犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

知っている犬がいなくなる

2017-06-13 06:31:53 | 日記

 6月13日(火)の朝の散歩について

 

 5時に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 

 山陰本線を跨ぐアーチ状の橋を渡るコースを歩く。晴れ。

 

 東の山の端が茜色に染まっていた。空が高くなるにつれて茜色は薄まり白くなりそして空色になった。西寄りの南の空には丸い月が見えた。

 

 この時間の散歩はよいことずくめである。涼しいので犬は至って快調である。従って強くリードを引くので嫌な時もあるが。交通量がまだ少ないので甚だ安全である。ただ残念なのは携帯のカメラが十分光を集められる程の明るさがないのだ。ピント合わせに時間がかかり犬は動いてしまう。

 

 犬は糞をしたが一塊だけだった。今日は外出しなければならないのだが犬のトイレが心配だ。

 

 アーチ状の橋を渡って交差点の手前に新しく建てられた家がある。住宅かと思ったらそうではなく商店乃至ショウウインドウのようだった。開店祝いの花束が出入り口の所に置いてあった。前の広い駐車場はお客さん用なのだ。

 

 郵便局の前の家は網で囲まれて屋根だけ見えていた。網に解体と表示があった。瓦を見るとかなりの年数の経っている家であるようだ。ここに郵便局の駐車場が出来ると良いなと思った。今ある駐車場は狭くて滅多に止められないのだ。

 

 北の門に辿り着いた時、後から日が射し前に自分の長い影が出来た。

 

 5時半に帰着。

 

 

 

 

 

 昨夕の散歩について

 

 3時25分に犬の散歩に出掛ける。

 

 公園、グラウンドを通って海岸に向かう。その前に神社前のバス停で小倉から来た親戚を見送った。

 

 海辺のカフェの駐車場に駐車していた1台の車のハザードランプが点滅していたので店のドアを開けて中にいる人にその旨を伝えた。教えてくれたことに対して恐縮してすぐに対応した。

 

 階段から浜に下りて北に向かい高架道路からの排水口の所で上がった。

 浜に打ち上げられた材木を拾い集めて階段を上がった所にまとめて置いている人がいた。もうすぐしたら浜の清掃活動が実施されるだろう。

 

 何時もと違う道を歩いた。川よりの道だ。ある家に売り家の表示があった。ここは2匹のポメラニアンを飼っている人の家だ。売りに出されているということは遙か前に転居したということだろう。それで出会わなくなったのだ。白と灰色の若いポメラニアンを飼っている家も確かこの近所だったはずだが、今もここにいるのだろうか。その人と犬も随分、出会わないが。

 犬を介して知り合いになった人は苗字も知らなければ、何をしている人かも知らない。その場限りの話をする仲に過ぎない。ただ犬が好きで良い人らしいということしか分からない。

 犬を介して知っている人がどんどんいなくなる。随分、高齢だった花火という名の犬は死んでしまい、飼い主はもう犬は飼いたくないと言っていた。それ以来、出会っていない。

 人の眉のような眉をした後ろ足の悪い大きな犬も死んでしまって飼い主とは出会わなくなった。

 新しい犬と知り合いになれば良いではないかと思うが、人に対してと同様に新しい知り合いをつくるのは非常に困難になっている。面倒臭いからだ。

 

 4時10分前に帰着。