転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



伊沃·波戈莱里奇现身上海 将“个性演绎”肖邦等名曲(2016年11月30日中国新闻网)

ポゴレリチは既にアジア公演を開始している。
現地時間で12月2日、上海でのリサイタルが終了したところだ。

「波戈莱里奇」って、…突然に表記を変えないで欲しいわ(^_^;、
以前は「波哥雷利奇」とかだったじゃないの(^_^;。
最初、「波哥」で探しても検索に引っ掛かって来なくて
困ったわよ(^_^;(^_^;。

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(写真は、サントリーホール前のカラヤン広場のツリー)

実質的に24日一日だけしか東京で過ごせる時間がなく、
昼は国立劇場に行くということで全く迷いはなかったのだが、
夜に関しては読響と、尾上左近の出る歌舞伎座『盛綱陣屋』とで激しく悩んで、
結局、私はこちらを取った。
イェルク・デームスの弾くベートーヴェンが聴きたかったからだ。
小林研一郎指揮、デームスのピアノでベートーヴェン『ピアノ協奏曲第3番』。

リハーサルがどのようであったかは知る由もないが、
デームスの自由自在のピアノに、オケが翻弄されているようなところが
あちこちにあった。
デームスはそれだけ、年齢を重ねて心が解き放たれたということなのだろう。
私の脳裏には、フー・ツォンが引用していた「赤子之心」という言葉や、
ハイドンの楽曲が、高齢になっても無心に遊ぶような彩りを放っていたこと、
また、晩年こそむしろ、レンブラントの自画像に光が射すようになったことなどが、
脈絡もあまりないまま、次々と浮かんでは消えた。

私がベートーヴェンの曲の多くを大変好ましく思うのは、
いつも「神様は居るんだ」という作曲家の言葉が聞こえるからなのだが、
88歳という年齢のデームスがそれを自由に闊達に弾くと、
まさに、ベートーヴェンの素朴な信仰が描き出されているように感じられた。
神社神道では、乳幼児であればあるほどこの世との交わりがまだ淡く、
それだけに神様に近い存在と考えるようだが、
年齢を経て赤子之心を持つに至った人もまた、
天衣無縫の、神の領域に近いもの、と思って良いのではないだろうか。
……などという連想も、デームスの音を聴いていると思い浮かんだ。

第3番はベートーヴェンが30歳頃に書いたもので、
作曲家としての彼の、創生の意気みたいなものが随所に感じられるが、
21世紀の聴き手である私には、その後のベートーヴェンがどうなったか、
彼の人生がどのようなものであったかも、概略だがわかっている。
演奏者のデームスもまた、ウィーンに生まれ、ギーゼキングに習い、
三羽烏のひとりとして世界的なピアニストとして活躍し、今日に至っているわけだが、
振り返れば彼のこれまでの道のりも、華やかではあっても、
決して平坦ではなかったことだろう。

…ああ、私は幼い頃、ギーゼキングの録音も本当に好きだった、
ギーゼキングは完璧主義者だったが、
オフにはチョウチョの好きな、可愛らしいお爺さんでもあった、
という逸話があったな……、
そうそう、U女史が以前、……あれはもう今から30年くらい前か、
デームスがいかにマイペースな芸術家で、
エージェントに我が儘を言って通して貰っているか、等々について、
面白おかしく話して下さったことがあったものだった。
………。

作曲家も演奏家も、聴き手も、遙かな人々も身近な人たちも、
皆、それぞれの人生で格闘し、生きられるだけ生きて、逝ってしまった。
88歳のデームスも、少なくとも残りの演奏家人生は、
どう見たって、もはや大変長いとは言えないだろう。
私自身にしても、無限に時間があるように思えた二十代の頃とは、もう違う。
この曲には、この芝居には、私の人生であと何回巡り会えるだろうか?
ひょっとすると、この一回が最後になるかもしれないものもあるのでは…?

今回、ベートーヴェンの3番の協奏曲を聴きながら私の中に浮かんだものは、
思い返せば、すべて、様々な人生の絵だった。
ベートーヴェンは言うまでもなく、デームスもまた偉大で、
そして、やはり、心から愛おしい存在なのだった、と聴き終えて、思った。

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雪の舞う国立劇場。午前11時開演。
三ヶ月通して上演される仮名手本忠臣蔵の、二ヶ月目。

堪能いたしました。
音羽屋の旦那(菊五郎)さん圧巻、
後半、勘平の台詞は極めて少なく、言葉によらない演技だけで
あれほど激しいドラマを見せていたのだと、私は見終わって改めて畏れ入った。
型の美しさは当然のことだったが、それを超えたところに
今回の菊五郎の目覚ましさがあった。
そして大播磨(吉右衛門)にもただただ感服!
仇討ちという肚(はら)を持ちながらも、それを皆に悟らせない、色気や大きさ。
周囲の懸命の訴えや、周辺で刻々と進行する事件を
吉右衛門の由良之助は、これまた台詞も動きも抑えたままで、
見ていない・聞いていないかのように装いながら、
実はすべて詳細に把握し続け、最後に時を見極め、決断を下した、
……というのが、大変よくわかった。
これぞ、主役!!

