犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

2013年6月13日(木)

2013-06-13 07:47:54 | 旅行
 昨日、一昨日と気温が上がり急に汗ばむようになった。湿気があり蒸し暑い。流石に梅雨というべき時季となった。

 家から歩いて20分あたりで丘陵の頂に到着する。そこの竹林では、ホーホケキョとトッキョキョカキョクが聞こえる。もう、かなり以前からで、ホーホケキョの方は春の初めからで、トッキョキョカキョクは6月に入ってからだと思う。だから、もう托卵しているかもしれない。どちらも一羽ずつということではないようであるが。ある地域の調査では托卵の成功率は3%と聞いたことがある。お気楽なようであるが、実は危険なのである。賭けである。宝くじのようなものだ。命を賭けて。
 托卵に限らず、自然は偶然である。
 トッキョキョカキョクを初めて聞いた日は、面白いと感心したが、だんだん慣れてくると聞き飽きてきた。しかし、何でなくのだろうと思った。水を張り、苗を等間隔に植えた水田にはカエルが飽きずにないている。テリトリーの宣言と種の保存のための異性の獲得のため。だが、そのために自分の存在、位置を誰はばかることなく宣伝して危険ではないのか。視覚と聴覚は似ているところも多いが、違う点もある。視覚はある一点を確実にとらえる。光の反射だから。一方、聴覚はぼんやりとした広がりである。空気の振動をとらえるから。つまり、視覚で把握できるのが例えばげんこつ大とすると、聴覚はその何百倍、何千倍もの体積を扱うことになる。音の源、音の方向性はあるけれども、なくことで自分を大きく拡散しているということになる。自身をぼやかしているのである。こういうことを無意識に理解しているので、案外、呑気にうたったり、ないたりしているのだろう。

 トッキョキョカキョクに飽きてしばらくして、ホーホケキョと重ねるようにしてなくのを聞いて、おやと思った。似ている。トッキョキョカキョクとホーホケキョは文字にしても違うが、聞いても容易に違いは分かる。しかし似ている。それは音色の点についてである。澄んだ声、滑らかな声、遠くまでいきわたるような声という点において。音程も似てると思う。だから、托卵の相手に選んだのかもしれない。或は真似たのかもしれない。警戒されずに近づくことができるから。

 ちがやぐも 空に浮かぶや かがやきて

 たちあおい 下から咲いて いつまでも