HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

クリスマスパーティー

2019年09月28日 | 結婚生活
自宅に戻って約一ケ月が経った頃、長女が公園に通っていた頃の仲間から
クリスマス会をしようと誘われた。
地域の会館の一部屋を借りて、催すことになった。
主催してくれたのは、保母の資格を持つMちゃんのお母さん。
(保母の資格を持つことは、後に知ることになるのだが)

このMちゃん母は、公園帰りでも数人を自宅に呼び
作った炊き込みご飯をふるったり、とにかく明るく人付き合いのいい人だった。
この人が、のちのち、対する立場の人間になろうとは、まったく思わなかった。

クリスマス会当日。
もちろん、その場所へは二女は連れていけないので、夫にお願いをした。
たっぷり出ていた母乳を定期的に冷凍保存していたので
お腹が減る頃の時間を伝え、解凍のやり方を教え、長女を連れて出発した。

Mちゃん母は、サンタクロースの格好をしていて、セッティングも他の方々でやってくれていた。
プログラムも考えられていて、感心したのを覚えている。
そこで「ほら、Youさん!座ってないで手伝って」と声をかけてくれて
ほかの人との輪に入ることも出来たのだった。

楽しいひと時と、人付き合いというものを少し感じさせてもらって
(ワタシは人との距離をつかむのが下手で、人付き合いは得意ではなかった)
良い気分で帰宅した。

が。

二女がけたたましくぐずっていた。
二女を抱いているのは、祖母。
シンクには解凍したであろう母乳。
夫に問うと
「泣き止まないから、僕の手に負えないと思って。」
という返事だった。

そして、なぜ母乳を飲ませなかったのかと問うと、
 「そんなわけのわからないもの、飲ませられますかいな。
 大事なうちの子に」  
と祖母が言った。

これでは出かけられない。
置いてなど、いけない。
 この時、そう思った。
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二女の育児開始

2019年09月21日 | 結婚生活

実家に帰ってからの子育ては、両親と祖母がいたのでとても楽だった。
完全母乳だったので腹持ちは悪く、2時間半ほどで二女が泣き出すリズムだったのだが。
長女がおとなしく、両親にとても懐いていたので、ワタシもゆっくりと休むことが出来た。
長女の時に実践できなかったことを、二女にはしようと心に決めていた。

母乳に関しては、祖母から逆にやめるように、みたいなことを言われていたけど
おむつに関しては《布おむつにすべき!》というのが祖母の信念だったようで
体力のなかった長女出産後の紙おむつ使用には、祖母から散々嫌味を言われ続けていた。
このことがあったため、実家でも布おむつを使用し、洗濯も手伝った。

夢心地の実家暮らしは、夫にせっつかれ、約一ケ月で終了。
長距離の移動では紙おむつを使ったが、自宅では完全布おむつとした。
布おむつだから、吸収力には優れていない。
布団を濡らすことも、膝を濡らすこともあったけど、
とにかく嫌味を言われることが嫌だったので、自分のことも子供のことも考えず
布おむつにしがみついていた感じだった。

もちろん、子供が増えようが、その分家事が増えようが、夫は気にもしない人だったので
ワタシ一人の負担が増え、ひっきりなしに動いているという状況になった。
それでも、
「バタバタされたら落ち着かないから、座って!」
と言われることもあり、これ幸いと一瞬ゆっくりしたりしたのだが(苦笑)

子供の入浴も引き続き夫がしてくれたのだけど、それはなぜかというと
入浴後の体拭きやおむつ、着替えが夫はうまく出来なかったからだ。
一度、ワタシが子供たちを入浴させた時があったのだけど
夫に渡した後
「やっぱり、僕には出来ない!はやく上がってきて!!」と絶叫されたのだ。

ということなので、もちろん、ワタシが一人入浴しても
「泣いて困るから、早く上がってきて!!」と言われるので
年間通してワタシの入浴時間は、20分になった(苦笑)

その癖は、今でも続いている。

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二人目出産当日

2019年09月14日 | 結婚生活
出産予定日からようやく5日経って、陣痛が始まった。
夜に鈍い独特の痛みを感じ始め、2回目ということもあり
割と気持ちも急くことなく、ゆっくりと迎えられた。
一度ならず二度入院をしているので、出産は経過を見ていた病院ですることになっていた。
(長女も同じ病院だったが、里帰り出産だったため、出産は実家近くの産院だった)

間隔が徐々に短くなってくる。
他に持参するものはないかと、あれこれと動いていた。
水筒にお茶を入れ、次の日の長女の用意をし、うつらうつらしていた。
急に間隔が狭まり、病院に電話を入れて歩いて行った。

病院についたころ、陣痛の間隔は5分を切っていて、慌てて着替えて陣痛室へ。
よりによって、陣痛の痛みがピークの時に、夫は一旦自宅へ帰ると言った。
頷くことしかできず、「もう産まれるから」という一言が言えなかった。

