犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

遠い昔のような気がする海岸

2014-03-31 07:48:32 | 日記


 6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。

 丘陵の頂越えのコースで行き当たる命豊かな川の河口へのコースを歩く。天気が良く風は殆どないようだ。自分の吐く息が白いのに気付いて、犬を見ると同じく白くなっていた。車、草に露がおりていた。

 国道沿いの家で草抜きをした草を段ボール箱を展開した物の上に置いているのを見た。容易に抜ける草は多いが、その根に付いた泥を除くのが大変なのだ。こういう手があるのだ。反対側の道端でも草引きをしている人がいた。

 国道から左に折れ川沿いの道を歩く。その時、前回ここに来たのは随分昔のような気持ちに捉われた。先週の月曜日に来たのであるが、もう何か月もたっているような気がした。どうしてそんな気分になるのだろう。1日1日が区切られているからだろうか。そして、1日のたつのが非常に速く感じられる。

 川沿いの土手にハマダイコンの花が咲いていた。前回は全然見なかった。

 突堤に出た。犬がしきりに下を覗きこんでいる。何だろうと見ると、犬の死骸が流れ着いていた。完全に仰向けになっていた。毛がかなり抜けていて水やガスで膨らんでおり、豚だろうかと思った位だ。見るに忍びなかったが、豚ではなく犬だと分かるまで見続けた。
 2,3日前に浜で犬が向かうので何かと思えば、その先にウの死骸があった。よくは分からないがカワウのようであった。
 生きているは素晴らしいが、死ねば悲しい。元気が良いのは嬉しいが、元気がないのは可哀想だ。生き物は2つの間を行きつ戻りつして生きている。幸せから不幸へ、不幸から幸せへ。不安から安心へ、安心から不安へ。健康から病気へ、病気から健康へ。対立語がある以上、そうなるのだ。そうならなければその言葉は使われなくなり失われるはずだ。
 行きつ戻りつが出来なくなるのが死である。すべての解決である。しかし、もしこれすら行きつ戻りつがあるのなら、生まれてから死へ、死から生へ。復活、再生という言葉は事実の裏付けがあるのだろうか、裏付けが可能なのだろうか。単なる願望か。

 海でカモメがとんているのを見た。また、川の橋の下からウが飛び出した。電線でキジバトが番っていた。

 犬は3回糞をした。その都度、糞は柔らかくなり色は白っぽくなった。

 7時半過ぎに帰着。




 昨夕の散歩について

 4時に犬の散歩に出掛ける。

 ようやく天気が回復し、今朝行くはずだった礫岩広場に行く。

 気温が下がったからか、朝、ちょっとしか歩いていないからか犬は精神的に意欲満々、体力的に元気盛り盛りでよく駆けた。

 浜に下りて強い西風の中を歩く。このところ、カモメを見なくなった。シベリアに帰ったのだろう。サーファーが波間を漂っていた。
上は長袖のシャツだったのだが、歩いている内はどうにかなるが犬が立ち止まると少し寒さを感じた。

 礫岩広場の手前でホオジロを2羽見た。2羽ともよく似ていたが雌雄なのだろうか。
 礫岩広場は水はけが悪いのか流れや溜まっている所があった。ウグイスの囀るのを聞いた。崖の上ではヤマザクラが咲いていた。 


 5時15分前に帰着。

雨の為なかなか散歩に行けず

2014-03-30 06:55:10 | 日記


 6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は日曜日。

 今日は階段道路を南下して崖下の礫岩広場に行く日であったが、小雨が降っていたので公園まで行って帰った。
 昨夕の食事、今朝の食事をとり用足しをしていないので兎に角、散歩に出る必要があった。

 中道を通って公園に行く。誰もいなかった。グラウンドに行く。犬は糞をした。小雨だが降り続いているので参道を戻った。また、すぐに糞をした。今朝はこれで帰るけど、午後からは天気が回復しそうだから臨時にちょっと散歩に出ようと思った。

