HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

夫はというと

2019年06月29日 | 結婚生活

夫は事務職でもありながら書類を提出したり、現地へ赴いたりとする仕事だったので、
子供が出来たことが嬉しくて、道中に自宅に寄ることが多かった。
その時の夫は、とても幸せそうで、本当に子どものことを愛しているのだと、感じたものだ。
しかし、その時だけだ。

夫は定時で帰宅する。
駅前勤務だから、帰宅時間は決まっている。
帰宅してすぐ食事じゃないと、キレた。

「俺の帰宅時間はわかってるだろう?働いてお腹を空かせて帰ってくるのに
 なぜ、食事がすぐに食べられる状態じゃないんだ!?」

そう言って、責められた。

子供が泣いていようと、手がかかろうと、そんなことは関係ない。

俺が一番なんだ。

そう言っているように、思った。
(実際にそうだったのだ)

夕暮れ泣きの始まった長女が、構ってほしくてワタシの足にしがみつく。
でも、それは夕飯の支度の最中。
その腕を振りほどいて、ご飯を作らなければならない。
娘への愛情と罪悪感が渦巻く気持ちの中で、
懺悔しながら、心の中で泣いた。

布団に入ってからも、泣いた。

なぜ、こんな思いをしているんだろう。
ワタシはどうしたらいいんだろう。
ワタシは何をしているんだろう。

でも、答えは出ない。

なぜ、ワタシが怒らないのか。
なぜ、自己主張をしないのか。
不思議に思うと思う。

でも、その時は自分による嫌われたくない気持ちと、
自分の気持ちを主張する気持ちを、夫によって既に削がれていた、という感じだったと思う。

実は、実父も酒を飲んでは説教をし、下手をすると手をあげる人だった。
幼い頃からそんな生活を過ごし、いくら鈍感な性格のワタシでも、トラウマになっていた。
男性の大声、怒鳴り声には委縮してしまって、言葉すら発せなくなる。
いつしか、夫と主従関係になっていた。

そんな中、夫が言った。
「君は子供が出来たんだから、指輪しないとね。」

『指輪、するの?嫌いだって言ってたのに』

「いや、僕はしないよ。なんだか嫌だもん。
 君は、母親なんだから結婚してるってこと見えた方がいいし」

わけがわからなかった。
どういう理屈なんだ。
まるで縛り付けるように、指輪をさせられた。
何かの物語のようだ(苦笑)

そうやって日常生活の中でも、(無意識だろうけど)人の心に縛りを落としていく。

テレビを見ている最中にでも。

「ね、主婦が夜の7時以降に外にいるって、どういうことなんだろうね?
 一体何をしてるんだろうね。主婦としての責任がないのかな。」

言葉が、ワタシの中でこだましていく。

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親不孝

2019年06月23日 | つぶやき
妹がSNSに「両親には感謝してもしきれない。出来るならずっと一緒にいたい」と書いてあった。
妹は家庭があるし、それも叶わないということだろう。

ワタシは?

ワタシは、身軽だ。

実家に戻り、両親と一緒に残り少ないと思われる人生を過ごした方がいいのか。
それが、親孝行か。

仕事も順調だ。
少ないお給料だが、長女となんとなく楽しく生きている。

ようやく得た自由と、自分と、限りある未来と。

また、大きな選択が待ち受けている。

どうすべきか。
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近況報告。

2019年06月22日 |  雑 日 記
梅雨入りしない、関西地方からお伝えします(笑)

ここしばらく、会社から言われて受ける試験の課題に取り組んでおりました。
テキストを使って勉強し、課題を提出。
それで合格点をもらえると、夏の本試験を受けることになります。
この課題、テスト方式なのだけど、なんせテキストが手元にあるので
答えが見えているようなものです(苦笑)

受けた人の話によると、なめてかかったらダメらしく
やはり、老いた脳をフル回転して臨まないといけないみたい(;´Д`)

そして、新入社員研修(BBAでも新入・笑)を本社で受けてきまして
忙しい日々を送っておりました。


ずっと、(興味もないでしょうけど)結婚生活をUPしていますが
一気に書き上げたものを、予約投稿という形でさせてもらってます。
そろそろそれも尽きそうなので、その先を再び書いていますが。

