犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

この世への心残り

2022-04-30 15:50:56 | 日記

2022年(令和4年)4月30日(土)

 

 犬の体調はこれまでに比べれば格段に向上した。まだこんなに力が残っていたのだ。意欲も向上した。案外やる気が出るではないか。何となく投げやりでどうでも良いやという非常に平板な感じから何々と興味や関心が高まっているようだ。対象によるが。何でも良いのだ内側を喚起する対象を見つけるかどうかである。それが美味しい食べ物であるのが更に良い。犬の体全体に影響するからだ。そのためには今まで買っていなかったちょっと高いビーフジャーキーなどを試している。

 新聞に出ていたが、犬種などにもよろうが、犬の平均寿命は15歳代だそうだ。我が犬はもう超えている。平均より上だからもう良かろうという考えにはついて行けない。無理矢理に寿命を延ばすことだけを願っているわけではない。無理な延命はさせたくない。が、犬は願っているかもしれない。1秒でも1分でも長く生きたいと。もしそう思っているとしたら、そういうこの世への心残りを生じさせた日々の生活に犬に代わって感謝するばかりである。

 

 犬が元気になった原因はいくらかあるだろうが、その中の一つに私が1日に何度も犬を庭に連れ出すことにあるのではないかと思う。それも1回に犬が飽きて玄関の扉の前で中に入ろうと私を促すまで2,30分は出ているのだ。いぬは実に細かに動き回る。止まっていても鼻はいつもヒクヒクさせている。逆に室内は犬にとっては退屈の極地、死のベッドのようなものだ。

 私は出来るだけ犬と一緒に庭に立つ。本当は犬一人で庭に置きたい所だが、来客などがあると困るので私は付き合う。

 犬は外界から刺激を受ける。それは私の与えられないものだ。犬が感じるものだ。


機嫌良く

2022-04-29 15:23:57 | 日記

2022年(令和4年)4月29日(金)

 

 夕方の散歩は3時頃に出掛ける。寒い。まだ時折、雨の小粒が肌に当たる。Tシャツに薄手のシャツを羽織っただけで外に出た。外気がすっかり入れ替わったようだ。犬は気分が良いようだ。それでも積極的に歩くという感じではなかった。歩こうやあと何度声を掛けたことか。それもリードを引っ張りながら。

 

 犬は朝こそ元気であったが、すぐに寝てしまった。その前に私は犬が食べ残した軟骨部分を踏んで足裏が痛かったので体のバランスを崩して倒れまいとして犬の体を勢いよく突き飛ばす形となった。犬は倒れはしなかったものの、ずっとこちらを恨みがましく見ていた。なんでそんなことをするんか。睨んでいるようにも見えた。

 悪かった、悪かった。気がつかずに踏んで咄嗟に動いた結果なんだ。そう怒るなよ。元はといえばそっちが食い散らかして放置しているからこうなったんだ。

 まだ恨みの目で私を見ている。私は勿論、即座に犬の頭や背中を撫でに撫でた。御免、御免。また、ジャーキーを与えてご機嫌を伺った。

 言葉と愛撫と餌とでなんとか犬を宥め寝につかせた。ヤレヤレである。犬にこんなに遠慮して生きることはないではないかという思いもあるが、犬には機嫌良く生活してほしいと願っている。

 

 


白い虫網

2022-04-28 15:36:21 | 日記

2022年(令和4年)4月28日(木)

 

 犬の健康がかなり回復してきたようだ。今朝も家を空けて帰ってきたら犬は腹ばいになっておりお尻の所に小さなサツマイモのような糞を2つしていた。これが泥便だったら憂鬱の海に沈んでどんなに苦労したことだろう。

 前回もちゃんとした糞であった。消化器の力が復活したのだ。機能回復。

 小用も頻繁に庭に連れ出すことも奏功しているのだろう、室内ではしていない。また、1回の量が増えている。蓄える力がついたのだろう。

 だが、安心はしていない。また、以前の症状が再発しないとも限らない。

 

 動物病院でフィラリアの予防薬を購入。事前に血液検査が必要とのことだったが、犬を動かしにくいのでということでなしで済ませた。

 

 夕方の散歩に4時頃出掛ける。門の花壇にツマグロヒョウモンガ来ていた。犬は本気かどうか知らないが飛んでいるものを噛もうとした。勿論、外れである。でもそれは元気が戻っている証拠とみた。

 

 参道の遠くに、バス停の近くだろう、2人の子供が白い虫網を振り回しているのが見えた。夏だ。私もTシャツである。犬はこれからきつくなることだろう。体調を整えさせたい。

 

 


ビロードのようなすべすべ感

2022-04-27 17:03:42 | 日記

2022年(令和4年)4月27日(水)

 

 未明2時頃だった。犬の小さな声が聞こえた。クウン。犬はリビングで横になって寝ている。敷物を用意しているのにフローリングに直に寝ている。私はその隣の畳の間に布団を敷いて寝ている。犬との距離は2m前後である。

