犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

タイトルに困る内容

2015-10-31 07:12:17 | 日記


 6時半に犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。

 幼稚園、小学校の前を通るコースを歩く。薄曇り。

 散歩中の人と出会うと相手は必ず朝の挨拶をした。その時、相手の驚きと感心と敬意とそしてちょっとばかりの軽侮の念が混じった視線を感じた。それは私がTシャツだからだろう。寒くはないのだろうか、健康なのだろうなと思ったり考えたりするようだ。
 歩いているし、犬との引っ張り合いがあるので寒くはないが健康とはいえないだろう。肩が非常に凝っていけない。犬に引っ張られてそこに痛みを感じる。首を回すとカタカタと音がする。犬にはこれはない。私が首回りや脇を揉んでやっているからだ。それにPCを使わないからだ。

 7時5分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分前に犬の散歩に出掛ける。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。曇っていて風が出て来た。

 海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りて、海岸を北に向かい大きな川に至り突堤の先端まで行く。北寄りの風がかなりあり空気が乾燥している。
 その突堤の根元の海岸にカモメを見た。この所、見ていたのはウミネコではなくカモメだったようだ。
 我々を警戒してやおら飛び立った。すぐに高度を上げて西の方に向かい視線を逸らした隙に見えなくなった。

 何時もだったら公園から中道を通って家に帰るのだが、2匹の柴犬が先にいたり、公園の出入り口にトイプードルがいたりして、回避するコースを取ると、結局、参道を歩くことになった。
 そしてその為に若い柴犬を連れた人と出会うことになった。
 その人が言う。本当に好きよ、あんたと会えた日は本当に良かったな、嬉しいなと思うし、会えなかったらとても淋しい。あ、目やにがと気付き取ってくれた。人が思う程、犬は思わないだろう。能力的に思えないだろう。
 大きな目の輝き、艶のある毛、太い尻尾、そして何よりも愛想の良い態度に惹き付けられるのだろう。

 4時半に帰着。

出来事はどんどん流れ去って行くのみだ

2015-10-30 07:09:57 | 日記


 6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。

 大型の商業施設群の手前で左折し大きな川沿いの道を下るコースを歩く。曇り。

 歩道橋を渡って大きな川沿いの道を下る。自転車の高校生が朝の挨拶をする。ここを通る時、何時も挨拶をする子らしい。更に下って何気なく後ろを振り返ると点光源のような前照灯を点けた自転車がこちらに向かっていた。犬を先頭とし私はその後ろを1列になって道の端を歩いた。追い越し様、私に挨拶をした。この子も何時も挨拶をするようだ。2人とも黒の制服を着ていた。向こうはこちらのことを覚えているのだろう。黒い犬を連れて道の端を1列になって歩いているし、この時季、Tシャツだからだ。

 踏切の手前で隣の踏切の警報音が聞こえてきた。これはここも来るぞと思ったら、果たして警報音が鳴り始めた。横切るべきか迷ったが結局、横切らなかった。が、遮断機はなかなか下りてこない。行っとけば良かったと一瞬、思ったがそんなに後悔する気持ちにはならなかった。一つのことに執着することが殆どなくなった。出来事はどんどん流れ去って行くのみだ。

 7時5分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時に犬の散歩に出掛ける。

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。公園、グラウンド共、草が短く刈られて隠すものがない。こちらは安泰である。例のものに対して犬に先を越される恐れがないからだ。

 突堤を歩いていると藍色の塊を何カ所かで見た。直径は2,3cmだろうか。この藍色には見覚えがある。先週だったか、もっと小さい藍色の染みが玄関のポーチに付いていた。何かしら人工的な感じの色だったが、その時は、それが何であるかまったく見当が付かなかった。が、今、こうして見ると鳥の糞としか考えられなかった。何鳥だろう。
 昔、運転している車に飛んでいるカラスから糞を降りかけられたことがあった。それはペンキのような空色だった。
 その後、カラスは白い糞をすることを観察した。あの空色は何だったのだろうか。

 北の方には誰も来ていないようで帰り道、自分の足跡と犬の足跡を見た。それ以外はなかった。私の足跡はつま先が少しえぐられていた。今、歩いている自分の足跡を振り返ってみると同じく先端が他の部分に比して深くえぐられていた。犬のも往復共、同じように見えた。

