犬の散歩

見たこと、聞いたこと、感じたこと、思ったこと

白梅は開花、紅梅は蕾

2014-01-31 08:31:13 | 日記


 7時に犬の散歩に出掛ける。今日は金曜日。

 仁馬山古墳コースを歩く。雲一つなく晴れ上がって東の空は赤らんでいた。東南東の比較的低い空に星が一つ残っていた。金星、明けの明星である。
 全然寒くない。風もないが気温も下がっていないようだ。とすると、明け方に急に晴れたのだろうか。

 国道を渡り川沿いの踏切を横切り、しばらく川沿いに東に向かって左折する。

 丘陵の裾道を歩く。犬は強引に引っ張る。こちらも犬並に本気で力を入れる。暑い。上は3枚だったが、すぐにジャンパーのジッパーを下して前を開く。また、シャツの第1,2ボタンを外す。

 観音堂古墳に行く。そこから急な坂道を登り仁馬山古墳に行ってみた。ここまで約40分で、前回の三角形の2辺の道を通った時の45分より短縮できている。
 仁馬山古墳に登ってみた。後円に登った。歩きながら犬が後ろ足を上げた。後円全体に笹が短く生えていてそれが足に突き刺さるようだ。これはいけんことをした。出来るだけ地面が露出した所を選んで歩く。前方の方は切り株と茅の株が点在している。前回登ったのは前方であった。その時、犬は何を思ったか急に走って下り、その勢いに驚かされた。

 丘陵の頂の道を歩く。椿の花が道にたくさん落ちていて、犬はそれに鼻を一瞬付けては通り過ぎる。
 通信施設を過ぎ、右手に梅園が見えて来た。白梅が少し開花していた。紅梅はまだ蕾のままである。我が家の紅梅も蕾である。近所の白梅は満開状態である。日当たりの関係であろうか。それとも白梅が早いのか。
 川北神社の前を通る。花崗岩の柱に明治三十三年と彫ってある。

 市の施設の敷地に横から入って駐車場を通り表から出る。
 
 8時20分に帰着。




 昨夕の散歩について

 4時10分に犬の散歩に出掛ける。

 天気は回復したようで、時折、夕日が差した。すぐに全天、曇天となったが。
 公園、グラウンドを通って海岸に行く。波がかなりある。遠くの島は見えない。

 海岸沿いを少し南に行き、左折して高架道路の工事下を通る。道路の底面は地上から10mはありそうだ。近くの2階屋よりうんと高い。
 手入れの行き届いた畑を右に見て左折する。
 昨年、障子枠を何枚も立て掛けていたブロック塀に少し前に襖が立て掛けてあったが、今日はまた障子である。10枚近くある。ここは表具店なのだろう。
 再びグラウンド、公園を通って神社の前に出る。

 ・・・
 昼前に片道約20分の所に犬を乗せて行く。犬を車に乗せたごく最初の頃は、犬はフロアにお座りをしていたのだが、ある時からずっと助手席に座を占めるようになった。
 自分は日頃から安全運転で、安全の極地、車をあまり運転しなくなったのだが、カーブ、減速、加速で生じる力に犬は過剰に反応して自分の姿勢を保とうとする。首輪をつかんで助力しようとするが、犬は自身の力でしっかり耐えている。こんなに一心に何かを念じ、神妙にじっとしているのはこの時だけである。
 車の中で不安が少しでも軽減できるように出来る限り、頭や咽喉を撫でて触れていた。
 これまで、シートベルトをしていないので警報音が鳴っていたが、今回はしなかった。鳴っていた時は、シートベルトを犬の後ろに形式上して、うるさい音がしないようにしていた。確かシートに20kg以上の負荷がかかり、シートベルトをしていないと警報音が鳴るようになっているはずだ。買い物をしてたっぷりの食料品などを置くと鳴ったものである。
 とすると、犬は体重が20kgを切ったということか。これまで体重は20kg前後だったのだ。
 目的地で犬は歓待された。
 ・・・

 神社の前を北に向かう。すると向こうから柴犬を連れた人がやって来た。
 どうも、久し振りでと挨拶をする。お互いの犬を撫でる。我が犬は全身を撫でてもらった。頭から尻尾まで。
 私は柴犬をしばらく見なかったけど、元気やったかねと言いながら頭や咽喉を撫でる。この犬も久し振りなので嬉しそうであった。良かったなである。良かった、良かった。
 我が犬は尻尾をつままれるとウウと唸った。何で、機嫌が悪いの、いつも触らせてもらっているじゃないと相手の人が言う。どうしたんかね、と言う。犬はすぐに機嫌を直したようだ。
 お互いありがとうございますと言って別れた。それからしばらく更に北の方を歩いた。時間がそんなに経過していなかったので。

