少々、今回は本気で心配になりました。
興味を持って考えていただきたい話題です。
(これ以外にも多く存在するとは思いますが)
先日、経験した事なのですが。
ワタシは車椅子の友人と、大きなショッピングセンターへ行きました。
エレベーターを使った時、違和感と不便を感じました。
まず、乗る人が自分のことしか考えていない。
そして、どこに移動するにしても、かなりの距離を要するということ。
ビルの構造上、エレベーターの位置を近くに置くことはできないのかもしれないけれど。
ワタシも普段、エレベーターを利用することがあります。
ヒールで足が痛くなってどうしようもなくなったときとか、助かります。
でも、時たま使う、のと、使わなくては移動できない、というのとでは
大きな違いがあります。
そして、彼女はポツリと言いました。
「ひとりで、満杯のエレベーターをやり過ごすたび”なんでそんな大きなもの持って人混みにくるんだ”という視線を感じる」と。
途中階で降りるとき、間口を開けてくれる人もいませんでした。
みんな、自分を優先しているのです。
検索で気になったブログがあったので、貼っておきます。是非、ご一読ください。(ほんの一部ですが)
「風見鶏 エレベーターは誰のもの?」
「なんでも帳 誰のため??」
「っていうか働け ユニバーサルデザインは誰のため?」
それぞれの考え方があって、考えさせられました。
さらに、彼女はワタシに言いました。
「張り紙が貼ってあるのにね・・」
ワタシは答えました。
「こんなの誰も見てないと思うよ」
冷たい言い方でしたけど、エレベーター内に残っている数人に気付いてほしくて、言いました。
というよりも、貼り紙などなくても、気付いてほしいのです。
優先されるされないではなく、お互いに一緒に当たり前に生きていきたいのです。
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娘のバイト先での話を聞きました。
先日、アルバイト先のショップでオリジナル商品が発売された時の話です。
オリジナル商品を購入するのですから(結構な人気です)それ相応の覚悟で、来店してるはずなのです。
しかし、店のトップの判断ミスなのか、かなりの並びようで列整理したにもかかわらず、
かなりごたごたしていたようなのでした。(整理券配布後)
その並ぶ時間に業を煮やしたお客は、バイト店員を捕まえては
「なんでこんなに並ばんといかんのや!殺すぞ!」
「死ね!」
「このブスが!」
と言ったそうなのです。
娘をはじめとしたバイト店員は「申し訳ありません」と、ひたすら謝っていたそうです。
娘は泣いている迷子を抱っこしながら、罵声を浴びせられ、それを聞いた迷子が恐怖で泣き叫ぶという経験をしたそうです。
バイト店員の中には、恐怖のあまりバックヤードで吐いてしまう子もいたらしく。
この罵声を浴びせた人たちは、自分の子供のためにオリジナル商品を買いにきているのです。
自分の子供がありながら、他人には平気で「死ね」だの「殺すぞ」だのと言うのです。
言っていいことと悪いこと、その分別はついているのでしょうか。
子供を育てる中で、これをどう教えていくのでしょうか。
自分の子が、そんな風に言われたら、どう感じるのでしょうか。
もちろん、店側の手際の悪さが一番悪かったのだと思います。
でも、人として、心配になりました。
この先、どんな大人が増えていくのだろうと。
先の件もそうですが、他人への気遣いと想像力があれば、お互い気持ちよくできたはず。
ワタシが子育てしていた頃(15年ほど前)は、ベビーカーでエレベーターに乗っても
入口付近の人は一旦降りて通して下さいました。
ワタシもそれが当たり前だと、ずっと同じように行動してきました。
ですが、最近は違います。
混雑した電車の中でも、入口付近の人がどかず、降りるのに人を押しのけないといけない状況も多々見るようになりました。
今、ACの「この国の思いやりは、世界遺産」というCMが流れています。
当たり前にあった「思いやり」が、今薄れつつあることを、ワタシは悲しく思っています。
