HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

明日は我が身にならぬよう

2023年12月24日 |  思いのまま
こんにちは。
お久しぶりでございます。
とても大荒れのお天気で、寒くて寒くてたまりません。
予想通り、新型コロナがジワジワと増えているようですので、お気をつけ下さい。

さて、実は実家の母が大腿骨骨折いたしました。
真夜中に転んだのだそうです。
翌朝、救急車で病院へ。
週末ということもあり、麻酔科が動くまで待機。
足を牽引して待つことに。
骨折から時間が経っていたことと、血圧低下により輸血開始。

さぁ、母が入院の間、同居妹は仕事、
…父をどうするか…
ということになり、急遽ワタシが有給消化して数日帰省することに。

父は母と学年は違えど同い年で、父も糖尿病を患っていることもあり
足取りもおぼつかなくなっていて、心配です。

手術後の母を見舞い、下の妹と合流し実家へ。
ここ数日、実家で家事をしていましたが、とにかく父は
「帰ってきてくれ」
の一点張りで、母を心配するより先に
「ばあさん、退院してきても動けないだろうしなぁ。どうしたものか」
という言葉が出る。
そして、はじめは自ら動いていたのに、ワタシに「これをしてくれ」など言い出し
最後は自分がすることさえ忘れて、寝てるだけでした。

わかる、わかるよ、しんどいよね。

だけどさ、ワタシが用意した食事が口に合わないと
「美味しくないからいらない」
と箸を置くし。(このときはハンバーグ)

そう、自分は動きたくないから、母の代わりになる人が必要なのですね。

父には、子としてとても感謝しています。
大学まで行かせてくれた。
だけど、どうしても亡くなった祖母や
母や私達姉妹にした数々の酷い言動は、忘れられないのですよ。
そんなことを全て流して、自分の面倒を見てほしいとは…
本人は自覚がないのですよね。

ワタシが実家に戻ったら、職を失います。
この歳ですから、パートになるでしょう。
でも、ワタシも社会保険料は払わなくてはなりません。
自分の食べる分も稼がなくてはなりません。
そうすると、両親の面倒をみている時間は限られます。
それを説明しても「すぐにでも帰ってきてほしい。」としか言わない父。
自分のことしか考えてない。
ワタシの老後なんて、考えてもいないのでしょうね。

ワタシも自分の身を振り返り、改めてひとりで生きていく気持ちを持たないといけないと思いました。
子供がいるからといって、頼れるわけではない。
自分一人生きていくだけしか、お給料を貰ってないのですから。
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言葉が刃に変わるとき

2023年10月21日 |  思いのまま
ずいぶんと気温が下がってきましたね。
今年もあと2カ月余りですねぇ…

最近耳にした言葉

「得体のしれないもの」

しばらく、この言葉が耳から離れません。
事あるごとに、頭の中をループします。

これには、わけがあって。

ワタシは、どちらかというと自己肯定感が低いほうです。
というのも、幼い頃から父親にパワハラを受けていたということも関係があります。
人との距離を取るのが下手で、自分の思いを伝えるのが下手で
「自分が我慢すれば、すべてうまくいくんだ」
と思いながら、成長しました。

大人になり結婚し、元夫は一部自信をつけさせてはくれたものの
それは元夫本人のためであって、ワタシのためではなかった。
年々モラハラが強くなり、本人は無意識であったろうけど
父親のこともあり、徐々にワタシは”自分を”なくしていきました。

元夫を育てた祖母もご多分に漏れず(女性を大切にしているにもかかわらず)
大切なのは「長子」
2人目を出産したあと、長子の時とは打って変わって
溢れんばかりの母乳が出たのです。
当時主流になっていた「冷凍母乳バック」を購入し
搾乳しては、新しいものを冷凍しておくようにしていました。

長子を連れて出かけなければならなかったとき、
元夫に、冷凍母乳の解凍方法を伝え、すべて用意して出かけたのです。
(当時は、母乳神話が強かったのです)

