犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

2013年7月31日(水)

2013-07-31 08:08:09 | 日記


 朝早くからビジネスウェアで外へ出てゴミ集積所にペットボトル用のピンクの袋を出している人がいた。
 ティーシャツにクォータパンツで散歩をしている人がいた。
 全身を覆って一輪車を押してビニルハウスに入って行った人がいた。麦わら帽子にタオル、長袖、長靴である。このまましばらく作業を続けるのだろう。
 今、家から出てきて散歩を始めた人がいた。
 前を歩く人は、背中のシャツの模様が濃くなっている。汗だろう。額を手で拭った。汗が顔から流れているのだ。汗かきの私もそうなっている。
 先に行くと、タオルを首に巻いて歩いている人がいた。成程、準備というのは大切なことだ。
 橋の所で、立ち話をしている人がいた。久し振りに会ったような感じの会話をしていた。それじゃ、また会いましょう。

 坂の小道を登っていた時、マムシが死んでいたのを見た。伸ばしたら3,40cm位の長さになるだろうか。頭が三角形に近いということ、ずんぐりしていること、胴の模様が銭形で独特のものであることなどから、間違いなくマムシであろう。マムシは臆病者で自ら危険を冒そうとはしないそうだ。出てきたところが悪かったのか。

 犬が2度腹這いになって動こうとしなかった。その前に、行くのを嫌がるのだ。リードを引っ張っても嫌々をする。そして、腹這いになる。1度は駅裏で7,8分は休んだ。2度目は国道に出てからだ。やはり、7,8分。歳を取ったのか、歩く距離が長すぎるのか、太り過ぎなのか。太陽が出て来て、ますます暑くなるではないか。明日はコースを短縮するか。夕方の散歩は海までだが、砂浜で腹這いになっている時間が殆どである。それで十分なのだろうか。
 再び歩き出した。すると休んだ効果が出てきたのか、元気元気である。疲れやすいが回復力があるのか。それとも空元気なのか。

 5時に出発して6時半に帰着。

2013年7月30日(火)

2013-07-30 07:46:47 | 日記


 いつもの散歩コースを行く。狭い坂道を登っていると右手にカブトムシがじっとしていた。おやどうしたのだろう。持っている袋で軽く角の辺りを触れてみた。全然動かない。死んでいる。ちょっと前、2,3日前か、メスが路上を歩いているのを見た。その時はカブトだとだけ思い、手を伸ばすこともしなかった。

 カブトムシというのは子供の心を奪ってしまう。こんな形の虫は他にはいないではないか。珍しい、凄いということになる。何でこんな特別な形になっているのか分からない。生きる上で特に必要とも思えないからだ。クワガタムシにしてもそうだ。あんなに大きな牙(顎)は何の役に立つのだろう。その一見役に立ちそうもない装飾的なデザインに心惹かれるのだろう。カブトもクワガタもそれぞれの道具で狩りをしているわけではなく、主に樹液を吸って生きているのだから、栄養を取るための必須の道具ではない。所がである、樹液の出る場所は限られており、活動時間も大体同じである。そうするとカブトにしろクワガタにしても衝突するわけである。時にはスズメバチも来る。硬い羽に小さな穴の開いたカブトムシを見たことがある。スズメバチに刺された跡だとのことだった。
 この餌場を我がものとするために、飾りみたいな角や顎が活躍するのである。押し合いへし合いし、角で相手をはね飛ばしたり、顎でつまんで放り投げたりするのだ。そして金色の繊維のような口で樹液を独り占め。また、この飾りはメスに対してアピールするものがあるように思える。昆虫がどのように見ているのか知らないが、目がある以上、少なくとも形は認識しているだろう。そうしたら、その角や顎に注目するだろうし、大きければ強いので、子孫はその形質を継いで繁栄できると、そこまで論理的に考えてのことかどうか知らないが、そのオスを選択するのではないだろうか。選択権がオスにあるのかメスにあるのかについても、何も知らないが、自然界では大体メスにあるのではないだろうか。一見オスにあるように見えて、実はメスにあるという場合がある。理由は簡単。生物はメスが本道、本流、主役だからである。

 心を奪われる。自然物、人工物に人は心を奪われる。奪われてきた。これは、そのように脳が出来ているからだ。虫、乗り物、花、金属・宝石、風景、絵画、波の音、音楽・・・ありとあらゆるものに心を奪われる。そのものに価値があるわけではない。だから、対象は時、年齢、環境によって変わってくる。つまり、いつも心を奪われる練習をしているということになる。次の対象に心を奪われる準備をしている。そのようにしておかなければ、心を奪われる心性を維持できない。そして、奪われた心は取り戻せる。奪われっぱなしというのはあまりないだろう。そのようにして心は柔らかくなる。

