犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

命豊かな川に小魚の群れを見た

2015-09-30 07:52:55 | 日記


 6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。曇っている。

 川沿いの道に車に轢かれたのだろう1m以上あるアオダイショウが平たくなっていた。ミミズやカニやカエルの潰れたのとは違う感じがした。恐れのようなものが生じた。大きさから来るものだろうか。ピンク色の腸の用のものがはみ出していたからだろうか。
 自転車の高校生が2人こちらに向かっている。彼らはまだヘビの死体を見ていない。屹度、見るだろう。あれを見逃すはずがない。そしてさっき擦れ違った人は既に見ていたのだと思うかも知れない。平然としていたなと思うだろう。

 犬は道端の枯れた草叢に鼻を入れて歩く。とても気持ち良さそうだ。鼻が入った所は草がしなる。そして元に戻る。枯れ草のにおいも良いのだろう。また草が我が意のままにしなってくれるのも楽しいのだろう。更に望外の物に当たるかも知れないのだ。止められないのだ。
 また枯れ草に頭をこすりつけもした。元の姿勢に戻ると全身を振るわせて付いた草の葉をふるい落とした。

 丘陵の頂を越えて緩やかな下り坂になる。右手にある公民館の庭に萩の花が咲いていた。

 命豊かな川に至る。水が澄み切っていて底まではっきり見えた。大きな真鯉がゆったり泳いでいた。また水面は空の白い雲を映していた。秋の川だと思った。

 しばらく下るとシラサギがいてとっくにこちらに気付いていて早々と飛び立って田の畦に下りた。それから更に下流に黒い塊が見えた。
よく見ると小魚の群れであった。空を大群の鳥が飛んでいると10羽の空間の大体を把握して群れ全体に当てはめて概数を出す方法を取っているが、この小魚の群れには通用しない。それは余りに多く凝集して上下左右共重なっているので10匹の空間が掴めないのだ。それでも感じでは100匹を超えているだろう。別の所にも小魚の集団がいたがこちらは小規模であった。色も少し薄い。

 更に下ると幅の広いスロープがあり川に降りられるようになっている。犬はすたすたとそこを下って行って川には入り水を飲んだ。魚がいるから大丈夫な水だろうが余り飲んで欲しくないような気もした。そして犬はスロープの横から勢いよく上がった。その時、こちらに水がかかったのでびっくりして声が出た。おお。以前、増水していた時、犬が謝って川に落ちた辺りだったと思う。

 市の施設の表門が半分開いていたのでそこから出る。踏切の手前に歩道に小鳥が落ちていた。何かと衝突したのだろうか。が、それにしては外傷はないようだ。犬はかなりの間、嗅いでいたが用なしと分かるとさっさと先に行った。ウグイスに似たセッカかムシクイの仲間だろう。

 7時40分に帰着。




 昨夕の散歩について

 5時に犬の散歩に出掛ける。

 パンを一応オウブンにセットしたのだが、先に散歩に行こうという気分になった。犬は最初に晩ご飯、それから散歩とは考えなかったようだ。犬にとっては散歩も晩ご飯も等価のように捉えているような気がした。順番はどうでも良いのだ。2つともあることが重要なのだ。

 散歩は何時もの夕方のパターンである。

 浜辺に犬の散歩をさせる人が次々と現れる。2匹の柴犬を連れた人、パグのような犬を連れた人、白い犬を連れた人、それに・・・。人は皆、男性である。犬の性別は分からない。我が犬には分かるかも知れないが。

 パグのような犬を連れた人はリードを外して硬式テニスボールを前に投げた。その犬は追っかけて咥えて戻る。それを何度もしていた。
 我が犬はそれを見ると急に前に前にと急いだ。以前は我が犬でも庭でやっていた。以前の飼い主から貰ったボールを使って。最初はそれで遊んでいたが、最近はとんとやらない。犬も私も老いてきたのだろうか。私は自分の老いを犬にも押しつけているような気がする。

 6時15分前に帰着。
 庭にウスバキトンボがいた。1日の活動を終え庭木の枝に止まって休むつもりらしい。いつでも好きな時に使って結構。
 犬はベニカナメに来る明らかにスズメバチの仲間と思うのだが、それを目聡く見つけるとすぐに攻撃態勢に入り噛みつこうとする。止めとけ。向こうは犬をツキノワグマだと思って恐れて逃げるかも知れないが、こちらに来たらどうするつもりだ。犬のように厚い毛皮もないし皮膚は年々弱くなるし過敏体質にすらなってきている。アナフィラキシーショックという言葉が頭を掠めた。もっとはっきり言った。止めろ。犬は勿論、言うことを聞かない。只、ハチが逃げるだけである。

