犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

犬のリード、こちらのリード

2015-01-31 07:32:28 | 日記


 7時5分前に犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。

 幼稚園、小学校の前を通るコースを歩く。曇っている。

 少しずつ犬をリードしていこうと試みている。が、突然の犬の動きに虚を突かれいつの間にか犬の恣に動かされていたりする。犬は連発銃のように矢継ぎ早に動きを変化させるからだ。もとより年寄りの及ぶ所ではない。所期の思いとは別に犬がリードをしているのが現実なのだ。それでも犬が自分のペースで歩き、鼻高々の油断を突いて、こちらがリードしたりした。その時間は短いし回数は少ない。一矢報いたという感じか。兎に角、散歩は100%犬の思うがままではないということが肝心だと思う。

 7時25分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時5分に犬の散歩に出掛ける。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。
 海辺のカフェの駐車場の端から浜に下りて南に向かう。行ける所まで行って引き返し、階段を上って海岸道路に出る。

 ・・・
 来客があった。それを最初に教えてくれたのは玄関のチャイムではなく犬の吠え声だった。
 犬は奥から玄関に出て来て吠えた。
 客は犬は大丈夫と言うので中に入って貰った。犬はその人に向かって大きな声で吠え続けた。こちらは犬を抱いて宥めた。犬は吠える以外攻撃的な姿勢はまったくなく、むしろ尻尾は振るし、相手をしきりに嗅いだりしていた。
 犬は自分の用が済めば、普通、また奥の自分の居所に戻るのだが、気になるのか、そこに置いてある赤い赤ちゃん布団に座り込んだ。そして、もう吠えないでじっとこちらを見ていた。
 我々が話している間、そこに控えていて、恰も何かあった時にはすぐ行動できるように待機しているようにも思えた。
 客が帰ると犬はすぐに自分の居所に戻った。犬に守られていたのだろうか。少なくとも、犬は守ってやっていたと思っているのではないかと思う。
 ・・・

 テニスクラブや手入れの良く行き届いた畑を右手に見て歩く。少し小雨が降っていた。

 4時40分に帰着。

カメラに顔を背ける犬

2015-01-30 07:49:13 | 日記


 7時5分前に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。

 大型の商業施設群の手前で左折し大きな川を渡って右岸の道を歩いて帰るコース。小雨が時折、降っていた。登校の小学生は傘を差していた。

 犬の引きが相変わらず強い。考えてみれば今まで犬を甘やかしていたようだ。

 国道に戻った時、自分の吐く息が白くなるのに気付いた。

 7時40分に帰着。




 昨夕の散歩について

 2時半に犬の散歩に出掛ける。3時くらいから小雨の天気予報が出ていたからだ。

 いつもの海には行かなかった。が、海には行った。

 簡易橋を渡って川の右岸の道路を歩き海に向かった。川の中ではウが5,6羽、カモメが1羽いた。突堤に出る。風があるのもあるだろうが、気温がかなり下がってきているのを感じる。

 突堤で写真を撮るのに手間取った。犬がなかなかこちらに顔を向けないからだ。恰も拒絶の意思があるかのようにシャッターを切った時、顔を背ける。それを何度か繰り返す。
 何度もやられると意地悪のようにも感じる。私が犬が道端のものを食べないように制することへの意趣返しかとも思う。

 3時5分に帰着。

犬の幸せがこちらの幻滅

2015-01-29 07:48:10 | 日記


 7時5分前に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 隣の駅の手前まで行ってヘアピンカーブを曲がって帰るコースを歩く。空は薄曇りだろうか。左手に手先のない緑の毛糸の手袋、右手に革手袋。左手の小指に霜焼けが出来たから。左手は携帯を操作しなければならないから。

 犬の散歩中の態度はこれまでと全然変わっていない。むしろ、採集活動はより活発になっていた。

 ・・・
 朝食をとりに下に下りて食事を始めると犬はすぐに奥から出て来た。妙に懐かしそうな顔をしている。おはようと声を掛けると私の腿の下を何度も通り抜けた。いつもよりちょっと愛想が良い。反省したのかと思ったが散歩中の態度を見るとまったくそうではなかったことが分かる。犬にとって採集活動は絶対善であるようだ。何ものも容喙しえない犬自身の基本的行動原理なのだ。
 あああである。犬から気持ちが離れていくのが分かる。私はただ夢を見ていただけなのだろう。犬は犬、人は人である。違って当然、意思が伝わらなくて当たり前。当然の真実を受け入れるしかない。そうでない事実が一つでもあればそれを僥倖と喜ぶべきだ。
 ・・・

