犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

久し振りの青空の下の散歩

2016-01-31 07:45:57 | 日記


 7時5分に犬の散歩に出掛ける。今日は日曜日。

 海岸道路を南下して礫岩広場に至るコースを歩く。晴れていて無風。指先が冷たい。体幹は温かい。

 礫岩広場でもグラウンドでもツグミを見たが同じ個体ではなかろう。また、ヒヨドリがどこからか取ってきたのか小さなキンカンを突っついていた。

 今朝の新聞に犬の介護、看取りの記事があった。長生きをすれば皆、そうなる。それまで固有名詞が幅をきかせていた生活から普通名詞が当たり前の生活になる。ラブさんではなくお婆さんとなるのだ。
 同じ新聞の読書欄に漫画家の水木しげるが人生なんて屁みたいなものだと言っていたという文章があった。屁といえばラジオで5年生の娘がおならをプッププップとして父親が年頃になったらどうなるのかと心配している投稿があった。こちらは少し生臭い感じがするが気にすることもあるまい、直に何でもないことになってしまうからだ。

 7時40分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時に犬の散歩に出掛ける。小倉から来た親戚がリードを持ってくれた。

 空が青く晴れて辺りは明るくて風がないのがこんなに気分を良くしてくれるのかと思った。この所、冬の天候が続いたのでこんなすっきりした風景を見ると単に嬉しくなり良かったと思うのだ。
 公園でもグラウンドでも子供たちが元気に遊んでいた。グラウンドではサッカーと野球をやっていた。外に出ようという気候だ。
 犬はしかし口を半ば開けて赤い舌を出していた。犬は寒風吹くすさぶ空の下の方が好きだろう。

 突堤の先端まで行って戻る。先端では高校生だろうか3人が釣りをしていたが、何も釣れていないようだった。

 手が空いているのでIpadで犬の写真を撮る。しかし、この板の手の収まり具合が甚だ宜しくない。持っている人たちはヴィデオなどどうやって撮影しているのだろう。

 4時35分に帰着。





車の下の猫2匹を3度追い払った

2016-01-30 07:47:24 | 日記


 7時5分に犬の散歩に出掛ける。

 幼稚園、小学校の前を通るコースを歩く。曇り。風がない。

 犬は玄関から出ると何時もなら庭の方に行き嗅いだり小用を足したりするのだが、今朝は駐車場の方にさっと行き車の下を嗅ぎ始めたかと思うと猫が2匹、反対側から飛び出して塀に駆け上がった。共に大きな猫だ。貫禄もある。犬は尚も塀に前足を掛け吠える。猫は中々姿を消さなかった。堂々と塀の上を歩いている。犬は追った。吠える。ようやく猫は隣家に隠れた。

 犬は良くもまあと思える程、道を左右にジグザグと歩く。忙しい。犬はダメ元の精神で行動している。兎に角、何にでも当たってみるのだ。小石、枯れ葉、袋など何でも鼻先を当てる。

 キンカンが道端に落ちていた。その上には枝に付いたキンカンがたくさんなっていた。

 我が家の近くの家の庭に白梅が咲き始めていた。まだ殆どが丸い蕾だが開いたのもある。昨年はここにメジロが来ていた。

 7時40分に帰着。門を入ると犬の様子が何時もと違う。また駐車場の車の下を姿勢を低くして鼻を突き出して見ている。また、さっきの2匹の猫だ。バウバウ吠える犬。猫はまた反対側から出て塀を駆け上った。これまた塀の上と下とで一触即発の事態が展開した。それでもどうにか猫を追い払う。今度ばかりは私も犬の側に付き加勢をかなりしたつもりだ。
 北庭に行き玄関に入ろうとしたが犬は何を思ったかまた南庭に向かった。確信があるのか真っ直ぐ駐車場に行った。また、あの2匹の猫だ。よくも懲りないものだ。しつこいとしか言えない。余程居心地が良いのか。車ならどこにでも駐車してあるのに。犬が吠え追いかけて猫を追放した。私もシーシーと言って追い払った。時々、庭に出て見ておかねばならない。