ほどなくして、二女を出産。
しかし、そこに医師はいなかった(苦笑)
ちょうど勤務交代の時間だったためか、当直医も来ず、主治医も来なかった。
助産師が裂けた部分を縫ってくれた。
(今だったら問題になるよね)

おまけに、夫も、いなかった(爆)

二女が産湯につかり(拭いただけかも)おくるみにくるまれて新生児室に向かうとき
朝ご飯を食べ終え、病院にやってきた夫と初対面したのだった(笑)
夫は二女の産声を聞いていない。
これが原因かどうかわからないが、夫と二女の相性は最悪だ(苦笑)

お産も軽く、経過も順調で、長女は当日こそ祖母にお世話になったが
実家から父が迎えに来てくれて、一足先に実家へと旅立った。

ワタシはというと、長女の時に母乳が止まってしまったので、今回こそはと
たくさん食べ、たくさんの母乳を出した。
おかげで3500グラムの子供を産み、4キロ余り減ったはずなのに
体重が減っていないという事実に直面した(笑)

そして、退院後すぐに実家に二女と向かった。
 思えば、この時の実家暮らしが、一番心休まる日々だったのかもしれない。
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目黒事件と重なる自分。

2019年09月12日 |  思いのまま
目黒女児虐待死(リンクあり)は他人ごとではない。
程度の差こそあれ、ワタシの家庭も似たようなものだった。


心理的支配

これほど、恐ろしいものはない。

身をもって体験したから、わかる。

尤も、元夫はそういう認識はなかったのではないかと思う。
ただ単に、自分の思い通りの家庭・人間を作りたかっただけではないか。

そこに、現れたのがワタシだ。

丁度よいことに、ワタシは実家父に恐怖を感じて生きていたから
男性の大声や怒鳴り声に、恐怖で固まってしまうという性質を持っていた。
大きな声を出せば、
ちょっと凄んで見せれば、
しつこく言い続ければ、

ワタシが怯えることは、わかっていたはずだ。

そうやって、徐々に徐々に、ワタシの中に入り込み
自分の理想を切々と訴え、自分の家庭環境によって生じたことを利用し、
ワタシは少しずつ洗脳されていったんだろう。

最初の子供が生まれたころは、まだ自分の意見を言えていたけれど、
段々と、言えなくなった。
言えば、人格を否定され、矛先が子供に向く。
実際に手をあげなくても、言葉の刃で傷つける。

いつの間にか、ワタシは「人のせいにして生きる」ようになっていた。

一番嫌いな、人のせいにして生きることを選んでいた。


自分はこうではなかったはず。
もっと、違うことを出来るはず。

そう思いながら、出来ない環境にいて、自分と子供を守るために
心の中で、人のせいにして生きるしかなかった。

だけども、その生きかたを選んだのも、ワタシだ。

夫の経済力に頼ることを選んだ。
夫を愛する気持ちと憎む気持ちの狭間で、自分と子供の生きる道を両天秤にかけたとき
子供たちに十分な生活と教育を受けさせる道を選んだ。

父親に怯え気を遣う子供たちがいて、その精神的苦痛と教育と生活、
トータルして考えたとき、何が一番最善なのか、と考えた。
夫は父親としての行動は、授業参観や体育祭参加などしていたから
「普通の父親のような」ことが出来ることを踏まえて
ワタシが盾になればいい、ワタシが子供の分の攻撃を吸収すればいい、と思った。

話をもとに戻そう。
この目黒事件の母親は、確かに取り返しのつかないことをした。
でも、ワタシは被害者という面も大きいと思っている。
彼女の、公判での証言「夫と結愛ちゃんを離すことがいいと思った」という言葉。
これは、娘のために一番だと思ったことであろう。

冷静に、一般的な人間が考えれば、
婚姻を解消して母子共々自由になる、ということが最善であると思えるだろう。
しかし、洗脳状態にある人間には、その一歩が思いつかない踏み出せない。
そして、なによりも、復讐が一番恐ろしいのだ。
それが実際に、起ころうと、そうでないとしても、だ。

だから、「その環境の中で」最善だと思う行動を取ろうとする。

このような状況にある人に、どのような手を差し伸べるか、
どのようなことが出来るか、
ということを考えねばならないだろう。


元夫から逃れた今、ようやく「普通の生活」を手に入れた。
それでもなお、元夫の呪縛からは逃れられず、
時に起こるフラッシュバックと
心に根強く残る元夫の考え方に、抗っている。

たまに、大きな声でまくしたてる男性の声を聴くと、
その喉を斯き切ってやろうかという怒りが現れる(笑)
実際にはしないし、平静を装うが(苦笑)