 7時35分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時5分前に犬の散歩に出掛ける。

 いつものように何事もない散歩になるはずだった。

 浜に下りて北に向かっている時、犬は大きな白い魚の骨をくわえた。口の両側からかなりはみ出る程の大きな骨だ。以前から、それがあるのは見て知っていた。それを犬がくわえようとは思ってもみなかった。犬としては狙っていたのかも知れない。
 ああ、と絶望的な気持ちになった。
 駄目、いけんよと言っても聞かない。下顎を撫でる。そうすると口の中のものを出したことがあるからだ。しかし、犬は唸るだけでがっしりと骨を噛んでいる。

 気分が悪くなった。

 突堤の先に行き戻る。どうして、こういう時に猫がいないのだろう。猫に向かって吠えることもあるのに。その瞬間に骨を落とせばと期待したのだが。

 この様子を見られたくない人に公園の出入り口で出会った。若い柴犬を連れた人だ。我が犬の拾い食いの癖をよく知っていて、以前、犬が口に入れた物を出して貰ったことがあった。
 どうせ、家の中で放たるだけなんですがと言う。
 ひょっとして戦利品を家の誰かに見せて自慢したいのだろうかと思った。

 海岸に向かう途中、グラウンドの端を歩いていると、バックネットの所で野球をしている子供たちがいてボールがちょうどこちらに転がってきた。空いていた方の左手で投げ返した。子供たちはありがとうございますと言った。あのときの気持ちと今とでは180度違う。

 4時40分に帰着。

 夕食を与えに北の家に行った。どこを探しても魚の骨は破片さえ見つからなかった。犬のお腹に入っているようだ。

 いつもよりドッグフードを減らし、食パンは与えたがスティックは与えなかった。それで犬は食事はまだ終わっていないと玄関に居続けた。
 私は犬を呼び南の家に入れた。

 その後、私は犬を見ないようにまた犬と接しないようにした。声も掛けない。
 対応が違うということを分かって貰いたいのだ。この犬は感受性が強いの扱いが冷淡であることには気付いているだろう。だが、因果関係を把握できるだろうか。またこの人の気まぐれが始まったぞと思ったくらいだろうか。いけんと叱られたことをしたからこういう待遇を受けなければならないと理解することは無理だろうか。だから、今後はしないと決意させることにつながることを期待したいのだが。

今年になって初めてカワセミを見た

2015-01-28 08:16:27 | 日記


 7時5分前に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。空に雲が所々浮かんでいた。雨は止んでいるが地面には水溜まりがあちこちに出来ていた。風はなく歩いているとすぐに暖かくなった。

 途中から逆コースを歩くことにした。川沿いに歩いて一つ目の枝道を北上してそれから左折、右折し市の施設の駐車場に入った。裏門から出て駅裏に至り命豊かな川に出た。

 川沿いの道を行っていると、若い2人組にジョッガ-が踏切を横切った。我々の後ろから来た別の2人組のジョッガ-が追い越し、先の2人組と声を掛け合って合流した。来週の駅伝に出場するにしてはコースが違うなと思った。踏切の所の離合帯の様になっている所の奥に細い枝に緑の葉がたくさん付いているのは屹度、クコだろう。暗いのと私の視力の低下で判然としないが。確か、昨年、ここにクコがあったのを覚えている。自然はおさおさ準備を怠らないしその準備を隠そうとしない。

 もう人気のない駅のホームを左に見て歩き、命豊かな川に至る。その川面からカワセミが飛び立ち対岸の土手の上に止まった。久し振りに見た。飛んでいる時は背中と羽のきらきら光る青色が見えたが止まっているとお腹の茶色がかった黄色もよく目立つ。

 朝日が昇ってきた。飛行機雲が南西に伸びていった。旅客機の後ろから出ているのだが、下から見ると機体後部から僅か離れた所から飛行機雲が出来ている。その辺りで十分冷えて雲になるのだろう。

 犬は相変わらず良く引っ張り、ある場所を確保するためその向こうに行ってこちら向きになって何かを嗅いでいる。それでこちら側に引っ張ろうとすると首輪だけこちらに少し移動して犬は前両足で踏ん張って動かない。そんなに執着するのならとこちらも加減してしまう。

 我が家の近くの家の庭に白梅が花を開き始めていた。そばではメジロが忙しそうに鳴いていた。

 8時5分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時に犬の散歩に出掛ける。小倉の親戚がリードを持ってくれた。

 天候が不順で朝は雨が降り、昼は晴れ上がり、夕方は曇った。多くの人にとって雨以外はそれほど違いを感じないだろう。兎に角、雨というのは天上から水という物質が落ちてくるのだから実害乃至実利が生じるのだ。晴れ曇りの間で一喜一憂する人もあるかも知れないが、それは特別な状況にある人たちであろう。