やはり、書いている途中で具合が悪くなることもあり、
なかなか前には進めません( 一一)
記憶が抜け落ちている部分もあったり
フラッシュバックを起こしたり。
ワタシ以上に辛い思いをしている人もたくさんいるというのに
このくらいで、こんな状態では情けない・・・

でも、ワタシは元気です(`・ω・´)
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祖母との別居生活。

2019年06月22日 | 結婚生活
祖母と別居したとは言っても、ここは祖母の家。
祖母が出ていく前に、釘を刺していった。
「ここは私の家。私の許可なしに、ものを捨てることも移動することもしてはいけない」

バカ真面目なワタシは、祖母の言葉を尊重した。

「この家ほど、隣近所より大きくて、押し入れの大きな家はないからね」

そうかそうか。
そうなんだ、と開けた押し入れの中は、ものでいっぱい。
何枚あるかわからない布団。
それも、相当年数の経過した年代物。
別の押し入れは、亡くなった祖父が残していったという、雑貨類で埋まっていた。

・・・これを、自慢するのか(苦笑)

わずかな空いた部分と、少しだけコンパクトに詰め込んで出来た隙間に、自分たちのものを入れる。
結婚した時に入れてもらった婚礼家具で、なんとか収納をする。

家族水入らずの生活・・・は、出来るはずはない。

夫の生活に合わせて、時間は過ぎる。
夫の職場は駅前で、通勤時間は、ほぼない。
そのせいもあって、起床時間も人よりは遅い。

朝早くから祖母はやってきて、仏壇に手を合わせる。
乳飲み子を抱えているワタシは、気配に気づいても起きることが出来ない。
そして、来た証拠に、朝刊を置いていく。

毎日、そうやって過ぎていく。

祖母はアパートで、ちゃっかり洗濯機を購入していた。
お手伝いさんもアパートへ行くことになったため、そうしたのだろう。
しかし、ワタシへは許さなかったのに、さすがに自分が(正確にはお手伝いさんが)
洗濯のために通う、なんてことはしたくなかったのだろうな(苦笑)

結婚生活も家事も初めてのことで慣れないときに、
さらに初めての子育てだ。
毎日が勉強。
そう自分に言い聞かせて、過ごしていた。

ある日、家に来た祖母の口から出た言葉に、恐怖をおぼえた。

「Youさん、あんた、昨日の●時頃、△△におったやろ。
 私にはな、情報源がたくさんあるんやで。
 あんたの行動なんて、すぐわかるんや(笑)」

恐怖しかなかった。

その日以来、外に出るのが怖くなった。
買い物以外の外出は、控えるようになった。
長女の好きな公園へも、行かなくなった。

人の視線が、怖かった。
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同居。

2019年06月15日 | 結婚生活
祖母との暮らしは、窮屈だった(苦笑)
同居されている人はたくさんいるだろうし、
こんなことを言うのはおかしいといわれるかもしれないけれど。
夫も、長女を触りたいけれども、祖母が離さず
なんとなくギクシャクした感じが続いた。

家事も、洗濯物の干し方一つとっても、指図され
その言い方も、近所の干し方を例に挙げ、●●人みたいに思われるからやめなさい
のように言われたものだ。
(その例に挙げられた人の家も、姑さんが亡くなられた後、家をリフォームしたり
 手を加えられてて、お嫁さんの立場の人もかなり我慢されていたのだと推測された・苦笑)

週に2回、祖母の家に来てくれるお手伝いさんも、来てくれて家事をしてくれたのだけど
その人に対しては、あまりいい印象を抱かなかった。
(後に、祖母の性格により、色々と吹き込まれていたんだろうと想像できたのだが)

たまたまお昼ごはんに天ぷらを食べたとき、天つゆをワタシが作ったのだけど
帰り際に玄関で祖母に向かって
「あれは、薄くて、何なのかと思ったわ」と笑いながら言っているのが、聞こえた。

前回も書いたように、何十年も前の育児常識を振りかざされた。
(ワタシの子育て時代においても、間違っていることが多々あった。
 しかし、祖母は否定されると静かに激高するので、スルーが一番だった)

そのうち、祖母も小さな子供がいる生活に、疲れてきたのだろう。
長女はよく泣く子だった。
これは、子の仕事。仕方のないことだ。
そう思いながらも、祖母も自分の静かな時間を欲したのだろう。

