HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

娘からのプレゼント♪

2013年02月27日 |  雑 日 記
誕生日を迎えたワタシに、欲しいものはないかと娘たちがずっと聞いてきていた。
なかなか欲しいものが浮かばなくて、誕生日から約一ヶ月近く経った時、ふと浮かんだのがコレ。

銅製玉子焼き器!

もらっちゃいました!

嬉しいっす♪(*^_^*)
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祝☆合格!

2013年02月23日 |  子ども・親バカ
ようやく次女の受験が終わった。
なんていうと、国公立受験生には怒られるか(苦笑)

公募制推薦で思いがけない女子大に合格したのだが
第一志望大学(彼女にとっては二大学)のひとつはダメだった。
自分を追い込んで追い込んで、受けたもう一校も惜しくも不合格。

「受かってる女子大に行くわ~」
と、気持ちが流れつつ受験した第一志望大B日程。

女子大の手続き期限は、発表前。
親子揃って気持ちがシフトしていて、手続き完了。

発表日すら記憶から抜け落ち気味だった時、速達で届いた重い封書。

「合格してるみたいだよ?発表は正午からじゃなかったっけ?」
という味気ない合格発表となってしまった(^-^;

受かった両大学とも同じようなレベルで、甲乙つけがたい良い大学。
はじめは悩んでいたのだが、やはり目指していた大学ということもあり
第一志望大の方に決めたようだ。

来週には手続きしなければ。
女子大にはキャンセル手続きしなければ┌(;´゜ェ゜)┘

しかし散々心配かけて、狭き門で受かるってサプライズな奴やなぁ~(;´∀`)

だが、おめでとう☆
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だが・・・渦を巻く、気持ち。

2013年02月19日 |  思いのまま
さて、何から書きましょうか(苦笑)
整理できないこともあるとは思いますが。

ワタシは暴力は嫌いです。
ですが、人間が生きていくうえで、必ずしも体罰=悪 であるとは言い切れないと思います。
それは、人として、限度と節度というものがあれば、すべてが悪い方向へ進むとは限らないからです。
だけど、残された術が平手打ちでしかない場合でも(代用できると言われるかもしれませんが)
それを遠目で見た人は(事情を知らない場合)ただの暴力事件だと思うでしょう。

すべてにおいて言える事ですが、片方からの言い分だけでは、真相を知ることが出来ないという事です。


話は少々逸れますが、ワタシは学校の先生に
「手をあげなければならない事を子供がした場合、遠慮なく叩いてください」
と挨拶の時、言ったことがあります。
躾は家庭でするものです。
ある程度出来ていれば、先生が手をあげるような子供にはならないでしょう。
それでもなお叩かれたならば、話し合いをして先生の考えを聞くなりし、
善悪をはっきりさせればいいと、思っていましたから。

ワタシの小学校低学年時の担任が、とにかく罰を与える事を好む人でした。
宿題をひとつでも忘れたら、15分~30分の正座(重しあり)や、水平腕上げ継続15分など、さまざまありました。
気に入らない態度をとった時もそうでした。
一度、かなり強く抓られ、頬の顎近くが青痣になり、両親とともに教頭先生の自宅に訴えに行った事もありました。
その時は、翌日担任から謝罪はあったものの、しばらくすると体罰は復活しました。

そして、家では父が厳しかったので、そんな生活の中、
ワタシは、少しずつ性格的精神的におかしくなってしまったようでした。
毎日ビクビクとなにかに怯えながら、人の顔色を伺うようになっていたのです。

高学年に上がる頃、新しい担任になり、ワタシは変わることが出来ました。
担任はワタシを見て、母と連絡を取り改善の方向に持っていって下さったのです。

そうでなければ、今のワタシはいません。
その先生には、今でも感謝しています。
しかし、昔に受けた体罰と恐怖心は今でも甦り、苦しむこともあります。

そんなワタシですが、子供に手をあげた事は数回あります。
その時というのは、やはり感情に負けてしまった時。
感情に流されて叩き、子供の寝顔を見て涙するということを何度か繰り返し
自分の幼いころの感情とオーバーラップする日々。

『同じ思いは味あわせたくない。ワタシを恐れる目で見てほしくない』
そういった気持ちが、’怒り’という感情を抑え込みました。

手は上げなくなりましたが、怒鳴ることはありました。
そして、諭すように話すということも覚えました。

けれども、その後も娘を平手打ちしたことがあります。
それは、ヒステリーを鎮めるためでした。
その当時の娘は、自分の思いが爆発し、泣き始めるとヒステリーを起こし
泣き叫び続けることがありました。
確か4歳くらいだったと思います。
やむにやまれぬ思いで、軽く叩きました。しっかりしなさい、と。