 昨夕の散歩について

 4時10分前に犬の散歩に出掛ける。

 犬には散歩中のことをここに数千字で示すことが出来るようなことがあったであろうが、私には数文字で足りる散歩なのであった。

 室内のことであれば私はかなりのことを記述できるのだ。
 今未明、犬が押し入れの畳んだ掛け布団から玄関に出た。そして、そこでバウと吠えた。おお、冗談じゃない。ラブさん、ラブさん、おいで、こっちに。
 犬は真面目に和室に戻ってきた。おそらく外は雨が降っていることに気付いていたのではなかろうか。
 最近、犬は私の寝ている布団には来ずに押し入れの布団の上に寝るようになった。そこなら寝相の悪い私の蹴りを受けることもないからだろうし、抑も狭い空間が好きなのだ。
 犬は押し入れの畳んだ掛け布団の上に丸まったようだ。
 しかし、それから間もなく私の布団の上に来た。私にしてみればどちらにせよ起きる必要がないのが嬉しかった。犬のにおいを嗅ぐと明太のにおいがした。
 明け方、犬は急にくしゃみを始めた。6,7度は続いた。くしゃみの最中は止められないようだ。
 結局、朝まで庭に出すこともなかった。本当に良い犬だと思う。

 4時半に帰着。



梅雨でもないのに小雨の中の散歩が続く

2016-01-29 07:51:00 | 日記


 7時に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。

 大型の商業施設群の手前で左折し大きな川沿いの道を下るコースを歩く。小雨。さっきまでザアザア言っていたのでこれ位の雨なら仕方がないだろうと出発した。それに空を見上げても黒く厚い雲は見当たらない。ジャンパーの前を開けても寒くはない。

 犬は水溜まりだろうが何だろうが避けることをしないでどんどん突き進む。濡れて嫌ということはあまりないのかも知れない。

 大きな川沿いの道を下る。右側は田である。確かにヒバリの声がした。空からではなく田の中から。川の中からはカモの声がした。その先にアオサギが作り物のようにして立って水面をにらんでいた。

 小学生が傘をさしてやってくる。雨が降っても雪が降っても楽しそうだ。

 7時40分に帰着。2枚のバスタオルで犬の全身を拭う。つくづくこれが犬との良いコミュニケーションの機会になっていると思う。ようし全身を拭くよ、濡れたままだったら風邪を引くからね、特にお腹が濡れていると冷えるからね、良し良し、今度は足を拭くよ、偉いね、ようし綺麗になった、今度はこっち、良し、後ろ足、良し、最後よ、はい、終わり、偉かったね。
 犬は最後まで実に素直に従った。散歩中と大違いだ。




 昨夕の散歩について

 4時5分に犬の散歩に出掛ける。

 散歩中、最早小雨とはいえぬ小雨の中を歩く。

 何時ものお定まりのコースを歩く。

 空はどこも薄い灰色で沖を黒く見える鳥が数羽飛んで行った。カラスかと思いきや鳴き声にてウミネコと知る。そのウミネコがいた浜には白い斑点があちこちにあり犬は嗅ぎ回った。どうやらウミネコの落とし物らしい。
 波打ち際にはチドリが忙しく動き回っていた。

 島は長州出島が見えるだけで六連島さえ見なかった。北の山も見えなかった。
 気温が上がっているのだろう、雨が降っても春雨のような感じすらしてきた。

 4時40分に帰着。2枚のバスタオルで犬の全身を拭う。



淡泊な散歩が続く

2016-01-28 07:53:20 | 日記


 7時5分に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 隣の駅の近くまで行きヘアピンカーブを曲がって帰るコースを歩く。小雨。

 犬のお腹が回復してきたようだ。この2,3日、夜中や未明に庭に出て糞をすることもなく散歩中にした糞は正常だからだ。

 ヘアピンカーブの所で更にヘアピンになっている所がありそこを久し振りに曲がってみた。少し行った所に新しい家が3軒建っていた。
私の住所の同じ番地に最近、新しい家が2軒建った。建築ブームなのだろうか。増税を前に建てておこうということなのか。

