6時25分に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。
丘陵の頂越えのコースを歩く。よく晴れて気温が下がっているが、風がないので寒くはない。
犬は絶好調のようだが私はそうではない。置いて行かれているような感覚。
7時25分に帰着。
昨夕の散歩について
4時15分に犬の散歩に出掛ける。小倉の親戚がリードを持ってくれた。
雲一つない快晴の空は淡く単色で空を見上げる価値がないように思えた。
それにしても今日は、こんな日もあるのかと思わせる日であった。つまり逆の方向から考えれば、これまで平穏無事な日が続いたということか。生きていました、死ぬまではというようなものだ。
朝5時前に目覚めれば首筋が激痛でこわばり、その激痛はいつまでも去らず、どうすればよいのかと息も絶え絶えに思案するも願って待つしかないのだ。痛みが治まるか、痛みに慣れるか。
痛みが勢い得ないようにおそるおそる首を動かし良い具合にならないかと探る。試みは功を奏せず痛みは持続する。やってはいられない。いられなくとも痛みの時間は継続する。
痛みは行動を促すと思った。病院に行けと。しかし、どういう拍子か口を大きく開けると痛みが収まった。勿論、その問題解決に至るまでいろいろな試みは数多くあったのだが、失敗策は記憶からあっという間に消え去った。この種のことは頻繁である。実は成功したことも同様であるが。つまり、すべての記憶が持続しないのだ。
激痛は去ったがまた襲ってきたらと不安が首をもたげ病院に行くことにした。病院は忌避場所のベスト3というかワースト3の一つだったが、歳をとると考えも変わるらしい。
犬の散歩についてのブログなのに犬のことは全然姿を現さない。言語が誕生して以来の通弊であるが何かに仮託して語るのが言語の本質なのだ。
薬をもらって駐車場に行って車を見ると左後輪がパンクしていた。今の時代にパンクと思ったのが最初。そういえばここに来るまでコトコト何か音がしていたなと思ったが後の祭り。
パンクとしては最悪の衝撃吸収のタイヤの側面の傷が原因らしい。最悪というのは修理がきかず交換という意味だ。傷が付いたのはかなり前とのこと。
いつもの散歩コースを歩いて5時10分前に帰着。