興味を持って考えていただきたい話題です。
(これ以外にも多く存在するとは思いますが)
先日、経験した事なのですが。
ワタシは車椅子の友人と、大きなショッピングセンターへ行きました。
エレベーターを使った時、違和感と不便を感じました。
まず、乗る人が自分のことしか考えていない。
そして、どこに移動するにしても、かなりの距離を要するということ。
ビルの構造上、エレベーターの位置を近くに置くことはできないのかもしれないけれど。
ワタシも普段、エレベーターを利用することがあります。
ヒールで足が痛くなってどうしようもなくなったときとか、助かります。
でも、時たま使う、のと、使わなくては移動できない、というのとでは
大きな違いがあります。
そして、彼女はポツリと言いました。
「ひとりで、満杯のエレベーターをやり過ごすたび”なんでそんな大きなもの持って人混みにくるんだ”という視線を感じる」と。
途中階で降りるとき、間口を開けてくれる人もいませんでした。
みんな、自分を優先しているのです。
検索で気になったブログがあったので、貼っておきます。是非、ご一読ください。(ほんの一部ですが)
「風見鶏 エレベーターは誰のもの?」
「なんでも帳 誰のため??」
「っていうか働け ユニバーサルデザインは誰のため?」
それぞれの考え方があって、考えさせられました。
さらに、彼女はワタシに言いました。
「張り紙が貼ってあるのにね・・」
ワタシは答えました。
「こんなの誰も見てないと思うよ」
冷たい言い方でしたけど、エレベーター内に残っている数人に気付いてほしくて、言いました。
というよりも、貼り紙などなくても、気付いてほしいのです。
優先されるされないではなく、お互いに一緒に当たり前に生きていきたいのです。
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娘のバイト先での話を聞きました。
先日、アルバイト先のショップでオリジナル商品が発売された時の話です。
オリジナル商品を購入するのですから(結構な人気です)それ相応の覚悟で、来店してるはずなのです。
しかし、店のトップの判断ミスなのか、かなりの並びようで列整理したにもかかわらず、
かなりごたごたしていたようなのでした。(整理券配布後)
その並ぶ時間に業を煮やしたお客は、バイト店員を捕まえては
「なんでこんなに並ばんといかんのや!殺すぞ!」
「死ね!」
「このブスが!」
と言ったそうなのです。
娘をはじめとしたバイト店員は「申し訳ありません」と、ひたすら謝っていたそうです。
娘は泣いている迷子を抱っこしながら、罵声を浴びせられ、それを聞いた迷子が恐怖で泣き叫ぶという経験をしたそうです。
バイト店員の中には、恐怖のあまりバックヤードで吐いてしまう子もいたらしく。
この罵声を浴びせた人たちは、自分の子供のためにオリジナル商品を買いにきているのです。
自分の子供がありながら、他人には平気で「死ね」だの「殺すぞ」だのと言うのです。
言っていいことと悪いこと、その分別はついているのでしょうか。
子供を育てる中で、これをどう教えていくのでしょうか。
自分の子が、そんな風に言われたら、どう感じるのでしょうか。
もちろん、店側の手際の悪さが一番悪かったのだと思います。
でも、人として、心配になりました。
この先、どんな大人が増えていくのだろうと。
先の件もそうですが、他人への気遣いと想像力があれば、お互い気持ちよくできたはず。
ワタシが子育てしていた頃(15年ほど前)は、ベビーカーでエレベーターに乗っても
入口付近の人は一旦降りて通して下さいました。
ワタシもそれが当たり前だと、ずっと同じように行動してきました。
ですが、最近は違います。
混雑した電車の中でも、入口付近の人がどかず、降りるのに人を押しのけないといけない状況も多々見るようになりました。
今、ACの「この国の思いやりは、世界遺産」というCMが流れています。
当たり前にあった「思いやり」が、今薄れつつあることを、ワタシは悲しく思っています。