 5時10分前に帰着。

小雨の中の散歩

2014-01-30 09:03:59 | 日記


 8時15分前に犬の散歩に出掛ける。今日は木曜日。

 幼小中辻曲がりコースを歩く。

 出発が遅くなったのは勿論、雨のせいである。さっきまでザアザア降っていたのだが、上がったようだ。それでも実際、歩いてみると小雨が降っていた。空は暗い。

 小学校の方へ歩き始めて、登校時間なので児童生徒を多く見掛け、これは逆コースに歩くに如くはなしと思い、少し東に向かい少し広い道路を南に向かった。ここは国道のバイパスになっていて信号がないからだろう交通量は多いし、結構勢いよく走っている。すれ違いの車がある時は必ず止まって道端に避けた。どうしてこうも自分のいる所ですれ違うのだろうと嫌になった。

 左に折れて急な坂道を登る。左手は市の施設である。最初から犬は力強く粘り強くリードを引っ張る。こちらも単純に負けてたまるかと力を入れる。上は3枚着用していたが、じきに暑くなってしまった。本当に暑い。シャツの第1ボタンを外す。
 登り切って麺レストランの所に出て右折する。国道沿いの歩道を歩く。建物の間に見える山はけぶって薄く見える。パトカーが止まっていた。交通事故だろう。軽4が2台そばに止めてあった。

 辻を右に曲がり緩やかな坂道を下る。小雨は止まず、空は暗いままである。眼鏡に水滴がついて焦点が合わないのでぼやっとして見える。

 右折して緩やかな坂道を登る。工事中の高架道路の下のトンネルを潜る。暑いと言うとトンネル内で響いた。それから小さい声で暑いと言った。ジャンパーのファスナーを下までおろし開いた。シャツのボタンも2つ目を外した。屹度、汗ばんでいるに違いない。夏の体なら寒いと感じるところであるが、冬の寒さに慣れた体なのでこれ位で耐えられない程、暑く感じるのだ。夏と冬では同じ体なのに、実は違う体になっているのだ。

 大きな県酪のトラックが通って行った。小学校から、今度は中学校に向かっているようだ。

 もう一つのトンネルを下る。向こうから足取りの重そうな中学生が登って来た。

 小学校の前で犬を連れた2人がいた。こちらを見ると、その小さいとは言えない犬を抱きかかえあげた。一体、どういう意味があるのだろうか。直接体験をさせないようにしているのだ。守っているようだ。それはあくまで自分の立場からの態度であって、犬の為にはならないと思うのだが、まあ、飼い主あってのものだから仕方がないだろう。

 共に傘を差した園児と母親が朝の挨拶をした。「どうも、おはようございます。」と返す。この時間、園児の登園するのだ。だが、そんなに多くないだろう。

 北の玄関に入る。布2枚で犬を拭いてやる。足回りはかなり濡れている。もう、いいだろうと思ったが、軍手を脱いで確かめてみるとまだ不十分だったのでしっかり拭いてやった。

 9時15分前に帰着。


 昨夕の散歩について

 4時15分に犬の散歩に出掛ける。
 天気が良く明るいので散歩はまだと決めているのか犬はおとなしかった。

 昼過ぎ玄関などの掃除で玄関のテラスに犬がその上で寝ている布団を出して広げて布団干しをした。犬も出て来て自然にその上に座り辺りを見ていた。日差しが心地良さそうだった。風もないし全然寒くない。
 庭の作業をしたかったので犬は中に入れる。だから少し不満げであった。でも、そうしないと庭のあちこちで作業が出来ない。犬は何かあると猛然と吠えるからである。実に大したことがない日常のルーティンでも、犬は犬の立場として吠えまくるのだ。縄張り宣言のため主人への忠節を尽くすため本能的に習慣的に自己を主張するのだ。

