6時10分に犬の散歩に出掛けた。今日は日曜日。
海岸道路を南下して礫岩広場に行くコースを歩く。薄曇りで涼しい。海岸道路の海側のコンクリートブロック塀にフナムシが上ったり下ったりしていたが、今朝は1匹も見なかった。セミも鳴き声を聞くことが稀になった。アカトンボは多い。今日は既に8月の晦日である。
安岡の沖の海には漁船が7,8隻出て止まっていた。漁をしているのだろう。ミサゴが空を飛んでいた。羽毛がふんわりとしている。
電柱の頂にトビが止まっていた。我々が近付くと少し先のより高い電柱の頂に上手に止まりピィーヒョロと一声鳴いた。
礫岩広場の下の海では釣り人がいた。近くに駐車している車からすると4,5人は来ているだろう。
用水路の近くにセキレイが5,6羽いた。そして、雌雄の関係だろうか、追われるものを追うものがいた。追われてもそんなに遠くまで逃げない。振りをしている。
7時5分に帰着。
昨夕の散歩について
5時5分前に犬の散歩に出掛ける。
午後、南庭の草引きを始めたら日が照って来たように、散歩に出掛ける時になったら、それまで曇っていたのに晴れてきた。こういう時もあるのだが、そんなことは忘れたら良い。忘れるのは得意になったから簡単なことだ。
よく嫌なことや悪いことや苦労したことばかりを得意げに話す人々がいたが、私にはその意味がまったく理解できなかった。それがどうしたのと、自分で考えてみたが分からない。
同情を得たいのか、それが得られたとしてそれがどうなのか、お前より苦労人だと自慢しているのだろうか、その自慢の先はどこに辿り着くのか、自分が選ばれた人物でそれを如何に解決したか、その能力を誇示したいのか、その能力がまたいつの日か開花することがあるのか、その日を期待しているのか、全然見当が付かなった。
多分、自己中心的な呪縛を逃れられない人なのだろうと思うしかなかった。論理的な完結性があるなとは思った。
公園に着いた時、柴犬を連れた人は後ろ脚を紐で吊った犬を連れた人と一緒にいた。テリアのようだ。トミーという名らしい。
初対面なので尋ねられることは年齢と雌雄についてである。
八つになりました。メスです。
そうでしょうね、首輪にハートの飾りがあるからと言って笑った。
我が犬はテリアに興味を見せたが、テリアは表情が硬くぎこちなかった。我が犬の大きさに圧倒されて怯えているのかもしれない。カンナとはお互いの存在を確認しただけだった。我が犬はそそくさとそこから立ち去ろうとした。私も話すことはないので離れて海岸に向かった。
浜は太陽に照らされ避ける物もないので帰ることにした。浜ではサーフボードを抱えて波打ち際まで走ってボードを置いてその上に飛び乗り遊んでいる人がいた。この前も見掛けた。5,6mは進むようだ。それをスライドサーフィンと名付けた。
キス釣りをしている人がいた。どうも釣れていないようだ。
5時半に帰着。