帰宅した時、2人目の泣く声が響いていました。
家に入ると、祖母が2人目を抱いて、元夫は傍で煙草を吸っていました。
祖母は「お腹が空いているのよね~」と。

『元夫さんに、冷凍した母乳を飲ませてと頼んだんですが…』
と言うと

「そんなわけのわからない、得体のしれないもの、
 大切な子に飲ませられますかいな!!」
と言いました。

たった、それだけのことです。
たった、それだけ。
なのに、自己肯定感が低いためか、自分を否定されたように感じて

わけのわからない
得体のしれない

という言葉は、ワタシにとって心に刺さる言葉になりました。

もちろん、自分に関しないときであれば、スルーすることも出来ますが
自分に関することとなると、心がザワザワしてしまうのです。

言葉一つを怖がることはありません。
人はそれぞれ、様々な経験をしているのですから、
(できれば、負の経験はしない方が良いですが)
言葉一つを怖がっていては、コミュニケーションを取ることも出来ないので
気にする必要もないと思います。

でも、出来れば、そんな風に思わなくてもよいような
生き方を出来たらな、と思います。
この世から、少しでもハラスメントが減りますように。

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四十九日法要、位牌開眼供養

2023年01月05日 |  思いのまま

あれから、四十九日が過ぎようとしています。

復活から、あっという間に逝ってしまったワンコ。
世話をかけることなく、去り際あざやかに逝ったことは、本当にらしいというか(苦笑)

以前見送った猫は、しばらく気配があったのだけれど
ワンコは、まったくそれを感じず、寂しいやら潔いやら…
四十九日を待たず、待っている猫のもとへ行ってしまったのか。

どちらにしても、ひとつの区切りを迎えます。
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愛しのワンコ、旅立つ

2022年11月26日 |  思いのまま

令和4年11月18日、ワンコが旅立ちました。

寄る年波には勝てず、色々な病気を抱えた晩年でした。

急性膵炎から慢性膵炎に移行し、
腎臓病は皮下補液と投薬で、急激に悪くならないようにし
食欲も出て、安心した矢先でした。

ただ、体の調子が良くなっても、白内障により両目がほぼ見えなくなっていて
感覚的に、家の構造をなんとなくわかっていて動いていましたが
寝起きなどは方向が全く分からなくなって、トイレが間に合わないことも増えていました。
人間がいるときは、気付いてすぐに処理できますが
日中は出勤のため、排せつ物を放置するわけにもいかないし
おむつを利用することにしました。

まだまだ自力でトイレをすることも出来るし、
おむつを付けっぱなしでは、皮膚環境にも良くないので
出来る限りサポートをしようと思っていました。
部屋にあるマットなどの敷物は、すべて撤去し
粗相をしやすい場所に、トイレシートを敷いておく生活。

あんなにお散歩が好きだったのに、目が見えなくて怖いせいか
家の前をうろうろするだけになりました。
足腰が弱らないようにと、外へ連れ出していましたが
嫌がることも増え、家の中で歩き回っていればなんとかなるか、と思い始めたときでした。

いつものように夕飯を食べ、いつものように少し急いで食べてるな…喉に引っかかったかな?くらいの感覚でした。

翌朝、少々呼吸が荒いかな、と思いましたが、出勤前に声をかけると
立ち上がって何かのニオイを嗅ぐように、動き回ったので
帰宅したときの状態で、病院に行くことを考えていました。

通勤電車に乗っていた時、家にいた娘から連絡が来ました。
『ワンコの様子がおかしいので病院に連れていく。
 今までの病歴と血液検査結果のある場所を教えてほしい』
かかりつけの動物病院は、その日は休診日。

