6時20分に犬の散歩に出掛ける。今日は日曜日。
海岸道路を南下して礫岩広場に至るコースを歩く。曇り。
舗装の継ぎ目には必ずと言って良い程、コニシキソウが生えている。大きい物は直径、2,30cm位ある。小さな葉の一枚一枚に小さな花を付けている。このコースには特に多い。
7時に帰着。
昨夕の散歩について
6時15分前に犬の散歩に出掛ける。
公園、グラウンドを通って海岸に向かう。
午後から晴れたが夕方、雲が空を覆うようになった。
・・・
市の考古博物館で1時半から1時間半の予定で講演会があったので参加する。
電動アシストで行く。どこもかしこもウスバキトンボがこれを我が世の最後の祭りとばかりに密集して飛んでいた。
午前は曇っていたのに天気がどんどん良くなってきた。有り難迷惑というよりはっきり迷惑である。しかし、この好天続きの雨なしで雑草はかなりの試練を受けているようだ。私は果敢に庭の草に挑戦していくつもりだ。が、明日は雨とのことだ。枯れたように見える草も根が生きていれば一雨で茶色が緑色一色になる。今日が勝負所だが、が、今の所、こんなにかんかん照りであれば室内で過ごすしかない。願わくば、天気予報が外れて明日、雨が降らないように。弱っている庭木には灌水できる。
考古よもやま話(第3回)「古墳の被葬者は分かるか」を聞く。
かなり面白そうなトピックでどういう話の展開になるのか興味津々であった。聴衆も多く、私は旧知の隣の席に座った。
講演者は話の前に空調の完全でないことを施設の古さで説明した。聴衆の中には扇子や資料などで扇いでいる人たちがいた。
古墳の被葬者が分かるためには個人を特定する必要があろう。戸籍でもなければ分かりようもなかろう。が、天皇陵はそうでもないらしい。
が、それにしても古墳の編年には感心した。それで、例えば、継体天皇陵が太田茶臼山古墳ではなく今城塚古墳であることが墳丘形態、円筒埴輪、須恵器、主体部などから推定されている。継体天皇の没年からすると太田茶臼山古墳では古過ぎるのだ。まあ、この考証はかなり以前から指摘されていることだが。
講演者の話の中で古代天皇の非実在説を直木孝次郎氏が唱えていることを紹介したついでに、もうお亡くなりになりましたがと解説したのでそれ以後の講演会中、それがずっと気になってしまった。それと抑もその説を提唱したのは津田左右吉博士や井上光貞氏らそうそうたる重鎮ではなかったかと思った。
直木孝次郎氏は、古い本だが日本の歴史2「古代国家の成立」で私には親しく感じられる人だが、何ヶ月か前、朝日新聞の読書欄、「声」に投稿していた。その名前を見てあの直木孝次郎氏かと驚いた記憶がある。
原稿の内容は戦争中に体験した話でその時代の不合理さを抑えた筆致で淡々と綴っていて感銘を受けた。年齢が併記されているのだが、確か90台になっていたのにも感動した。その直木孝次郎氏が亡くなったとの訃報は私の耳に達していない。新聞にもまだ出ていない情報なのだろうか。講演者はTVやラジオで情報を得たのだろうか。
家に帰って早速にインターネットのニュースで調べてみた。今の所、確認できていない。おそらく講演者の勘違いだろう。
発掘物と歴史文献の接し始めた時代の話をもっと聞きたかったが時間がもうなかった。
10分延びたがほぼ定刻に終わった。電動アシストで帰る。
施設からゆっくりの坂を下っている時、丁度、踏切の遮断機が下りて警報音が鳴り始めた。あっという間に踏切から車がずらりと並び考古博物館から下りてきた車はその列のため右折できなくなっていた。これからどんどん車が考古博物館からの坂道を下って列を成すことになるのだろう。
これが嫌だから私は車で来ないのだ。何か人に比して儲けた、人より賢いという気持ちを自身の中に維持しておきたいのだ。これが私が生きる目的も知れないと思える程だ。
玄関に入ると犬は電動アシストを置いていた所に腹這いになっていた。ここが本当に好きな場所なのだよと主張しているようだった。電動アシストが外に出ている時、戻ると何時もそこにいるからだ。犬としては、偉っそうな物が鎮座している所へ自分がそこにましませば、自分も値打ちものになるのではと思ってそこに腹這いになるのかも知れない。或いは単に何時も居れない所に居たいということかも知れない。兎に角、犬はずっと独りぼっちだったせいか、私に優しい視線を送った。私は奥の部屋にエアコンを入れ、犬を招じ入れた。余り気温は上がっていなかったが。
・・・
階段から浜に下りて海辺のカフェの駐車場の横から上がる。その時、そこから浜に下りようとしていた3人の若い女性がいた。先頭の人はミニチャアダックスフンドを連れていたが我が犬を見るとその小犬を抱きかかえた。我が犬を見て緊張したのだろう。表情も硬くなった。
皆、背の高い人たちだった。先頭の人が浜に下りた時、残った2人に今日はと言うと、こんにちはと明るい返事が返ってきた。その内の一人は近くの中学校の体操服を着用していた。
6時15分に帰着。