HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

二人目妊娠中@猛暑

2019年08月31日 | 結婚生活

二女を身ごもった夏は、猛暑だった。
大きなお腹を抱え、長女と午前中は公園へお散歩に。
(この頃は、祖母からの監視の目のことも開き直っていた・苦笑)

お昼ご飯を食べて、長女とお昼寝タイム。
祖母は本当に自由で、何時なんどきでも訪れた。
その頃には、あまり物事を考えなくなっていた。
考えても、理解できない。

考えても、結果は出ない。

ただ、この家の常識には染まるまいと、意地になって自分なりの常識を保とうとしていた。

 

子育ても然り。
「Youさん、子供はね、言えばわかるの。手をあげてはダメよ」
正論だ。
しかし、言葉の通じない子供に、危険や痛みを教えるにはどうしたらいいだろう。
正解のない子育て、これだ!と思うものが現れるはずもない。

子育ての理想と現実に、ますます拍車をかける祖母。
そして、家事育児に完全不参加の夫。
その上、妻としてもすべてにおいて完璧を求める。


子供がいるからといって、適当な格好をしていてはいけない。
子供がいるからといって、化粧をせずにいるのはいけない。
常にきれいに、俺が自慢できるようにしておけ。

いつの間にか、化粧がワタシの鎧となっていた。
ただただ、行き先の決まったレールを、進むしかなかった。


妊娠8ヶ月を迎える頃、ワタシは便秘に悩まされていた。
ホルモンの状態によるものなので、特に医師からは緩下剤などは処方されず
整腸剤のみ飲んでいた。

そんなある日、便通の兆しが。
トイレでの格闘は、45分にも及んだ。
暑い夏の日。

とても暑くしんどくて、耐えきれないと思った。
そして、いきんでしまった。
目的は解消したけれど、新たな問題が浮上した。

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やってくれたことは。

2019年08月24日 | 結婚生活

お腹が大きくなってくると、体のバランスをとらないといけなくなり
歩く速度も、体の重心も変わってくる。
でも、夫と一緒に歩くときは、いつもおいて行かれた。

必死についていくのだけど、いつもはるか彼方に行ってしまう。
走って、追いかけていた。


「歩くの、遅くなったな」
ただ、一言だけだ。

 蛍光灯を変えることも、高いところのものを取るのも
重いものを動かすのも、頼むけれども、いつも忘れてしまうのだ。
しびれを切らしたワタシは、自分でやるしかなくなる。

 そして、それを見ると、嫌な顔をして
「もうちょっとくらい、待てばいいのに」
「言ってくれれば、やったのに」

そう言って、自分からは手を差し伸べることはなかった。

ただ、してくれたことがある。

 ゴミ出しだ。

 
ゴミ出しと、赤ちゃんの入浴はやってくれた。
それだけでも、ワタシは「してくれたこと」に感謝した。
それくらい、家のことはまったく気にもせず、やることもしなかった。

 家のことを手伝ってくれとお願いしたこともある。
その時に返ってきたのは
「俺は出来ないもん」
「君の仕事でしょ」
そうやって、ワタシの気持ちを少しずつ折っていくのだ。

 

子供が泣いても《俺にはわからない》で済ませる。
そして
「子供の泣き声、嫌やねん。早く何とかして」
泣き止ますには、子供の機嫌を取らねばならない。
子供の言う通りにするということも、増える。
子供がわがままになれば、「お前の躾はどうなってるんだ!」と責められる。

この子はあなたの子でもあるのに、と何度口から出かかっただろう。
でも、どう訴えても、《俺様常識》を押し付けられる。
それだけでも疲れるので、ワタシは段々自分を殺していくのだった。

 

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愚痴です。

2019年08月18日 |  雑 日 記

お盆に台風が過ぎましたね~
九州地方の方は大雨や強風で大変だったと思います。
こちらは昨年の台風があったので、人も街も十分な対策を取っていて
自ら半休を取るなどして、公共交通機関がマヒした時の教訓を生かしていました。

半休といえば。
台風がまだ来ていない頃、お盆ということもあり、仕事量が少ない日がありました。
何をしていればいいか迷うくらいだったのですが、上司は他部署へ出向き
仕事になるものを持って帰ってきました。
そうしたら。
なんと。

自分一人でそれを処理し始めたんですねー!

