犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

老人は扱い難し

2022-01-31 15:31:32 | 日記

2022年(令和4年)1月31日(月)の散歩について 晴れ

 

 私はNHKのEテレをよく見る。ジェネラルの方はニュースだが、いつも決まったテーマで延々とやるので閉口している。そんなことは知っていらい、さっきもやっていたではないか。同じことの繰り返しなのでもはやニュースとは言えない。それにある国の宣伝部の日本支局のような報道を最優先にするのも納得がいかない。相手の術中にはまっているのではないか。

 どうも本筋から逸脱して転げまわるようになって脇筋が肥大化して困る。まあ、本筋自体、本筋と言われるほどしっかりした骨組みを持っているわけではないが、とこれまた脱線してしまうのだ。

 生活時間が少し後ろに下がってきているせいか、朝の散歩は7時前後に出掛けることが多くなった。だが、その時刻には土曜だったら「なりきり」、日曜だったら「わらたま」、平日だったら「はなかっぱ」が放送されているのだ。好きで見たいのだが、犬が落ち着かなくなって部屋を歩き回る。これは拙い。散歩に行かなくてはと思う。不測の事態が出来しかねない。番組は諦めて犬の首輪にリードを付けて外に出る。そういう日が続いている。

 散歩の方は変わりない。変わりようがないのだ。おばあさんの犬とおじいさんの飼い主が決まった道をとぼとぼと歩く。犬の頑固なこだわりにじいさんは辛抱強く付き合う。こんなことになるとはと昔を思い出してみる。

 こういう時にオミクロン株に人類は勝ったのではないかとか、30世紀の人の排泄についてとか、妄想をたくましくしてしまう。最近、暴走が過ぎると自身でも反省している。しかし、なんとなくそうなってしまうのだな。反省しても治らない。年寄りは危ないのだ。そうでない年寄りが殆どであるが。

 


また始まった繰り言

2022-01-30 17:22:44 | 日記

2022年(令和4年)1月30日(日) 曇り

 

 犬は突然吠え出した。犬の鼻の向かっている方を見ると猫がいる。おい、相手は猫じゃないか。関係ないよ。勿論、犬は私の声には耳を貸さず見えにくくなった自分の目は信用しているようだ。依然として猫の方を向いている。しばらくずっと佇むしかない。

 この辺りでは放し飼いの猫をよく見かける。三毛、キジ、灰、黒、白、様々な混色がいる。色は様々だが、みな一様に丸々と太っている。かつての我が犬である。が、失礼ながら、我が犬はあれほど太ってはいなかった。猫が太るのは構わないが、我が庭のヤブランを便座に下痢をしたりとぐろを巻いたりして私をひるませるのは困る。うっとしか声が出ない。どうしてこう一方的に被害を被らなければならないのだろうか。住処を変えるしかないのか。それは猫に負けたような気がするので嫌だ。じっと我慢の石で池に沈むしかないのか。百姓の息子の性かも知れない。

 この寒さの冬に思うことではないかもしれないが、夏にまた選挙があるらしい。

 5増5減とか10増10減とかいう議論が国会を騒がしている時もあるようだが、1票の格差の比が憲法違反云々で改革をせねばならないと言う人たちがいる。つまり、大都会の定員を増やし、田舎は減らせば良いということだ。その意見に対して少数派の意見が無視されるのではないかと不安視する人たちもいる。

 だが、両方の意見とも的が外れていて、どうしてこういう無用な議論が続くのかと不思議でならない。どうして投票しない有権者を分母に加えるのだろう。相手にすべきは投票した人の数である。選挙に関して意味のある数字を尊重すべきであろう。棄権した人は人数から除外すればよい。選挙的には存在しないのだから。これで定員を決めれば良いだろうし、その内、全国の投票率が急激に上昇するだろう。このような意見は既に世に出ているかもしないが。世間は広いから。

 この項、甚だ分かりにくい。後で読んでそう思った。具体的に説明しよう。ある選挙区の有権者数は100万人としよう。投票率は大体40%。別の選挙区では有権者は50万人、投票率は80%。前者では40万人の有権者がいるということなる。後者では40万人。で、この両地区の定員は同数とする。これが票の平等につながるのか心もとないところはあるけれども。

 


好き放題

2022-01-29 15:40:39 | 日記

 2022年(令和4年) 1月29日(土)の散歩について 晴れ

 

