事あるごとに、頭の中をループします。
これには、わけがあって。
令和4年11月18日、ワンコが旅立ちました。
寄る年波には勝てず、色々な病気を抱えた晩年でした。
急性膵炎から慢性膵炎に移行し、
腎臓病は皮下補液と投薬で、急激に悪くならないようにし
食欲も出て、安心した矢先でした。
ただ、体の調子が良くなっても、白内障により両目がほぼ見えなくなっていて
感覚的に、家の構造をなんとなくわかっていて動いていましたが
寝起きなどは方向が全く分からなくなって、トイレが間に合わないことも増えていました。
人間がいるときは、気付いてすぐに処理できますが
日中は出勤のため、排せつ物を放置するわけにもいかないし
おむつを利用することにしました。
まだまだ自力でトイレをすることも出来るし、
おむつを付けっぱなしでは、皮膚環境にも良くないので
出来る限りサポートをしようと思っていました。
部屋にあるマットなどの敷物は、すべて撤去し
粗相をしやすい場所に、トイレシートを敷いておく生活。
あんなにお散歩が好きだったのに、目が見えなくて怖いせいか
家の前をうろうろするだけになりました。
足腰が弱らないようにと、外へ連れ出していましたが
嫌がることも増え、家の中で歩き回っていればなんとかなるか、と思い始めたときでした。
いつものように夕飯を食べ、いつものように少し急いで食べてるな…喉に引っかかったかな?くらいの感覚でした。
翌朝、少々呼吸が荒いかな、と思いましたが、出勤前に声をかけると
立ち上がって何かのニオイを嗅ぐように、動き回ったので
帰宅したときの状態で、病院に行くことを考えていました。
通勤電車に乗っていた時、家にいた娘から連絡が来ました。
『ワンコの様子がおかしいので病院に連れていく。
今までの病歴と血液検査結果のある場所を教えてほしい』
かかりつけの動物病院は、その日は休診日。
奇しくも、家を出るきっかけを作ってくれた猫を、
救急で運び込んだ動物病院へ、これもまた同じく娘が連れていくことに。
誤嚥性肺炎
よく聞く病名。
でもまさかうちのワンコがなるなんて。
入院したので、退勤の足で動物病院へ。
酸素室に入り、呼吸は少し楽になった様子。
静脈に点滴で輸液しながら、腎臓に負担がかからないように
抗菌薬を入れると聞いた。
ワンコは立ち上がって、くるくると回った。
まだ力がある!と思いました。
「また来るね」
と声をかけ、病院を後に。
娘と退院後の生活についての話をし、取り急ぎ土曜日に面会に行き
獣医師の話を聞こうと話していました。
金曜の朝、出勤の用意が少し遅れ、バタバタと家を出ようとした瞬間
私より先に、出勤のために家を出ていた娘から電話が。
「ワンコ死んじゃった…」
病院から、娘に連絡が来たのでした。
これからのワンコの介護を、色々と考えていた時でした。
そして、ワンコ大好き三女も急遽帰省し、動物霊園にて葬儀を執り行いました。
体は、今にも動きそうなほど柔らかく、被毛もふわふわで
目を覚ましそうなくらい。
もう、目があった途端ちぎれんばかりに尻尾を振る姿も
帰宅したら、喜んで吠えて飛びつく様も、もう見られません。
悲しくて仕方なかったけれど、長生きしてくれたこと、
いつもそばで寄り添ってくれていたこと、
とても幸せでした。
ありがとう。
また、会おうね。
こんにちは。
朝晩は過ごしやすい気温になってきました。
日中はまだまだ残暑が厳しく、エアコンが欠かせませんね。
・・・今年は値上げにより、使用量が少なくても、
昨年より支払いが高くなりました(泣)
さて、ワンコの余命宣告から、二週間余り。
現在のワンコはというと、見た感じでは弱る以前に近く、元気になっています。
前回の血液検査で、肝臓も腎臓も数値が高かったのですが
膵炎も起こしていて、食欲低下はそれが原因だったそうです。
5年前に登場したという、膵炎に効くブレンダという薬を注射してもらってから
驚くほど、回復しました。
本来であれば、3回、間を空けずに注射するのが良い、それか投薬を続けるか・・・
だったのですが、注射を一回だけしてもらい、様子を見ることにしたのです。
院長先生も、一回だけでもいいんじゃないかと言ってくれました。
