6月24日(土)の朝の散歩について
5時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。
幼稚園、小学校の前を通るコースを歩く。曇り。
幼稚園の横のカボチャ畑のカボチャは広い面積を覆っているがそれ程、元気はない。小学校の前のスイカ畑のスイカは勢いよく広がっている。スイカ玉も見えた。
ある家の庭木のイチジクの木に実が一つ生っているのを見た。
ブロック塀の上に白いムクゲが沢山咲いていた。ここに来るのは1週間ぶりだが1週間の時間は長いのだ。ブロック塀の上にはカラスウリの蔓が這い白い花を咲かせている。前者のブロック塀の上の上は英語ではaboveかoverだろうし後者はonということになろう。
6時10分前に帰着。
昨夕の散歩について
4時に犬の散歩に出掛ける。
曇っていて心地良かった。この時季の太陽の直射日光は当たると耐えられないだろう。
毎夕のマンネリの犬の散歩が全然苦痛ではないのは驚くべきことだとは思わないのが驚くべきことか。確かに人は歳を取ると変わる。しかし変わるところと変わらない所がある。しかし、変わるところも変わらない所も元々、そんなに違いがある訳ではない。
弱気、判断が付かないことなど最近、身に付いたと思われる特性も元々、私に内在していたものが時間差で現れたに過ぎないのだろう。
歳を取れば人間の可能性のすべてを発現するために生きているようなものだ。明暗すべてを表現するのだ。
世界には人の一生が瞬時に生起している。そしてこの瞬時にはあらゆる生の表現が展開している。
散歩中、犬が糞をしなかったのは朝の散歩で3度糞をしたからだろう。
4時25分に帰着。