 7時15分前に帰着。布2枚で全身を拭いてやる。まだ濡れているようなので別の2枚でまた拭いてやる。


 昨夕の散歩について

 雨の為行けず。

 散歩に行こうかどうか迷った。雨脚が弱まり行こうかと思えば強く降り出す。やはり駄目かと諦めれば、雨音が弱まる。これを数度繰り返した。そうこうする内に少し暗くなった。止めた方が無難だろう。犬には扉から外を見させて雨が降っているので散歩には行けないことを説明する。とっくに雨音や雨のにおいで承知していることだろうが。
 となると犬の関心興味はもう夕食しかない。お腹が空くというのは健康の証拠である。そしてその欲求の充足はかなり緊急性があり、全身を突き動かす根源的なものだ。
 朝食の時よりがつがつ騒々しく食べ、しかもかなりの早食いである。
 「お腹が空いとったんやね。」と言わざるを得なかった。自分の夕食がまだだからかなり同感出来た。

 夜、北の家に渡り廊下を通って戸を開けるとマットの上で待っていた。
 「ようし向こうに行くよ。」と玄関にリードを取りに行く。犬も喜んで付いてくる。鼻をズボンにわざと押し当てたりする。所がリードを付けようとすると犬はソファの上に飛び上り尻尾を振って面白がっている。
 「どうしたん、向こうに行かんのか。ここでええんか。」
 犬は上機嫌のように見えた。ここで遊んでほしいようだ。犬は横になり私は前脚の付け根の部分を揉んでやる。
 次に足をつかむとウウウト怒ったような声を出して手を噛もうとする。こちらは噛まれまいとして手を放す。本気ではなく遊びなので噛まれても痛くはない。固い歯が当たったなという感じである。それは犬の勝ちのようだ。噛まれない内に手をのければこちらの勝ちである。やっている内にそういうルールではないのかなと思えた。
 「もう、えかろう。」
 それですぐにというわけではないが、その内、犬は何度かの呼び掛けでソファから降りてリードを付けてもらう。
 南の玄関に繋ぐ。用足しの必要があれば起こしてくれるだろう。

ホーウホケキョイと鳴くウグイス

2014-03-29 07:48:57 | 日記


 6時半過ぎに犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。

 幼小中辻曲がりコースを歩く。曇っていて風はない。

 住宅地から幼稚園に至る。左手のメダケの方からウグイスの鳴くのが聞こえた。「ホーホケキョイ」と何度も囀っていた。鳴き方が違うのは個体差、地域差によるのだろうか。もっともみんなが同じに鳴く必要はないだろう。
 人間の言葉でも標準語で統一する意味は失われつつある。いわゆる方言に新鮮味を感じ、その音楽的抑揚に気持ちや気分を感じ、ぴったり感に感動することがある。
 もともと発せられた言葉は歌(節)だったという説が有力である。外国語には抑揚やリズムで音楽を思わせるものがある。それだけ伝統が受け継がれているということだろう。
 しかし、方言という言い方はどうだろう。地方言語ということか。全国の方言をいっしょくたにして標準語に対比させている雑な区分けであるだけでなく明らかに見下している意識がのぞいている。俚言と言っても同じだろう。まだ、何々弁の方が個別性を認識しているのでましだろう。

 高架工事の下のトンネルを通る。このバイパスの途中での出入りはこの辺りになるらしい。

 ぴんと張ったマルチの上から小さいが緊張した音がした。雨粒である。急ごう。結局、たいして雨は降らなかったが。
 犬は昨夜、用足しで人を起こさなかった。今朝、2回した。