これはやはり経験則によるもので、多くの動物たちを診てきた経験者ならではの
見立てなのだと、感じました。
ワンコも食欲はあるようで、自分の食べたいものは、食べるようになりました。
決して量は多くはないですが、日によって食べたいものが違うようで
昨日食べたのに今日は食べない!ってことは、しょっちゅうです(苦笑)
それでもなんとか維持できているのは、毎日の栄養剤と対症療法のお薬のおかげでしょうか。
先日も、再診してきましたが、担当医の若手獣医さんは
「院長と相談して、数値にとらわれることなく、診ていくことになりました」
と、検査をせずに現在のワンコの状態と、見ている家族の状況とを鑑みて
これからを決めていきましょうと、おっしゃりました。
毎日の栄養剤と投薬は変わらず、家での皮下補液は一日おきで量も減り
ワンコの食べたいもの(塩と油は注意)を食べさせる、という方針に。
最近、元気になったので皮下補液の時にあばれるんですよ
なので、一日おきっていうのは、助かります(苦笑)
いつの日か、弱ってしまう日が、来ると思います。
命に期限はありますが、決まった日が分かるわけではありません。
介護や介助は、毎日毎日続きます。
そういった中で、どこまで機嫌よく過ごさせてあげられるか・・・
それが、飼い主の責任であると、思っています。
余談ですが、妹から様々な患者さんの話を聞いてきました。
それは、動物想いから獣医になった彼女の、いわゆる愚痴という形で。
どんなに獣医が動物のことを思って診療にあたっても
飼い主が動かないことには、動物には反映されない、と。
毎度毎度同じことを注意しても、同じ結果を連れてやってくる、と。
そして、経験から先が分かっているため、飼い主の負担にならないように診療しても
それを望まず「元の健康な状態に戻してほしい」と過度の治療を望む飼い主や
ワタシと同じような考えの飼い主が、先のわかった治療を了承したとしても、
病院経営陣に叱られる、といった理不尽さも。
世の中、うまくいかないものですね(汗)
こんにちは。
まだまだ残暑が厳しいですね。
新型コロナの第7波で、ワタシの会社の人もある程度飲み込まれましたけど
幸い、大事に至った話は聞かなくて、少々ホッとしています。
さて、家には16歳を迎える、ワンコが居ます。
ずっと、病気らしい病気もせず、健康に生きていましたが
(年齢による胆泥症があり、投薬治療はありましたが)
先月、突然の下痢をしてから、瞬く間に体調を崩してしまいました。
一度は元気になったものの、いきなり食事をとらなくなり
大量に飲んでいた水(この時点で病気疑いなのですが、高齢のため様子見となっていました)も飲まなくなり
一気に弱ってしまいました。
かかりつけの動物病院を受診。
昨年入った若手の獣医さんが、一生懸命診てくれました。
そこで告げられたのが、余命1~3ヶ月。
食事をとらないままだと、1ヶ月。
摂るようになっても、3ヶ月かな・・・と。
覚悟していたこととはいえ、辛くて、悲しくて。
一週間分のお薬をもらい、点滴を打ちに通うか、自宅でするか検討するように言われました。
どうするのが、ワンコにとって一番良いのか。
家族で考えました。
良くならないのであれば、生きながらえさせる治療は、酷ではないのか。
しんどいだろうけれど、何もせず命の終わりを迎えるのが良いのか。
楽にしてやりたい、少しでも気分よくいてくれれば・・・というのは、人間のエゴではないのか。
獣医である妹にも、相談しました。
血液検査の結果を伝えると、一言「厳しいな」と言いました。
ほぼ、腎不全に近い数値で、回復の見込みは薄い、と。
家での、皮下補液を考えていることを話すと、
「いいと思うけど、少ししんどいのを長引かせる形にはなるよ」
と、動物想いの妹らしい言葉が返ってきました。
念のため書き添えますが、妹は診察していない動物のことを、あれこれとは言いません。
たぶん、医療者なら相当数の人が、そうするとは思いますが。
そしてワタシも、今まで丁寧に診てくれた獣医さんを、信頼しています。
妹が獣医であることなど、口にしたこともありませんし
これからも、するつもりもありません。
