犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

2年前の今日、我が家に来た犬

2014-06-30 07:20:57 | 日記


 6時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。

 隣の駅前まで行って西に向かい、海浜公園を通って帰る。晴れていて風はない。

 スイカズラが咲いている家があった。また、川岸にフヨウが淡い紫色の花を付け始めていた。

 犬は好奇心の赴くままあっちに寄ったりこっちに寄ったりであった。
 大型商業施設の横の川があるが流れが止まり深く淀んでいた。そこに無慮100匹位の2,30cmはありそうなイワシのような魚が群れていた。時々、白い腹を見せるものがいる。白というより銀色に光っていた。

 大きな川に戻って来た。歩道が切れた所で自転車に乗ったサングラスをかけた人が前に現れた軽四のドライバーに向かって何か怒鳴った。何をしよるんかというような言葉だったと思った。その自転車の人は我々とすれ違う時、穏やかにおはようございますと言ったので怒鳴ったのはこの人なのか軽四のドライバーなのかと、分からなくなった。こちらも丁寧にあいさつを返す。

 登校中の中学生がテストの話をしているのが耳に入った。音楽の点が何点とか言っていた。期末テストだろう。

 7時10分に帰着。

 2012年の今日、犬は我が家に来た。飼い主が帰った後、私は庭で1時間位、犬と遊んだ。好奇心の強い賢い犬だと思った。
 犬は自分の境遇をどう思っていたのだろう。ちょっと預けられたと思っていたのか。ドッグホテルのように。その夜、犬は鳴いた。いや、長い間、吠え続けた。言葉では表せないが、前の飼い主に届けとばかりに訴えていたのではないだろうか。連れ戻してくれ、どうしてだ、なんでだ、こんなことはあり得ない、嫌だ。子供の時から愛され、賢い犬であれば覚えるであろう感情の推移を思うととても気の毒になる。寂しさ、困惑、怒り、悲しみ、諦め。こうした体験は犬の心に何かを残しているに違いない。




 昨夕の犬の散歩について

 4時5分に犬の散歩に出掛ける。

 いつものコースで公園、グラウンド、海岸へ向かう。
 海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。
 今日は日曜日なので人出がかなりあった。まだ、海で泳ぐ人は多くないがテントを張って寛いでいる人たちもいる。

 浜を犬は頭を上げて一途に歩く。こちらは速足から小走りになる。よしよしこの調子だ。少し汗ばんできた。太陽は輝き海はその光を反射してギラギラと輝く。突堤を歩く。海側の方には濃緑のミルの群落がある。これがちぎれて浜辺に打ち寄せられるのだ。川側にも海側にもワカメはあるが、ミルがあるのは海側だけである。

 家の近くに戻った角で大きな犬を連れた小さな人と出会った。その犬が人の顔をしているように感じるのは眉に当たる部分が誇張されて黒く大きいからだろう。
 家に繋がれている時は気迫のこもらない大きな声で吠えているのを聞いたことがある。
 後ろ足が駄目になったけど犬が補助具を付けさせないので、今日は、こうやってどうにか歩いていますとのことである。確かに後ろ足はもう力が入っていない感じであった。
 それは大変でと心配して応じた。補助具を付けて散歩をさせている人もいる。最近、その犬を見なくなったけど。
 私はその大きな犬に近寄って行った我が犬のことを思った。関節炎の前兆の後ろ足の震えは滅多に起こさなくなったけれど、いずれこのようになるのではないかと思うと少し気分が暗くなった。
 健康な時は何も思わないが、一旦、故障が出ると人間も犬もその時の幸せを思うものだろう。生きていれば、いつまでも同じでは在り得ないのだ。

 5時15分前に帰着。

オシロイバナの赤い花を見た

2014-06-29 07:16:03 | 日記


 6時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は日曜日。

 海岸道路を南下し礫岩広場に至るコースを歩く。曇っている。

 オシロイバナが早くも赤い花を付けていた。道路にスズメが十数羽いてチュンチュン鳴いている。釣り人が川の方にはたくさんいたが、礫岩広場の下の岩場にはあまりいなかった。ホーホケキョイが聞こえる。
 
