HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

入所後の義祖母は。

2021年01月31日 | 結婚生活

入所してからは、夫や義母からしばらくは会いに行かない方がいいと言われて、行っていなかった。
それは【Youさんが悪者になるから】という理由から。
人間、身内はかわいく思えるものだから、他人のワタシに矛先が向くということらしかった。

 

どれくらい経ってからだろう、会いに行ったのは。
それは、通院が待っていたからだ(苦笑)
ホームによって様々だろうが、義祖母の入所したホームは、
お値段に見合った至れり尽くせりの介助だったけど、定期通院は原則家族が行うものになっていて、
その際に服用しないといけないお薬は、処方箋をホームに提出しないといけなかった。
薬に関しては、ホームが扱いやすいように処方箋薬局に調剤してもらうからだった。

義祖母は、ワタシの顔を見ても怒ることはなく、ただホームの愚痴と
(これはどんな場所であろうと出るものだろうな)
《義母に騙されて連れてこられた》とちゃんと理解していたのだった(苦笑)

病院に行き診察を受け、そして義祖母と一緒に昼食をとる、といった月に一日の外出。
義祖母にとっても、風景が変わることがとても気分転換になるらしかった。

 

ま、相変わらず、同じものを注文しても

「あんたの方が多くないか?」

などと言ってきていたけれど(笑)

 

ホームに戻って自室で話をしていると、義祖母は思い出したかのように

「子供が学校から帰ってくるやろ?早く帰ってあげなさい」

と、追い返すようにして言うのだった。

その頃には、子供たちももう大きくなっていて、家にワタシが居なくてもなんら不都合はなかったのだけど。
義祖母の中では、まだまだ幼かったのかな。

 

月に一回の通院と、季節毎の洋服の入れ替えと、夫がホームに行く間が空いたときなど、行っていた。
ホームから足りないものや交換しないといけないものを伝えられた時は、勿論なのだけど。
まだ義祖母が家にいた頃、色々されたし言われたけど、目の前の弱った老人を放っておくことは出来なかった。

ひ孫を見たいと言われて連れていくと、私の時給は高いよと言われ
まだ頭の固かったワタシは、その物言いが嫌で連れていかなくなった。
義祖母の手の器用さに、少しでも教わりたいと乞うても「私は忙しいから」と取り合ってくれなかった。
そんなこんなで、お互いの間にはいつの間にか段差が出来ていて、
乗り越える努力すら億劫になっていったのだった。

細かいことを挙げたらキリがないが、ただひとつ納得したことがあった。

 

義祖母の介護を始めたとき

「(夫は)私に対して、【自分の嫁さんには一切何も言ってくれるな、僕がちゃんとしつけるから】って言ったんだ。この私に対してそんな口を利くならと、あんたには何一つ教えてやらなかったわ、ざまあみろ!(笑)」
と言われたのだ。

そうなのか、それで。
夫には「義祖母に教えてもらえ」と言われ、その通りにしても何も教えてくれなかった。
それには、こんな理由があったのか。

笑えてきたよ、なんて幼いこと。

そして。

しつけるって何なんだ。
ワタシを調教していたつもりだったのか。
古い考え方の家で育ったことをいいことに、うまく洗脳されてしまっていたらしい。
なんということ。

だけど、仕返しをしようなんて思わない。
弱った人間を苛めるみたいなことは、できないししたくない。
ただ、健やかに残りの人生を生きる手助けをしたいと思った。
ただそれだけだった。

自己満足だと言われても。

 

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義祖母の異変②

2021年01月23日 | 結婚生活

義祖母の家族関係がどうであったか、ということは、ワタシは知らない。
ただ、家庭はうまくいっていなかった、と聞いている。
こういうことはお互いの気持ちが関係することなので、ワタシは深く追求しないことにしている。
周りが勝手に話してきたり、伝えてくる分には聞くことは聞く。
でも、片方の意見だけで、まるっと信じることはしない。

義祖母は寂しい人であった(自分ではそう思っていなくても)
そして、それは自分で蒔いた種であるということ。
そして、義祖母の家族は、ワタシが想像し得ないほどの性格であった、
ということが、確かなことだろう。