浜辺で馬刀貝の貝殻を見た

2015-09-29 06:42:31 | 日記


 6時5分前に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 山陰本線を跨ぐアーチ状の道を通るコースを歩く。晴れている。風も涼しい。西の空に十六夜のスーパームーンが見えた。それで思い出したが、犬の体調が余り良くないようなので深夜起こされて庭でオリオン座を見る羽目に陥るのではないかと心配したがそんなことはなく、今朝の糞は正常だった。

 犬は路面の黒く濡れた跡をじっと嗅ぐ。何か深く考えているように見える。電柱の根元も草の先端も嗅ぐ。尿から雄雌の別、成熟未成熟の差などを嗅ぎ取るのだろう。それは犬の能力の発揮であって脳を活性化させるのだろう。それは生きる喜びにつながるものだ。
 それ以外、犬はきびきびと歩いた。元気になったのだろう。昨夕の散歩では初め太陽が出ていたのでばてたのだろう。



 6時半に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時20分に犬の散歩に出掛ける。

 犬は午前にワンと吠えて私を呼び出し庭で糞をした。少量の軟便だった。午後もワンと吠えて私は庭に連れ出し犬は糞をした。少量の軟便だった。その間、所用があって外出したのだが、室内で用足しをしているのではないかと心配だったが、我慢していたのか便意がなかったのか悲劇は免れた。
 散歩に出掛ける前も犬がワンと吠えたので屹度、急を要しているのだろうと思い早いけれども散歩に出たのだ。
 確かに犬の体調が万全ではないようだ。悪い物は与えていないつもりだが散歩中、犬は得体の知れない物を口にすることはある。それをさせない為、常時、注意しているつもりだが、犬の機敏さ執念には敵わない。

 公園に入った時、犬は糞をした。またまた軟便だ。こういう時は動物病院に行くべきなのだろうかとちょっと考えるが、楽天的なのか無責任なのか、まあその内にと思ってしまう。

 若い柴犬を連れた人と出会う。
 遅かったねえ。急に引っ張ったらいけんよ、お父さんが転んでしまうよ。相手の言っている意味が完全に理解出来る訳ではないが、我が犬をこの上もなくいとおしく思っていることだけはよく分かる。それで十分だ。

 突堤の先端まで行って帰る。犬は突堤で腹這いになったし歩くのも億劫であるように見えた。ゆっくりにしか歩かない。浜辺でも腹這いになった。干潟になっている所にも腹這いになろうと試みたがお腹がなかなか砂浜に着かないので臆病な犬は体を水に任せることに不安があり結局諦めた。水深は5,6cm位だった。

 そうそう、浜辺で馬刀貝の貝殻を1つ見た。蝶番といえばよいだろうか、それがばれていなかった。そうするとここに生息しているということなのだろうか。
 若い頃、小型の鍬のような物で砂浜を削ると穴があるのでそこに塩を降り注ぐと馬刀貝が飛び出してくるというより突き出てくるのでタイミング良く引き抜くのだ。タイミングが悪いと体が抜け落ちて仕舞うこともあった。そしてすぐにバター焼きにすれば幾らでも食べられたものだ。若かったからだろうか。今でも際限なく食べられるだろうか。あの頃は人にも自然にも恵まれていた。当時はそれが当たり前のように思えた。

 5時10分に帰着。



オリオン座を見た

2015-09-28 07:18:29 | 日記


 6時25分に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。

 国道を渡り大きな川沿いの道を東上し2つ目の枝道を北上して市の施設の敷地を通るコースを歩く。よく晴れている。

 川の土手にセイタカアワダチソウが花穂を伸ばし先が少し黄色がかって見えた。足元にはヨメナが薄紫色の花を付けていた。犬が田のそばの刈られた草の上を嗅ぐ。体長1cm位の黒褐色のカエルが体長の数倍はひとっ跳びする。そして休むこともなくピョンピョン跳んで田の方に入って行った。
 この辺りコオロギがよく鳴いている。コオロギが鳴かなくなったら今度は鳥だろうと思う。

 丘陵の頂辺りで空に鳥が3,40羽、北から南に飛んで行った。遠くの時にはカラスかと思ったが羽ばたきが忙しいので鳩だと分かった。また集団で飛ぶようになったのだ。
 センダンの木の下で犬は捜し物。以前は小枝や葉や実が落ちていたのだが最近になって綺麗に掃除がされるようになり、犬は目当てのものが見付けられずそそくさと次に向かった。