 7時半過ぎに帰着。



 昨夕の散歩について

 4時に犬の散歩に出掛ける。

 犬の散歩も自分にとって大きな楽しみであり、同時に一種の義務でもあるのだが、それよりもThe Murder of Roger Ackroydや ”The Dancing Dwarf ”を除いて、今、草引きに大きな意味を感じている。
 午前1時間、午後2時間半、草引きに費やした。明日、明後日と雨が降るらしいので仕方がないだろう。
 自分の努力の成果が具体的に見えると人は容易に困難に取り組む。もうちょっともうちょっとと際限がなくなるのだ。
 どういうわけか、長い橋のペンキ塗りの話を思い出した。もうちょっともうちょっと仕事に精を出すが、途轍もなく長い橋なので最初に塗った所は既に塗装が剥げ錆がにじんでと、終わりのない循環に陥るというお話である。
 また、シジフォスの神話を思い出す。大きな石を山の頂上まで転がして運ぶが、頂上に着いた途端に石は急速度で転がり元の所に。それをまた山の山頂まで転がして運ぶ。
 同じように戦時中に捕虜に穴を掘らせて、ある深さになると次の穴を掘らせ、掘った土は前の穴に入れさせるという無間地獄の強制労働があったそうだ。人間の考えることは通底する要素があるようだ。
 そこまで大袈裟に考えることはなかろうが、カキの木とグミの木の生えている東の中庭は数日で草引きは終わるだろう。1週間程度では最初に抜いた所からまた草がということにはならないだろう。他の所は草が元気に伸びて来ているが。
 まあ、人生、苦労が見えている内が華だろう。

 ソメイヨシノが満開に近くなった公園には幼い子とその母親らしい人たちでごった返していたし、グラウンドには中高生だろうサッカーなどの球技をしていた。
 花も虫も鳥も生き物すべて似た者同士である。人も例外ではない。

 海に行く。北に向かい川に至る。波もなく穏やかな海。スカートをたくし上げて海に入っている人がいた。浜にいた人を呼び寄せていた。それを携帯で撮っている人がいた。海に入って泳ぎたいくらいの気候であったが、海水温はまだまだ低いはずだ。大気の温度は太陽高度に比して2か月遅れであるが、海水はもっと反応が遅れる。

 いつもの道を通ってグラウンド、公園に戻る。公園の出口で昨日同様、約束したように柴犬を連れた人と出会った。首筋をしっかりマッサージしてもらった。

 犬は結局、糞をしなかった。夜が心配であるが、朝の散歩の時、大きいのを2つしたから大丈夫かなと思った。

 5時15分前に帰着。

ツバメが飛んでいた

2014-03-28 07:44:19 | 日記


 6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。

 家からの南東方向への新コース探りをする。そろそろこのコースは決まりかかっているがまだ名称がない。
 天気はよく風もない。だから、車に露霜が降りていた。最初は軍手をしてくれば良かったかなと思ったがそのうち必要のないことが分かった。

 玄関で犬の首輪にリードを付けようとすると犬は水入れに行き水を飲む。散歩の前はお座りと命じても水を飲みに行く。食べ物がある時だけお座りは通じる。
 もう、そんなに水を飲めないと観念して犬は首輪をつかまれると、今度は前脚を交互にステップを踏むように上げる。
 「散歩、散歩。」と明るく独り言のように言う。
 未明2時過ぎに犬が下でクウウンと鳴いていたので庭に連れて出したら用を足した。空には星がたくさん出ていた。また、東の空には下が糸のように細く光っている月が昇って来ていた。
 5時頃、新聞を取りに出る時、玄関の土間に液体があった。また、おっしっこかと思ったがどうやらそれは吐いたものらしかった。この処理は散歩から帰ってからだ。それに水槽の中の掃除がある。ああ、やれやれ生き物と付き合うということは楽しさと同じ位苦労があるものだ、どうしようもないとの開き直りから「散歩、散歩。」と楽しそうに軽く口を衝いて出たのだ。

 国道に出て左側の歩道を南下する。朝は早いし生徒はいないし歩道は人が殆どいない。バス停留所にも。
 辻を左折する。前回と同じように山陽本線と山陰本線の上に架かった陸橋の手前で階段を降りる。山陰本線沿いの道を北上する。

 犬はしばしばお立ち寄りをする。大抵は少し黒くなっている尿の跡と思しき場所だ。ヨモギなどの草叢にも立ち寄るが、結局そうだろう。そして、その点検時間が長くなっている。詳しく調べているのだろう。