家族間の確執が、これほどだとは想像もしてなかった。
義祖母が貧しい人であったなら、とっくに関係は絶っていただろう。
なまじっか、義祖母が人生を頑張って生きてきたから、
本人はそれを振りかざすし、家族は‘生れ出たことを理由にして’
関係をかろうじてつなげていた、というふうになったのだ。

なぜ、義祖母の頑張りを、次へと伝えるということに持っていけないのか、と
ワタシはいつも不思議に思っていた。
彼らは、ダニのようにくっついて離れない。
いつもいつも、自分の力でなんとかしようとはせず、
義祖母の力を頼って、生きていた。


義祖母の介護を伯母が手伝うようになった時、姑は夫とともに何か企んでいた。
詳しいことは書けないが、義祖母と伯母の間でなにかやり取りがあったらしく
それ以上のことを阻止するために動いていた感じだった。

自分の親の面倒すら、損得勘定し、周りに不快な思いをさせる。
ワタシは理解できなかった。
ワタシは、目の前の老人を放ってはおけない。
どんな嫌がらせをされたことがあろうと、それとこれとは別問題だ。

義祖母の認知症が進むにつれ、姑や夫は義祖母の物忘れを責めた。
自分の身に起こらないと気付けない性格とはいえ、認知症の勉強すらしない人たちに
辟易した。
それでいて、自己主張が強く、理解が出来ない人間に強要する。
腹だしくて、たまらなかった。
しかし、ワタシ自身も体に疲れが溜まっていった。

夫に相談すると
「もう少し、頑張れるでしょう」

そう言われた。

なにも進展がないまま、日々は過ぎていき、月一度の義祖母の病院受診の時に
義祖母の体に異変があった。
ワタシが世話をしているとはいえ、家族ではないから詳しいことは聞いていない。
夫と姑が聞いていたはずだ。
義祖母は入院した。

良くないものの疑いがある

そう聞いて、姑は舞い上がった。
あの人たちは、何を考えているのか、義祖母のお金を遣い始めた。

「ちょっと、まだ亡くなってもいないのに、何をしているの!」

ワタシが強い物言いをしたのは、これが最後ではなかったか。

さすがに夫は、自分のしたことに反省をして、それ以来は姑の頼みを
断っていたようだ。
当たり前だ。

義祖母の容態は安定し、退院することが決まった。
また介護の日々か、と思っていたら、そのまま義祖母は介護施設に入所することになった。
家に帰られると信じている義祖母を、そのまま連れていくとなったらしい。

「姑なら何とかしてくれると思ったんだ。君も楽になるでしょう?」

違う。
ちがう。

そうじゃない。
そうなったとしても、ちゃんと話して、夫が決めてくれることを、ワタシは願っていた。
あなたも、ヒトを使って身を守るのか。

そして、入所費用は、こちら持ちだった。

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義祖母の異変

2021年01月14日 | 結婚生活

義祖母の仕事を手伝うように言われ始めて、少しずつ手伝うようになった。
仕事と言っても、義祖母が高齢のためしんどくなった雑事を、
代わりにワタシがする、ということだ。

通帳の記帳、掃除、業者が来る時のお茶出し。
そんなもんだ(苦笑)

子供たちが皆就学して、時間のできたワタシは、空き時間を自分のことに遣うことにした。
習い事を始めたのだ。
しかし、習い事を終了し携帯電話を見ると、義祖母からの着信が
履歴にギッシリと残ることが増えた。
電話をかけて、用事を聞く。
それは、急ぎの用事などではほとんど、なかった。

ただ、『自分の思い立ったときに出来ないと気に入らない』という性格が
履歴として残ったということだ。
帰宅してその用事を済ませるのだが、その時は精神的にやられるほど嫌味を言われる。
そんなことが続いたので、半年で習い事を辞めざるを得なかった。

家のことをしながら、義祖母の思い立ったときに動くという日々。
不思議と、ワタシを自由に動かせることが分かってからは、
用事はパタリと減った。

それからしばらくして、義祖母に違和感を覚えた。
同じ話をする(これは誰でもあることとして)、
「家政婦協会で家政婦さんを頼んだけれど、家事をしてくれるのはいいけど、
 椅子に座って話をするのがおかしい」
「この間なんか、若い子が来たけど『寝不足なので寝かせてください』と
 床で寝ていた」
などなど。

