三女の上京。
住むところの選定から、家電を取りそろえ、
細かいものなどは大学指定の業者のカタログから選び
(割高ではあるのだけど、一括して購入できるので、便利)
引っ越しの準備と、搬入日の指定、自分と三女の上京準備と、忙しく日々が過ぎていく。
三女は、高校を卒業。
頑張った甲斐があったね、と、まず夢への一段階突破を祝った。
ワタシと三女は、大学の入学式の前々日に上京。
すでに到着している引っ越し荷物と、家電類を住みやすいように部屋に配置しながら
初めての場所で、戸惑いながら食事を調達し、忙しくも楽しい時間を過ごした。
「入学式、来てほしくないな。お母さん、帰っちゃうでしょ?」
と、寂し気に微笑む三女。
そりゃ、寂しいよね、誰だって。
今まで、すぐそばにいた子が、居なくなるのだもの。
「そうだね~、寂しいけど、今はネットがあるからね。
すぐに顔を見られるのは、有難いよね」
と、自分に言い聞かせるようにして、言った覚えがある。
そして迎えた入学式。
人数の関係で、会場に入ることが出来るのは、新入生のみ。
保護者は別の場所で、中継を見る。
厳かに進む、入学式典。
入学式が終われば、三女とは一旦お別れ。
まだ私服が板についていない三女と、駅まで歩く。
ワタシは新幹線の時間まで、観光することにしていた。
駅の改札の手前で、じゃあね、と手を合わせる。
目に涙を溜めた娘を見ながら、感慨深さに浸る。
改札が、別れを見せる。
ワタシは、極力考えないようにして、電車に乗り込む。
地下鉄に乗り換え、一度行ってみたかった浅草へ。
テレビで見る映像となんら変わりのない景色。
その当時の浅草寺は、日本ではないと思うほどの、異国の顔と言葉に埋め尽くされていた。
人ごみにまぎれながら歩く。
だけど、心ここにあらず。
なんの感激もなく、情報すら目に入ってこない。
これは時間の無駄だと、東京駅へ向かう。
途中の乗換駅で、親切な駅員さんから先に声をかけられて、
東京も捨てたものじゃない、と思ったものだ(苦笑)
すぐの新幹線に乗り込み、帰途へ着く。
さぁ、日常が待っている。
しかし、それから一週間というもの、夜のパソコンの画面には
泣き続ける三女が映し出された。
「なぜこの道を選んだのか、わからない」
そういう娘に、またそちらに行くから、と言うしかなかった。
落ち着くまで10日ほど、かかったか。
そのあとは、三女らしく、自分に目標を与えながら、過ごしていたようだ。
ゴールデンウイークには実家に帰られる。
そして、再び上京するときには、同じく帰省していた友達とともに、戻る、とか(笑)
そうやって、成長していくものなのだね。
ワタシはパートで日々を過ごし、
夫はワタシが休みの日に出勤(?)するようになって
表面上は落ち着いた日々が、続いていた。
定期テストの度に、ピリピリしながら過ごす三女に
実力が出し切れるようにと、家族は見守りを優先していた。
そんな中、三女は頑張り、目標の大学の推薦を勝ち取った。
夢に向かって一歩進んだ。
着々と時は過ぎ、最終的には学年3位という成績を収め、
奨学金も認められた。
三女の東京での生活のために、色々と揃えなくてはならなくなった。
そんな年末。
安堵した三女が、夢に向かって前進するということは、
家族と離れるということを、徐々に実感しているときだった。
自分の拠り所である家族と離れる。
可愛がっている愛犬と離れる。
精神的に不安定になった時、その気持ちがあふれてしまったようだった。
寂しい、といって泣き始めた。
それを見た夫は、キレた。
「どういうことや!こっちは何のために頑張ったんや!