ええっ!?
以前の上司は「半分やってくれる?」などといって、仕事を与えてくれたんですよ。

念のために、この上司の経緯を言うと。

この上司は20年間この会社に勤務。
今までは一人でする仕事を担当。
ワタシの所属部署の上司が病気にて休職。
病気休職の上司が復職するタイミングで、新たな上司として今の上司がやってきた、ということです。

上司としてもこの部署の仕事としても、一番歴は浅いのですけどね、
なんせ、来て早々、ミスが発覚した時には
(この部署はその場でミスが見つかることがすくないのです)
「私がいないときのことなので、知りません」
「私がやったことではないので、わかりません」
を連発した人なのです。
なので、ワタシはまったく信頼していません。

だから、この時、話しかけました。
「本当にすることがないですね」
返ってきた返事は
「私はね、たまっている仕事があるけどねぇ・・・他のところにないかしら?」
と、まったくの他人事。

誰でも出来る仕事を奪っておいて、たまってる仕事しろやー!<(`^´)>

と、思ったのは言うまでもありません。

久しぶりに、腹が立ちました。

なので、半休を取って帰りました!
本当に能無しの上司ほど、鬱陶しいものはありません。
ちょっと身内にも愚痴ったのですけど、みな口をそろえて
「20年も平社員やってるんだから、器じゃないのよね。
 たまたま、人がいなかったから充てられただけでしょう」

と、言いました。

ワタシの考えは間違ってなかった。

自信がついたので、この上司をフォローしていきたいと思います。

当の台風当日は、半休を取って帰っていく社員たちを見送りながら
ワタシは勤務いたしました。
思うほど、台風の影響はありませんでした。

以前にとった半休がとても痛いです(笑)
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二人目妊娠

2019年08月17日 | 結婚生活

二人目を・・と言って間もなく、妊娠。
相変わらず、妊娠初期の出血はあり、
医師も体質かもしれないと言っていた。
赤ちゃんを包む袋の中が血でいっぱいで、
赤ちゃんが吸収されなければ大丈夫ということだった。

 そんなことに気を付けていた最中、
親戚の行事に行かなければならなくなった。
体調に気を付けながら過ごしていた時、
(原因を覚えてはいないが)祖母と激しく衝突した。

ほんのちょっとの、些細なことだったと思うけれど、
今までの鬱憤と精神面での不安定さが出たのだろう。
ワタシの言ったことに腹を立てた祖母に、中傷されたことは覚えている。
頭に血が上りながら、眠りについた。

 

翌朝、起き上がった時、下半身に違和感を覚えた。

ふと見ると、パジャマのズボンが血だらけだった。
まぎれもなく、子宮からの出血。
毎月のものとは違う、鮮血。
夫に事の次第を告げ、病院へと急いだ。
その時、夫に言われた。

「おばあちゃんには、言うな。
 自分のせいだと気にしたらいけないから。」

この期に及んで、何を気にしているのか・・・

そして、そのまま入院になった。 

担当医も、妊娠初期に関しては、お腹を強打するとかいったことの他は、
原因を特定するのは難しいと言った。
ただ、安静にしていること。
あとは子供の生命力と、運だと言われた。

 親戚の行事があるというと
「行ってもいいけど、その場所で入院ということになると思うよ」
と答えられた。

 

お腹の子供のために、行事出席はお断りした。
夫だけが出席することになった。

そして、長女はワタシの実家に預けることになった。
実家なら、安心だ。
それだけが、心から安心したことだった。
入院は、二か月に及んだ。
この間、毎日、仕事帰りに夫は病室に寄ってくれた。