 30分ばかり徒長の菊を切ったり雑草を抜いたり落ち葉を集めたりする。紅梅の芽がふくらんでいた。もう1週間もすれば気温は上昇していくはずだ。既に日は長くなっている。

 北の門から出て参道を西に向かう。左斜め前方からの夕日が眩しい。
 公園に行く。グラウンドでは少年野球が練習をしていた。そちらへは行かず、公園と神社との間の道を海に向かう。浜に下りて南に向かう。気温が上がっているからだろう遠くの山、島島、半島は淡色に統一され平面的である。波は静かで実にゆったりした風景である。気持ちが穏やかに心が落ち着く。
 こんな時間が来ようとは思いもしなかった。でも、地球上ではそれとは逆の気持ちの人もたくさんいる。
 自分も若い時は、なんだこの現状はトンデモナイと尖がっていた時もあったのだ。まあ、今は生物学的に言えば衰えて来たということになる。それが成熟とは思わない。年数が経ったら多くの人が辿る道筋とは思う。
 人はその個性において願いや意思で自分の道を切り開き、よじ登り、その人独自の生き方をしようとするが、より長期の周期では生物的に辿る発生から死という自然の道というのもある。

 砂浜を南端まで行く。それからは岩礁になっている。それに乗って歩くと途中で崩れかかったりして飛び飛びに行くしかないが、犬はそこでとんでもないとばかりに不安から動揺へと急に気持ちを変化させ、更に何でこんな所に連れて来たのかと不信、反抗の積極的な態度を顕著に示した。つまり、急いで引き返そうとするので、すぐに反応した。よし、戻ろう。

 5時10分前に帰着。

市街地調整区域とか農業委員会とか地目とか

2014-01-29 08:11:17 | 日記


 7時前に犬の散歩に出掛ける。今日は水曜日。

 丘陵の頂のコースを歩く。空は晴れ上がり冷え込んでいる。車のウィンドシールドに霜がびっしり付いて氷のようになっているものもあった。

 今朝ばっかりは何も記すことがない。というのも散歩中、殆ど何も考えず、思い浮かぶこともなく、目にするもの耳にするものに特筆することなく、ただただ歩いただけだからである。たっぷりの朝食をとってお腹が一杯ということも理由の一つかもしれない。尤も、これは毎朝のことだけれども。
 犬はどうなのだろう。毎日毎日、ただただ歩いているだけなのだろうか。いや、何かの出会いを求めていることは確かだ。出会いを求めてただただ歩いているのだ。それを具体的な目的をもってと言うのは当たらないと思う。何か必要な物を見つけて初めてそれが目的だったということになる。
 あまり難しいことを言っても始まらないと犬は言っているように思える。その場その場を生きるだけだ。自分の生活もそれに近い。犬に学んだというより、自分の生活から身に付けたのだろう。

 おそらく大部分は川からだろう霧が立ち昇り微風に攪乱されくねくね踊っているように見えた。朝日が少しやわらぐ。

 8時過ぎに帰着。


 昨夕の散歩について

 4時15分に犬の散歩に出掛ける。小倉から来た親戚がリードを持ってくれた。
 いつも思うが人がリードを持ってくれたら、心身共に軽くなるのだ。日頃、リードを持つことの責任、義務、心身への負担、重圧を感じていればこその浮遊感を得ることが出来きる。 

 公園、グラウンドを通って海に向かう。

 浜に下りて北に向かい川に至る。最近、正面の山に登っていない。今年はまだ1回も行っていない。あそこからこの海岸が見えるはずだが、あの黄色の逆Y字型の建設施設も見えるものだろうか。

 ウが海面すれすれに南に飛んで行った。防波堤の向こうで見えなくなった。

 カモメが空高く飛翔している。

 今日は不動産屋さんや法務局に行って新鮮な言葉をたくさん聞いたばかりか、法、条例執行に当たって国と市の基準が違うことに驚いた。また、農地が依然として特別に厚く保護されていることに時代錯誤を感じた。
 それでいつになく疲れてしまい、そんなこととまったく関係のない犬が羨ましくなり、お前が悪いとあらぬ罪を着せたりした。犬は知らん顔である。

 5時前に帰着。

ちいちいぱっぱちいぱっぱ

2014-01-28 08:12:15 | 日記


 7時前に犬の散歩に出掛ける。今日は火曜日。

 大きな川の合流点を少し遡った所のコースを歩く。

 南よりの東に月と星が見えた。そのすっかり痩せ細った月の近くにある星は金星だろう。

 国道を渡り、踏切を横切る。その後、警報機が鳴り始めた。ホームの駅舎に近い所に人が、かなりの人数、待っているのが見えた。ということは下りか。すると例の上りの2両編成のヂーゼルよりひとつ前のヂーゼルだろう。

 犬は快調に嗅ぎ嗅ぎしながら歩く。道端のアスファルト、枯れた芝草、ヨモギの間の地面、地物の端を嗅ぎ回る。私自身、このコースであまり犬を見ないが、ここは犬の散歩コースなのだろう。我々は時間的に早いのだと思う。