奇しくも、家を出るきっかけを作ってくれた猫を、
救急で運び込んだ動物病院へ、これもまた同じく娘が連れていくことに。


誤嚥性肺炎


よく聞く病名。

でもまさかうちのワンコがなるなんて。


入院したので、退勤の足で動物病院へ。

酸素室に入り、呼吸は少し楽になった様子。

静脈に点滴で輸液しながら、腎臓に負担がかからないように

抗菌薬を入れると聞いた。

ワンコは立ち上がって、くるくると回った。

まだ力がある!と思いました。

「また来るね」

と声をかけ、病院を後に。

娘と退院後の生活についての話をし、取り急ぎ土曜日に面会に行き

獣医師の話を聞こうと話していました。


金曜の朝、出勤の用意が少し遅れ、バタバタと家を出ようとした瞬間

私より先に、出勤のために家を出ていた娘から電話が。


「ワンコ死んじゃった…」

病院から、娘に連絡が来たのでした。


これからのワンコの介護を、色々と考えていた時でした。

そして、ワンコ大好き三女も急遽帰省し、動物霊園にて葬儀を執り行いました。


体は、今にも動きそうなほど柔らかく、被毛もふわふわで

目を覚ましそうなくらい。

もう、目があった途端ちぎれんばかりに尻尾を振る姿も

帰宅したら、喜んで吠えて飛びつく様も、もう見られません。

悲しくて仕方なかったけれど、長生きしてくれたこと、

いつもそばで寄り添ってくれていたこと、

とても幸せでした。

ありがとう。

また、会おうね。


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復活ワンコ。

2022年09月03日 |  思いのまま

こんにちは。
朝晩は過ごしやすい気温になってきました。
日中はまだまだ残暑が厳しく、エアコンが欠かせませんね。
・・・今年は値上げにより、使用量が少なくても、
昨年より支払いが高くなりました(泣)

さて、ワンコの余命宣告から、二週間余り。
現在のワンコはというと、見た感じでは弱る以前に近く、元気になっています。
前回の血液検査で、肝臓も腎臓も数値が高かったのですが
膵炎も起こしていて、食欲低下はそれが原因だったそうです。
5年前に登場したという、膵炎に効くブレンダという薬を注射してもらってから
驚くほど、回復しました。

本来であれば、3回、間を空けずに注射するのが良い、それか投薬を続けるか・・・
だったのですが、注射を一回だけしてもらい、様子を見ることにしたのです。
院長先生も、一回だけでもいいんじゃないかと言ってくれました。
これはやはり経験則によるもので、多くの動物たちを診てきた経験者ならではの
見立てなのだと、感じました。

ワンコも食欲はあるようで、自分の食べたいものは、食べるようになりました。
決して量は多くはないですが、日によって食べたいものが違うようで
昨日食べたのに今日は食べない!ってことは、しょっちゅうです(苦笑)
それでもなんとか維持できているのは、毎日の栄養剤と対症療法のお薬のおかげでしょうか。

先日も、再診してきましたが、担当医の若手獣医さんは
「院長と相談して、数値にとらわれることなく、診ていくことになりました」
と、検査をせずに現在のワンコの状態と、見ている家族の状況とを鑑みて
これからを決めていきましょうと、おっしゃりました。

毎日の栄養剤と投薬は変わらず、家での皮下補液は一日おきで量も減り
ワンコの食べたいもの(塩と油は注意)を食べさせる、という方針に。
最近、元気になったので皮下補液の時にあばれるんですよ
なので、一日おきっていうのは、助かります(苦笑)

いつの日か、弱ってしまう日が、来ると思います。
命に期限はありますが、決まった日が分かるわけではありません。
介護や介助は、毎日毎日続きます。
そういった中で、どこまで機嫌よく過ごさせてあげられるか・・・
それが、飼い主の責任であると、思っています。

余談ですが、妹から様々な患者さんの話を聞いてきました。
それは、動物想いから獣医になった彼女の、いわゆる愚痴という形で。
どんなに獣医が動物のことを思って診療にあたっても
飼い主が動かないことには、動物には反映されない、と。
毎度毎度同じことを注意しても、同じ結果を連れてやってくる、と。