あんなに幸せを感じたのは、この時が最後であろう。
「自分を見てくれる、大切にしてくれる」と思ったことは。

しかし、この入院だけでは、終わらなかった。

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墜落事故から。

2019年08月12日 |  思いのまま

日航機羽田発伊丹行123便墜落事故から、34年。
もうそんなに経つんだ。
当時ワタシは未成年だった。
記憶の中では、12歳ころだったと思っていた。

だけど、計算するとすでに17歳。(あ、歳がばれる!・笑)
あの頃は、今のようにインターネットなどはなく、
あまりの情報の少なさに、幼い心でヤキモキしながら眠りについたことを覚えている。

 

尤も、その便に知り合いが乗っていたとか、そういうのではなく
なぜか、乗客乗員を取り巻く人びとのことが、すごく気になっていたのだった。
運悪く、日没が重なり、現場を発見できたのは翌朝。
TVで流れる痛ましい映像。
その中に、一瞬、木の枝に引っかかった人の腕が見えた。

男性のものか女性のものかもわからない、一瞬のそれは
「これは現実なのだ」と、教えてくれた。
それ以降は、その映像が流れることはなかった。

 

事故原因の追究や、ボイスレコーダーの声を聴くたびに、
この事故だけではなく、身近にもありとあらゆる事故が大なり小なりあるのだと
少なからず、ワタシのその後にも影響を与えている。

 

事故から34年経った今、娘がその道を目指し、たどり着いた。
不安がないと言えば、嘘になる。
出来れば、何人も、そのような思いを抱かぬよう、過ごしてもらいたい。
誰だって悲しみを抱えて生きていきたくはない。
毎日が、一瞬が、永遠に続きますように。

改めて、この事故でお亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。

 

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コスメの誘惑『キュレル メイク落としジェル』

2019年08月11日 | 美容
こんばんは。
毎日暑い日が続いてますね。
今週末には、大きな台風が接近しますね。
昨年は怖い思いをしたので、備えあれば憂いなしでいきたいです。

さて、暑い夏。
ワタシは冬にすごく乾燥するので、なるべく価格を抑えて
且つ、うるおいの残るクレンジングを探していました。
そこで見つけたのが、これ。


牛乳石鹸、いわゆるcowbrandの『メイク落としミルク』
これにはオイルタイプとミルクタイプがあるので
しっとり感を求めて、ミルクタイプに。

冬を乗りきれましたね~🙌


でも、夏がやってきました。
果てしなく、暑い夏。
もう少しだけ、さっぱりとするクレンジングはないものか⁉️と
スマホで《50代 クレンジング 乾燥》などで調べました(笑)

サイトによってまちまちですが、FANCL、ORBIS、コスメデコルテなど知らない人はいないブランドが軒を連ね
その中に必ず入ってるのが、このミルクと乾燥性敏感肌を考えた肌荒れを防ぐメイク落とし 花王 キュレル 【Curel】でした。

潤いを残すということで、ジェルを購入。

確かに、すっきり落として気持ちいい😆
でも潤いは残ってる、って感じ。
でもやはり、そのままにしていると肌は突っ張ってきます😅
ワタシはダブル洗顔をしないと気持ち悪い人なので
(もちろん、キュレルにも洗顔するように書いてありました)
ちゃんとダブル洗顔をして、お肌のお手入れもしましたよ😉
個人的には、ジェルの延びも、なじみもすごく好みで、あまり肌を擦ることなく化粧を落とせると思います。

さすが、乾燥敏感肌用に作られたものですね。
いいと思います☺️


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そろそろ二人目を

2019年08月10日 | 結婚生活

長女はおとなしい子で、一人遊びが上手な子だった。

体がすっきりしないワタシのことを知ってるかのように

手のかからない子供だった。

 

そんな長女を見ていたら、兄弟がいてもいいかな、と思い始めた。

 

その頃は、夫の給与も順調に上がっていて

(とはいえ、同年代と比べればまだ低めで、保険や厚生年金などもなかったのだが)

会社の売り上げに応じて、ボーナスが出るという感じだった。

 