 川沿いに歩く。カモがたくさんいる。平和な風景に見える。食うのにあくせく、敵を常に警戒してという感じがしない。野生に生きるのプロだからそんな素人みたいな態度は見せないのだ。

 思わず口ずさんでいた。
 ちいちいぱっぱちいぱっぱすずめのがっこうのせんせいは・・・
 これはいかん。子供の歌というより、幼児の歌ではないか。最近は、こんな歌は歌わないかもしれないが。
 これが出て来たのは一つには私が新しいものを受け入れることが出来なくなり、脳の古層にあるものを引っ張り出してきたということだろう。或は新しい層が剥げ落ち、崩れ落ち、古層がむき出しになって容易に口を衝いて出たのかもしれない。
 もう一つは、他者に責任を押し付ける考えだ。犬の相手ばかりしているので、犬から影響を受けて幼稚になってしまっている。急に犬に引っ張られると、「うっ。」とか「あっ。」とか声を発して耐える。論理で諭そうとはしない。無駄だからだ。何か食べはしないかといつも用心しておかねばならない。そうして、気付かずに犬のレベルに並んでしまったのかもしれない。犬と幼児は全然別物であるが共通点もある。何でも口に入れるとか。
 しかし、歩くに気分が良くなる。足が軽くなる。不思議なものである。
 ちいちいぱっぱちいぱった・・・もひとつおまけにちいぱっぱ・・・
 マーチだったっけ。いや4拍子だろう。

 次にピーターポールアンドマリーの歌が浮かんできた。LPというものを最初に買ったがPPMのインジャパンだったろうか。サウンドオブミュージックだったろうか。
 ショーショーショワワ ショワワワ ショワバババ  ジョニー何とかかんとかソールジャー。
 ヘブライ語か。イーディシュなのだろう。

 カワラヒワの群れが土手から飛び立った。

 突然ではなく、その先行の思考があったのであるが、それは忘れてしまった。平和維持に関してのことだったか。昨今の新聞を見ると物騒な雰囲気を感じる。
 兎に角、ちいちいぱっぱから哲学的世界に入った。
 世の中の不変の原理は変わり続けるということだ。いや、宇宙自体がそうだ。ずっと変わり続ける。でも、そんなに変わり続けたら、いつか元に戻ることもあるのではないだろうか。宇宙だったら膨張、収縮を繰り返しているとか。しかし、実際は宇宙は膨張し続けているようである。輻射熱の測定からそう判断されているようだ。この辺りの知識は甚だ曖昧で間違っているかもしれない。
 今の空の雲の様子を見ると、これが繰り返されることが果たしてあるだろうか。全く同じ空が復元され得るだろうか。無理だろう。多少似た空は現れるだろうが。それでも雲一つない、いわゆる日本晴れの場合はどうだろう。見た目にはまったく同じように思えるが。その場合でも水蒸気の総量は違うしその分布の在り様もまったく別物だろう。
 つまり、宇宙の不変原理は変わり続け元に戻ることはないということになる。ただ、これも空想に過ぎないかもしれない。ちいちいぱっぱと大差はないように思えてきた。

 ウが1羽下流の方へ飛んで行った。見失ったが、見失ったあたりから黒い鳥が飛び上がり電線に止まった。さっきのウだろうか。いや、そんなことはない。ウの水かきのある足では電線はつかめまい。カラスだろう。

 スズメが土手の方から飛んで来て道と川を隔てているガードレールに横一列に並んだ。100羽はいた。近付くと次々と飛び立った。壮観であった。大群になると性質も変わるだろう。

 国道の橋の辺りからカモが数羽飛び立った。しっかり羽ばたき確実に上昇している。先の鉄橋を越えるためらしかった。小鳥なんかのあっち飛び、こっち飛びの飛び方とかなり違うような気がした。目的を持っている。操縦している感じがする。

 8時過ぎに帰着。


 昨夕の散歩について

 4時15分に犬の散歩に出掛ける。

 海岸に行って浜に降りて北に向かう。穏やかな海。ゆっくりと低い波が砂浜を打つ。ドシンとその度に音をたてる。よく見ていると高く薄くなった波頭は東風で沖の方へ吹き飛ばされている。その白い飛沫が見える。東風なのに、低いとはいえ波が起こっているのは沖の方の風のせいか。

