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6時15分に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。
隣の駅前まで行って西に向かい、海浜公園を通って帰る。晴れていて風はない。
スイカズラが咲いている家があった。また、川岸にフヨウが淡い紫色の花を付け始めていた。
犬は好奇心の赴くままあっちに寄ったりこっちに寄ったりであった。
大型商業施設の横の川があるが流れが止まり深く淀んでいた。そこに無慮100匹位の2,30cmはありそうなイワシのような魚が群れていた。時々、白い腹を見せるものがいる。白というより銀色に光っていた。
大きな川に戻って来た。歩道が切れた所で自転車に乗ったサングラスをかけた人が前に現れた軽四のドライバーに向かって何か怒鳴った。何をしよるんかというような言葉だったと思った。その自転車の人は我々とすれ違う時、穏やかにおはようございますと言ったので怒鳴ったのはこの人なのか軽四のドライバーなのかと、分からなくなった。こちらも丁寧にあいさつを返す。
登校中の中学生がテストの話をしているのが耳に入った。音楽の点が何点とか言っていた。期末テストだろう。
7時10分に帰着。
2012年の今日、犬は我が家に来た。飼い主が帰った後、私は庭で1時間位、犬と遊んだ。好奇心の強い賢い犬だと思った。
犬は自分の境遇をどう思っていたのだろう。ちょっと預けられたと思っていたのか。ドッグホテルのように。その夜、犬は鳴いた。いや、長い間、吠え続けた。言葉では表せないが、前の飼い主に届けとばかりに訴えていたのではないだろうか。連れ戻してくれ、どうしてだ、なんでだ、こんなことはあり得ない、嫌だ。子供の時から愛され、賢い犬であれば覚えるであろう感情の推移を思うととても気の毒になる。寂しさ、困惑、怒り、悲しみ、諦め。こうした体験は犬の心に何かを残しているに違いない。
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昨夕の犬の散歩について
4時5分に犬の散歩に出掛ける。
いつものコースで公園、グラウンド、海岸へ向かう。
海辺のカフェの駐車場の横から浜に下りる。
今日は日曜日なので人出がかなりあった。まだ、海で泳ぐ人は多くないがテントを張って寛いでいる人たちもいる。
浜を犬は頭を上げて一途に歩く。こちらは速足から小走りになる。よしよしこの調子だ。少し汗ばんできた。太陽は輝き海はその光を反射してギラギラと輝く。突堤を歩く。海側の方には濃緑のミルの群落がある。これがちぎれて浜辺に打ち寄せられるのだ。川側にも海側にもワカメはあるが、ミルがあるのは海側だけである。
家の近くに戻った角で大きな犬を連れた小さな人と出会った。その犬が人の顔をしているように感じるのは眉に当たる部分が誇張されて黒く大きいからだろう。
家に繋がれている時は気迫のこもらない大きな声で吠えているのを聞いたことがある。
後ろ足が駄目になったけど犬が補助具を付けさせないので、今日は、こうやってどうにか歩いていますとのことである。確かに後ろ足はもう力が入っていない感じであった。
それは大変でと心配して応じた。補助具を付けて散歩をさせている人もいる。最近、その犬を見なくなったけど。
私はその大きな犬に近寄って行った我が犬のことを思った。関節炎の前兆の後ろ足の震えは滅多に起こさなくなったけれど、いずれこのようになるのではないかと思うと少し気分が暗くなった。
健康な時は何も思わないが、一旦、故障が出ると人間も犬もその時の幸せを思うものだろう。生きていれば、いつまでも同じでは在り得ないのだ。
5時15分前に帰着。