HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

血を分けて、まいた種

2020年08月29日 | 結婚生活

子供が二人だったころは、ワタシの家事都合などお構いなしに
夫の休みに突然
「出かけよう!」
と、当時増えてきていたコンビニで軽食を買い、車で山へと出かけていた。

山とはいっても、ある程度開けた場所(たとえそこが墓地であっても・笑)へ行き
ピクニック気分でご飯を食べ、ぼーっとしていただけだったのだけど。

とにかく夫は自分自身が動いてなければならず、じっとしていることが苦手な人だった。
ワタシがゆっくりしたいと思っていても、すべてが自分の物差しなので
ワタシの意向などお構いなしで、自分のしたいようにする人だった。

【家族サービス】(今ではどちらかというと使ってはいけない言葉ですね・苦笑)
といえばそうなのだろうけど、ワタシは体を休める暇もなく付き合わされ
年に2回は寝込んでいた(苦笑)

それが、三人目が誕生してからは、プツッとなくなった。
最初の頃は出かけていたのだけど、出先でイライラすることが増え、
夫にとってはそれがストレスになってしまったようだ。

「家族五人で出かけたら、ごはんを食べようにもなかなか席が空かない」
「一人が子供ひとり見るだけでは済まない。手がかかる」

当時は家族4人というのがスタンダードで、子供を三人産もうとも
なんの手当もなかったし、本当に出かけにくい社会だった。
当時は、親切心で声をかけたり、走り回る子供を他人が注意しようものなら
母親が「うちの子になにをする」的に反撃し、
「お宅はお宅、うちはうち」という常識を振りかざす人がマスコミにクローズアップされて
“子育て中の母親には近づくな”
のようになってしまっていたのだった。

なので、当然出かけても、全部自分でしなければならない。
家に子供を置いていくわけにもいかず、意を決して出かけていた記憶がある(笑)
それも、最低限のスパンで。

夫は夫で、休みの日はどこかへ消えてしまうし、
子供をお願いしてワタシだけ出かけるなんてことは、なかった。
当然、子供との接触も減り、三人目は夫に懐かなかった。
たまに夫の親友が遊びに来ていたのだけど、その人は子供たちに優しく
夫より懐いていたくらいだ(笑)

なのに、夫は言った。
「なぜ僕は父親なのに、僕に懐かないの?」

この時ばかりは、開いた口が塞がらず
『抱っこも可愛がりもしないで、懐くと思ってるの?』
と言い返してしまった。

夫は、なによりも【血のつながりや濃さ】を重視していて
世の中のすべてのものを、血や出自で判断する人間だった。
その血を分けた自分の子供は、血で判断することなく容姿で判断し
自分の兄弟の子供を「血がつながっていると思うと愛しいね」などと言い
ワタシ方の親戚子供などは、まったく存在していないかのような扱いだった。

娘は言う
「あの血は絶たないといけないと思う」

血を分けた娘にさえそう言わせる。
なんて罪深いんだろう。

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午前三時の帰宅と破壊神

2020年08月23日 | 結婚生活

いつの頃からだったろうか、三人目が3歳になろうとしていた時。
夫は、段々と帰宅時間が遅くなる日が増えた。
理由を聞くと、「営業みたいなこともしなくてはいけなくなった」と言った。
不景気がますます進んでいた時代だったから、
それも仕方ないのだろうと、思っていた。

でも、幼い子供が三人いて、なんの連絡もなく時間が過ぎていくのは
不安しかなった。

もっとも、定時に帰っていた夫は、家の中が片付いていないと、怒った。
小さな子がいる家庭なら、おもちゃが散乱することは多々あることだと思う。
度重なる夫の暴れぶりに、あんなに大らかだった娘の一人が
不安神経症のようになってしまった

夫の帰宅時間が近づくと、
「ねぇ、もうすぐパパが帰ってくるよ。はやく、早く片付けないと!」
と、焦って片づけを始めるのだ。
でも、焦りのあまりうまく片付けられず、いつも目に涙をためていて
自分の胸を指しながら「ここがドキドキする」と言っていた。

母親として、その不安を取り除いてやりたかったのだけど、
原因を取り除けない以上、そのほかのことで対処するしかなかった。
ただ「大丈夫だよ」と抱きしめ、声をかけるしかなかった。
ワタシ自身も、夫の帰宅までに晩御飯を作り終えていなければいけなかったし
その間にも、三人の子供は遊んでいるからだ。
ワタシもいつも夫の帰宅時間になると、動悸に襲われていた。