 雲はなく、落日が眩しい。今、太陽があの方角なら日没は六連島の右端になるだろう。六連島と藍島の間に2つの島が見えるが、帰って地図で確認しようとしたが判明しなかった。

 昨年、障子の張替えでブロック塀に立て掛けていた所に今回は襖が並んでいた。よく見ると、それは板に紙を貼ったように見えた。

 5時10分前に帰着。

7時は明るい空

2014-01-27 08:10:42 | 日記


 7時に犬の散歩に出掛ける。今日は月曜日。

 丘陵の頂越えのコースで頂を越えた後に行き当たる命の豊かな川の河口のコースを歩く。

 庭に出た途端、おや、もう明るいと感じた。空は雲一つなく晴れ渡っている。日の出が少しずつ早くなっている。15分前でも晴れていれば大丈夫のような気がする。犬の散歩前の一騒動もその時間を短くすることが出来る。
 寒い。耳が痛い。気温がうんと下がると、耳の中に痛みを感じることがあるが、今朝は耳朶が痛い。しかし、霜は少ないし、氷が張っているのを見なかった。昨日との寒暖差で寒く感じたのだろう。絶対的な温感ではなく相対的な温感である。

 国道沿いの歩道を歩く。車が列を成して進んでいる。やはり活気を感じる。行く所があり、用事がある。しかし、車は人間の統御能力を超えている物である。その証拠に、我が国だけで毎年数千人の方が交通事故で命を落としている。人間には車は無理であることを完全に証明しているのに1000万台もの車を生産する会社もある。やはり、早急に自動運転の車を開発すべきであると考える。機械のことは機械に任すしかないだろう。
 JRの線路と並んでいる所を歩いていると、2両編成の小串行のヂーゼルが追い越して行った。車体に光沢があった。これまでこの線のヂーゼルは艶消しのくすんだものばかりだったのに。特に後ろの赤の車両は塗装し直したのかと思える程、新品感があった。

 左に折れて川に出る。ウが2羽、川の上を飛んでいた。刈られた芝を犬は嗅ぎ、その先で3回目の糞をした。手提げ袋はずしり。
 突堤の先に行く。島の端が反り返って浮いているように見えた。この海、島島はおそらく完新世以来の大昔の人もこのようなものとして見ていたのだろう。海は透明できれいであった。

 川沿いに遡る。向きによって太陽が正面に位置し、眩しかった。中学生を何人か見た。駅に向かう道の手前からは北にある中学校に自転車で向かい、それから先は南にある中学校へ徒歩で通うようだ。

 簡易橋を渡る。ここに3本の街灯があるが、みな点灯している。完全に太陽に照らされて朝行燈状態である。向こうの公園の所にある街灯もそうである。センサーがないのか。

 8時に帰着。


 昨夕の散歩について

 4時15分に犬の散歩に出掛ける。

 犬は朝の散歩から帰って北のリビングに居たのだが、朝のブログを打ってから、犬の所に行き、南に行くかとリードを持って意思を尋ねるもソファの上でべったりと座り込んでここが良いと主張しているようだったので、そこに居させた。
 昼にジャーキーを5本与えるのであるが、猛烈な食欲で食べた後、向こうに行くかと尋ねたが、ソファから動こうとはしないのでおいておいた。
 今朝の散歩は遠距離だったし、長時間だったので疲れて一人でいたいのかもしれないと思った。
 南の玄関では犬にしたら、結構、吠えたりなどの仕事をしなければならないなどのストレスがあるのかもしれない。
 というわけだろう今日はずっと北の家に居た。

 夕方、外から北の玄関に行くと、犬はソファに座っていたが、私の姿を窓越しにみると尻尾を振って喜んで玄関に降りて来た。

 ようし、散歩に行くぞ、と声を掛ける。

 参道を海の方へ向かい公園に入る。公園内の芝生の所を歩かせる。朝はあんなに暖かったのに妙に肌寒い。

 海岸に行く。波が結構ある。空は青く白い雲があちこちに浮かんでいる。空は広いので塊になっているのもあったが、それも矢張り白かった。冬の空ではないような気がしてきた。願っても来ないから、来た時が嬉しいのだ。春の日が思い浮かんで来たのだ。まだ、遠い先のような、すぐのような気がする。強く現実的に願えば前者、その内と構えておれば後者のような気がする。

 高架の下を通る。だだっ広くなっている。
 テニスコートでテニスをしている人がいる。
 手入れの行き届いた畑を右手に見て左折する。もう、早く帰りたい。お腹が空いているからだ。朝もお腹が空いて目覚める。

 5時10分前に帰着。