかわからないけれど、この景色と空気のにおいは心にとげとげがあってもツルツルになってしまうような効果があります。







 



胸いっぱいにおいしい空気を溜め込んで帰途につきました。イズミルに近づくにつれまたものすごい雨が降り始めました。雨で前が見えないほど、雹も降り車に穴があくんじゃないかと思ったほどです。大好きな景色を皆さんにもお見せしたくて張り切って写真を写しましたが、見るとがっかりです。でも興奮はお伝えできたでしょうか。トルコの春を少しでも感じていただけたらうれしいです。




つれて帰りたかった子ロバ。
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☆現在のイズミル☆



BIRGI ve TIRE(ビルギとティレ)

2008-11-14 23:28:32 | 


10月に日本から遊びに来てくれた友達との3日間シリーズ、書くのがずいぶん遅くなってしまいましたが最後の一日です。友達の要望により以前ご紹介したODEMIS(オデミシュ)のBIRGI(ビルギ)と言う小さな村にある「CAKIRAGA KONAGI(チャクルアァ コナウ)」と途中にあるTIRE(ティレ)に行くことにしました。


CAKIRAGA KONAGIの全景。前回の記事を見るには写真をクリックして下さい。

BIRGIは、15世紀にGAZI SASA BEY(ガズィササベイ)と言う領主がビザンチン帝国から手に入れた場所で、オスマン帝国の時代にはこの辺りの文化的な中心地となったことや温暖な気候がここの建築に影響を与え、その様式を形成してきたたのだそうです。


GAZI SASA BEYの銅像の背中越しに見たモスクのミナレ(尖塔)。

そんなBIRGIの建物も長い年月を経て放置され荒れ放題のものが多かったそうですが、ここ数年MIMAR SINAN UNIVERSITESI(ミマルシナン大学)や色々なスポンサーのおかげで約80軒の歴史的建造物の改修が終わったと言うことで、木造の立派なお屋敷がたくさんありました。



写真好きの友達はこの日もすぐに迷路へと消えて行きました。後を追う私たちは、おかげで以前来た時には見ることのできなかった趣のある建物を見て歓声を上げることに。


桑の葉を集めていたおばちゃん。家畜の餌にするそうです。

BIRGIを後にして向かったTIRE、ここへは火曜日に開かれるPAZAR(定期市)がお目当て。最近日本でも話題になっているOYA(オヤ)と言うレース編みがあるのですが、友達はOYAが好きで、今年はビーズを使ったBONCUK OYA(ボンジュクオヤ)を買って帰りたいというリクエストがありました。イズミルでももちろんOYAを買えるお店はありますが、せっかくTIRE方面に行くなら有名なTIRE PAZARI(ティレパザル)へ行ってみようと考えました。HURRIYET新聞で毎週金曜日に「トルコの何でもベスト10」のような企画があるのですが、「トルコのもっともオリジナルなパザルベスト10」の1位に選ばれたのがこのTIRE PAZARIなのです。






イズミルからも毎週火曜日には日帰りツアーが組まれるほど。出店数は約1700、何本もの通りの端から端まで出された屋台、こんな小さな街のどこから人がわいてくるのかと思うほどの混雑です。ここには通常の野菜や衣料品に加えて、女性達手作りの手工芸品が並ぶことでも有名です。






OYAだけを買って自分でスカーフの端に縫い付けることもできます。

自分達で持ち込んだ色とりどりのレース編みや毛糸編みの数々が並ぶコーナーではおばちゃん、お姉さん、おばあちゃん達がなかなかしたたかな商売を繰り広げていました。友達も夢中になってBONCUK OYAを選び、しばし時を忘れることに。




商談成立後はすぐにまた編み始めていました。

パザル好きな私としては後ろ髪を引かれるようにTIREを後にしたのでした。ODEMIS(オデミシュ)からTIRE(ティレ)そしてイズミルまでの道路は一面のトウモロコシ畑と綿畑。とうもろこしはそろそろ収穫も終わっていたようですが、綿のほうはまさに収穫期だったようで、真っ白に雪が降ったようでした。




綿の実、見たことありますか?

あっという間で過ぎてしまった3日間。見せたかったもの、連れて行きたかったところ、食べさせたかったもの、たくさんあったのに、心残りがいっぱい。いつも見送った後は寂しさが残ります。また次に会える日までお互い元気でいようね!






車の中から大急ぎで写したトルコの開店祝いの花輪。cakeさーん!
        






☆現在のイズミル☆