そして、経験から先が分かっているため、飼い主の負担にならないように診療しても
それを望まず「元の健康な状態に戻してほしい」と過度の治療を望む飼い主や
ワタシと同じような考えの飼い主が、先のわかった治療を了承したとしても、
病院経営陣に叱られる、といった理不尽さも。
世の中、うまくいかないものですね(汗)

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命の期限。

2022年08月25日 |  思いのまま

こんにちは。
まだまだ残暑が厳しいですね。
新型コロナの第7波で、ワタシの会社の人もある程度飲み込まれましたけど
幸い、大事に至った話は聞かなくて、少々ホッとしています。

さて、家には16歳を迎える、ワンコが居ます。
ずっと、病気らしい病気もせず、健康に生きていましたが
(年齢による胆泥症があり、投薬治療はありましたが)
先月、突然の下痢をしてから、瞬く間に体調を崩してしまいました。

一度は元気になったものの、いきなり食事をとらなくなり
大量に飲んでいた水(この時点で病気疑いなのですが、高齢のため様子見となっていました)も飲まなくなり
一気に弱ってしまいました。
かかりつけの動物病院を受診。
昨年入った若手の獣医さんが、一生懸命診てくれました。

そこで告げられたのが、余命1~3ヶ月。
食事をとらないままだと、1ヶ月。
摂るようになっても、3ヶ月かな・・・と。

覚悟していたこととはいえ、辛くて、悲しくて。

一週間分のお薬をもらい、点滴を打ちに通うか、自宅でするか検討するように言われました。

どうするのが、ワンコにとって一番良いのか。
家族で考えました。
良くならないのであれば、生きながらえさせる治療は、酷ではないのか。
しんどいだろうけれど、何もせず命の終わりを迎えるのが良いのか。
楽にしてやりたい、少しでも気分よくいてくれれば・・・というのは、人間のエゴではないのか。

獣医である妹にも、相談しました。
血液検査の結果を伝えると、一言「厳しいな」と言いました。
ほぼ、腎不全に近い数値で、回復の見込みは薄い、と。
家での、皮下補液を考えていることを話すと、
「いいと思うけど、少ししんどいのを長引かせる形にはなるよ」
と、動物想いの妹らしい言葉が返ってきました。

念のため書き添えますが、妹は診察していない動物のことを、あれこれとは言いません。
たぶん、医療者なら相当数の人が、そうするとは思いますが。
そしてワタシも、今まで丁寧に診てくれた獣医さんを、信頼しています。
妹が獣医であることなど、口にしたこともありませんし
これからも、するつもりもありません。

診察結果に涙してから2日。
やはりワンコの食欲は戻らず、弱っていくので、
半休を取って、再受診。
今回は、院長先生が診察。
もう、塩と油に気を付ければ、何を食べさせてもいいと。
野菜入りのおかゆや、パンなどでもOKだと。

いつもの優しい笑顔で、あれこれと案を出してくださり、
そして、皮下補液の練習を。
ワンコの体に針を刺す怖さを感じながら、レクチャーを受け帰宅。
ワンコの命には一切触れることなく、
「今、できること、してあげたいことをする」ということを、伝えてくれました。

家での皮下補液を始めて、3日。
毎度、怖さを感じながら、点滴をしています。
娘は猫派ですが、残り少ないワンコとの時間を濃密に過ごしています。
もう一人のワンコ大好き娘は、死に目に会えないかもしれないと泣いてました。
家を出るときに、その覚悟はしていたけれど、やはり辛い、と。

ワタシは、いつも通りのスタンスで・・・と思っていますが、
もっと温かいうちに抱っこしておけばよかった、とか後悔しないかな・・とか
いまだに「なぜか」迷ってます(汗)
命という、大きなものを目の前にして、少々怖気づいています。

ワンコは、少し元気になりました。
次の診察で、どういう結果が出るのか。
期限のある、二度と会えないものに、人間のエゴを押し付けないように
どうやって見送るべきなのか・・・と考えています。

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Only YOU.