それを行きたくないってどういうことや!!!」
と、椅子を蹴り倒して怒鳴った。
三女は言葉を失っていた。
夫が二階に上がってから、三女には「気にしなくていいよ」と言うしかなかった。
ワタシは2階の夫の元へ行き、揺れ動いている三女の気持ちを代弁した。
「行きたくないということではない。
ただ、その代わりとして、失うものに気付いた、ってことなのよ。
家族って、そういうものでしょ?」
その数日後、夫はなぜかワタシに高級化粧品を買ってきた。
結婚してから、夫からプレゼントをもらったことのなかったワタシは
お礼の言葉もたどたどしく、表情も硬いままだった。
娘からは、もっと素直に顔に出して感謝するようにと、お叱りを受けた(笑)
しかし、このことが更にワタシの中の疑惑を、膨らました。
・・・こんなことをする人じゃない。
ワタシの誕生日にすら、ケーキを買うのは恥ずかしいから自分で買ってこいと言う人だ。
それに、夫は女性用品に無頓着で、化粧品ブランドなんて
日本の大手しか知らない人だった。
この時分には、ジェルネイルにも詳しくなっていて、
爪の荒れているワタシに勧めてきたということもあったのだった。
怪しさが充満していった。
三女が中学に入学してからほどなく、夫から仕事を辞めたいと言われて
ワタシはパートに行くことにした。
なにかしらの理由を付けて、外に出て、自分の力で稼ぎたいと
思ったのかもしれない。
微々たる稼ぎに「たかがパート」と夫に言われながら。
でも、その時夫は仕事を辞めなくてもよくなり、
その約2年後、本当に職を失うことになった。
更に2年間プー太郎で過ごし、家のことをするでもなく
ただ、車とゴルフに明け暮れ(それも食いつぶしで)日々を過ごしていた。
ある日、もとやっていた仕事の取引先から、仕事を頼まれたと言って
アルバイトをするようになった。
最初は本当に提案され、していたのかもしれない。
しかし、時が経つにつれ、ワタシの中で違和感が膨れ上がっていった。
とにかく、仕事に行く日がバラバラで、夫の都合に合わせて行くようになり、
いくらなんでもそんな重役のような仕事はないだろうと、思い始めていた。
そんな中、ささいな事でキレて怒鳴り散らすことが増え、
そういう時は決まって、手持ちのお金が尽きかけているときだった。
極めつけは、娘からの言葉だった。
「お父さん、お母さんのシフト表をチェックしているよ」
なんのために、チェックしているのか?
そう考えたとき、これはやはり仕事ではないな、と直感で思った。
すぐに、シフト表を貼ることをやめた。
娘によると、散々シフト表を探したものの、見つけられず諦めていたということだった。
その日から、夫はワタシと時間をずらすようにして、自分のお城に行き(離れたガレージ)
ワタシが出勤する時間の後に、自宅に戻ってくるようになった。
その時にワタシが居れば、夫は「仕事に行く」と言って出かけていた。
(これが、後々、自分の首を絞めることになるとは、思ってなかったろうけど)
そして、年末に夫は、忘年会に3回も行くことになり、
ますます、ワタシの中ではとある疑いが、頭をもたげてきた。
極めつけは、大嫌いだと言ってワタシとは絶対に行かなかったカラオケに
休職していた長女を誘い、5時間余りも滞在したという話を聞いたからだ。
何気なしに長女にその時の様子を聞くと、
「そういえば、デンモクも慣れた様子で操作していたよ」
怪しい。
そんな風に思いつつも、とうに夫との老後を想像できなくなっていたワタシは
三女が大学を卒業したら、離婚を切り出そうと思い始めた。
無職の夫を抱えて、お金を貯めることは出来るのだろうか。
それより、社会人経験のほとんどないワタシが、職を見つけられるのだろうか。
そんな思いを抱きながら、手始めに夫婦の年金が引き落とされる口座を分けることにした。
書いてくださった返事を持って、再び病院へ。
返事を読んだ担当医は、同じ意見であったと喜んでいました。
(単に平日休みだった日・笑)
紹介先の病院から返事をもらっていたので、話は早かったですね。
早速、頭を念入りに診てくださり、説明。
Acute diffuse and total alopecia of the female scalp
最近わかってきた症状で、初期は難治性のものと区別がつきづらいのです。
最後に微笑んで
普通は、引っ張っても抜けませんよね💦
自己抗体が高く、橋本病と言われているので「自己免疫疾患」には違いないと思っています。
ですので、今後また同じことが起こらないとは言えません。
実は今回、対応してくださった医師の方々は、そうそうたるメンバーでした。
最初と最後に診てくださった初老の医師は、
そして、紹介先の医師は、お若いですが専門医であり皮膚科部長をされていました。
そして、セカンドオピニオンを受けた医師。
前回に書きましたが、元大阪大学の医師で、皮膚科ガイドラインを作られた一人。
もちろん、命にかかわるような病気になった場合は、多少調べると思います。
ですが、そのような場合でないときは、今までの経験上
口コミと自分が思った印象とは、乖離しているものがほとんどでしたから。
そして、再受診の日。
内分泌科の検査では、前回と変わりはなく
経過観察ということで、終了。
皮膚科では、脱毛が少なくなってきていることで、医師は更に治療法に悩んだ様子。
ワタシはSADBEをすると伝えているのに、ステロイドパルス療法を捨てきれない様子でした。
なんなら、ワタシは初診時にもらって塗り続けている薬で
なんとか治らないかと、思っていたほどでした。
そこで医師に提案されました。
「他の医師の意見を聞いてみてもいいかもね」
『例えば、この先生ならという方はいらっしゃいますか?』
そう聞いて返ってきた答えは、とあるクリニックをされている医師名でした。
とても素晴らしい医師で人気があるらしいので、
早々予約は取れないかもしれない、ということでした。
この病院の1ヶ月後の予約をもらい、帰宅してすぐ聞いたクリニックに予約の電話をしました。
なんと、3日後の、仕事が終わってから行ける時間に、予約が取れたのです!
