暇を見つけては転居先探し、今回は西大路丸太町近辺。
前の工房にいたA君がしばらく住んでいた町家をフト思い出して、おぼろげな記憶
を頼りに、探索。
名古屋出身の彼が自転車でうろついていて、貸家の張り紙を発見して格安の家賃で
借りてたんですけど、嘘ダロ!ってくらいの賃貸料でした。
三軒並びの真ん中で、両脇が空家になったら取り壊すので、それまで、という条件
付きだったけど、一応2階も、裏庭もある京町家でした。
今みたいに「町家ブーム」以前の話ですから、そんな「掘り出し物」もあったんですね。
子供時分はそんな家で暮らしてたから良くわかるんですけど、町家というモノ、
けして暮らし易くはありません。
まず、風呂が無い。トイレは外。冬は寒いなどなど。すべてがこうでは無いけど、
立派な商家以外はだいたいこんなモノですわ。
でもなぜか落ち着くんですよね。どんなに狭い居住空間でも床の間があるし、
もう一部屋建てられるのに、庭のスペースがあるって結構大事だと思うんです。
今なら床の間はクローゼットに、庭なんか無くして建蔽率イッパイまで家屋を
広げてしまうんでしょうけどね。
車を停めて「この辺り」、と思える場所を探してみたけど、結局見つける事は
出来ませんでした。多分取り壊して建て替えられたんでしょう。
余り期待したなかったし、ついでに今まで行った事なかった「達磨寺」でも見学
すべぇ。
この場所に達磨寺がある事は知ってたけど、境内に足を踏み入れたのは初めてです。
達磨寺は通称、正式名は「法輪寺」。1727年大愚和尚を開山とし、開基荒木宗禎に
帰依を受けた万海和尚が創立。なんだか開山とか開基とか分り難いけど、由緒正しい禅寺には間違い無い。
十二支が足元をぐるりと取り巻いています。↑
本堂には、わが国映画創業以来の関係者四百余霊がまつられている、と立て札に
書いてありました。どんな関係があるのかは興味はあったけど、また今度調べてみよう。
迷所案内3.で紹介した白幽子の旧墓石もあるそうですが、これは帰ってから
気がつきました。
しかし、こんなコトばかりしてないで新居を見つけなければ・・・。
前の工房にいたA君がしばらく住んでいた町家をフト思い出して、おぼろげな記憶
を頼りに、探索。
名古屋出身の彼が自転車でうろついていて、貸家の張り紙を発見して格安の家賃で
借りてたんですけど、嘘ダロ!ってくらいの賃貸料でした。
三軒並びの真ん中で、両脇が空家になったら取り壊すので、それまで、という条件
付きだったけど、一応2階も、裏庭もある京町家でした。
今みたいに「町家ブーム」以前の話ですから、そんな「掘り出し物」もあったんですね。
子供時分はそんな家で暮らしてたから良くわかるんですけど、町家というモノ、
けして暮らし易くはありません。
まず、風呂が無い。トイレは外。冬は寒いなどなど。すべてがこうでは無いけど、
立派な商家以外はだいたいこんなモノですわ。
でもなぜか落ち着くんですよね。どんなに狭い居住空間でも床の間があるし、
もう一部屋建てられるのに、庭のスペースがあるって結構大事だと思うんです。
今なら床の間はクローゼットに、庭なんか無くして建蔽率イッパイまで家屋を
広げてしまうんでしょうけどね。
車を停めて「この辺り」、と思える場所を探してみたけど、結局見つける事は
出来ませんでした。多分取り壊して建て替えられたんでしょう。
余り期待したなかったし、ついでに今まで行った事なかった「達磨寺」でも見学
すべぇ。
この場所に達磨寺がある事は知ってたけど、境内に足を踏み入れたのは初めてです。
達磨寺は通称、正式名は「法輪寺」。1727年大愚和尚を開山とし、開基荒木宗禎に
帰依を受けた万海和尚が創立。なんだか開山とか開基とか分り難いけど、由緒正しい禅寺には間違い無い。
十二支が足元をぐるりと取り巻いています。↑
本堂には、わが国映画創業以来の関係者四百余霊がまつられている、と立て札に
書いてありました。どんな関係があるのかは興味はあったけど、また今度調べてみよう。
迷所案内3.で紹介した白幽子の旧墓石もあるそうですが、これは帰ってから
気がつきました。
しかし、こんなコトばかりしてないで新居を見つけなければ・・・。