 7時40分に帰着。犬の全身をバスタオルで拭う。特にお腹周りは丹念に。お腹が冷えるといけないからだ。




 昨夕の散歩について

 4時10分前に犬の散歩に出掛ける。

 淡泊な散歩となっている。何時もと同じコースを歩いて全然、退屈でも不満足でも呆れてもいないからだ。

 犬が引っ張った。

 海岸にカラスが数羽いた。飛んでいたり砂浜の上で打ち上げられたホンダワラを突っついたりしていた。

 突堤の先端に釣り人が一人いた。坊主のようだった。寒いですねと声を掛けた。それを潮にその人は竿を仕舞い我々の後を追うように退却した。

 浜を南に戻っているとラブラドールを連れた人とすれ違った。どうも純血のようで脚が長く顔もはっきり西洋犬ですといった風に出来ていた。愛想がない、とっかっかりがない、自己だけは主張しているといった風である。私も我が犬もそういう境地にまったく届かないので別の世界を並行的に生きていくだけのことだ。

 4時25分に帰着。
 階下で犬が吠えた。どうしたのかと急いで下りると犬は窓の上の方に向かって吠えていた。その視線の先を見ると白いカーテンに黒い大きなハエが1匹いた。殺虫剤で殺す。
 あの寒波の後のこの季節にまあと思ったが、この犬は小昆虫にかなり反応するのだ。ハチに対しては一番敏感に反応する。むきになって対応する。嫌いだしやっつけねばと思うらしい。私のゴキブリに対する反応に似ている所があるかも知れない。尤も私のゴキブリに対する反応は専ら専守防衛の立場であるが。目に付かねばそれに越したことはないのだ。元々、それぞれの生活があるはずだからだ。接触すると困るのだ。深夜、寝ていて見ていない所ではゴキブリは活動して構わないのだ。今更、何かの感染症の大元という栄誉を担える程の大物でもあるまい。見た目が嫌い、怖い、只、それだけだ。

草の道が好きな犬

2016-01-27 08:04:41 | 日記


 7時に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。

 丘陵の頂越えのコースを歩く。曇り。

 命豊かな川に至る。川の水量は減りグジュと鳴くムクドリやハクセキレイが川岸にいた。犬は舗装された右岸ではなく背丈の低い立ち枯れの草が続く左岸を選んだ。何か直接に感じるものがあるようだ。具体的な物の便りが得られる可能性を感じているのかも知れない。橋の所に来たので右岸に行こうとしたら犬は体重をかけてそのまま真っ直ぐ行こうとした。犬に負ける。私にはどちらの選択でも構わなかったし、犬はとっくにそれを見抜いていたような気がする。

 市の施設の敷地を通って緩やかな坂道を下る。道端に枯れたように黒くなっていたヨモギが復活していた。以前とは全体の形が違い弱々しくなっているが内側からまた盛り返してくるのだろう。只、その前後の小さなヨモギは黒いままだった。

 8時に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分前に犬の散歩に出掛ける。小倉から来た親戚がリードを持ってくれた。

 犬は海岸を忌避し例によって高架道路の歩道を南下した。

 小学校のグラウンドが見えてきたが大人がとんぼでグラウンドの整備をしていた。学校の前の道路には白線で矢印が示されていた。
 近い内に持久走大会が開かれるのだろう。子供たちが楽しそうに今日のことを話しながら下校していた。

 人間は将来への見通しを持つことによって大きな展望を得ることが出来たが同時に大きな不安に苛まされることにもなった。
 経済学者のケインズが言ったように長期的には皆、死ぬのだという名言が蘇ってくる。それは経済学ではなく宗教ではないか。生きていることの意味とは一瞬、一瞬のハッとしたりヒヤリとしたりドキッとしたりワッと思ったりすることにあるのかも知れない。

 4時半に帰着。