2022年07月31日 |  思いのまま
こんにちは。
毎日、酷暑といわれる日々で、本当にこの先はどうなってしまうのだろう?と思い始めたYouです。
暑いですが、手洗いうがい換気をして、健康に気をつけながら、過ごしましょう。

さて、Twitterをしているワタシですが、
最近では、もっぱら見る専門で、発信したりはしなくなりましたが
先日、とあるツイートが流れてきました。 (いいね!をもとにおすすめ、だとかでフォロー以外のものもタイムラインに流れてくる…)

要約すると、
自分の亡くなった子供は、重度の障害をもっていた。
その子供が亡くなったとき、友人は「これでお母さんも幸せになれるね」と言った。なぐさめだとはわかっているけれど、亡くなった子は、私にとっては代わりのない子だし、その子は私と一緒に生きたかっただろうし。

というものでした。

ワタシが3人目を出産したとき、大正生まれの祖母は
『ひとり何かあっても、残り2人いれば…ね』
と言ったことがある。
医療の発達していない時代の人にとっては、数が大切だったのでしょう。
その時ワタシは、祖母が何を言っているのか理解が遅れ、
漠然と時代を感じました。

しかし、子育てをしていると、そういう考えは吹っ飛んでしまう。
同じ子は、ひとりとして存在しない。
同じ親から生まれてきても。
子供に合った対応をし、導く。
それはなんて尊く、難しいことであるか。

ワタシは、祖母の言葉を否定はしないけれど、肯定もしない。

その子は、その子なのです。
代わりになる子は、どこにもいない。
数で埋め合わせできるのは、考える時間を少なくするということだけ。

だから、ワタシも自分の身に置き換える。
ワタシはワタシだけであって、誰も代りは出来ない。
ワタシにしか出来ないこと、存在があるということの繋がりを
大切にしたいと、思っている。

それは、ワタシという存在が必要であるのか曖昧に思えたとき
ちゃんと、認識させてくれた人がいるから。
その人のことを心に留めながら、ワタシは毎日楽しく生きる😊
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25年の後遺症。

2021年12月18日 |  思いのまま
こんにちは。
ずいぶんと寒くなりました。
先日、無事にインフルエンザワクチンを接種することが出来ました。
とにかく、重症化だけは避けたくて。
まぁね、先一昨年はワクチン打ってても罹患して
寝込みはしたんですけども。
あの程度で済んだと思えば、ね😅

さて、『結婚生活』のお話も佳境に入ってきました。
というか、ほとんど終わりに近いです😅

もう、家を飛び出して5年、
離婚が成立して4年ですが、
今になって、失われたワタシというものの大きさを
感じるようになりました。

自由を得たからといって、本来の自分に戻れるわけではないのです。
本来の自分がわからない程度に、
長い時間をかけて、変えられてしまった、感じです。

ワタシが欲した物事を否定され、潰され
それを繰り返されたために、
無関心になってしまった自分がいます。

そして、自分の意見というものが、わからなくなります。
いくら意見を言っても無駄で、
突き放され、否定され、バカにされ
そんな経験をすると、なんとも思わなくなるんですね。
会社でも、圧の強い先輩方にも同じ臭いを感じて
意見できない自分がいます。
(意見したこともありますが、ほぼ無視されましたし)

きっと『おとなしい人』とか『変な人』って思われてるでしょうね(苦笑)

でも、出来ないんです。

毎日が、空気のように漂っているだけな感じです。

これからも、こうなのだろうか。
育児中は、自分にも感情があったけれど
手を離れた今は、ただ感情があるかのように
表情筋が動いているだけ。

そこに気持ちはのっていない。

完全に、後遺症ですね。
もう戻らないでしょう。
それでも、生きていかねばなりません。
なるようになる、と信じてね。
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あの頃にはすでに心は決まっていたのだ。

2021年06月13日 |  思いのまま
三女が大学進学で上京して1年近く経った頃、
ワタシは突然
「三女のところへ行ってくる」
と、元夫と上の娘二人を残して、突然出掛けた事があった。