 最近、睡眠のリズムが不規則となり眠れないと感じるようにもなっている。

 クウンの声は人に訴えるようには聞こえなかった。急を要しているようでもなかった。が、私はさっと飛び起きた。寝る前に犬は午後5時頃に小用を足しただけだ。もうかなり時間が経っている。溜めているだけでも病気になる。犬は頭を上げているので犬の体の下にバスタオルを差し込む。犬も協力的で体を少し上げてバスタオルが通りやすくした。少し下肢の方にタオルをずらして四肢で立ち上げやすくする。

 素早く犬を庭に連れ出す。小糠雨が降っている。犬はすぐに腰を下げて小用を足した。地面は濡れているのに犬の尿はその上に別格という感じで厚みを感じさせる水溜まりを作った。良かった、良かった。犬もすっきりした表情だ。玄関のセンサーライトがまだ点いているのだ。

 駐車場の方に回っていると犬は立ち止まって糞をした。何と。糞だ糞だ。形のしっかりした糞だ。始めと終わりのある塊。ポケットには久し振りに出番の出たビニール袋が入っている。雨の時に配達される新聞紙を包むビニール袋だ。端をはさみでスーッと切って他端を安全のため結ぶ。

 おやつみたいな餌でも大丈夫なのだ。

 室内に戻って犬は落ち着きなくリビングとキッチンとの境辺りでゆっくりとその場で回転した。もう何時になったら止めるのだろうと思ったほど律儀に回った。自分の尻尾を噛もうとする行動と同じだ。ただ、退屈そうなゆっくりさだが。新しい便が来ているのかと心配したが、大丈夫だった。ねんねするか、もう、ねんねするか。

 犬の体は照明で光っていた。かつて会う人会う人に褒められた光沢である。腰が細くなっているのも犬の正常な体型に近付いたということか。もっと痩せた犬を何度も見たことがある。歳だが、それなりに健康なのかもしれないと希望の光が見えたような気がした。何でも楽観論に与する私である。

 1時間位してようやく犬は寝た。

 

 夕方の散歩

 門を出ると向こうのアパートから小さい男の子が駆けてきた。

 暑い。

s小学校に行く時も暑かったよと間髪を入れずにその子は言った。

 暑いね。

 可愛い。犬に触りたがっているように見えた。

 頭を撫でてくれる。

 犬は本当に従順だ。

 子供はビロードのようなすべすべ感に感動しているように見えた。かなりの間、この感覚は続くだろうし、長く時が経って忘れてもいつでも復活する感覚だろう。

 

 例によって近道をして旧門から敷地に入った。回廊を回る。過日、サクランボの木があって黄色になったな、食べられるのも間もなくだろうと思っていたが、50位なっている内、半数は真っ赤だった。もいで口に入れる。甘みが強いというわけではないが十分ジューシーだ。こんなに柔らかかったか。いくつでも食べられる。が、この暑さではもっと喉を潤す物が有るのだ。早く家に入らねば。

 


心配でならない

2022-04-26 16:00:08 | 日記

2022年(令和4年)4月26日

 

 犬が家にいる。外は雨だ。外は異常に気温が上がっている。梅雨のようだ。

 犬は起きているので室内を歩き回る。私の所に来る。犬にとって私の存在以外何も存在していない世界だ。自然私の所に来る。見上げれば目が合い飼い主が動く。ビーフジャーキーとか犬が好きそうな物から与えてくれる。量が足りないので追加もあるしやわらかサラミ、ご馳走ササミなども続いて供給される。少しはひもじさを解消できる。それに歳を取って激しい食欲は消えているからそんなにねだるような視線は必要ないのだ。

 それでも頭や背中をさすってくれるし、昔聞いた偉いねとかの褒め言葉を掛けてくれるので自然足が向かうのだ。

 飼い主は心配でならない。心配しても何にもならないので心配をしたことがないと豪語していた人がこれである。何時小用を足すか糞をするか。犬の動きを追っている。見張っている?見守っている?その姿勢に入ったらすでに手遅れなのだが、追わずにはおれない。

 勿論、犬を庭に連れ出す。必要があろうがなかろうが、連れ出す。犬の様子を見てではない。私がそろそろと思ったら出す。犬はどうして?という感じで嫌々ながら出る時もあるし、ホッとする時もあるようだ。

 玄関に戻ってその都度、犬の足裏を雑巾で拭う。犬は先刻ご承知で器用に足を預ける。上手やねと褒めながらぞんざいに拭く。

 

 今までの所、午後5時過ぎ、小用は何度も済ませたが、糞はまだだ。出来るほど食べていないからだろうか。これが困りごとだ。普通のなら全く問題はないのだ、室内であろうが。が、柔らかいと往生するのだ。小金持ちなのに、年寄りなのに、心不全なのに、この期に及んで何でこんなことをしなければならないのかと思うとよほどの悪事の積み重ねの報いなのかと思う。善事にセよ悪事にせよ続ける根気は自分にはないと思うのだが。客観的な判断はまた別なのだろう。人はどこかでいつかに取り返しのつかないことをしてしまうものなのだろう。