 空にツバメが1羽、スイスイと飛んでいた。屋根の向こうに行き見えなくなったと思ったら、今度は2羽で現れた。少し太っているのではないかと思ったが、兎に角、今年初めて見るツバメである。

 動物病院のそばを通る。駅前で左折して歩いていると、右手の整形外科医の玄関の前に人が並んでいたが、1番の人は行く時もそこにいて、こちらに挨拶をしたので私も返したが、また、するのも気の毒な感じがした。犬を見て通り過ごした。

 7時半過ぎに帰着。




 昨夕の散歩について

 4時過ぎに犬の散歩に出掛ける。
 昼食後に庭の草引きをしていた。
 ベニカナメやキンモクセイの落葉を集め、チューリップ、ヒガンバナの生えている周りを小石で囲む。やがて葉がなくなり気付かずに踏まないようにするためだ。太陽が当たり暑くなった。
 少し休んで再び庭に出てカキとグミの下の草を抜く。日陰で北風が通って少し寒かった。スズメノカタビラ、ハコベ、オランダミミナグサ、ドクダミが主なものだ。
 モンシロチョウが2匹舞うように飛んでいた。はて、この辺りに食草があったっけ。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。驚いたことに公園、グラウンドのソメイヨシノは2,3分咲きとなっていた。確かに気温は上昇して来てはいる。一気という感じがした。咲くも散るも一気なのだ。満開の時期は結構長いと思うが。
 脚が張っている。しゃがんで長時間草引きをしたからだろう。

 海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。まことに穏やかな海。海辺で遊んでいる人たちがいた。何をしているのかこちらには意味は分からないが、兎に角、走ったり旗のようなものを振ったりして楽しそうに遊んでいた。
 プロベラ練習機が10機、西に向かったり戻ってきたりしていた。9機が編隊を組み、1機は少し離れている。これが教官機なのだろう。

 南に向かって歩く。自然の物以外何もない海ほどいいものはない。

 階段を上がりいつもの道でグラウンド、公園に戻る。

 柴犬を連れた人が前を行っていたので急いで追い付く。
 「もう桜が咲いていましたね。」
 「あそこの桜はいつもは遅いのよ。不思議じゃね、昨日までは咲いていなかったのに。」
 我が犬をしっかり撫でてくれ、首の後ろ辺りをしっかり揉んでくれた。じっとしているので嬉しいと分かるのだ。
 「今日は機嫌が良いね。」
 私も相手の柴犬の頭や咽喉を撫でた。
 「少し太った?後ろから見ると少しふっくらしてきたように見える。」
 「家の中にいると寒いのでジャンパーを着ているけど、そのまま外に出ると少し暑い。人から何を着ているんと言われた。」
 「そうですね、この時季、外の方が暖かくなりますね。」と長袖のシャツの私が答える。

 5時10分前に帰着。

カエルも出て来た

2014-03-27 08:18:22 | 日記


 6時半過ぎに犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 仁馬山古墳コースを歩く。天気は良く風もない。国道に出て大きな川の橋を渡る。橋の中央で東を見ると太陽が正面に昇っていた。随分、北にずれてきたものだ。雨の為だろう大気中に漂っていた浮遊物が落とされて視界がかなり良くなっていた。
 長袖のシャツを着用するも時に半袖でも良いかと思える程だった。もう、2,3日前から軍手はしていない。

 川沿いを歩く。クコが柔らか葉をたくさんつけてぐんぐん伸びていた。左折して田と田の間の道を歩く。カエルがひっくり返って死んでいた。その後、丘陵の裾道でもカエルの死骸を見た。車にひかれたようだ。いずれもツチガエルのようだった。ひかれたのは可哀想だが、これなら田の中にはカエルがたくさんいるということを教えてくれている。まだ、カエルの鳴き声は聞いていないが。

