HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

この夏の大きな出来事②

2021年12月29日 | 病院物語『炭酸ストライプ』

知ってはいたけれど、初めて足を踏み入れる病院でした。
たくさんの患者さんがいて、気後れするほど。
総合受付にて紹介状を渡し、案内を受けた場所へと進みます。

予約を取らずに来たので、長時間になることは予想していましたので
小説を持参し、時間をつぶしていました。
待合室は、他科の受診待ちの人もいらっしゃったので、いっぱいでした。
思ったより早く呼ばれ、前の病院と同じように
髪を軽く引っ張って抜け毛を確かめ、
ルーペで頭皮の状況を見、そして、血液検査を受けるように言われました。

自分で気になっていることを伝えると、医師は
「じゃあ、ホルモン系はたくさん調べることにします、
 結構検査料はかかりますが、いいですか?」
と、尋ねてきました。

自分でも納得したいので、了承し、血液検査へ。
医師は、午後にもう一度診察するので、
診察室前に戻ってきてください、と。

血液検査室は10ものブースが並び、ひっきりなしに番号が呼ばれ
次々と入れ代わり立ち代わり、患者の血液を採っていました。
自分の番が来て、採られる量に驚きました。
7本でした。

もう一度、診察室に戻ると、血液検査の結果は後日になるので
今言えることは、状態から考えることが出来る疾患と
それを治療する「標準治療」について説明されました。

一週間後に予約を入れられ、結果を待つことに。

そして、念願だった※ウイッグを手に入れることが出来ました。
このままでは、すべての髪が無くなるだろうからと、フルウイッグも。
会社へは、帽子も被らず、なんとなく隠す程度で行っていたので
大方の人は、ワタシの状態をわかっていたと思います。

その後、会社で髪の話になっても「これウイッグなんで☺」とあっけらかんとしてました。
(実は、ワタシはくせ毛なのでウイッグの方がスタイリングは楽なのです☺)
リネアストリア公式楽天店ZOZOTOWN店Amazon店


再受診の時。
血液検査結果を見て、医師は
「自己抗体が高いです。自己免疫疾患ですね。
 そして、甲状腺も気になります。一度、甲状腺専門医に診てもらってはどうでしょう?」
と、提案を受けました。

「もちろん、当病院にもその方面の診療科はあります。
 どちらでも構いませんよ。内分泌科の医師が治療をするかどうかわかりませんが
 治療をしたら、脱毛も良くなるかもしれません。」

ワタシは、また別の病院に行くのも大変なので、同じ病院の内分泌科を受診しました。
皮膚科からのコンサルテーションということで、割と早めに診察室に呼ばれました。
血液検査結果を見た医師は、別の検査もしたいということで
再び、血液検査をすることに。
それは15分の安静後に、血液を採るといった検査でした。
その後、甲状腺エコー検査に向かいます。

(続く)


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この夏の大きな出来事①

2021年12月26日 | 病院物語『炭酸ストライプ』

こんにちは。
大寒波襲来で、とてつもなく寒くなりました。
東北や日本海側のみならず、寒波による積雪のある地域の方々は
気を付けてお過ごしください。

さて、この夏に経験したことですけれども。
ここにきて告白したいと思います。

「お母さん、ブローしたあとの抜け毛、多くない?」

思えば、娘の一言が始まりだった。

確かに、ブローした後の床には「あれ?」と思うくらいの抜け毛が。
でも、その時は特に気になるほどのことではなく
日々が過ぎていったのです。

それから2週間ほど経った頃、激しい脱毛が始まりました。
最初に気付いたのは、左前頭部が目に見えて薄く、
数日後には右前頭部と右耳上部が、薄くなりました。

少々不安になったので、近所の総合病院の皮膚科を受診。
実はこの頃、体調には更年期とみられる症状が出ていたので
本来なら婦人科を受診したかったのですが
丁度、新型コロナ第5波の真っただ中で、
かかりつけ医は人が密集する都市部にあるので、避けました。

皮膚科では、医師が頭髪を引っ張り、抜け毛を確かめ
様子を見ましょうということで、育毛剤を処方されました。

医師は優しい口調で
「育毛剤は市販品の方が進んでいるので、良ければ自分に合ったものを
 使ってもらっても、いいですよ。育毛剤を保険適用したら
 えらいことになりますからね(笑)だから30年前と変わってないんですよ」

と、説明をして下さいました。

ですが、育毛剤を塗りつつも、更年期障害も考えられたので
自分で考えて、大塚製薬の「エクエル」も飲み始めました。

しかし、抜け毛はどんどん増え、洗髪のときも手のひらにたくさん引っかかり
シャンプーを流すときは、流れていく水とともに
多量の抜け毛が、筋になって流れていくのが見えました。

抜け毛に驚きつつも、新型コロナワクチンを接種するために
インターネットで予約することが、当時は第一で
ようやく取れた接種枠にて、第一回目を接種。

そういう中、脱毛速度が速く、みるみる間に右側頭部の髪はなくなりました。
頭頂部の残っている毛髪で誤魔化していたものの
これでは隠し通せないと、ウイッグメーカーに予約を入れるのですが
人気で3週間先という・・・。