 ・・・
 未明4時は回っていたと思うが犬が階下で吠えたので下りていく。犬は玄関でもなく和室でもなく態度がはっきりしなかった。外にわざわざ出るより寝る方が楽だと犬を和室に誘導した。寝たのだがまたすぐ犬が吠えた。
 リードを付けて庭に出る。南の空にオリオン座が見えた。東の明るい星は金星だろう。満月は西に傾いていたが雲で朧月であった。
 犬は北庭に行き南庭に戻って糞をした。
 ・・・

 犬は散歩中も糞をした。軟便であった。



 家の近くになって電線に小鳥が止まりその下を通った。見上げるとお腹が白いのでコガラだろうと思った。
 7時10分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時20分に犬の散歩に出掛ける。

 太陽は出ているが高度がかなりこの時刻でも下がっているので陰が至る所に出来ていて、そこを選んで歩いた。

 犬は室内にいる時は私の意向を忖度しようと懸命に私を見詰めたり気にしている様子を見せるが、一旦、外に出ると私の出る幕も存在価値も一顧もされず犬は専ら我が道を行くのだ。何の疑問の余地もなく思うがままに独断専行を当然のこととしている。そこに私の立場はない。

 当初はそうでなかった記憶がある。戸外でも私の支配力は持続していたし犬も私に気を配っていた。
 それがいつの間にかおまえはおまえ俺は俺となっていき、室外では犬は独立を宣言したのだ。こちらも特にそれで不利益が生じる訳でもないし、元々他者を拘束するのは性に合わないので平衡を保ってきたのだ。
 それで犬が時にあまりに我が儘を示すような行動態度をとって、これはいかんなと思っても最早こちらにはそれを矯正する意欲も力もないのだ。前後を見極めない何という無責任な態度だと批判は出来よう。が、権限もない老人には若干の容赦というものが下されるのではないだろうか。仕方がないと。

 犬との一々の取り決めはないがこれが通るならそれは当然通るというような価値基準はあった。だが、それが慣習、習慣によっていつの間にか、これが通るならこれもそれもあれもどれも通るというように変貌していった。確かにそういう変貌の時期があった。それは遠い昔のような気がする。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。

 1本のフヨウの木にピンクと白の花が咲いていた。オシロイバナにもよくあることだ。1本の株なのだが、その枝枝に白、赤、まだらの花が付いている。

 海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。南に向かうというより犬の行くままなのだ。こちらはスナガニの砂穴が多く、警戒しながら時折、巣穴から姿を見せているスナガニは婚姻色していた。

 犬はスナガニの巣のそばで腹這いになり次には波打ち際でも腹這いになった。

 これまた犬の引きで北に向かう。突堤の手前で排水口の所から上がって高架の下の道を歩く。

 5時に帰着。バスタオルで犬のお腹や足回りを拭う。




 筆者近影、撮影者は以前の飼い主

日々元気になる犬

2015-09-27 07:05:30 | 日記


 6時10分に犬の散歩に出掛ける。今日は日曜日。

 海岸道路を南下して礫岩広場に至るコースを歩く。晴れている。

 犬は室内にいる時からハイになっていた。パンを冷凍庫からオウブンに入れたり北の玄関の解錠をしたり手提げや袋を取りに行ったりと、散歩の準備をする私につきまとい室内を駆けた。先に行っては引き返す。
 犬は南門を出るとすぐに西に向けて駆け出した。最初の十字路に来ると走るのを止めて早歩きになったが猫が駐車場にいるのを見たのをきっかけにまた走り始めた。そして公園への階段をトントンと駆け上がった。公園の中央辺りのベンチに座っている人の足元にドバトが集まっていた。殆ど動かないがその人が鳩に餌をやっているらしい。
 グラウンドに行くとキジバトが1羽、地面を啄んでいた。家の庭にも来るが人には寄って来ない。

 ・・・
 未明、階下で犬が吠えた。何だと1階に下りた。新聞配達だった。ということは今は3時半前後のはずだ。犬は新聞配達に来た人に吠える時と吠えない時がある。気分によるのだろう。
 犬は玄関の扉の方を向かない。私の方に寄って来た。そして和室の方を向いた。そちらに行くと付いて来て襖を開けると鼻を差し込んで入った。
 仕方がないので布団を敷いたら犬は待ってましたとばかりに布団の上に座り込んだ。昨晩おまえの前の飼い主とおまえの話をしたんよと報告しても通じないのがもどかしい。
 私が横になると犬は私の足元で腹這いになった。そこで共寝をした。
 ・・・

 空き地の草が刈られてあった。最近、草刈りの後をよく見掛けるようになった。よく見ると竹のように中空になった大きな茎があった。ハマウドの茎だ。どうせ枯れているのでハマウドも清々しているだろう。青々として逞しいハマウドは来年も見られるだろう。