結婚してからわかったのだけど、夫は初めて勤めた会社を辞めてから

国民年金をずっと滞納していたようで、次々と納付書が送られてきていた。

トータルで5~6年間だったろうか。

結婚してからの国民年金は、祖母の計らいで(結婚の条件の一つ)

祖母が払ってくれていた。

国民健康保険も、祖母が世帯主だったため家族として載っていた。

 

幼い子供を抱えるには、まだまだ給与は満足いく額ではなかった。

でも、ボーナスをもらう度、夫の未納の国民年金を少しずつ払っていった。

後に、さかのぼれない期限切れの2年間を除いて、すべて払い終わった。

このことは、夫は知らない。

知ろうともしなかった。

 

そろそろ二人目を、と考えていた時、夫に言ってみた。

 

「子供もできたことだし、生命保険に入ってくれるかな?」

 

それに対する夫の返事は

 

「保険?そんなもの、要らないよ。おばあちゃんが残してくれる財産があるから。

 心配ないよ」

 

自分の給料は、すべて遣う。

それが、夫のやり方だった。

そして、夫の納得のいくものにしか、遣えなかった。

たとえ、それがワタシの必要としていないものであっても。

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MARKS & WEB ボタニカルソープ 再び

2019年08月05日 |  雑 日 記


こんにちは。
毎日暑い日が続いてますね。
元気でお過ごしでしょうか。

ワタシは先日、亡くなったにゃんこの三回忌法要に出掛けてきました。
途中のショッピングセンターで、寛ぎながらお茶しながら、小一時間、楽しんできました。

その時に、お風呂用の洗顔せっけんを切らしていたので、吟味して購入。
マンゴー/マンダリン




柑橘系の爽やかな香りが、とてもいいです☺️
ストレス肌用となっています。
潤いを残しながら、さっぱりと洗い上がります。
なのに、洗顔にも使えますなのです😁
そう!

一応、全身洗えるんですね。
でも、顔にも使えるくらい、なんです☺️

冬まで持つだろうなぁ😅
471円でした😉

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悪い夢であってほしい

2019年08月03日 | 結婚生活

長女が一歳になるころ。

朝起きるのが怖かった。

詳しいことは書けないけど、目に見えて長女の変わりようが見えたからだ。

 

最初は、何故かわからず、少し大きい病院へ診察に行った。

診断により、様子を見ることになった。

でも、日に日に状態は悪くなる。

再び、受診。

医師は診断をつけながら「原因はよくわかっていない」と言った。

 

ただ、内臓疾患ではないことが、わかった。

 

それでも心配だったので、大学病院へ行った。

症例が当時はあまりなかったためか、教授と呼ばれる人に診てもらうことになった。

 

「これはストレスによるものですね」

診断結果に驚いた。

こんなに幼い子供にも、ストレスがあるのだとその時初めて知った。

 

なにがストレスになっているのだろう?

来る日も来る日も考えた。

でも、原因なんてわかるはずがない。

長女はいつもと変わらず笑っているし、

当時のワタシは、本当に見当がつかなかったのだ。

 

今思うと、ワタシは肩に力の入りすぎた育児をしていたように思う。

それが引き金になったのかもしれない。

 

今ほど、ネットが普及していなかった当時。

得られる情報も、限られたものだった。

 

大学病院で聞いた治療法は、とりあえずやってみる程度のもので、

結果がついてくるものではないということだった。

それよりも、長女が幼すぎて、治療は出来ないと言われた。

 

疲れたワタシは、最初に行った少し大きめの病院に通うことにした。

 

ここの医師は、とても親身になってくれる人だったので、

定期的に様子を見ることになった。

 

そんなワタシに、祖母は言った。

 

「この子がこんなことになったのは、Youさんのせいね」

 

自分を否定された気がした。

夫は、特になにをするでもなく、ただ毎日を過ごしたていただけだった。

少なくとも、ワタシには心配している様子も感じられなかった。

これが、夫なりの優しさなのかもしれない、とワタシは考えることにした。

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