ある日、言った。

「私と入れ替わりましょう。私はアパートに住むから、毎朝新聞は取りに来なさい。
 私が死んでたりしたら、あんたたちの恥だから。」

そういって、出て行った。
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そして、出産。

2019年06月08日 | 結婚生活
初めての出産ということもあり、11時間かかっての出産だった。
いきみ逃し(ヒッヒッフー)が上手くできなかったため、
子宮口がなかなか開かず、助産師さんの手を借りての、出産だった。

うららかな温かい光が、窓から入ってきていたことを、憶えている。
その光の中、長女は生まれた。
さっきまで、おなかで動いていた子が、今は、外に出て「一つの生命体」として動いている。
とても、不思議で、感動する出来事だった。
出産時のとてつもない痛みなど、忘れてしまう光景だった。

実家にとっても婚家にとっても初孫で、とても喜んだ。
ただ、産後のワタシの体調が思わしくなく、お乳の出もあまり良くなかった。
ミルクを足しながら、なんとか体を休める日々だった。
そして、祖母の強い要望により、産後一ケ月で家に戻ることになった。

戻ったのは、祖母の家。
同居の始まりだ。
なぜそうなったのか。

以前はアパートに住んでいたため、上階にはほかの人が住んでいる。
祖母は“〇〇家の直系長子の頭の上を人が歩くなんて、とんでもないこと”と言い
祖母の自宅に住むように、言われたのだ。

祖母は、それはそれは喜んでくれた。
こんなに喜んでくれるなんて、不思議だと思うくらいに。
でも、祖母は、子供を抱いて離さない。
おっぱいの時間が来てしぶしぶ離す。

「私はね、おっぱいは飲ませたことがないの。私の気性が移ってしまうから。
 だから、ミルクで育てたわよ」

まるで、ワタシにもそうしなさいと言わんばかりに。

ミルクを足して飲まそうと、ミルクを作り始めると
「Youさん、砂糖はすくなめにね!」

え??砂糖???
『砂糖は・・・入れませんけど・・』

「え?そうなの?」

ミルクが出来上がり、飲まそうとすると奪い取り
「温度はちゃんと出来てるよね?いいよ、私が飲ませるから。
 あんたは、洗い物とか掃除とかしてなさい」

〇〇家の長子、というのはこのことだ。

ワタシは‘母親’としての扱いを受けなかった(最初は)
ただ、“長子を産んでくれた人”でしかなかったのだ。

その中で、母乳はだんだん出なくなった。
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つわりの時も。

2019年06月01日 | 結婚生活
前にも書いたように、婚家では祖母の家に毎日洗濯機を借りに行っていた。
つわりでしんどいとき、祖母から申し出があった。

「お手伝いさんがやってくれるから、洗濯してほしいものがあれば出しなさい」

素直にその言葉を受け取った。
自分の下着を除くものを、持って行った。
洗濯ものが仕上がった時に、祖母に言われた。

「下着まで洗わせるなんて、失礼よね」

洗濯機もない、つわりでしんどい時に、旦那のトランクスも肌着も手で洗わなければならないのか・・・。

やはり、その後もしばらく記憶がない。
きっと、ワタシは無理を承知で、自分自身で洗濯をしに行っていたのだろう。
ここが、負けず嫌いの悪いところ(苦笑)

アイロンがけも、「あんたのかけ方では●●(夫)も恥ずかしいだろうから、私がかけるわ」
と言っていたけど、やはりそれではいけないと思ったのだろう。
これからはあんたが責任をもってかけなさい、と手渡された。

祖母からは、自分が一人暮らしになったから、不自然死になってはいけないと
毎朝、新聞を取りに来るように言われていた。
もちろん、新聞を読むことも強要され、
お昼のワイドショーを見ることは禁止され(下品だからという理由)
ワタシの生活そのものを、言葉で縛り始めた。

〇〇家の嫁
それを、第一に考えろということ。

そんなにだいそれた家系なのか?ここは。
少しの上品さは見られても、そんな血筋だとは思えない。

そうは思ったが、ワタシの考えなどどうにもならず
祖母は自分の育った環境と、結婚した相手の家柄にすがって生きていたのだ。
自分の「今」や結婚生活などは、まったく関係なしに。
さらに、それを人に押し付けるのだ。

「私は家事をしたことがないのよ。お手伝いさんがいたからね。」
それが、祖母の口癖だった。
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