 海岸道路を歩いていると潮風を防ぐ海岸側のブロック塀沿いにニチニチソウなどの草花が植えてあるが如雨露で水をやっている人がいた。そうだろうな手入れをしているのだ。それが証拠に草が殆ど生えていないのだ。毎日少しずつ草抜きをやっているのだろう。



 ダイコン、キャベツを植えている小さな畑が見えた。ダイコンは地下に白い根を伸ばしているだろうと思った。地上の葉はそれだけ大きく茂っていた。

 7時10分前に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時5分前に犬の散歩に出掛ける。

 午後の講演会が少し延び家に4時15分前に帰った。所用があって夕方から出なければならないので早めに散歩に出たかった。晴れていたのが薄曇りになって助かった。

 公園、グラウンドを通って海に向かう。海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。
 浜を北に向かうも突堤には猫派の人が集まっているし猫もいるようなので排水管の所から上がって高架の下を歩いた。

 ・・・
 午後から「ヤマトの拠点集落~唐古・鍵遺跡~」と題された講演を聴きに市の施設に自転車で行った。

 話は面白く聞けた。それというのも比較対比で説明にメリハリが付きそれで概念が明確になり更に事実(遺跡、遺物)に対して何故そうなのかを具体的に述べて説得力があったからだ。

 唐古・鍵遺跡は弥生時代全般を通じて拠点集落として維持されていた数少ない遺跡とのこと。

 巨大な環濠は古墳を造るに匹敵する大土木工事らしい。環濠造りが古墳造りにつながっているのかも知れない。まだ鉄製品がないのだからこの遺跡で発掘された木製品で掘ったのだろう。この列島に限らず昔の人は大規模な土木工事を得意としていたようだ。
 古代の人は現代人と違って時間だけはたっぷり持っていたからのようだ。
 環濠を造った目的は低地なので洪水対策が考えられると言う。また運河としての利用もあり、そして防御施設でもあったようだ。

 絵画土器が多いのがここの遺跡の特徴だそうだ。そして興味深いのが絵画土器は衰退して記号土器が現れ記号体系が見られるようになる。エジプトのヒエログリフじゃないかと思った。いや、それよりも古代オリエントの楔形文字に近いようだ。
 解読が出来ないのだろうか。何か意味があるはずだ。漢字が入る前に既に文字があったと考えられないのだろうか。

 弥生時代は以前考えられていたより遙かに長く変化はゆっくりしたものらしい。唐古・鍵遺跡を通して弥生時代が身近に感じられるようになった。近いという気がしてきた。
 ・・・

 帰路、公園から中道を通っていると犬が後方を向いた。若い柴犬を連れた人が見えた。我が犬は急に嬉しそうに引き返した。そして久し振りに出会ったことを喜び優しくしてくれた。我が犬は相手の前でお座りをする。何もないんよ。
 どうもありがとうございますと言って別れた。

 4時25分に帰着。


桜の葉の香りを放つ落ち葉

2015-09-26 07:07:05 | 日記


 6時25分に犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。

 幼稚園、小学校の前を通るコースを歩く。薄曇り。

 電線に鳥が数羽止まって鳴いていた。その上の電線に少し小さい鳥が来てキチキチと鳴き出すと先にいた鳥たちは鳴き声を止め次々と飛び立っていった。やって来たのはモズだった。同じモズかどうか分からないが後にテレビアンテナに止まっているのを見た。

 溝に巣を張ったコガネグモが全身を使って巣を揺すっていた。一大事出来とばかりに大きく長く揺らしていた。

 別の溝に黒い蛾が飛んでて来た。壁に止まった所を見るとホタルガだった。これ程、図鑑と一致する虫は珍しい。色模様が単純だからだろう。

 ミノムシが木にぶら下がっていた。小さな地味な煤けたようなミノムシで昔からいたものだ。

 7時に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時に犬の散歩に出掛ける。

 公園とグラウンドの柵の木の葉が黄葉してきている。紅葉とまでいっていないようだ。それでも緑葉が一番多い。地面に落ちた茶色の葉の方が黄葉や紅葉より多い。微かに桜の葉の香りがする。これを良しとするのは桜餅を食べた経験から来るのだろうか。

 突堤の先端より少し手前で釣りをしている人がいた。一昨夕もいた人だ。挨拶をした後、何が釣れそうですかと尋ねると、まだ1匹も釣れていないので何が来るか分からないとのこと。波があると良く釣れますかと尋ねると余り関係はないようなことを言う。北風で少し波があるのだ。

 犬は自分の生を生きている。それしかできないからだ。私も自分の生を生きている。只それだけだ。だからこそ少しでも良く生きたいと願っているのだ。その慎ましさの中にお互いを理解しようとする余地が生じるのだ。

 5時15分前に帰着。