診察結果に涙してから2日。
やはりワンコの食欲は戻らず、弱っていくので、
半休を取って、再受診。
今回は、院長先生が診察。
もう、塩と油に気を付ければ、何を食べさせてもいいと。
野菜入りのおかゆや、パンなどでもOKだと。
いつもの優しい笑顔で、あれこれと案を出してくださり、
そして、皮下補液の練習を。
ワンコの体に針を刺す怖さを感じながら、レクチャーを受け帰宅。
ワンコの命には一切触れることなく、
「今、できること、してあげたいことをする」ということを、伝えてくれました。
家での皮下補液を始めて、3日。
毎度、怖さを感じながら、点滴をしています。
娘は猫派ですが、残り少ないワンコとの時間を濃密に過ごしています。
もう一人のワンコ大好き娘は、死に目に会えないかもしれないと泣いてました。
家を出るときに、その覚悟はしていたけれど、やはり辛い、と。
ワタシは、いつも通りのスタンスで・・・と思っていますが、
もっと温かいうちに抱っこしておけばよかった、とか後悔しないかな・・とか
いまだに「なぜか」迷ってます(汗)
命という、大きなものを目の前にして、少々怖気づいています。
ワンコは、少し元気になりました。
次の診察で、どういう結果が出るのか。
期限のある、二度と会えないものに、人間のエゴを押し付けないように
どうやって見送るべきなのか・・・と考えています。
最近、考えることがある。
ワタシは夫からモラハラを受けて、結婚生活を過ごしてきたわけだけど
そのせいかおかげか、「社会」というものに揉まれることもなく
囲われた中で、歳だけ取ってしまった感じだ。
だからこそ、感じてしまうことかもしれない。
今、ワタシが勤務している会社は(ワタシがよくする表現なのだけど)
底引き網的な仕事で、どちらかというと「負」の部分を担当するものだ。
給料も低いため、どうしても仕事を選んではいられない年齢の人々が多い。
年齢を重ねた多くの人(ほとんど女性)は、程度の差こそあれ
歩んできた人生の差が、性格や動作に表れているように思う。(@ワタシの会社)
【自分の感覚が常識だと人に押し付けたり】
【自分の物差しではかり、すぐに結論を出す】
なんてことは、日常茶飯事だ。
これを全面的に出すものだから、若い子が居付かない。
「あの子はこれだからダメなのよ~」
という台詞も聞いた。
上司の立場の人が言うのではなく、長年勤務しているヒラの人が平気で言い、
あからさまに態度に出す。
お前は何様なんだよ
そうワタシは思った。
自分の機嫌で仕事をし、自分のやり方を押し付ける。
これでは、嫌気が差してしまうだろう。
幸いにもワタシは、結婚生活においては精神的な部分では恵まれなかったが
金銭的な部分では、それほど不自由もなかった。
娘たちはそれなりの学校に通わせられたし、
勉強や目指すことにも十分に応援することができた。
ワタシも母親として、新しい経験をさせてもらえた。
そんなワタシが、社会人として再出発をしたときに思ったのは
ほんとうに色んな育ち境遇のひとが、同じ場所で働いているんだ、ということ。
当たり前と言えばそうなんだけど、子育てをするに当たって思ってきたのは
それ相応の環境と学力を備えれば、同じような環境にある人間とともに学び
それに付随して、(本人の努力にもよるが)教養も身に付くということだったから。
しかし、それは、学生の間のことであって、
社会へ出れば、本当に色々な人間と、同じ場所で、同じラインで過ごすことになる。
このギャップに適応できなければ、しんどいだろう。
社会人経験の浅い、こんなワタシが大きな口を叩くのは、
差し出がましく、無知ならではこそと言われるかもしれないが
人間性を疑うほどの粗暴な人と働くのは、本当は嫌だ(*^▽^*)
笑顔で言ってやる(笑)
でも、そこには結婚生活で鍛えられたワタシの精神力が発揮される(笑)
「朱に交わっても朱くはならない」ワタシだ(^^)/
もちろん、会社には【普通の人】も【上品な人】も
【教養の高そうな人】もいる。(10本の指で収まる/勤務人数100人強)
人としての、芯の部分だけは貧しくならないよう、腐らせないようにしようと思う。
ワタシは、ワタシとして生きていく。