特に何があったわけでもなく、
思い立ってのことだった。
三女の荷物整理に行った入学式前、
それから勉強とバイトで忙しい我が子に会いたかった、という気持ちもあったのだろう。

三女はとても喜んでくれて、焼き肉を食べ、カラオケに行き楽しんだ。

その時に歌った、back numberの【ハッピーエンド】
想うことなどなにもなかったのに、途中で胸が詰まって声が一瞬出なくなった。

このときに気付いたのではなかったか。

ワタシタチ夫婦に〈未来はない〉と。

あれから6年経った今、この歌を聴くと確信する。
もうすでに、気持ちは決まっていたのだと。

その翌年には決定打があって、家を飛び出し代理人をたてて離婚に向かったのだ。

三女が大学生の頃に、もっと行ってやりたかった。
様々な要因と理由で叶わなかったけれど。

今でも言われるものね
「私が病気じゃないと来てくれない」って
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環境の違う人たちと。

2021年06月02日 |  思いのまま

最近、考えることがある。

ワタシは夫からモラハラを受けて、結婚生活を過ごしてきたわけだけど
そのせいかおかげか、「社会」というものに揉まれることもなく
囲われた中で、歳だけ取ってしまった感じだ。
だからこそ、感じてしまうことかもしれない。

今、ワタシが勤務している会社は(ワタシがよくする表現なのだけど)
底引き網的な仕事で、どちらかというと「負」の部分を担当するものだ。
給料も低いため、どうしても仕事を選んではいられない年齢の人々が多い。

年齢を重ねた多くの人(ほとんど女性)は、程度の差こそあれ
歩んできた人生の差が、性格や動作に表れているように思う。(@ワタシの会社)
【自分の感覚が常識だと人に押し付けたり】
【自分の物差しではかり、すぐに結論を出す】
なんてことは、日常茶飯事だ。
これを全面的に出すものだから、若い子が居付かない。

「あの子はこれだからダメなのよ~」
という台詞も聞いた。
上司の立場の人が言うのではなく、長年勤務しているヒラの人が平気で言い、
あからさまに態度に出す。

お前は何様なんだよ


そうワタシは思った。

自分の機嫌で仕事をし、自分のやり方を押し付ける。
これでは、嫌気が差してしまうだろう。

幸いにもワタシは、結婚生活においては精神的な部分では恵まれなかったが
金銭的な部分では、それほど不自由もなかった。
娘たちはそれなりの学校に通わせられたし、
勉強や目指すことにも十分に応援することができた。
ワタシも母親として、新しい経験をさせてもらえた。

そんなワタシが、社会人として再出発をしたときに思ったのは

ほんとうに色んな育ち境遇のひとが、同じ場所で働いているんだ、ということ。

当たり前と言えばそうなんだけど、子育てをするに当たって思ってきたのは
それ相応の環境と学力を備えれば、同じような環境にある人間とともに学び
それに付随して、(本人の努力にもよるが)教養も身に付くということだったから。
しかし、それは、学生の間のことであって、
社会へ出れば、本当に色々な人間と、同じ場所で、同じラインで過ごすことになる。

このギャップに適応できなければ、しんどいだろう。

社会人経験の浅い、こんなワタシが大きな口を叩くのは、
差し出がましく、無知ならではこそと言われるかもしれないが

人間性を疑うほどの粗暴な人と働くのは、本当は嫌だ(*^▽^*)
笑顔で言ってやる(笑)

でも、そこには結婚生活で鍛えられたワタシの精神力が発揮される(笑)

「朱に交わっても朱くはならない」ワタシだ(^^)/


もちろん、会社には【普通の人】も【上品な人】も
【教養の高そうな人】もいる。(10本の指で収まる/勤務人数100人強)
人としての、芯の部分だけは貧しくならないよう、腐らせないようにしようと思う。
ワタシは、ワタシとして生きていく。

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