この目黒事件をニュースで見ていた時、ワタシがポソリと言った言葉
「(元夫を立てるために)子供に理不尽なことを言わなければならなかったことが、辛いな」

長女が
「あのオヤジではな、仕方なかったと思うよ」

その言葉に救われ、そしてさらに猛省するのだ。


いまだに、何が一番良かったのか、判ってはいない。

💡追記
新しい記事がアップされていました。
この中の証言による雄大容疑者の発言は、まんま元夫の発言と同じです。
【夫になった人】の少しの人間性と環境の違いで、誰しもが同じ道を歩むのかもしれません。
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【コスメの誘惑】MILBON プラーミア エンリッチド シャンプー

2019年09月09日 | 美容
こんにちは。
ずいぶん前に購入していたMILBONのプラーミア エンリッチドシャンプー
ようやく出番がきました!
実をいうと、以前美容師さんに勧められて、
同じラインのヘアセラム クリアスパフォーム(炭酸シャンプー)を
使っていたことがあるのです。
エンリッチド と ヘアセラム、エイジングラインとしては同じなのですけど、
少しグレードが違う感じなのかなぁ。

今までは、化粧品難民していたのですが(笑)
今は、シャンプー難民してまして(^o^;)
(そのうち、ファンデーション難民になります。CHICCAがなくなるので(T^T))
やはり、時間が経つと髪のボリュームがなくなるし
くせ毛のうねりは落ち着いてきたものの、変なうねりは出るし
なんせ、髪の艶がない(`ヘ´)

使ってみようか……と思ったのがこれでした。
実はコンディショナーが、使ってきた種類のかなりを残していまして
セットで使える日は遠いと思います💧

使ってみた感想ですが、少なめかなと思った量でも十分泡立ちましたし
すすぎも気持ち悪さは残りませんでした。
一応コンセプトが『弾むようにうるおう髪の土台を創るシャンプー』でしたから
シャンプーとしての洗浄能力は、高めだと思います。
かといって、キシキシする感じではなかったです。

使い続けてみて、また新たな感想があったら追記しますね。

あ、参考ですが、ディープエナジメント6/6+ をいただいて使ったことがあるのですけど、髪がとぅるとぅるになりますよ🎵

💡追記:シャンプーの洗浄力は高めと書きましたが、普通くらいですかね(^_^;)
普通、がわからないけれど。
頭皮はすっきりしますが、髪には柔らかさが残る感じの洗い上がりです。
今日はトリートメント力の強いコンディショナーを併用したら、髪がとぅるとぅるになりました🙆
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緊急入院と預け先

2019年09月07日 | 結婚生活
新たな問題。
それは、その後すぐに起こった。
生温かい液体を感じた。
そう多量ではない。
不安がよぎったので、経過を見てもらっている病院へ連絡をした。

「すぐに来てください」
そう言われて、帰宅した夫に告げ、病院へ。
事の次第を告げると、緊急入院となった。
切迫早産
そう病名が告げられた。

絶対安静。

恐らく、生温かい液体は羊水ではないかという判断。
でも、それ以降は感じることはなく、特に目立った症状もなかった。
病院側としては、このまま陣痛が起きてしまうと、未熟児として生まれる可能性が高く
それは回避したかったようだった。

問題は、長女だ。

今回も実家に預けてくれれば、と思った。

しかし、夫は言った。
「前回はYouの実家だったから、今回は僕の母親に預けるよ」

耳を疑った。

自分を捨てた母親に、孫を預けると?
今でも好き放題遊んでいる人間に?
子供を愛情をもって育てたとは思えない人に。

孫とはいえ、祖母らしいことを何一つ、してくれなかった人だ。
そんな人に!

反対した。
でも、激高された。
お前は俺の母親を何だと思っているのだ、と。
おれの、母親だぞ!と。

この感覚が、わからなかった。

祖母に(実の娘である)姑とやり取りをすると、途方もない攻撃を受ける。
それを見た夫は、『祖母のことだけを大切にしてくれればいい』と言った
あの言葉は何だったのか。

この出来事が長女に影響を与えなければいいと、願うばかりだった。

約2か月に及ぶ入院をし、特に早産傾向も見受けられなかったので、退院。
長女と会える。
それだけだった。

長女を連れてきた姑は、開口一番に言った。

「おむつ、外しといたで」
躾てやったわ、という表情だった。

 長女はおむつが取れていた。


この話には後日談がある。
長女がしっかりと話せるようになった時、この時の話をしてくれた。
「いきなりパンツをはかされた。おしっこを失敗すると、叩かれた。怖かった」
「机の上の、化粧品を触ってしまったとき、平手打ちをされて泣いた。違う部屋に閉じ込められた」

やはり。
預けたのは良くなかった。
 この話に夫は、バツの悪そうな顔をしていた。

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