HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

MARKS&WEB ハンドメイドボタニカルソープ 酒粕/コメ

2020年02月27日 | 美容

こんにちは。
久しぶりの美容部門です(笑)

とはいえ、相変わらずチープでよい物探しの旅、なのですが(;´∀`)

前回、三女に【酒粕/コメ】をあげてしまい、使用感を伝えることが出来ませんでしたが
今回、購入し使うことにしました。

両方とも白くて、同じものだと思うでしょう?
違うんだな~


じゃん!
もう片方は、【シアバター/シルクプロテイン】でした
でも、これも帰省していた三女にあげちゃいました(笑)
また購入して使ったときに、レビューしますね。

さて、この酒粕/コメ、今まで使ってきたものの中で、
一番、なめらかでふんわりした泡立ちで、肌に乗せたら気持ちいいです。
洗顔後の肌のつっぱりも、一番少ないです。
これは買いだ!と、さらに追加注文しました(笑)

その時に、またまた見つけてしまった『期間限定』商品。

 

サクラ/菜種

これも、もちろん購入です!使うのが楽しみです。
乾燥を感じない時期の使用になるので、いい感じかも。

この石鹸は全身に使えるもの。
全身に使ったら、いいのかもしれませんね。

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断腸の思い【卒乳】

2020年02月24日 | 結婚生活

二女の卒乳をした。
長女の時は、母乳が止まってしまったため、卒乳というものは経験がなく。
あの頃は、インターネットというものは個人では普及してなくて
育児本に頼ることが多かったっけ。

卒乳も

①おっぱいに顔を描く
②おっぱいにからしを塗る
③おっぱいを隠す

といったことが書かれていたように思う。

二女はとにかくおっぱいが好きで、言い聞かせてもなだめてもやめるそぶりはなかった(苦笑)


①から順に試した。
 描かれている目や口に、不思議な顔をするものの、特に関係ないといった感じで
 気にしながらも、乳をのむ。

②口にした途端、嫌な顔をし口を離した。当たり前だ、からいもの。
 でも、チャレンジしようとする。涙目になりながら果敢に挑む姿に、
 その場にいた実祖母もワタシもいたたまれなくなって、からしをぬぐった。
 失敗だった

③最終手段。ここは心を鬼にしなければ!
 絆創膏を貼り、くわえられないようにする。泣いて、剥がそうとするけれど、
 「もう、ないないよ。」
 というワタシの目を見ながら大泣きして、眠ってしまった。

授乳という束縛から逃れられる、という気持ちと
もうこの子は一生乳をのむことはないのだという、寂しさの入り交じった気持ちで
ワタシも涙が出た。

卒乳2日目。前日と同じようにワタシの服をめくり、飲もうとするけど乳はない。
「ないの?」とつたない言葉で聞いてきて、「飲みたいー!」と泣いて、再び寝た。

卒乳3日目。再び、服をめくる。
でも、自ら「ないない。」と(言い聞かせるように)言って
そっと服を下した。

次の日からは、たまに胸を見つめたり、触ってきたりしていたけれど
泣くことも訴えることもなくなった。

卒乳完了だ。

あのあふれんばかりの母性と乳とは、お別れなんだ。

卒乳したときは、実家にいたと記憶している。
それが、いつだったのかはハッキリとした記憶がない。

卒乳を決行しなければならなかったのだろう。


あんなに大泣きして、卒乳したのに、三人目出産後、2歳になっていた二女は
再び乳にありつけたという結末だった(笑)

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三度目のつわり。

2020年02月09日 | 結婚生活

ワタシが第三子を妊娠したら、いつも通りの生活は無理になる。
大人しい長女と、活発な二女。
ワタシは正直、生んで育てられるか心配だった。
夫の家事育児の協力を得られないまま、仕事をしていないとはいえ
全ての家事と育児、夫の世話がワタシ一人にかかってくる。


そこで、さらに姑の立場にある祖母が絡む。
八方ふさがりの気がしてならなかった。

でも、お腹の子をどうにかしようという気はなく
(完全に考えなかったということではないが)
選択はひとつしかなかった。

ワタシがあれこれ悩んでるときでも、夫は全くと言っていいほど
我関せず、といった調子で日々を過ごしていた。

ワタシは上の二人の時もそうだったのだけど
妊娠かも!?と思う前からつわりは始まっており
今回も絶賛つわりの真っ最中といった感じだった。

食べられない日々。
でも、夫と長女の三度の食事と、二女の離乳食上がりの食事を作らねばならなかった。
しんどくても、日々の業務(!あえて)はなくなることはなく、
出来るときに少しでもやっておかなければ、後々自分の首を絞めることになった。

そんな中、夫の神の一言が!

『子供を連れて実家に帰ったら?』

神の御慈悲か!

そう思ったほどだった。
これで、夫の世話から解放される!と思ったに他ならない

なんせ、精神的負担が減るということが、この上なく幸せに感じたのだ(笑)

 

現実的に考えると、夫は段々と病んでやつれていくワタシを見たくなかっただけだろう。
あの人は、汚いものを傍に置きたくない人だから。
自分のことは棚に上げて(笑)

実家に帰っているときの記憶は、ほとんど残っていないのだけど
約1か月ほどお世話になったと、記憶している。
つわりの時というのは、何をしても楽になることはなく
どんな状況にあっても、身の置き所がないようなしんどさと倦怠感におそわれる。
ひとつの命を宿した時の、出産への体の準備、と考えると
尤もな気もする。

『そろそろつわりもおさまったんじゃない?』

帰宅命令発動だ(笑)

さすがにこの頃の夫は、ワタシの実家にとってワタシは実の娘とは言え
もらい受けた側としての挨拶は、きちんとしていた。

『嫁と娘たちがお世話になりました』

言葉だけは、低姿勢(苦笑)       

 

態度では、(無意識で)実家親にも威圧的だったのにね。

これも、育った環境に作用されていたのかな。

 

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