 物というのはそれ自体で存在を主張するばかりかそれへの対応も要求するのである。面倒だが物というものはそういう属性を有している。我々は物に埋もれて生きているのだ。そして我々は衣類を身に纏い、食べ物を食べ、住居に憩うのだ。人の生活に基本は衣食住とは良く言ったものだ。しかし、衣と食と住は同列にはおけないだろう。
 私にとって衣は少なくとも下着については1日1回の変更、食は1日3回の摂取、住は今の家に大して掃除もせず15年位住んでいる。
 衣食住と最初にいった人は誰だか知らないが、その時は時代の要請があったのだろうと想像されるが、せめて原理を柱に食衣住か住衣食として欲しかったものだ。
 TPOとは最近はとんと聞かない言葉だが一世を風靡していたことがある。これ以外、とんと聞かなくなった言葉は最近とても増えてきたように思う。
 年寄りは自分が思っていることをいつでもどこでも誰にでも言って良い、言う権利があると思うようだ。それには理由がある。もう先がないからだ。そうでなければわざわざ言う意欲もエネルギーも生じないだろう。

 歩くコースは決まっている。公園、グラウンド、海岸、突堤といつもの通りである。コースも変わらないし、人も犬も変わらない。それは変わらない間のことをいっているに過ぎないが。死ぬまで生きていました。生きていている間、死んでいませんでした。と言うようなものである。

 突堤の対岸で、多分前回と同じ人だろう餌をやってカモメやカラスやトビを集めていた。鳥にとっては神の手が食べ物を投げ与えていると思えるだろう。
 天然自然の摂理の混乱がかくもたやすいことかと感嘆せざるをえない。尤も人の手で餌をやるのも自然の現象の一つと言えなくもないと思う。自然はいつも惑わす面をもっているからだ。

 4時35分に帰着。

空の色を確実に映す川面と海面

2015-01-27 07:21:45 | 日記


 6時40分に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 山陰本線を跨ぐ新しいアーチ状の道を行く曜日だが、雨のため変更した。

 庭に出た時、庭の敷石や木の葉が濡れているのが街灯からの光で分かった。表に出ると同じく街灯に照らされた水溜まりに小さな波紋がいくらでも続いているのが見えた。まあ、これくらい仕方がないだろうと先に進んだ。

 国道に近付いた時、俄に雨が大きな音を立てて強く降り出した。思わず駆けだした。近くにスーパーマーケットがある。駐車場からそこの軒下に入って雨をしのいだ。この雨の降りようでは待つしか選択肢はない。迷うことはない。犬もじっと待っていた。
 その雨は通り雨だったようで、やがてまた小雨に戻った。そこで軒下から出て散歩を続けた。
 国道に出た時、犬が既にかなり濡れていることが分かり早く帰って拭いてやらねばと思い先に進むことを断念していつもと反対側に向かって帰路についた。

 家まで小雨だったしそれ以降、変化はなかったが、やはり帰って良かったと思った。

 7時10分に帰着。犬の体をバスタオルで拭いてやった。頭、背中も濡れていたが、お腹や足回りがびっしょりになっていた。これで犬の毛は更に光沢を増すだろう。こちらも衣服を殆ど着替えた。外からの雨と内からの汗で気持ちが悪いのだ。




 昨夕の散歩について

 4時5分に犬の散歩に出掛ける。小倉から来た親戚がリードを持ってくれた。

 雨はすっかり上がったが路面はびっしり濡れている。帰ったらお腹や足回りを拭いてやらないといけないなと思った。

 浜に下りた。北の方が雲が暗く南は雲が明るかった。工事現場の下半分がちぎれた吹き流しが南西の風がかなり強いことを示していたのだが、波は殆どなかった。それでも静寂の中、2,30cm位の波が波打ち際を打つと地響きのような大きな音が辺りに轟いた。

 北に向かって大きな川に至る。工事現場との境に猫が3匹いてこちらを見ていた。
 突堤の先まで行く。右手の川の色は重い鉛色で左手の海は淡い鉛色だった。それぞれ空の色を反映していた。こんなことは犬にとってどうでも良いことだが、大方の人にとってもそうであろう。

 4時40分に帰着。2枚の布で犬のお腹や足回りを拭おうと思ったが、それらはまだ湿っていた。朝、使って広げていたつもりなのだが気温が低く乾いていなかった。乾いたバスタオルを持ってきて拭いた。最近、雨に濡れて布で拭いたりしているせいか、毛につやが出て来たように感じる。