犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

不調続く

2014-10-31 06:53:36 | 日記


 6時に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。

 大型の商業施設群の手前で北に向かい大きな川を渡って川沿いの道を下るコースを歩く。曇っていて僅かに東風がある。気温は下がっていない。

 犬はリードをぐいぐい引っ張る。首が凝らないはずがない。昼、犬が横になっている時ほぐしているのは私なのだ。その時、犬が前足を上げれば腋も揉んでやる。

 頭をあまり上げないようにして歩く。上げると頸骨に負担がかかるのだ。

 6時40分に帰着。




 昨夕の散歩について

 5時15分前に犬の散歩に出掛ける。

 午前は晴れていたが次第に曇り散歩の時は、全天雲となった。

 体調不調。犬元気。

 5時15分に帰着。

じわじわ暗くなる夕方

2014-10-30 07:17:01 | 日記


 6時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 隣の駅の手前まで行ってヘアピンカーブを回って帰るコースを歩く。

 犬は地面を微細に嗅ぎ回る。その時リードを伝わってくる微動は釣りをして魚の当たりがある感じに似ている。ピクピク。そして犬がリードを引く時は大物がかかったという手応えである。いや、それ以上である。こっちの身が持って行かれるのだから。犬の元気なのが羨ましい。まだ首を長く持ち上げられない。昔ディスプレイがテーブルの中に沈む形のものがあったが、あれなら続けて打てるかもしれないがもう限界である。

 7時に帰着。




 昨夕の散歩について

 5時5分前に犬の散歩に出掛ける。

 朝、快晴だったのが今や全天、雲に覆われている。

 帰路はすっかり日が暮れてきた。薄暗がりは苦手だ。朝なら段々明るくなるので安心だが、夕方は違う。暗くなるばかりだ。
 夜明け前が一番暗いという詩的表現はこれからを期す青年には訴えるものがあるにしても老いの1日を生きている身にとってはじわじわ暗くなっていくのが心細いのだ。
 犬のことが出てこないのは、今は自分のことで一生懸命なのだからだ。

 5時35分に帰着。

がたが来た

2014-10-29 07:32:14 | 日記


 6時25分に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。よく晴れて気温が下がっているが、風がないので寒くはない。

 犬は絶好調のようだが私はそうではない。置いて行かれているような感覚。

 7時25分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時15分に犬の散歩に出掛ける。小倉の親戚がリードを持ってくれた。

 雲一つない快晴の空は淡く単色で空を見上げる価値がないように思えた。

 それにしても今日は、こんな日もあるのかと思わせる日であった。つまり逆の方向から考えれば、これまで平穏無事な日が続いたということか。生きていました、死ぬまではというようなものだ。

 朝5時前に目覚めれば首筋が激痛でこわばり、その激痛はいつまでも去らず、どうすればよいのかと息も絶え絶えに思案するも願って待つしかないのだ。痛みが治まるか、痛みに慣れるか。
 痛みが勢い得ないようにおそるおそる首を動かし良い具合にならないかと探る。試みは功を奏せず痛みは持続する。やってはいられない。いられなくとも痛みの時間は継続する。

 痛みは行動を促すと思った。病院に行けと。しかし、どういう拍子か口を大きく開けると痛みが収まった。勿論、その問題解決に至るまでいろいろな試みは数多くあったのだが、失敗策は記憶からあっという間に消え去った。この種のことは頻繁である。実は成功したことも同様であるが。つまり、すべての記憶が持続しないのだ。

 激痛は去ったがまた襲ってきたらと不安が首をもたげ病院に行くことにした。病院は忌避場所のベスト3というかワースト3の一つだったが、歳をとると考えも変わるらしい。
 犬の散歩についてのブログなのに犬のことは全然姿を現さない。言語が誕生して以来の通弊であるが何かに仮託して語るのが言語の本質なのだ。

 薬をもらって駐車場に行って車を見ると左後輪がパンクしていた。今の時代にパンクと思ったのが最初。そういえばここに来るまでコトコト何か音がしていたなと思ったが後の祭り。

