秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

十輪寺後編。

2008年03月23日 18時54分29秒 | 旅ゆけば
大原や 小塩(おしお)の山も けふこそは 神代のことも 思い出づらめ

寺内には業平にちなんで、和歌を詠んだ色紙や短冊が多くみられます。
なぜか羽子板も見かけましたが、関連は不明。

↓蝋梅。本当に蝋で造られたような手触りです。
  
なんと、樹齢800年の樟!地蔵菩薩の神力で一夜で大木になったとか・・?↑

  
上の2枚は本当は写真撮影禁止なんだけど、我慢できずに撮ってしまった・・・。すいません。
ちょっと奇怪な瓦です。魔よけの意味なんでしょうが、あまり見たことないです。
(もっともアチコチの屋根を見て回っているわけではありませんが。)

  
この廊下がいいんです。右の柱に人形の浮遊霊が見えますね。嘘、募金箱です。↑
  
本堂と御殿を結ぶ高廊下ですが、その屋根にかかる桜の樹(樹齢約200年)を
守るため、樹医にかかる費用を募金されています。モチロン募金しましたよ。

  
この桜が咲いたら見事でしょうねぇ。いくら募金したって?ようは心です。心。↑

     三方普感の庭→
高廊下、茶室、御殿の三箇所から場所を変え、見る人に様々な想いを感じさせる庭。
縁側に寝そべり、肘枕で見ると良い、と書かれていたのでローアングルで撮影。
少し傾斜があるんですね。

正四位上まで登りつめた業平が、この鄙びた村で晩年を過ごした、という事を不遇
とみるか、静かに詩作に耽ることができ、幸せだったと思うのか、それは本人に
聞いてみないとわかりませんね。

吉峰寺は最近観光客も増えたようですが、その途中にある十輪寺にも足を止めて
みてはいかがでしょうか。と、いっても相変わらず交通の便は悪いし、道は狭いけど・・。

小塩山 十輪寺。

2008年03月23日 10時37分38秒 | 旅ゆけば
このお寺は何度か前を通過していましたし、一度は門前まで来て、拝観料がいるの
かよ~、と引き返したこともありました。

まぁ、20代のころだったし、拝観しても値打ちはわからなかったでしょうね。
  
今なら400円の価値はある、と思えます。

創建は850年、文徳天皇の世。本堂は応仁の乱で消失して、寛延三年(1750年)
の再建。屋根は鳳輦(ほうれん)形という神輿を形どった非常に珍しいものです。

京都市内の古刹は何度かの大火事で消失し、再建されたものがほとんどです。
鄙びた場所だったから、こんな珍しい屋根も残されたんでしょうね。
  

昨日もふれたけど、このお寺は在平業平(伊勢物語の主人公)が晩年に隠棲
し、塩焼きの風流を楽しんだ、ともいわれます。
  
↑塩焼きの釜跡。このあたりを小塩と呼ぶのはその名残だそうです。

塩焼き、といえば能で、東国の僧が源融の廃邸で塩汲みの老翁に出会う話があります。
当事、融は広大な屋敷を構え、池に毎月三十石の海水を運ばせ塩焼きを楽しんだ、
といわれています。(場所は今の東本願寺)

塩焼き、という行為は貴族たちの楽しみの一つだったんでしょうね。

融の亡きあと、この屋敷は荒れ果て、幽霊屋敷となったそうですが、この話はまた
いつかしましょう。(ホンマかいな。)

  

話が迷走(はい、いつもの事です)してしまった、続きは夕方の後編へ。