 7時5分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。

 午後から晴れて来た。そして、暑くなって来た。気温が1,2度上がっても分かる。

 ・・・
 午後、市の施設で開催されたミュージアムセミナー第4回に出席した。いつも使っているホールが中四国の考古学研究会場となり、我々は図書室兼工作室風の所で講義を受けた。30名弱の受講者があった。近いものはゆっくり来る。4,5分前に会場に行くとようやく席があったという感じである。
 今回は講義というより出土物の説明であった。
 最初に常設展示の説明を受けた。何回か見ているものであるが、説明で分かったことは大変多くびっくりした。つまり、これまで何の脈絡もなく一つ一つを漠然と眺めていただけだったのだ。分かったのか分からないかも分からない状態だったのだ。素人中の素人なのだ。自分には専門とするものは何もないのだ。
 埴輪にしても円筒埴輪と形象埴輪があり、本にあるのは見たい物を載せているだけだった。つまり、家とか人とか船とか具象的に身近な形象埴輪を中心にしていた。しかし、埴輪といえば普通、円筒埴輪を意味するとのこと。
 吉備の特殊器台の図がある新書に掲載されていたのだが、それが何なのか全く想像もつかなかったが、円筒埴輪の前身のようなのだ。
 元の部屋に戻り、円筒埴輪と須恵器を観察した。円筒埴輪は底が無く土管である。縦の細かい筋がある。突帯という竹の節のようなものがある。これは孟宗竹を模したものではないだろうか。
 和久で発掘された須恵器の中に水筒とされるものがあった。しかし、重そうで携帯には適していないのではないか。また、焼き物だから壊れやすい。古代に水筒があったとしたら竹筒だろう。古代には竹が今ほど繁茂していなかったかもしれないが。

 天気が心配だったので自転車でなく車で行ったのだが、初めはいつ降り始めても不思議ではない様子であったが、終わって外に出た時は太陽が眩しかった。
 ・・・

 浜では男の子たちが花火をしていた。花火というより爆竹だ。静かな所に大きな音がするのが楽しいのだろう。その変化にワクワクするのだろう。波打ち際で髪の長い女の子が髪の短い子に海に入ろうとしきりに誘っていた。

 突堤の先まで行って戻って来たら、2人共、浅瀬に入って遊んでいた。

 結局、犬は糞をしなかった。そういうことはたまにあるが珍しいといえば珍しい。夜中に起こされないかと心配である。

 5時5分前に帰着。

トウモロコシを食べるカラス

2014-06-28 07:15:35 | 日記


 6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は土曜日。

 幼稚園、小学校まで行くコースを歩く。時折、小糠雨が降る。

 トウモロコシ畑の土手にトウモロコシが10数本転がって実が食べられていた。カラスの仕業だろう。

 7時5分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時15分に犬の散歩に出掛ける。

 ・・・
 朝、主を迎えに来る人たちに犬が吠えなくなった。昨朝からである。犬も学んだのだろう。が、午後、郵便局の人が2人来たときには吠えて吠えまくった。もう、いいって、話が聞こえんやろうと言っても吠え続けた。確かに犬には犬の論理があるのだろう。その論理は理解できないが。
 ・・・

 浜に夏服の女子中学生が5人いた。波打ち際で遊んでいた。クラゲが一杯とか茶色のがいるとか動いているとか叫んでいた。
 確かにミズクラゲがたくさん打ち寄せられていた。茶色のはアカクラゲのことだろう。

 ずっと小糠雨が降っていた。帽子をかぶっていないので眼鏡に小さな水滴が膜のように張り付いた。

 角の家の庭のクワの木が実を付けていた。まだ赤っぽいので酸っぱいだろうが、充実した実である。最後にクワの実を食べたのは8年位前のことだった。そのクワの木にはコゲラが来ていた。一番小さいキツツキである。そこは夜には狸の親子が来ていた。昔のことだ。

 5時15分前に帰着。

カニの横歩き

2014-06-27 07:19:08 | 日記


 6時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。

 山陰本線を跨ぐ新しい道を歩く。地面がしっとり濡れているのは小雨の為のようだ。玄関を出ると雨とも呼べないような微細な水滴が顔に時折当たる。戻って帽子をかぶる。途中で降られると困るからだ。その可能性はほとんどなさそうなのだが、用心に越したことはないと年寄りらしい知恵を働かせる。かつて、そんな知恵は少なくとも自分にはなかったからだ。

 犬は歩道を右に左に何度も往復し、戻り、また左右に動く。もう、ええ加減にしと言うと、犬は黄褐色の目を一瞬こちらに向けて前を向いて歩きだした。それからは頭を上げ真っ直ぐに歩いたと続けたいところだが、左右への揺れはなくなったがお立ち寄りは頻繁であった。

 駅の手前で若い男女が5人それぞれ自転車に乗って大きな声で話しながら近付いて来た。何度も見掛けた人たちだ。言葉の意味は分からないが、やはり中国語のようである。大きな声で話す。話す言葉によって一つの空間を醸している。そこに集団による自己主張があるように思える。

 7時5分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。いつ雨が降っても不思議でない暗さである。
 このところ、帽子をかぶらなくなった。雨が降っていたり、太陽がカンカンに照っていれば別だが頭に布をかぶせて空気の流通を妨げる必要はなかろう。

 いつものコースを歩く。公園、グラウンドを通って海岸に向かい、海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。

