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6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。
丘陵の頂越えのコースで行き当たる命豊かな川の河口へのコースを歩く。天気が良く風は殆どないようだ。自分の吐く息が白いのに気付いて、犬を見ると同じく白くなっていた。車、草に露がおりていた。
国道沿いの家で草抜きをした草を段ボール箱を展開した物の上に置いているのを見た。容易に抜ける草は多いが、その根に付いた泥を除くのが大変なのだ。こういう手があるのだ。反対側の道端でも草引きをしている人がいた。
国道から左に折れ川沿いの道を歩く。その時、前回ここに来たのは随分昔のような気持ちに捉われた。先週の月曜日に来たのであるが、もう何か月もたっているような気がした。どうしてそんな気分になるのだろう。1日1日が区切られているからだろうか。そして、1日のたつのが非常に速く感じられる。
川沿いの土手にハマダイコンの花が咲いていた。前回は全然見なかった。
突堤に出た。犬がしきりに下を覗きこんでいる。何だろうと見ると、犬の死骸が流れ着いていた。完全に仰向けになっていた。毛がかなり抜けていて水やガスで膨らんでおり、豚だろうかと思った位だ。見るに忍びなかったが、豚ではなく犬だと分かるまで見続けた。
2,3日前に浜で犬が向かうので何かと思えば、その先にウの死骸があった。よくは分からないがカワウのようであった。
生きているは素晴らしいが、死ねば悲しい。元気が良いのは嬉しいが、元気がないのは可哀想だ。生き物は2つの間を行きつ戻りつして生きている。幸せから不幸へ、不幸から幸せへ。不安から安心へ、安心から不安へ。健康から病気へ、病気から健康へ。対立語がある以上、そうなるのだ。そうならなければその言葉は使われなくなり失われるはずだ。
行きつ戻りつが出来なくなるのが死である。すべての解決である。しかし、もしこれすら行きつ戻りつがあるのなら、生まれてから死へ、死から生へ。復活、再生という言葉は事実の裏付けがあるのだろうか、裏付けが可能なのだろうか。単なる願望か。
海でカモメがとんているのを見た。また、川の橋の下からウが飛び出した。電線でキジバトが番っていた。
犬は3回糞をした。その都度、糞は柔らかくなり色は白っぽくなった。
7時半過ぎに帰着。
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昨夕の散歩について
4時に犬の散歩に出掛ける。
ようやく天気が回復し、今朝行くはずだった礫岩広場に行く。
気温が下がったからか、朝、ちょっとしか歩いていないからか犬は精神的に意欲満々、体力的に元気盛り盛りでよく駆けた。
浜に下りて強い西風の中を歩く。このところ、カモメを見なくなった。シベリアに帰ったのだろう。サーファーが波間を漂っていた。
上は長袖のシャツだったのだが、歩いている内はどうにかなるが犬が立ち止まると少し寒さを感じた。
礫岩広場の手前でホオジロを2羽見た。2羽ともよく似ていたが雌雄なのだろうか。
礫岩広場は水はけが悪いのか流れや溜まっている所があった。ウグイスの囀るのを聞いた。崖の上ではヤマザクラが咲いていた。
5時15分前に帰着。