そのクリニックは駅からすぐで、急げば間に合いそうでした。
クリニックに到着すると、多くの患者さんがいました。
しかし、窓口の方の対応が速く、ワタシの受付もスムースで
診察室の回転も速く、あっという間に呼ばれることに。
そして、診察。
血液検査結果を渡し、ザッと経過を伝えると、その医師もルーペでワタシの頭を見ました。
そして、一言。
「治療しなくていいよ。生えてきてるから。
え?ステロイドするって(担当医が)言ってるの?やらなくてもいいよ」
ものすごく、安心しました!
それくらい、力強い、自信のある口調でした。
紹介状も持たずに受診したにもかかわらず、
担当医に返事を書いてくださいました。
この医師は、先だってリンクを貼った、
日本皮膚科学会ガイドライン2017年版作成に名を連ねている人でした。
(続く)
検査結果が出て、内分泌科の診察室に入ると、
「橋本病ですね。皮膚科の医師が甲状腺ホルモンを心配してくれましたが
血液検査の結果では、今は特に治療する段階ではありません。
・・・エコーで見る甲状腺は、典型的な橋本病態ですね。」
という結果を伝えられ、一ケ月後にもう一度血液検査をして
内分泌科としての判断をするということになりました。
その足で、再び皮膚科へ。
結果を見た皮膚科医師は、
「うーん、どうしようか。とりあえず新型コロナワクチンの2回目はいつ?
治療法に関しては、そのあとに決めましょうか」
という判断をしました。
医師の判断には、ワタシの気持ちが大きくかかわっていたと思います。
実は、ワタシは皮膚科医師に、
標準治療と言われる【※ステロイドパルス療法】を拒否していました。
標準治療は一番効果が高いものである、ということは理解しています。
ですが、治療成績は6割(半年以内に実施)と高いものの、再発の可能性もあること
副作用が割と大きいことがまれにあるので、自分の年齢に照らし合わせてみて
やはり、副作用が起こった場合の、これからの人生におけるQOLを考えたところ
手間も金額もかかりますが、外見的にはウイッグを使用し
今のままの体の健康状態を保ちたいと、思ったのです。
※円形脱毛症・標準医療情報センター参照
日本皮膚科学会ガイドライン2017年版(PDF)
もし、治療をするとしたら局所免疫療法(SADBE)をすると、伝えていました。
そして、受けた新型コロナワクチン2回目。
いや~一日発熱して寝込みました(苦笑)
その頃には、エクエルをひと瓶飲み終えていて
脱毛に関しては影響を感じられなかったので、続けて飲んではいませんでした。
でも、更年期障害特有のホットフラッシュは鳴りを潜めていたので
効果はありました。
でも、不思議なことに、脱毛の量が少なくなってきたのです。
まだ、洗髪時には多くの毛髪が流れていきましたが、
明らかに以前よりは、減っていました。
自分が見た感じでは、抜けているときに生えてきていた毛髪が
抜けずに更に伸びていて、少し希望が見えてきたように思いました。
(続く)
あけましておめでとうございます。
昨年は、世界的にも自分的にも、大変な年でありました。
色々な思いがありましたが、そんな気持ちは2021年に置いてきて
新しい年は、より前を向いて歩いていきたいと思います。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2022年 元日