よく考えれば、時たま違和感を覚える言動があったのは確かだ。
ワタシは、愛情というフィルターで、それらを一切ないことにしてしまっていたと思う。
長女が小学校でいじめを受けていた時、すべてをワタシに処理させようとしたけれど
ワタシは、学校側の態度に憤りを感じて、夫を駆り出そうと思ったのだ。
いじめと聞いて真面目に話を聞いてくれたものの、夫の口から出た言葉は
「いじめられる側にも、問題はあるよね?」
だった。
一瞬、頭が真っ白になった。
これは、いじめる側の思考だ。
理由さえあれば、いじめをしてもいいという思考だからだ。
そこはワタシもひるむことなく、夫に伝えた。
そして、担任に夫婦で会いに行った。
ワタシ一人の力で何とかしたかったけれど、なんせ日本は男社会。
男親が学校に出向くということは、最終手段に近いんだぞというアピールでもあった。
そして、極めつけは「ワタシがずっと教室の後ろで見ていますから」の一言。
これには担任も色々と考えたのだろう。
担任自身が責任をもって娘を見るから、ということでこちらの覇気は伝わったようだった。
その後、いじめは沈静化した。
沈静化したとは言っても、表面上なだけで
根本的に解決したわけではなかった。
そうするうちに、娘と一緒に歩いていた時、とあることに遭遇した。
娘を苛めている女の子二人組とすれ違ったのだ。
何気にワタシが振り向いたとき、その二人はコソコソと言い笑っていた。
とっさに
「ねぇ、そんなことしないで、言いたいことがあったら言ってね。」
と話しかけた。
二人は逃げるように走り去った。
おさまっていないことを確認したワタシは、相手の親御さんに少し伝えることにした。
一人の自宅に電話をかけると、親は不在で、先ほどの当人が電話に出た。
またかけ直します、と電話を切って小一時間後。
その母親が怒鳴り込んできた。
「うちの子に何をしたの!泣きじゃくって話にもならない」と。
『いえ、お宅に電話をかけたんですけど、お留守だったのでかけ直すと言っただけですが。
それが泣く理由でしょうか。ほかに、思い当たる節があったのでしょうか』
と応えると、怒りはそのままに帰っていった。
それから数日後、まったく関係していない1クラスメイトが母親を伴って訪問してきた。
「仲良しの子(前述二人組女子)から話を聞きました。
うちの子は、お友達を止めなかった。だから娘も同罪です。すいませんでした」
その子の兄弟は“いじめを受けていた側”だった。
だからこそ、傍観していた自分の子を親は許せなかったのだろう。
その日以来、いじめは少なくなった。
そんなことがあり、いじめがひと段落していた頃、
夫は姑に何かを吹き込まれたようで、こんなことを言ってきた。
「アメリカはいじめがないらしいから、ハワイにでも留学させるか」
はぁ?
留学?中学から?
生活は?費用は?何を考えているんだ???
呆れたワタシは、一言言った。
「人種差別があるでしょう?そっちの方が大変なんじゃない?」
それを聞いた夫は、黙った。