あらしちゃん(松緑)の定九郎がまた、キレッキレ!だった。
暗闇から最初に登場する定九郎の白い手、
与市兵衛を殺して奪った財布を口に咥え、
血に汚れた刀を着物の裾で拭き、足を踏み出したかたちの見得、
財布の中身を手探りであらため、たった一言の台詞「…五十両」。
……と、花道から舞台上手へと猪が駆け抜け、
その刹那、猟師の火縄銃の音が響き渡り、
目を見開いた定九郎の口元からは真っ赤な血が零れ零れて、
白塗りの太股に音もなく落ちる……!
たったこれだけなのだが、まさに息詰まるほどの10分間で、
今のあらしちゃんの、極限までの様式美を見せて貰ったと思った。

更に、今回のあらしちゃんのお蔭で、
私は初めて定九郎がどういう役なのかがわかった。
以前は、「悪の華」としてのビジュアルが定九郎の見どころだとしか
私は思っていなかったのだが、この芝居において大切なのは、
むしろ定九郎が「誰なのか」という部分なのだった。
すなわち、定九郎は塩冶家の浪人でありながら敵方に通じる裏切り者であり、
勘平の舅・与市兵衛を殺害した仇でもあったわけで、
偶然とは言え、この男を撃った勘平は、
二重三重に忠孝を尽くしたことになったのだ。

定九郎が、ただの色悪としてのチンピラでなく、
深い意味を持つ役としての印象を、残していればいるほど、
彼の命を絶ち五十両を奪い返すことになった勘平の行動もまた、
その価値を発揮するのだと、私はようやく理解できた。
だからこそ、功成り名遂げた武士となるはずであった勘平が、
志半ばで腹切をすることになった切なさと
命の際に連判状に血判を押すことのできた晴れがましさも、際立つのだ。
そして、由良之助が最後に、勘平の血糊の残る形見の刀で丸太夫を斬って、
手柄を立てさせてやる場面も、
定九郎の登場から始まる道筋が鮮やかであれば尚更、
結末としての手応えを増すのだ。

ともあれ、今回の五段目六段目七段目、私にとっての決定版になったと思う。
観ることができて本当に良かった!
おそらく、これが今年の私の観劇の中ではベスト1となるだろう。



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(写真は、JR広島駅の在来線コンコースにあるカープ優勝パネル)

カープのファン感謝デー帰りの人々でごった返す広島駅をあとに
ちょっと東京に行って来ます…

(相変わらず広島駅はカープ優勝で盛り上がっている(^_^;。
構内には名場面パネル、感動をありがとうポスター各種、
そして拡大する一方のグッズ売り場(笑))



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11月10日にエクスプレス予約から来たお知らせメールによると、
JR東海浜松工場の敷地内から発見された不発弾の処理作業が
12月18日(日)に行われることになり、当日朝、浜松~豊橋で
8時半から9時半の間、新幹線が運転見合わせになるということだった。
作業が順調に進めば、昼の12時半頃には平常ダイヤに戻る見込みだそう。

休日朝の話だし、それ自体はさほど重大な問題にはならない、
というのが世間一般の感覚だろうかとは思うが、
この日は実は、ポゴレリチの豊田公演が午後3時から始まることになっている。
作業が予定通りなら、午後の新幹線には直接の影響はなさそうではあるが、
私は今回、これ一回しかリサイタルが聴けないという事情もあるので、
お知らせメールを読んでから、当初の日帰り計画を変更し、
17日の仕事が終わったあと夜に広島を出発し、現地で前泊することにした。
近いところから来る人たちは、時間を少し調整すれば大丈夫だろうが、
広島からだと結構、距離があるので、僅かなアクシデントでも怖いのだ。
もともと12月は、ヘタをすると天候不良などで列車が遅れないとも限らず、
昼公演なのに当日出発では少し不安があるかな、
と感じていたので、もうこの際、思い切った(^_^;。


それにしても、なんでまた、よりによってポゴレリチが豊田で弾く日に
JR東海浜松工場でバクダンの処理があったりするんだろうねぇ。

……ついでにもう一泊して、帰りに京都の顔見世に寄るってのはどうよ……?
(ちなみに今年の顔見世は、南座が閉まっているため先斗町歌舞練場で行われる。)

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