そこまで持つかどうか不安になりつつ、再度前回受診した病院へ。

ワタシは帽子を購入し、それを被って行きました。
ワタシの頭を見てすぐに、あの優しい医師の顔が険しくなり

「ここでは治療できません。脱毛速度が速すぎる。大きな病院へ行ってください。」
と言い、紹介状を渡されました。

不安な気持ちに襲われながら、フルタイムの仕事をしていたので
一日お休みを取って、予約もせずに飛び込みで受診することにしたのです。

(続く)

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25年の後遺症。

2021年12月18日 |  思いのまま
こんにちは。
ずいぶんと寒くなりました。
先日、無事にインフルエンザワクチンを接種することが出来ました。
とにかく、重症化だけは避けたくて。
まぁね、先一昨年はワクチン打ってても罹患して
寝込みはしたんですけども。
あの程度で済んだと思えば、ね😅

さて、『結婚生活』のお話も佳境に入ってきました。
というか、ほとんど終わりに近いです😅

もう、家を飛び出して5年、
離婚が成立して4年ですが、
今になって、失われたワタシというものの大きさを
感じるようになりました。

自由を得たからといって、本来の自分に戻れるわけではないのです。
本来の自分がわからない程度に、
長い時間をかけて、変えられてしまった、感じです。

ワタシが欲した物事を否定され、潰され
それを繰り返されたために、
無関心になってしまった自分がいます。

そして、自分の意見というものが、わからなくなります。
いくら意見を言っても無駄で、
突き放され、否定され、バカにされ
そんな経験をすると、なんとも思わなくなるんですね。
会社でも、圧の強い先輩方にも同じ臭いを感じて
意見できない自分がいます。
(意見したこともありますが、ほぼ無視されましたし)

きっと『おとなしい人』とか『変な人』って思われてるでしょうね(苦笑)

でも、出来ないんです。

毎日が、空気のように漂っているだけな感じです。

これからも、こうなのだろうか。
育児中は、自分にも感情があったけれど
手を離れた今は、ただ感情があるかのように
表情筋が動いているだけ。

そこに気持ちはのっていない。

完全に、後遺症ですね。
もう戻らないでしょう。
それでも、生きていかねばなりません。
なるようになる、と信じてね。
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プー太郎と夢と進学。

2021年12月04日 | 結婚生活

順調に、娘たちが進学していったが、自分の体の不調と手術を経験し
一度は病気と死と向き合ったけれど、
手術後の病理検査で、不安は払拭された。
その経験から、日々を生きるということが、
自分にとっての、ひとつのスタイルになった。

そんな中、さらに家庭に不穏な空気が流れる。

以前書いた、夫の手持ちのお金が底をつきかけていた。
祖母が苦労して手に入れ管理していたものを売り、
現金化して自分の懐に収めるようになっていた。

ワタシがどんなに諫めても、聞かない。
以前夫がワタシに言い放った通り、ワタシは他人だからだ。
自分の血筋と身内は自分のもの、ワタシは赤の他人だから
口を出す資格はない、ということ。

そんな時、三女の志望大学を決めないといけない段階になった。

もっと以前に、夫には相談していたが、その時は何の反応もなかった。
まだまだ先だという感覚でいたのだろう。
実はその時から、すでに学校では推薦に向けての成績の取りまとめは始まっていて
三女は受験に向けて、定期試験に注力していたのだった。

子供たちの教育資金として祖母の資金がある、と言っていたが
「営業活動は自腹」「お金にまつわるお話②」参照)
それは義祖母自身で遣うことになり、(十分過ぎるホーム代金のため)
子供たちの学費は、すべてワタシがやりくりした。
つねにお金の話になると、「うちには娘がいるから。夜職につけば左うちわだ」と
冗談でも受け入れられない話をする人だったから
ワタシはシビアに考えるしか、なかった。

ちょうどその頃、夫は勤めていた事務所の代表が
高齢のため事務所を閉鎖したところで、無職であった。

しばらくゆっくりしたいと言って、毎日遊ぶ夫。
ワタシがパートに出てから、2年が経っていた。
いつ働き始めるのかと聞いたときは、俺の人生に口を出すなとキレられた。

三女には夢があって、中学時代からそれに向けて情報収集をし
叶えるために成績を上位保持できるよう、頑張っていた。
そこで、夫に三女が行きたい大学名を告げると

「は?それは無理。そんな金はない」
と、言った。
それならそうと、夫自身の口から三女に伝えるようにと、ワタシは言った。

戻ってきた三女は泣いた跡があったが、了解をもらったと言った。
その後、ワタシは夫と話をしにいった。
「泣かれたら、行かさないわけにはいかないだろう」
と、なんともあっさりと言ってのけた。

資金は家業のものを処分して(またそれか)作ると言っていた。
その後、ちょうどお金が尽きかけていた夫は、
また大きなお金を手に入れることになった。
資金を用意できたとはいえ、総額の2/3は夫が取り
残りの1/3を家族と教育に遣え、ということだった。
(当時、長女二女は大学生)

しかし、それでは足りないと思ったので、三女は奨学金を受けることになった。


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