 穏やかな天気だ。蝋梅や白梅が花開いており、目白のつがいが蜜を吸っている。

 

 あまりスポーツ番組を見なくなって久しい。解説がなければ見てもいいかなという種目はある。

 スポーツ番組の解説の陳腐なのにはかなり若い頃から閉口していた。お涙頂戴だったり、いかにも山あり谷ありのストーリー仕立てだったり、肉親や先輩、後輩や友人がらみの仕組まれた熱く連綿と続く伝統を誇示するような空想話のあけすけな披露だったりして変わらんねと嘆くばかりである。それほどスポーツは昔話風の教訓に飢えているのだろうか。

 

 スポーツではラグビーが面白いと思う。東京オリンピックで7人制のを見てこれはスピーディで主流になるのではないかと思った。しかし、イギリス発祥のサッカー(これはスピーディだがあまり好きではない)やラグビーには面白いルースがある。オフサイドとか。見たことはないが、野球みたいなクリケットという競技にも奇妙なルールがありそうだ。

 しかし、ラグビーや野球より好きなのは相撲である。これは何も準備しなくても良い。ボールもベースもいらない。身一つあれば良い。やっても面白い、見ても面白い。まあ、その程度のレベルの興味だが。

 

 大相撲初場所を見ていて歯がゆく思ったこと。

 

  横綱、大関が少なすぎるので大幅に増やすべきだと思った。横綱対横綱の対戦に人は沸くだろう。横綱対大関戦もそれに次ぐ人気を呼ぶだろう。そういう対戦が日にいくつもあれば楽しみは増え、期待も高まろう。

 それには全力士に今の階級から一つ上に昇進させるべきだろう。そんなことをして大丈夫だろうか言う向きもあるかもしれないが、まったく構わない。力士の相対的な位置付けに過ぎないからだ。どうして3場所で何勝以上とか絶対的な線引きをするのだろう。自由にやれば良いのに。審議会を開き、若干名ではあるが、審査をする必要はあるかもしれない。

 大相撲協会は給与などで多少の出費を覚悟しなければならないかもしれないが、横綱や大関が何百人もいるわけではない。それに相撲人気が高まり赤を超える増収が見込めるはずだ。

 昇進してその地位なりの相撲をとれるのかと疑う向きには人は役に合わせて伸びるという名言を紹介したい。

 

 犬の散歩とはあまり関係のない話題で申し訳ありません。謝ったばかりで更に申し訳ないのですが、これから以後、自分の好き放題のテーマが続くかもしれません。何分、先が短いかもしれませんので。

 


万能薬とある伝統主義者

2022-01-28 15:13:18 | 日記

2022年1月28日(金) 晴れ

 

 犬がばあさんに思えてくる。じっとしている犬を撫でても撫でてもじっとしている。

 犬が求めているのが撫でるごとにわかるのだ。今を続けてと願っているのがわかる。

 

 伝えない犬の姿は一人で生きている、ただ生きているということだ。

 

 犬においでおいでと手を振っても犬は躊躇した。それでも一歩こちらにやってきて過ぎていった。犬の目はいつも濡れている。

 

 先週、横浜の親戚が帰った。帰り際、犬を撫でた。これが最期の別れであるかのように。犬は知っているかどうか。

 親戚を新下関に送って家に戻ると犬は玄関に迎え出て私を見るなり、戻ってくるのはいつもこっちの方だなと犬は少し失望したような態度をとる。誰も戻らんよりましだろうがと私は言う。

 先日、前の飼い主が訪れた時、フラワーエッセンスという万能薬?を紹介してくれた。その場で合鴨の煎餅に付けて犬に食べさせた。動物にも人間にも効果あるそうだ。それでか犬は落ち着き大丈夫だと感じたようだった。

 その効果が犬の生活に早速に現れたのかどうか、犬は腹ばいからほぼ自力で立ち上がれるようになった。これまでも自力で立ち上がることもあったが、前足を大きな座布団から出してフローリングでカチカチと滑らせることもあった。そういう時は犬の腹の下にバスタオルを差し込んでバスタオルの両端を持って引き上げていた。立ち上がれば自力で歩きだした。