ある日、定時で夫が帰宅した時、夫の気に入っているリビングに
ゲームカセットがいくつか落ちていたことがあった。

「なんじゃあああ!これは!!!」
という怒鳴り声で駆け付けると、遊んでいる三人の子供の目の前で
落ちていたゲームカセットを床に叩きつける夫がいた

子供たちが好きで遊んでいたゲームカセットは、粉々に吹き飛んだ。

「なにも、壊さなくても。落ちていてごめんなさい」

『お前はいったい、何をしてるんじゃー!なんで片付いてないんだ!』

子供たちの恐怖に満ちた顔は、いまでも忘れられない。
その話は、今でも娘の口からこぼれ出る。
当時3歳あまりだったので、ただ茫然と見ていたと。
気に入っていたものが、粉々になって「もう出来ないな」って思っていたらしい。
子供が出来てなお、独身時代と同じような感覚で生きる夫。

ワタシには納得できなかった。
環境が変われば、それに合わせていかなければならない。
なぜ、それすら受け入れられないのか。

《友人》と遊びに行く機会も増えていた。
どのような友人なのか、ワタシは知らない。
ただ学生時代の友人と聞いていた。
ある日、ふと目覚めると、空が白んでいても夫の姿はなかった。
しばらくして、門が開く音がして、夫は帰宅。
午前三時過ぎだった。

「おかえり」
と声をかけると、
『いやぁ、温泉ランドでビール一杯飲んだら酔いが回っちゃって。
 なかなか起きれなくて、友達は帰っていったよ。』

・・・友達は介抱せずに帰ったわけか。

そう受け止めるしかなかった。

ワタシが怒らないことをいいことに、一人で遊びに行く回数も増え、
仕事で同じ曜日に毎回、午前様をするようになった。

そんな時、夫からメールが届いた。
「〇〇(女性名)の都合に合わせるよ」

当時、話題に上っていた、送信ミスの自爆メールだった。
ワタシは呆れ、帰宅した夫は言い訳をした。

同じ曜日に帰宅が遅いことを知った姑は、一言ワタシに言った。

「Youさん、それ、女がいるわ(笑)」

他人を引っ掻き回す姑の話に乗りたくなかった。
そっちの気持ちが強く、結局、追及することなくうやむやに終わってしまった。
当時は、どこまでも夫を信じたかったんだろうな。

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がっかりさん。

2020年08月13日 |  思いのまま

新型コロナの第二波がやってきて、かなり感染しないように気を付けていても
どこで感染するかわからない状況がやってきました。

そんなお盆休み。
ワタシの会社は、お盆休みはないんですけどね。

昔の仲間たちはほぼ田舎にいて
SNSのグループでも、ほぼローカルな話題、というのは、理解できる。
でも、中には無神経とも取られかねない発言をする人もいて。

みんなで、ディスタンスを取りながら集まる話をしているときに
一言

「(今日見かけたのは)他府県ナンバー(の車)ばっかりだった。
 盆明けには感染者がふえるだろうね」

そうかもしれない。
でも、ウイルスは他府県からだけもたらされるのか?
自分が住んでる場所は、クリーンだとでも言いたいのか。
他府県の人間は、ばい菌扱いか。

怖がるのは理解できるが、そういう感情が、よそ者を受け付けず、
「なんで帰ってくるんだ、こんな時期に」などといった張り紙をするまでに
増長してしまうのではないか。

SNSのグループには、他府県に住んでいる人も数人いる。
その人たちが、どんな気持ちでその一言を読むのか
考えていないということに、がっかりした。

今は田舎に住んでる友人たちも、大学時代は他府県で過ごした人ばかりなのに
そんな中でも、長い時が過ぎれば、自分のいるところ以外に気を配れなくなってしまう。
これが、現実なんだろうね。

救いだったのは、その後に友人が書き添えてくれた一言。

「他府県にいる家族が来たけど、挨拶をしてすぐに帰ったよ」

大人だな、って思った。
これを、どのように受け止めたのだろう。
素面なら、気付くだろう。
酔っていたら、永遠に気付かない。


ワタシは、そんなに大人じゃない。
もう、我慢することはやめたんだ。
嫌なものは、嫌だって言うよ。

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実家に帰省したときの出来事②

2020年08月06日 | 結婚生活
子供が生まれてからは、年に一度、夏に帰省していた。
実家の両親も、孫たちに会えることを楽しみにしていてくれて
ワタシたち家族が帰省すると、精一杯のもてなしをしれくれた。