 4時35分に帰着。

階段の4段目まで前足を伸ばす犬

2015-10-29 07:00:01 | 日記


 6時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 犬は散歩に早く行こうと階段下から吠える。私は犬に髪を舐められたのだろう、髪が立っているので水に湿した櫛で頭を梳く。下では尚も犬が吠える。顔を洗って下りて行くと犬は下から4段目まで前足を掛けていた。犬の体長からして全身が伸びきってお腹が階段に付いている。私の姿を見たらもう吠えない。が、それから犬は私が靴下をはくのとビニール袋を取りに行くのを待たねばならなかった。犬は待たされるのを結構楽しんでいるように思えた。

 隣の駅の近くまで行きヘアピンカーブを回るコースを歩く。

 中道で若い柴犬を連れた人と出会った。しっかりさすって貰う。犬は散歩を早く再開したいらしく、そのことを読み取った相手の人はもうええよ、けど、急に引っ張ったらいけんよと言う。
 犬は私を引っ張って参道に向かった。私は腰を落としてゆっくり付いていく。

 ヘアピンカーブを回って住宅地を通ると庭木のサザンカの花が咲いていた。蕾はびっしりという感じで付いていた。年末までに咲くのがサザンカで新年に咲くのはツバキである。ツバキも色々な品種がありサザンカのようなものもある。ツバキといえばヤブツバキしか知らなかった。

 犬はポスターがたくさん貼られた家の前の草むらに入る。そこから引き出そうとリードを引っ張る。犬は信じられない位の力で抵抗する。何がそんなに犬を惹き付けるのだろうか。若い柴犬もそこによく立ち寄ると聞いたことがある。
 ウウウーンと声を出して引っ張る。やっと道に連れ戻した。参道を歩いている知人が挨拶をした。こちらもウウウーンの後に挨拶をする。

 家に着く最後の角を曲がった時、向こうから来た人とぶつかりそうになった。相手の人は犬を見て少し驚き恐れを感じたようだが、犬もびくりとしているのを見て口元が緩んだ。

 7時10分前に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時5分前に犬の散歩に出掛ける。

 公園、グラウンド、西の丘陵が綺麗に草刈機、芝刈り機で刈られてあった。大歓迎である。というのも、丈の伸びた草の間には何があるか私には見えないが犬はにおいで感じ取って見ているのと同じなのだ。鼻の効かないこちらにかなりのハンディがある。が、こうやって草の根元まで見えると安心だ。やっとフェアになった感じがする。それにこれからは草が繁茂することは考えられないのでしばらくは余裕を持って散歩が出来る。

 海岸に至るも犬は誘導しても浜に下りようとはしなかった。海辺のカフェの駐車場の横からも階段がある所からも下りようとはしなかった。どうやら風があると嫌なようだ。それも乾いた北西の風が好きではないようだ。

 4時20分に帰着。

玄関まで出迎えるようになった犬

2015-10-28 07:31:50 | 日記


 6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。晴れ。但し、所々に雲がある。西の低い空に満月が沈もうとしている。色彩を失いかすれた白色をしていた。

 草原でコオロギが鳴くのを聞くと懐かしいような侘びしいような気持ちになる。キリギリスはもう鳴かないし姿も見ない。ということは死んだということだ。しかし死んでいないのかも知れない。卵という形で生きているから。単に自然に合わせて姿を変えただけで、また元のように復活するのだ。虫のレベルの生活だったら不死と捉えても案外間違いではないかも知れない。しかし目にはしないがキリギリスの死骸は草叢のどこかにあるはずだ。死骸がある以上それは死を表している。当然のことながら虫も死ぬのだ。死ぬには死ぬが去年のと今年のと、そして来年のと区別がつかねば、あくまで人間の目を通してのことだが、区別がつかねば死んでいないような気がする。