 カニ穴は浜のどこにもある。穴のそばにカニがいる。以前見たのは小さなカニで砂色をしていたが、今、巣穴そばにいるカニは淡水にいるサワガニ位の色が付いている。が、何しろ遠目なので判然としない。犬と私の前にチドリが巣の近くで動き回っているのでカニは吸い込まれるように穴に隠れてしまう。チドリはカニを目当てに動いていないのかもしれない。しかし、これくらい大きくなると伸ばした嘴をハサミで噛まれるのではないか。小さいカニを探しているのかもしれない。
 しかし、カニにしても、こんなに神経質では餌に辿り着かないのではないかと思うが、屹度、夜は行動は大胆ではないかと思う。
 カニが横に動くのを奇妙と思っていたが、その動きは後退でも前進でもない合理的な周囲を観察しながらのものなのだと知った。前進であり後退でもある。
 小さい時は保護色で砂色に近いが、成熟すると目立たないといけないのだろう。たとえ敵の標的になるかも知れない位に目立ってこその異性獲得のための戦略というものだろう。

 5時10分前に帰着。犬の役目はこれからだ。北の玄関に入れずに、昨日同様、南の玄関の柱に犬のリードをくくる。
 私は南庭の草を引いて行く。1時間毎に草が芽を吹く。狭い庭であるが、どこでも変化があり変化の予兆がある。園芸とはそれへの微細な対応なのか思う。その対応において人の生活は成立する。
 地面や植物に付いている蚊が襲ってくる。血を吸われる前に叩き殺すのだが、蚊が止まっていた所はすぐにぷっくりと皮膚が膨らむ。唾液は注射されている。それでだろう、腕が赤くなって来た。皮膚が弱い上に免疫機構に支障をきたしているので体のあちこちが痒くなる。 犬にも蚊が来るので寄って来る蚊を叩き殺す。
 少し遅くなったが主を迎えることが出来て、犬を玄関に入れた

クズの良い匂いがしてきた

2014-06-26 07:37:27 | 日記


 6時25分に犬の散歩に出掛けた。今日は木曜日。

 丘陵の裾道を歩いて梅林の下から丘陵の頂の道を歩き上の山古墳の前を通り、市の施設を通って帰る。曇り。

 参道を国道に向かって歩く。道路の反対側から風鈴の音が聞こえてくる。離れてもかすかに聞こえてくる。耳を澄ませているその時、上からカラスがガアガアと鳴いた。耳元で鳴かれたように感じた。電柱か電線にいるのだ。見上げもしなかった。ハシボソガラスである。

 川沿いの道を東に向かって歩く。クズの葉、蔓が川岸、草原を覆っている。小葉一つがてのひら大もある。クズのにおいがしてきた。屹度、カメムシが汁を吸った跡から香って来るのだろう。クズの蔓にスズメが止まった。スズメは何と軽いのだろうと思った。

 丘陵の裾道を歩く。この道に沿った家々は石垣で一段高くした所に建てられている。そして、大概が2階建てである。大きな川が蛇行し氾濫を繰り返していた時代の反映なのだろう。

 道路にカエルがいくつか死んでいた。また、ウマオイムシが道端にヨトウムシと一緒に死んでいた。変な組み合わせなので印象に残った。心中ということは考えられない。先程、草むらで虫の音を聞いたがコオロギの仲間だろうか。リーリーと聞こえたが。これまた、早いものだ。今年は我先にと虫が出てくる。今夏は平年並みの気温との予報が出ていたが他の条件が関係しているのだろう。

 市の施設の横から入って正門の横から出る。緩やかな下り坂にシモフリスズメが2匹じっとしていた。屹度,夜中、照明灯の周りを舞って舞って疲れ果てたのだろう。

 7時25分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時5分に犬の散歩に出掛ける。

 いつものルートを歩く。

 突堤はフナムシの密度が高くなった。フナムシが何で生きているのか知りようもないが、人が、自分が生きている訳も分からないのであるからフナムシのことが分からないのは不思議ではない。多分生きているから生きているだけのことだろうが。
 生き物が他から逃れるのは面白い現象である。基本的に他の方が優位にあるとの前提があるのだろう。自分の都合に合わない状況であれば、大抵はそういう状況なのだが、関わらず逃げるのが上策なのだ。それでないと無鉄砲と評され結果として今に生き残れることが出来なかったのだろう。つまり、自分の優位を謳歌して逃げる習性のない生き物もいたにはいたが、絶滅したのだろう。
 自分が生きているこの現実世界では生き物はみな人間から逃げて行く。トンボもカラスもスズメも逃げて行く。ぼやぼやして行き当たりばったりにこちらにぶつかって来る生き物もいるけれども、それは食べ物にならない不味い生き物で例外だろう。だから人間は慢心して大きな顔をしている。それは少し拙いのではないかと思う。
 だから、逆に生き物が人間の方に寄って来る現象に関しては騒動となる。サルが現れて人を威嚇したとか、ツキワノクマが出現して民家を荒らしたとか、スズメバチが集団で人を刺したとか、イラガの幼虫が子供を刺したとか、恰も公衆の敵をこしらえて、一致団結を図っているような感じである。何かのシミュレーションなのだろう。

 5時10分前に帰着。