 裾道を歩いていると右の田畑の方からはヒバリがひっきりなしに囀っていて、左の丘陵の方からはウグイスののどかな囀りが間をおいて聞こえ、更に間をおいてキジバトの鳴き声がする。

 若い女性が自転車に乗ってこちらに来た。以前にも見かけた人たちらしい。その時は、3人で自転車が3台だったが、今朝は1台の自転車に二人乗り。顔は覚えていないのだが、屈託なくとても内輪の会話を交わしているようなので同じ人たちだろうと思った。あの会話は何語なのだろう。やはり中国語のようだ。
 その先でやはり二人乗りの自転車とすれ違った。こちらは男性であるが、表情などから外国の人らしく見えた。

 道端にハボタンが並べて植えられているが、白いのは丸くふんわりしているが、紫のは背が伸びて薹が立っている。随分長く保つものである。我が家の花壇のハボタンも同じような姿になっている。

 道端の長く伸びたイヌムギを犬は食べた。犬のマズルはびっしょり濡れている。そこに20cm位の高さのタラノキの幼木があった。道路も所々水溜りがあり度々飲んで足元も濡れている。濡れていないのは頭と背中と尻尾だけである。

 観音堂古墳に到着した時、既に8時15分を回っていた。犬は季節なのか昨夕の散歩でも感じたがお立ち寄りが甚だ多い。
 急な坂道を登って仁馬山古墳へ。丘陵の頂の道を歩く。

 ウグイスの囀りを今年初めて聞いた竹やぶの所から犬は走り始めた。いつもだ。下り坂になっており下は濡れておりウォーキングシューズは少し痛んできているので転びはしないかと心配するほどのスピードになる。何故、ここで走り出すのか全然分からない。坂が緩やかになりスピードが落ちて来たので右手にレンギョウ、ユキヤナギが目に入る位、余裕を取り戻した。
 この靴で240日以上、約1000kmは歩いているだろう。靴の後ろの内側は剥げて来ているし靴底も摩耗しているのか、ちょっと変な感じなになっている。もう替えないといけないのかもしれない。

 犬は変な物を口に咥えた。引っ張って取りだそうとするが犬は首を左右に振り容易に取り出せない。仕方ないか、口まで入ったらもう犬のものなのだろう。しかし、犬はそれを噛み砕いたりしようとせず咥えたままである。あはん、そんなに美味くはないものらしい。ここで煎餅でも用意していたら面白い実験が出来たかもしれない。
 丘陵の頂近くに大きなセンダンの木がありその下に白い実が落ちている。昨年からのものである。そこでリードを少し緩めた。勿論、犬はここにセンダンの実があることを知っている。これまで何度も食べているのだ。犬は口を開けて噛んでいたものを落としてセンダンの実を一つ食べた。そうか、センダンの実より不味いものを咥えていたのだ。センダンの実を食べさせたのが良かったかどうか、兎に角、得体のしれないものを食べられるよりましだろう。

 市の施設の敷地に横から入り表から出る。国道沿いのナワシログミが実をたくさん付けていた。

 8時過ぎに帰着。




 昨夕の散歩について

 4時5分に犬の散歩に出掛ける。散歩に出掛ける準備をしている時、犬は騒いだり興奮したりすることなくちゃんとお座りをして待っていた。私を悩ませたあの狂騒は散歩に連れて行ってくれる喜びを伝えたかっただけなのかとも思えてくる。

 南の玄関から出て家の横を通って北の門から出る。
 犬の頭が極端に低い。鼻は路面に接し続けている。頭を上げるんよと言い、リードを短く持った。
 また、コンクリート塀、ブロック塀、石垣、化粧板塀、板塀、生垣などを嗅ぎまくる。特に角は念入りに。時々は舐めたりしている。

 公園を通って海岸に向かう。海は満潮であった。波もかなりある。海岸道路を少し南下して左折する。高架工事の下を通って右手に手入れの行き届いた畑を見て左折しようとしたら向こうからバグが来ていたので直進する。

 時折小雨が降っていた。お立ち寄りが多く結構、時間を要した。

 5時10分前に帰着。