 道にはクマゼミやアブラゼミが死んでいる。カラスに食い残された部分の場合もある。

 道端の草があちこちで刈られている。上手にコスモスは残されている。

 市の施設の敷地に入って砂利道を歩いていると、最近ない感覚を覚えた。靴に小石が入ったのだ。前の前の靴の時、常に小石が入り困ったことがあった。靴を履く前に靴をひっくり返して中の小石を出す習慣が付いた。足と靴の間が大きく開いていたのだろうか。この新しい靴を履いてから石が入ることがなかったので、人間工学で石が入らないような工夫がなされていると思っていた。それがである。痛くて不快である。すぐに靴を脱いで小石を出す。しかし、どうしてわざわざ小石が入るのだろう。しかも、いつも尖った小石である。歩き方が悪いのか。ひねって弾いて入るのだろうか。或は静電気的な力が作用しているのだろうか。この小石が入るメカニズムを研究している人はいないのだろうか。

 寝坊をして、いつもより出発が10分遅れたが、初めて出会う人が多い。人というのは犬を連れた人をさしている。
 帰り道を行こうとしない犬に向かって叱っている人がいる。これまでの経験でこれは犬が言葉とこちらの気持ちを分かってくれるという誤解からくる間違った対応であることが分かる。犬は自分に都合良く理解する。犬に限らないが。
 調子が悪くなったのか、車で迎えに来てもらっている人がいた。犬か人かは知らない。
 初めて会った人同士が犬を介して挨拶をしている。

 6時半近くになった。近くの公園に自転車で走って向かっている子供たちがいた。ラジオ体操カードを持って。

2013年7月29日(月)

2013-07-29 07:38:24 | 日記


 どこもかしこも夏だらけ。朝から晩まで夏だらけ。

 川ではカモがグワグワと鳴きながら水面を進む。水田ではカエルが、電線では尾の長い小鳥がピイイと鳴く。木々にはアブラゼミ、ニイニイゼミ、クマゼミがけたたましく鳴く。草原ではチョン ギース(キリギリス)が飽きもせず鳴き続ける。土手の草原ではかすかにリリリーと虫の声がした。コオロギ系の虫だろう。

 もう一つの川に至った。向こうから犬を連れた人が来る。白い中型の犬で尾が丸く輪になっている。リードを付けていない。かなり接近したが、近寄っては来ず、飼い主の後を付いて行った。我が犬は黒の中型犬で太くて長い尾は大抵幟のように立てている。リードは大抵、ピンと張っている。尾を立てているのは自信とか優越感と関係があるらしい。それが証拠に動物病院に行くと、尾は後ろ足の間に仕舞われる。この犬は自分の尾を追っかけることがある。イライラしているわけでもなさそうなのだが。受け狙いかなとも思う。この犬は思わせぶりが得意である。おいでと呼ぶと来るけれども、そこで横を向いて他のことに興味がありますというそぶりを見せる。何でもないのに、振り向くことがよくある。或は何かを確認しているのかもしれないけれど。癖のような気もする。
 犬の顔を見ると面白い。目は黄褐色をしている。短いけれどびっしりと睫毛が生えている。眉毛はまばらだであっちこっちを向いているがちゃんと左右、揃っている。目が一番表情豊かである。顔の表面全体も表情をよく表す。嬉しいは両耳を後ろに伏せて小顔になる。何では耳を立てて首を少し傾げる。嫌だはおっとと驚いたような表情をして逃げ出す。

 川沿いに行きたいが、ツアーの一行のような人たちと出会うだろうから、明治十二年の丘に登って、迂回した。犬は新しい道を行きたがる。引かれて行くと民家の庭に出て、行き止まり。引き返す。引き返すのは何となく嫌である。自分の選択が誤っていたことに気づかされるからだろうか。山に毎日のように登っていた時、引き返すのが嫌で道に迷ったことがあった。それで数時間、山を歩き通した。記憶にある場所に戻った時はほっとしたものである。

 市の施設の敷地に入る。建物の裏側に立って、先ほどの川を見ると、ご一行が上流に向かって歩いているのが見えた。
 土曜日にこの施設に入って「掘ったほ!下関2013」を見学した。展覧会には人を見に行くものも結構あるが、これは発掘物を見る展示会であった。昔の人の暮らし。今と同じ所もあれば違う所もあると至極当然な感想をもった。一点で良いから詳しく具体的な説明があると良いなと思った。

 新聞受けから、新聞をとって玄関を入ろうとしていた人がいた。ちょうど通りかかったのだ。上半身裸だった。夏はこれでなくちゃ。あれこれ恰好を言うことはない。寒けりゃ重ねればよいし、暑ければ脱ぐばかりである。

 昨日は降りそうで降らなかった。県東北部や島根県西部ではこれまでに経験のないような大雨が降ったということだ。今日も空はどんよりと曇っている。


2013年7月28日(日)