 散歩中、犬は溝に落ちてしまうことがあった。1度や2度の話ではない。道路が溝に対して軽く傾斜があり、よろよろ歩いていると落ち込むと考えられた。目も悪くなっているのかもしれない。それで犬を溝から引っ張り上げねばならないのだが、相手は丸々黒豚スタイルから腰のくびれが見え始めたとはいえ体重は20キロ近くあるのだ。よいしょ、よいしょと力を入れる。心不全なのにこんなことをして大丈夫かなとも思うが他にすることはないのだ。そして危機を脱して帰路につくのだった。それが最近落ちなくなった。私が気を付けていることも落ちなくなった理由かもしれない。

 それから犬は室内で粗相をすることが増えた。その時、犬はきまり悪い表情を私に見せる。別にここでしたかったわけでない。我慢できなかったのだ。私は犬の粗相を叱ったことはない。早く気付いてやれず、御免ねと反省するばかりである。こういう時、犬は大抵、体調が悪く、便が柔らかかったりする。ああ、大変、大変である。臭いもするし、あとで処理しようと考え、新聞紙をかぶせておくこともある。そうすると犬はなんとわざとではないと思うのだが、新聞紙の上を踏んで踏んで踏みまくるのだ。穴が開いてしまう。止めろよと言う。

 それでもこういうことが少なくなった。私が気を利かせて真夜中でも未明でも犬を庭に連れ出すからだろうと思うが、万能薬の効き目かも知れないとも思える。

 私自身はこういうネットで評判になっているものを直ちに信奉する気持ちはない。

 以前、島に住んでいた時に紫色の布が怪我に何でも効くという物を貰ったことがある。何か効いたようにも思えたが、それほど怪我をすることがなかったのでいつしか、その存在や意識はどこかに消えてしまった。

 それから内疾患や怪我や何にでも効くという万能薬を常用している人がいたが、私は全然信ぜず、服用したことはない。今ではオミクロンにも効くとされているのではないか。

 私には人類の太古からの友、アルコールがあるので他の物は必要ないのである。それにそんなに体に良いものを摂取すると死ねなくなるかもしれないではないか。

 


いつも再び

2022-01-27 15:38:13 | 日記

2022年(令和4年)1月27日(木)

 

 朝は6時から7時の間で散歩を始めている。朝は早くから明るくなり始めた。夕方は3時とか4時くらいに出掛けている。1日が短くなっている。犬の散歩が終われば私の1日の終わりだからだ。

 

 昨夜、犬の前の飼い主が訪れた。

 私は犬の反応が興味深く思われた。昨年の1月に私が心不全で入院した時に家の者が犬を門司の動物ホテルに入れたのだった。私が退院して犬はなおホテルにいる時に面会に行ったのだが、きっと、犬は私に飛びついてくるだろうと想像した。だが、犬はシラーっとしていた。知らん人でもないらしいがという表情を見せたが、駆け寄ってくるでもなかった。吠えもしなかった。遠くの親戚が突然やってきて、さりとて話題もなくして場をどう繕おうかと逡巡しているような感じであった。

 犬にとっての大親分が病院から一時帰宅した時も犬は冷静さを保っていた。犬は人間と違って言語を持たないので記憶のシステムが人間程整っていないようだ。そう感じた。気持ちの表現もそれほど濃やかものではないようだ。だから犬の態度を評価してやらねばならない。

 前の飼い主に犬はどう対応したか。

 前の飼い主は以前、といってももう十年も前のことだが、犬は別れて数か月の飼い主に対して尻尾を振りまくった。振って振って振った。それは尻尾だけはなかった。もう犬の下半身が振れていた。犬の心中は察して余りあるものだった。これだけ訴えているのに結局、周りの人間は状況を改善しようとはしなかった。それ以来、前の飼い主は罪を作ると念じて面会には来なかった。

 この度、オミクロン株にめげず、10年ぶりの対面で、前の飼い主はラブちゃんと言ってに勢いよく素早く犬に向かった。ラブちゃんはその勢いに圧倒されたのかびっくりして吠えて次の間に逃げ出した。

 どうしたん、どうしたんと犬を私は宥めた。そして前の飼い主の前に犬を連れてきた。

 犬は伏せて前の飼い主に全身を撫でてもらった。犬は思い出しのだろう、すべてを受け入れた。良かった、良かった。みんな目は赤くしっとりと濡れていた。その中で一番冷静だったのは犬かもしれない。その次が現在の飼い主である私。これから東に向かって帰る前の飼い主が一番深く心が揺れているようだった。