 パンクとしては最悪の衝撃吸収のタイヤの側面の傷が原因らしい。最悪というのは修理がきかず交換という意味だ。傷が付いたのはかなり前とのこと。

 いつもの散歩コースを歩いて5時10分前に帰着。

お相撲さんのお腹みたいだ

2014-10-28 07:20:27 | 日記


 6時20分に犬の散歩に出かける。今日は火曜日。

 山陰本線を跨ぐ新しい道を歩く。とてもよく晴れていて、この2,3日と違って気温がかなり下がってきている。

 昨夕の海岸での散歩でも思ったが犬は気温が下がると活発になる。生き生きしてくる。夏の暑さを耐えたからである。今朝も元気よく歩く。研究心はそれに伴って高揚しこまめに嗅いで歩く。それに反してこちらは首が動かなくなった。それ故、ここで打ち切ることにする。

 7時5分に帰着。




 昨夕の散歩について

 5時10分前に犬の散歩に出かける。小倉から来た親戚がリードを持ってくれた。

 自分がリードを持っていないと犬をある程度、客観的に観察できる。
 犬は前方に猫を見つけると一途、真剣になる。においに導かれあっちこっちに行くことはなくなる。頭を上げて正面を見据えて急ぎ足になる。特殊な任務を帯びた人のように。対象は情報でも重要人物でも金銭でもなく猫である。

 犬の首輪があまり余裕がなくなっていることに気が付いた。首の周りの毛に癖がついているのを見て首回りを探ってみた。まだ、余裕はあるが以前よりきつくなっている。

 室内で憂鬱そうな表情でもう何時間も顎を座布団の上に載せていた犬に声をかけた。おいで。おいでとか来いとか言っても中中言うことを聞かない犬であるが、余程退屈していたのだろう私に付いて来た。リードを付けて玄関のポーチのピラーに繋いで、私は庭の終わりになったコスモスを抜いた。今年のコスモスは高さが2,3mにもなった。花の付きはそれほど良くはなかったが。
 コスモスだけではないが、ゴミ袋の大が6袋も一杯になった。ポーチの方を見ると、犬は例によって私のやっていることが理解できないと呆れた表情をしていたが、お座りをしている状態の犬の腹を見て驚いた。腹がだぶだぶである。信じられないくらいだぶだぶである。これは絶対食事制限だと思った。単なる肥満では済まされない段階に達している。

 16歳の犬と若い柴犬に出会った。

 5時半に帰着。

マイクロSDアダプター

2014-10-27 06:58:56 | 日記


 6時に犬の散歩に出かける。今日は月曜日。

 大きな川の川沿いの道を搭乗し2つめの枝道を北上するコースを歩く。

 散歩はさくさくと進む。

 枝を四方八方に張り空を覆うように広げている大きなセンダンの木のある所が散歩道のほぼ中間地点にあるが、犬はそこで何かを口にしたらしい。しばらくしてガリッと犬の口から音がした。落ちたセンダンの実を歯で砕いたのだ。センダンの実は薬の材料になるそうだが薬効については知らない。

 息を切らせて猛スピードで走るランナーがいるが、その人が歩いているのを見た。先週もだった。走るのをやめて散策に変えたのだろうか。

 市の施設の駐車場で運動機能回復訓練をしている人を見掛けた。不自由な体をゆっくりゆっくり動かしている。見ているだけで心が動く。やるしかないのだろう。生きるということはこういうことなのだと思う。

 犬の散歩をしながら犬を調教しようと考えていたが、狭い道を歩くので広場で訓練するのとは違うことに気がついた。行く方向は決まっているのだ。犬に引っ張られて犬に従うよう、こちらが調教されているような気になった。

 マイクロSDのアダプターが壊れて今日、購入した。それでようやく再び写真を掲載することが出来るようになった。

 7時10分前に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出かける。

 グラウンドで茶と白の2匹に小犬を連れた人と出会い挨拶をする。我が犬は飼い主には姿勢を低くしてすり寄っていったが、2匹の小犬には一顧だにしなかった。小犬は我が犬の後方を興味深げに嗅いだりする。我が犬は何だと振り返ったがそれっきりである。
 みんな淡泊なものだと思う。それが生き物のならいであろう。みんな一時のことなのだから。

 5時10分前に帰着。