入所してからは、夫や義母からしばらくは会いに行かない方がいいと言われて、行っていなかった。
それは【Youさんが悪者になるから】という理由から。
人間、身内はかわいく思えるものだから、他人のワタシに矛先が向くということらしかった。
どれくらい経ってからだろう、会いに行ったのは。
それは、通院が待っていたからだ(苦笑)
ホームによって様々だろうが、義祖母の入所したホームは、
お値段に見合った至れり尽くせりの介助だったけど、定期通院は原則家族が行うものになっていて、
その際に服用しないといけないお薬は、処方箋をホームに提出しないといけなかった。
薬に関しては、ホームが扱いやすいように処方箋薬局に調剤してもらうからだった。
義祖母は、ワタシの顔を見ても怒ることはなく、ただホームの愚痴と
(これはどんな場所であろうと出るものだろうな)
《義母に騙されて連れてこられた》とちゃんと理解していたのだった(苦笑)
病院に行き診察を受け、そして義祖母と一緒に昼食をとる、といった月に一日の外出。
義祖母にとっても、風景が変わることがとても気分転換になるらしかった。
ま、相変わらず、同じものを注文しても
「あんたの方が多くないか?」
などと言ってきていたけれど(笑)
ホームに戻って自室で話をしていると、義祖母は思い出したかのように
「子供が学校から帰ってくるやろ?早く帰ってあげなさい」
と、追い返すようにして言うのだった。
その頃には、子供たちももう大きくなっていて、家にワタシが居なくてもなんら不都合はなかったのだけど。
義祖母の中では、まだまだ幼かったのかな。
月に一回の通院と、季節毎の洋服の入れ替えと、夫がホームに行く間が空いたときなど、行っていた。
ホームから足りないものや交換しないといけないものを伝えられた時は、勿論なのだけど。
まだ義祖母が家にいた頃、色々されたし言われたけど、目の前の弱った老人を放っておくことは出来なかった。
ひ孫を見たいと言われて連れていくと、私の時給は高いよと言われ
まだ頭の固かったワタシは、その物言いが嫌で連れていかなくなった。
義祖母の手の器用さに、少しでも教わりたいと乞うても「私は忙しいから」と取り合ってくれなかった。
そんなこんなで、お互いの間にはいつの間にか段差が出来ていて、
乗り越える努力すら億劫になっていったのだった。
細かいことを挙げたらキリがないが、ただひとつ納得したことがあった。
義祖母の介護を始めたとき
「(夫は)私に対して、【自分の嫁さんには一切何も言ってくれるな、僕がちゃんとしつけるから】って言ったんだ。この私に対してそんな口を利くならと、あんたには何一つ教えてやらなかったわ、ざまあみろ!(笑)」
と言われたのだ。
そうなのか、それで。
夫には「義祖母に教えてもらえ」と言われ、その通りにしても何も教えてくれなかった。
それには、こんな理由があったのか。
笑えてきたよ、なんて幼いこと。
そして。
しつけるって何なんだ。
ワタシを調教していたつもりだったのか。
古い考え方の家で育ったことをいいことに、うまく洗脳されてしまっていたらしい。
なんということ。
だけど、仕返しをしようなんて思わない。
弱った人間を苛めるみたいなことは、できないししたくない。
ただ、健やかに残りの人生を生きる手助けをしたいと思った。
ただそれだけだった。
自己満足だと言われても。