 犬は水溜まりの透明な水を美味しそうに飲んだ。昨日、降った新鮮な雨だからだろう。

 7時15分に帰着。




昨夕の散歩について

 久し振りの本格的な雨の為、散歩に行けなかった。
 それでも、午後、犬に呼び出されて庭を歩かせたら糞をしたので、そちらの方は大丈夫かと思う。

 昼前に外出をして家に帰って玄関の扉を開けると犬が顔を小顔にして嬉しそうに玄関まで出て来て尻尾を振った。
 おお、ラブちゃん帰ったよ、留守番ご苦労さんと言う。

 これまでは外出して戻って来た時に出迎えることは稀であった。その稀な例の殆どの場合、犬は室内で糞をしていた。確かに我慢できなかったのだろう。だから責めはしない。
 犬にその気持ちがあるのかどうかは正確には分からないが、自分の落ち度を謝るようにして予め挨拶に出て来ているようだった。だから、犬が出迎えに出て来た時には、ひょっとしてと不安にかられながら和室をそっと覗いたものだ。セーフだった。おお、良し良し、ラブちゃん凄いと褒める。
 これまでは外出から帰っても奥の部屋で横になったままで、機嫌が良い時は、そのままの姿勢で尻尾を振って畳をパタンパタンと音を立てて打っていた。重病人なのか不精なのか単なる横着者なのか分からないが、どうせいつも放っておかれる身なのだから、この辺りの反応で十分だろうと高を括っていたのかも知れない。
 それでそれは可愛いとは思っていた。世を拗ねてみたり、斜に構えたりするのは仕方のないことなのだ。自分の理想としていることと現実を把握し、そしてその両者の乖離を認識しているからだ。

 午後、再び所用で短時間外出して帰ると、玄関にまたもや犬は迎えに出て来た。前回、大きな声で褒めたのが奏功したのだろう。だから、また、大きな声で帰ったよと言った。また出迎えてくれるように。

 散歩は無理と諦めていたが、4時半、犬の散歩に出掛ける。雨が小康状態になったからだ。犬も行きたがった。

 公園、グラウンドを通って海岸に行く。浜へは下りなかった。再び雨が降り出したからだ。

 5時10分前に帰着。犬の全身を2枚のバスタオルで拭う。しかし、犬がフローリングで寝転がった後には濡れた跡が残った。

消防車のサイレンと鐘の音を聞くと年末のことが思い浮かんだ

2015-10-27 06:59:27 | 日記


 6時10分に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 山陰本線を跨ぐアーチ状の橋を渡るコースを歩く。曇り。

 ・・・
 深夜、犬が玄関に行き鳴いた。リードを付けて庭に連れ出した。犬は北庭に行き南庭に戻って糞をした。
 1階の和室で寝ていると犬は丹念に私の頭を舐めた。
 ・・・

 最前からポッツポッツと思い出したように小粒の雨が落ちていた。上空を見てもそれらしき雲は見えない。雲はあるが薄いのだ。それが帰路、国道を渡った時にザーと降ってきた。依然としてそれらしき黒雲はない。参道沿いの医院の玄関の庇の下に入る。犬は全身をブルブルと震わせて雨水を飛ばした。しばらく待って小雨になったのを見て庇の下から出て歩き始めた。

 7時10分に帰着。タオルで犬の全身を拭う。お腹も少し濡れていた。




 昨夕の散歩について

 4時5分前に犬の散歩に出掛ける。

 公園を歩いていると消防車のサイレンと鐘の音が聞こえてきた。ここからは勿論、見えないのだが、音からすると、どうやら国道を下っているようだ。何台も続いていた。
 昔の消防自動車はサイレンは取っ手を回して音を出していたし、釣った鐘を撞木で叩いていた。今はそうではないだろう。そういう音を発する装置があるのだろう。
 サイレンと鐘の音を聞くと年末のことが思い浮かんだ。

 帽子に保冷剤を隠してたんこぶを冷やしながら歩いた。室内でもずっと冷やし続けた。朝の散歩で電柱にぶつけてつくったたんこぶだが、とんだ災難だった。周囲の状況についての情報を得る本能的な力が衰えているのだ。暗かったとはいえ不覚を取ったものだ。これまた歳のせいだろうと思うしかないようだ。ただ、暗い内に散歩に行くのはよそうと反省している。
 周囲を観察し分析し適切な判断をして行動するという一連の手続きを怠っているのだ。
 それは結局、そういう手続きをするエネルギーがないということだ。何時もやっていることを何時も通りするしかないのだ。それがエネルギーを使わない賢いやり方だからだ。最高なのは室内でじっとしていることだ。
 若い頃は、そうやってエネルギーを消費し自分の能力を発揮することに喜びがあったし何らかの可能性を感じていた。

 ・・・
 午後、犬は1階に下りた私に付いて歩く。そしてつぶらな瞳で私を見上げる。いつもは横になったりして私を無視しているのに。久し振りに庭に放してみるかと思い玄関の扉を開けると犬は嬉しそうに出た。
 犬は南庭を歩き回り、それから北庭に行った。私は何かあっては困るので犬の行く所に連れ添って行き、そこにある草を引いた。犬は北庭で糞をした。南庭に戻ってゴールドクレストの日陰でお座りをした。もうやることがないのだろうと思い、ラブちゃん、入るかねと玄関の方に行くと犬は走って寄ってきた。中に喜んで入った。
 ・・・

 突堤の先端まで行って戻る。

 4時35分に帰着。