叩かれた娘は、びっくりして泣き止みました。
その後、ヒステリーを起こすことはなくなりました。

それからは、何度か注意したことをやらなかった場合、
罰として、軽く頭をはたく程度のことはありましたが、
娘たちも成長し、怒ることも少なくなりました。


日常的な体罰は、絶対にいけません。
それは、躾でも教育でもなんでもありません。
ただ、子供の想いを削ぐだけです。
子供の人格を’消して’しまいます。
子供自身は’自分の存在も意思も感じなく’なります。
そんな子供に、大きくなって一人で歩けといっても無理です。

少々話はそれましたが、部活動の顧問となると、他人ですから
気持ちの伝わり方も、さらに鈍ります。
子供は、親に対しては無条件に信頼を寄せていますから、
恐怖を感じながらも、体罰を受け止めざるを得ません。
しかし、信頼関係を結べていない他人からの暴力は、愛情を感じることすら難しいと思います。
暴言とセットなら、尚更です。

ここまで書いていますが、まとめるのは難しいです。
でも、基本的に、ワタシは体罰には反対です。
ただ、家庭的に満たされていない子供に対して、親の部分をカバーする意味でやったとしたら、
何とも言えません。
家庭でも体罰はいけないことと思いますが、どうしようもない場合があるとしたら
’してはいけないこと’の一辺倒では済まされないこともあると思います。

親ですら子育てに悩むのですから、教師も悩んで当たり前。
だからこそ、安易に体罰をしてはいけないのです。
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三作目へ。

2013年02月08日 |  雑 日 記
次女三女からのリクエスト作品を作り終え、時間を持て余している(苦笑)



仕事柄、今の時期は仕事が少ない。

よってシフトも入ってない(ToT)


10年近くあたためていた、じ~ちゃん用に購入していた毛糸を出してきた。
(どれだけ放っていたんだか…(;___))
早くベストを編んであげよう。
(写真はゲージを取るため編んだもの)
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体罰は暴力だ。だが・・・

2013年02月01日 |  思いのまま
今、体罰によって自殺した子の件から、次々にスポーツ界での体罰へと波及している。

ワタシは「水なんて飲むな!飲んだら負けだ!」というスポーツ精神時代に
部活動をバリバリやっていたわけだから、体罰も一度は経験している。
とはいえ、顧問に平手打ちをされたのは、中学1,2年の時だったと記憶している。
その時、思い返せば部活動顧問は全くの素人で、本を買ってきて勉強し指導するといったものだった。
そんなこともあってか、先輩方から舐められたような態度を取られ続けていた顧問が
ある日突然豹変し、いきなり怒られた、というようにワタシは受け取った。
その時は「連帯責任だ」と言われ、並ばされて平手打ち。
その後、「1年は30周、2年は40周・・」とか走らされた。

きっと何らかの理由があってのことだったんだろうけど、今では記憶が定かではない。
(結局、この新しい顧問が指導し始めたおかげで、以前から来てくださっていた経験者のコーチは
 わが校には来て下さらなくなり、別の学校を教え始めたという・・(^^;)

ぶたれた時は、漠然と「しようがない」と皆感じていたのだろう。
だけど、ワタシ自身としては、課せられた罰を難なくこなせてしまったことに
逆に自信を覚えたことは、はっきりと記憶している。

こういった感情が’愛のムチ’として認識されてしまうのだろうか。

それ以降、体罰はない。
高校時代の部活動コーチも厳しかったが、手を上げることはなかった。
苦しい練習を毎日のようにこなせたのは”上手くなりたい””強豪校を破りたい”という気持ちがあったからだろう。
高校の3年間は、ほとんど家にはいなかったし(^^;

ただ、年上の方は「体罰も必要だ」と仰られる。
体罰がないと上手くはならないと。
確かに、体罰うんぬんは置いておいて、’なにくそ!’という気持ちがないと
上には上がれない。
それはスポーツだけではなく、どういった環境・状況に置かれてもだ。

体罰はいけないことだ。
だけども、体罰をなくしたとしても、パワハラや暴言は無くならないと思う。
体罰以上に、線引きが難しい事であるからだ。
それは、セクハラでおわかりだろう。
パワハラや暴言は、スポーツの世界だけではない。
日常的に、其処ここにあるのだから。
例えそれが、安らげるという家庭内であっても。
個々の人間の認識を、もっともっと深めなければ、減ることはない。

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