2013-07-28 07:29:40 | 日記


 朝から暑い。感覚も思考もとけてしまいそうである。犬は元気である。散歩は1日の最大の楽しみであるからだ。楽しみがあるのは羨ましいような鬱陶しいような気がする。何もなくても別に嫌ではないからだ。

 犬はグングン行く。国道に出ていつもは北に向かうのだが、今朝は南下した。緩やかな登りになっている。歩いて初めて分かる勾配である。車では分からない。車は途中を抜かすのだ。何故なら目的地へ到達する手段だからだ。少なくとも自分は車をそのように使っている。歩くとそこにあるものに対面することになる。人間の目線で人間のスピードで。

 日曜だし5時台なので車は少ない。犬がこちらに向かったのは、何か意図があるのだろうか。行き当たりばったりであろうか。こちらに散歩に来たことは何度かある。しかし、一番最後でも、それはもう数か月も前のことだ。また、あっちに行きたいなという願いをもってこっちを選んだのだろうか。何となく来たら、こっちは来たことがあるぞと思い出し、更に意欲的に進んで行くのだろうか。犬のことは分からない。犬の気持ちを忖度することは出来ない。

 辻に至る前に海側の方へ折れた。ずっと住宅地が続いている。上り下りがあり、運動場に出た。体育館もある。運動場の奥にはテント一張が立ててある。その辺りで民家が途切れていた。犬の散歩に来るような場所ではないので、犬はあちこちを嗅ぐこともせず歩いた。ここはどこだろう。数か月前に自転車で通ったことがあるような気がする。上り下り、トンネルを通り、しばらくすると正面に学校が見えてきた。小学校だ。ここからは大丈夫だ。良かった。朝食の時間も近いし、疲れても来ていたから。

 住宅地である。ここも八丁目なのだ。玄関の外に座って新聞を読んでいる人がいた。習慣になっているような感じであった。まだ、蚊は眠っているし外は何となく気持ちが良いものだ。

 このところずっと、一回の散歩に一回しか糞をしなくなった。大抵は二回していたし、三回の時もあったのに。それに糞がコンパクトになっている。何か変わったのだろうか。餌の量は殆ど変えていない。

 6時過ぎに帰着。これも最近の習慣だが、庭を一回りする。散歩の余韻を味わっているのではなく、猫やセミがいないかと探っているようだ。
 

2013年7月27日(土)

2013-07-27 07:40:56 | 日記


 月、中天にかかり、星見えず。中天のみ雲なし。

 今朝は風がある。最近、風があると大抵、西寄りか南寄りである。

 国道から川沿いに東に向かい、合歓の木を右に過ごして左折する。水田の間の道を北上する。道の傍らの草が枯れて白くなっている。自然な枯死なのだろうか。一部は草刈り機で刈ったものだ。自然に枯れたのだろうか。除草剤の効果なのか。除草剤ならどんな除草剤なのだろう。犬はこの枯草が好きなので困る。除草剤は安全とうたっているものもあるが何か悪影響を与えないかと心配になる。水田のそばなので強力な除草剤でないと思うが。

 川に至る。橋の近くの堰の所に例のカモが一羽。雛はいない。こっちを見上げている。
 カラスが雛を全部、持って行ったのだろうか。武器は持っていないにしても、親は雛を1羽も救うことが出来なかったのだろうか。いや、カラスではないかもしれない。雛を全部、完璧に連れ去ることが出来るのは人間しかいない。売られたのかもしれない。

 駅の裏に出る。ここの橋にピンクというか、土器の色と言ったらいいか、4体の立像が橋の端に立っている。人物埴輪を模したもので、小学生くらいの背丈である。ただ、台座などに載っているので実際の高さはもっと高くなっているけれども。その元の埴輪が人物に忠実な作りの埴輪で、それをそっくり忠実に模したものだからか、或は、わざと人間を写実的に制作したものか、いずれにしても実際の人間のようにも見える。夜には行きたくない感じがする。

 市の施設の敷地に入る。遊歩道になっている所を歩く。道の両側は木々があちこちに点在し、草原が広がっている。この道が最近、草刈りをされて、道幅が2,3倍に広がっていた。ああ広々として気持ちが良い。老荘の思想にあったと思うが、不用の用というものだろう。

 犬が信号の所で腹這いになった。お前も歳を取った?散歩の距離が長すぎる?歩くペースが速過ぎる?季節が悪い?ただ、我儘を言ってみたいだけ?新聞配達のバイクがそばを通ったので、立ち上がった。昨夕の海岸への散歩は波打ち際に腹這いになってなかなか動こうとはしなくて参ってしまった。快適そうで、リゾートでくつろいでいる雰囲気である。よし、行くぞと声を掛けると立ち上がるが、2,3歩も行かない内にまた腹這いになるのだった。夕日とはいえずっと照らされるのは辛い。15分はそうやっていた。
 こっちは早く帰って、朝食をとりたいのだ。お腹がすいてきた。5時に出て、6時過ぎに帰着。