そんなある年、実家につき子供たちは走るように実家の中へ。
ワタシは夫と、トランクの荷物を運んでいたのだけど、
両親に呼ばれ、一旦家の中へ。

そうしたら、玄関から夫の怒鳴り声。
「出てこい!お前はなにしてんじゃ。俺はなんや。運転手じゃねーんだぞ!」

大激怒。

「そんな風には思ってないし、ちょっと子供のことで呼ばれただけだから。」
と弁明するも、すごぶるご機嫌斜め。
両親も、気を遣う羽目になったことがあった。

それから、1~2年経ったとき、夫から提案があった。

「これから、実家に帰省するときは、君と子供だけで行きな。
 おばあちゃんにも『いつまで嫁について実家に行ってるんだ』って
 言われてるし、実家のご両親も僕がいないほうが、子供と思い存分遊べるだろうし」

願ったり叶ったりの発言でしたが、この頃はまだ夫への愛情があったので
‘浮気するんじゃないか!?’と心配はしていた。
(本当はどうかわからないけど、結果的にしてたと思う・爆)

ワタシにとっても、悪い話ではなく、古くからの友人と飲みに行けるし
今考えると、良い話であった(笑)

一番下の娘にとっては、ワタシがいない実家では少々寂しい思いをさせたみたいで
ワタシの携帯電話の留守番電話には、三女からのメッセージがたくさんあった。
それは今でもHDDに残してある。
実家にいるときだけが、自分になれて、子供のことも見られる時間だった。
でも、若いワタシは、自分を優先してしまっていたかもしれない。
子供のことを、しっかりと見る。
それが出来なかったのが、人生で最大の悔いだ。

子供を優先すると、夫が怒る。
もう少し、子供と向き合いたかった。
子供たちがある程度成長した時に、夫からの縛りが少しだけ緩くなったけど
その時に子供の方を向いたワタシに向かって夫は

「過保護かよ…(笑)」

って、笑った。

夫から望まれたことを、相変わらず実践していたこの時期に
夫から、ことごとく嘲笑を受けたことも、忘れてはいない。

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更年期腰痛か

2020年08月02日 |  雑 日 記

ほぼ全国的に梅雨が明けたようですね。
暑い夏がやってきますね。
我が家も、2か月間エアコンつけっぱなしの季節の到来です(^-^;

さて、最近悩んでることがありまして。

腰痛です。
それも、軽いぎっくり腰的な感じのもので。
発症後2日間は這って生活、というものは今まで2回経験済みなのですが
今回のは、7月の連休前日に、しゃがんでペットのトイレ掃除をしているときにやりました。
突然、右腰が前に滑った感じで
「あ、初回のと似た感じ」ですぐに態勢を立て直したのですが
違和感は取れず、出勤前だったし動けたので、
すぐにロキソニンを飲んでサポーターを付け、会社へ。

自転車にも乗れるし歩ける、と会社に着いたはいいものの
時間を追うごとに症状は進み、傍から見てもおかしかったそう(苦笑)

なんとか動けるので治りも早いだろうと、思っていたけど。
恐怖心の方が強く、なんだかんだで一週間コルセットをして湿布を貼布。

それでですよ、良くなったからと休みの日に家事に勤しんでいたら
床のものを取るときに、油断した!
またもや、右腰から「プチっ」

もう、怖いのなんの。
立て続けですから。
やはり、じわじわと痛みを感じ始め、湿布のお世話になる羽目になり
ちょっと出かける用事があったので、ロキソニンを服用。
近所だったので、無事に帰宅したのですが、眠いのなんの。
ワタシは体に変調をきたすと、眠くなる体質らしいです(笑)

今日は極力安静にしてますが、腰全体に負担がかかった状態なので
あちこちに鈍痛を感じ、これ以上「痛っ」と感じることが無いよう
祈る気持ちでいっぱいです(願)

あまり続けざまなので、ネットで調べてみると・・・
更年期にも腰痛ってよくなってしまうようですね(汗)
(前回春先にぎっくり腰をしたときに、整形外科にてレントゲン・骨密度を測定
 椎間板はしっかりとあり、骨密度も高め、という診断を受けています)

明日からは普通に仕事だし、おまけにちょっと外出しないといけない週だし
どうなることやら。

神様、ワタシに快適な腰をお授けください。

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