考えつくものとして、家政婦協会で家政婦さんを頼んだのではなくて、
ヘルパーさんを頼んだのではないか、ということ。
ヘルパーさんなら、話の傾聴という項目があるから
座って話をするということも、考えられる。

極めつけは、その家政婦さんが盗んでいく、ということを言い始めたことだ。
お金、家にあるものが無くなっていく、と。
直近の記憶が曖昧になって、今日の日付を何度も聞くことが増えた。

義祖母は家政婦さんに不信感を覚えて、解約したと言った。

そのうち、自分の食事さえ「食べていない」というようになり、
夫はワタシに介護するように、言った。
まだ義祖母は自分のことは出来ていたので、自分でできることはしてもらい
ワタシは毎日、掃除と洗濯、昼食と夕食を作って、持っていくことになった。
昼食は自分の分も一緒に作り、一緒に食べた。

お盆に食事をのせて運ぶワタシを、お向かいのおばさんは見ていたようで
優しい声をかけてくれたことを、今でも思い出す。
そんな中、その話を聞きつけた姑が弟を伴って、来た。

義祖母に会った二人は、口をそろえてこう言った。

「全然、ボケてないじゃないの。あの人、正常だわ」

そうなのだ。
認知症の人間というものは、たまに会う人間にはしゃきっと答えるものなのだ。
認知症に対して、まったく知識もなく、勉強すらしていない姑たちは
好き勝手にものを言っていく。
それにワタシたちは、何度も傷ついた。

そのうち、姑から伯母に話が行ったようで、
ワタシに全面的に介護させるのは申し訳ないと、
週一回、来てくれることになった。
その日だけが、ワタシの休みの日になった。

しかし、これが、家族間での相続を視野に入れた目論見があるとは、
ワタシは気付いていなかった

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MARKS&WEB洗顔フォーム、クレンジングオイル

2021年01月04日 | 美容

お風呂用の洗顔石鹸がなくなりかけてるので
ブヨブヨにならないものはチューブだろう、ということで
今回は洗顔フォームを購入しました。
(酒粕・コメの石鹸はひとつあるので、朝の洗顔用に洗面台待機です・笑)

そして、最近では試供品っぽいものも販売されてるので、
クレンジングオイルをば、少々。

洗顔フォームの使用感は、泡立ちがいい・持続する・さっぱり感といったところかな。
もちろん手のひらで泡立てたので、泡は細かくクリーミーな感じでした。
泡立てるものでした場合は、どのような泡になるのかは実験してませんが(^-^;

いつまでも泡が無くならないのですが、泡切れはよく、さっぱりとした洗いあがり。
でも、乾燥を感じるほどではなく、ワタシも使えそうです。
続けて使用したのち乾燥を感じるのであれば、夏の使用にして
冬場は石鹸、もしくは顔専用石鹸(実はあるのです)に変えてもよいかな。
フェイスケアチャートなるものがあった・・・今さら見つけるとは(;'∀')

クレンジングオイルは、サラサラしていて伸びが良く、少量で落とせます。
(濃いメイクはしたことないから、わからない・逃)
ただ、フッと油のにおいがするので、それが苦手な人はどうかな。
純粋な油なんだと納得するなら、それでいいと思うんですけどね。

以前試供品としていただいていた、ハーバルモイスチャーフェイスクリーム
パウチに入っているものですが、もう一週間は使ってますね(^^ゞ
伸びもよく、保湿力もあるのではないでしょうか。

アイクリームも発売されているし、使いたいものがいっぱい。

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謹賀新年

2021年01月01日 |  雑 日 記

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします

どうでもよいような、とても参考になるようなことを書いているものでもなく
ただ思うことをつらつらと書くだけのブログに
足をお運びいただいていること、嬉しく思います。

昨年は、新型コロナウイルス感染症に振り回された一年でしたが
今年もますます個人個人の意識が必要になると、思っております。
感染すれば重症化の恐れがある年代であるため
更にワタシ自身、気を緩めることなく生活していこうと思っております。

皆様におかれましても、気を付けてお過ごしくださいませ。

2021年 元日

You

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